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第二回かぐやSFコンテスト、審査員による選評と総評座談会を公開
SFウェブメディアバゴプラの主催する第二回かぐやSFコンテストにて、4名の審査員による最終候補作品の選評と総評座談会の動画を公開いたします。
第二回かぐやSFコンテストは「未来の色彩」をテーマに4,000字以内のSFショートショート(短編小説)を匿名で募集。井上彼方さん、奥村勝也さん、坂崎かおるさん、橋本輝幸さん、4名の審査員が、一次選考から最終審査までをタイトルと本文のみで選考しました。
最終候補10作品のタイトルと筆者は以下の通りです。
アザラシの子どもは生まれてから三日間へその緒をつけたまま泳ぐ/吉美 駿一郎
黄金蝉の恐怖/もとい もと
オシロイバナより/泡國 桂
境界のない、自在な/枯木 枕
スウィーティーパイ/十三不塔
七夕/白川 小六
二八蕎麦怒鳴る/苦草 堅一
熱と光/一階堂 洋
ヒュー/マニアック/水町 綜
昔、道路は黒かった/宗方 涼
(五十音順)
第二回かぐやSFコンテスト結果発表の詳細はこちらから。
審査員による最終候補作品の選評
各審査員の選評は以下の通りです。
審査員 井上彼方による選評
テーマ、物語の展開、語り口などどれも見事で、大賞に推薦しました。主人公にとっても読者にとっても、「確かな情報」がとても少ない作品ですが、この「確かな情報の少なさ」が、4000字のスケールや一人称の語りにマッチしていましたし、主人公や登場人物の抱える閉塞感や選択肢のなさ、ディストピアや小説のテーマといった諸々の要素を成り立たせる上でもとてもうまく機能していたと思います。貧困層で選択肢のないという立場の弱さがありつつ、家族に対しては父権的な主人公の描き方に巧みさを感じつつも、ラストの締め方や捉え方によっては少し物足りなさも感じました。逃亡のきっかけを比喩のみで表現する勇気と手腕は見事だと思います。
皮膚の色やデザインを変更できるという作品はいくつもありましたが、曽祖母の存在と描写力によって、その中でずば抜けていた作品でした。視点を主人公に絞った中で、設定についての情報の出し方が巧みで、全体のリズムが良く、説得力を持って活き活きと描けていると思います。主人公がミミと曽祖母の世話に振り回されながら自分の死を見つめていることが、物語に一つの筋を通していると思いました。ただ、曽祖母の描き方がステレオタイプすぎる箇所があるのは引っかかりました。さらに欲の深いことを言うと、そのあたりの描写によっては曽祖母の存在をもっと活かして小説の面白さを展開できた思います。今後の飛躍に期待しています。
文体や構成、表現力など、小説を書く技術や力量が素晴らしかったです。物語に出てくるモチーフによって物語に多層性を持たせつつ、モチーフの文脈がわからなくても筋を追えるようになっている点は巧みでした。モチーフの意味を読み解きたいと読者に思わせる魅力がありましたが、読み解くヒントは出してほしかったです。また、これは読み手によって異なるかと思いますが、彼女の存在や描き方が少し都合が良すぎると感じた点もありました。現代的な形で幸福について展開している点は非常に巧みでしたが、敢えていうなら、「上手い」にとどまらない掘り下げがほしかった印象もあります。このテーマと精度で作品を作る力量を高く評価し、特別賞を送ります。
応募作の中でも数少ないスペースオペラ、ハードSFでした。全体の構成や会話文による緩急のつけ方、(はったりも含めて)宇宙物理学の使い方と知識の出し方などがとても良かったです。特に、会話文を途中に挟む構成を仕掛けとして有効に機能させ、物語を展開させている点は素晴らしかったです。こういった手法は試みる人はたくさんいますが、簡単にできることではないと思いますし、他の審査員からも好評でした。色の使い方、「オシロイバナより」というタイトルも物語を立体的にしていたと思います。文章や表現がさらに巧みになると、構成や展開をより活かした形で小説の完成度を高めることができると思いました。今後に期待しています。
小説全体を通してとても色鮮やかな作品でした。子どものあどけない語り口や華やかな祭りのイメージの持つ意味が、「むぎちゃんのおばあちゃんは本当はお母さん」というオチによって一転して不気味さを帯び、それぞれの描写の持つ意味が全く異なって見えてくる展開を高く評価しています。次々繰り出される色彩やお祭りアイテムの描写も秀逸でした。七夕のエピソードの使い方も有効で、冒頭に出てくる「姫」という言葉が後々効いてくるのもよかったです。ただ小説の設定を説明する箇所が、全体の雰囲気に比してやや説明調かなという印象を持ちました。確かな持ち味はあると思うので、さらなる成長に期待しています。
タイトルと冒頭の一文からラストまで、ケタケタ笑わせてくれる楽しい蕎麦SFでした。まずタイトルで心を掴まれた読者の方も多かったのではないでしょうか。インパクトがあり、思わず読んでみたくなるタイトルをつけるのは難しいと思います。蕎麦のAIというワンアイデアにとどまらず、そのアイデアを掘り下げる形で、蕎麦独自の身体性やら蕎麦としての自我やら、妙に納得させられてしまうハッタリのような真面目な問題提起のような展開を次々見せていくテンポも見事でしたし、まとまりと奥行きがありました。多くの人が笑える小説を書けるのは才能だと思いますし、確立された完成度の高い芸風を感じました。
1994年生まれ。VG+合同会社クリエイティブ・ディレクター。2020年、第1回かぐやSFコンテストで審査員を務める。同年よりSF短編小説をオンラインで定期掲載するKaguya Planetでコーディネーターを務める。編著書に『社会・からだ・私についてフェミニズムと考える本』(2020, 社会評論社)。
審査員 奥村勝也による選評
「エッセンシャルワーカー」「オンライン会議」「専務と社長」といった単語で口火が切られる本作。日本的な場所を舞台に、現実性と現在性の高いストーリーが展開していくのかな? と想像していたら、完全に足元をすくわれました。約4,000字の限られたテキストで、人間や人間性から遠く遠く離れた地平へ、私たちを連れていってくれます。SFが持つ大きな魅力のひとつが、読者を時間や空間を超えた何処かへ(半ば強制的に)運ぶ「連れ去り力」にあるとすれば、その点で傑出しており、かぐやSFコンテストの大賞にふさわしい作品であると言えるのではないでしょうか。見慣れた現実的で実際的な空間を、少しずつ少しずつ浮かせて歪ませて剥離させて、最後に大きく飛翔させる、稀有であると同時に堅実でもあるテクニックを評価したいです。
今回の募集テーマであった「未来の色彩」は、終盤でみごとに昇華されています。結末はオープンエンディングだなと感じており、私は混乱と混沌の先にある一条の光を読み取りました。
人工皮膚を手に入れてはしゃぐ娘、幼児のように振る舞う(が、時に鋭い洞察をみせる)曾祖母、祖母と母は生活に飽きて眠りについている、男たちは顔も知らない……ともすれば読者を突き放してしまいかねない世界観。にも関わらず、したたかに適応して生きている主人公を丹念に描くことで、奇妙に心地よい親近感を持たせることに成功している野心的な作品でした。
どうあれ、なんであれ、生きていかなければならない、できれば楽しみを持って。未来社会を描出する小説において、そうした態度(=希望なき社会における希望を探求する態度)を表現する重要性についても考えさせられました。とりわけ、主人公の娘ーーミミの爛漫な振る舞いに、脱希望的な希望が結実しているようにも感じられます。そして、本作が翻訳されて海外の読者に読まれた際に、どんな反応が生まれるのか。今からとても気になります。
幸福とはなにか、あるいは幸福に感じるとはどういうことか。哲学的とも言える問いに対して、現代小説的な軽妙さと科学小説的なアプローチで挑んだ作品でした。私はそれぞれに傑出したものを持っていると感じて最終選考会議では大賞に推しましたが、長時間にわたった議論の末、大賞は『アザラシの子どもは生まれてから三日間へその緒をつけたまま泳ぐ』とし、本作を審査員特別賞とする結論になりました。(念のため付記をしておきますが、最終的な結論にはまったく異論はありません。)
とはいえ、その結論によって小説としての魅力が削がれるわけではありません。出生と生殖の正当性の議論、遺伝子改変の妥当性の検討、試行錯誤の結果として生まれる「次なる人間」とでも呼ぶべきもの、なによりそれら同士のコミュニケーションから生まれる「生活」を書くこと。私たちが半世紀以内に直面するであろう未来を、独自の流儀で表現していることは、賞の如何に関わらず、高く評価したいと思っています。あえて弱点を指摘するのであれば、最終盤の作中での議論が、前半〜中盤と比較するとやや難解に読めてしまうことでしょうか。私自身は、もう少し長めの尺(短編小説相当、約20,000字ほど)でリトライされたものを読んでみたい気持ちもあります。
タイトル付けの妙、というものは確実にあります。「黄金蝉の恐怖」というタイトルから想起される物語が、良い意味で読者を裏切らず十分に満足させるものであること。その観点から、120点満点だったのが本作です。たとえば、小学生のときに図書室での片隅で見つけた、埃をかぶったハードカバーの中の一編のような。あるいは映画『グーニーズ』を初めて見たときのような。
作中世界(遥かなる1970年代のアメリカ)へ引き込むための細かな表現も秀逸でした。「ラストベルトの端っこ、ボルチモアから200kmほどのところにある寂れた町に住んでいた。そして、恐らくその町の誰よりも不幸だった。」という、冒頭付近にあるこのテキストだけで大勝利だなと感じました。自らが書きたいと思う世界を、適切なコントロールのもとで表現できるのは、間違いなく才能です。今後、その力をさらに発展&発揮されることを楽しみにしています。
小説で笑わせること、おかしみを表現することは、非常に難しいことです(蕎麦は終始怒っていますが)。本作はそれを十全に達成しており、かつ、繰り返し読んでも「フフフ(というよりブふっ、という感じでしょうか)」と微笑ませてくれるという意味において、類まれな特質を持っています。かといって笑わせてくれるだけかと言えば、そんなことはなくて。無生物や非生物に人工意識を付与した際に、それが極めて人間的な意識になってしまうのではないか? という、とても真面目な問題提起もしています。作中では「蕎麦としての自我」もろともにケチャップ炒めにされてしまいますが、人間的ではない意識なるものの存在可能性に関しては、もっと深められていっても面白いものになるでしょう。ちなみに、怒れる蕎麦と私の単純な対話形式ではなく、撹乱要因として助手ヤマモトを配置されたのは、あらゆる意味で適切な判断であったと思います。
開発という善行、成長という正義。旧時代の、などというとおこがましいかもしれませんが、ほんの少し前までは当然の常識とされていたけれど、ここ数年で抜本的な見直しが迫られつつある価値観の物語を、かなり具体的な道路開発というイベントを通して表現している意欲作でした。死角、盲点になりがちなトピックを掘り出された手腕は、おみごとです。過去の栄光を語る被介護者と耳を傾ける介護者のダイアローグという形式も、テーマに対して効果的なアプローチでした。加えて、官公庁から司馬遼太郎まで、固有名詞を積極的に使用するスタイルも、良い書きぶりだなあと好ましく感じました。
私個人としては、本作のような、ある種、日本的泥臭さの中から生まれるSF、もっと読んでみたいです。好みは分かれるところかもしれませんが。
1982年生まれ、小説の編集者。近年の担当書籍は柞刈湯葉『人間たちの話』や竹田人造『人工知能で10億ゲットする完全犯罪マニュアル』(それぞれ2020、ハヤカワ文庫JA)など。2018年、2019年に第3期、第4期「ゲンロン 大森望 SF創作講座」で講師を勤める。
審査員 坂崎かおるによる選評
タイトルも含め、作品内で明言されている事象が少なく、ともすれば自己満足的な物語になりそうな危うさをもっています。それを踏みとどめているのは、一本化したテーマ性にあると考えます。構図としては資本制における持てる者と持たざる者なのですが、単純な体制/反体制に属していない点がユニークだと思いました。「おれ」もミアもイーヨーも、明確な体制への反抗をするわけでもなく、不確かな情報による噂話をする程度で、外洋へ真っ先に飛び出したのも彼らではなく他の誰か。互いの境界は至極あいまいです。「エッセンシャルワーカー」という現代的な用語の内包するネガティブさからも、彼らの行動には諦観に似たものさえ感じます。清々しく見えるラストはあまり幸福な先行きを見通しておらず、私はここに現在の閉塞感を読みとりました。「未来の色彩」でありながら、徹底して現代について書き詰めた作品として描くことで、私たちの心に迫る物語として成立させることができたのではないでしょうか。
悪い意味ではなく、これが読者賞だということに少し驚きました。この未来は閉じていく明日であり、描かれる色彩がどこまで支持されるか不透明だったからです。しかし、多くの読者に選ばれたということは、ここで描かれる未来があまり遠いものではない(もしくは現前にある)と読み手が感じる切実性があったからではないでしょうか。肌の色を変えるという設定が数多くあった今回のコンテストにおいて、本作は傑出していました。個人を先鋭化すればするほど、境界があいまいになり均一化されていく姿は、少し間違えば露悪的な様相になってしまうところを、特に曾祖母の存在がテーマをユニーク化し、鋭い作品として成立していました。作者は自分の声をもっている書き手なのでしょう。インディアンと人種、肌の色の関連付けはやや手つきが心許ない部分も感じましたが、この信頼できない語り手である母親が、多くの読者の心に波を立てたのだと感じます。
一読して非常に上手い小説であると思いました。文章や構成、現代的なテーマの取り扱い方、達者な書き手だと感じます。恐らく水平社宣言に由来するであろうタイトル、アンソニー・ドーアの『すべての見えない光』のモチーフ、出産、出自、障害など、差別/被差別の構造が多層的に描かれているにもかかわらず、過不足なくまとめ、静かな余韻を残します。出産という種の存続にも繋がるテーマの対比に、個に帰結せざるを得ないラストを未来の形として描く展開に唸りました。あまりにも現実の諸問題を上手に汲みとりすぎている感じもあり、これだけの技量があるならば、この作者の一番書きたいもの、書いてみたいものに全振りした作品が読みたい気もしました。
不思議な技法をもつ人外の種族の話、と思いきや、それが壺の中と外で現実のヘンリー・ダーガーという絵描きにつながっていく構成に痺れました。この奇妙なバディ(と呼ばせてください)の物語を4000字の骨組みの中でしっかり建たせるためには、よほどの技量が必要で、細やかな設定が盛り込まれながらも飽きさせず、手つきがたいへん熟練していると感じました。選考会でも、これ以上長くても短くても成立できない作品だろうとその技術に対する指摘がありました。ダーガーは実際には「スウィーティーパイ」と呼ぶ竜巻をはじめとした気象事象に神秘的な傾向を見ていたようですが、ニァグは逆にダーガーの世界にその神秘を見ることで立ち直ります。そのあたりの対比を幻想的にきっちりと描き切っており、確かな表現と技も見どころのひとつです。
最終候補作の中で、一番多くの色を喚起するのは本作ではないかと思うほど、様々なガジェットの散りばめられ方を楽しみながら読めました。しかし、「むぎちゃんのおばあちゃんは、本当はむぎちゃんのお母さんだ」という最後の一文を読んだとき、ひやりとしました。この物語の舞台になった時代においてもなお、母親の呼称を見た目でもって呼びならわさないといけないという世界の冷ややかな部分に触れたからです。それを知った上で本作を読み返すと、楽しげに見えた色たちが、どこか行き場のない迷路にあるように感じられます。祭りを楽しむ彼女たちは、いったいどんな姿をしているのか、「死なない」彼女たちを少女のように固定しているもの(価値観)はなんなのか、読みながら自分の認識を揺さぶられました。書かれた文章の層がきれいに表層と深層にわけられた作品で、書き手の巧みさを感じました。
最終候補の中で、「未来の色彩」というテーマに一番真正面から取り組んだ作品ではないでしょうか。筋立てとしては、パーソナルカラー診断といういわゆる「お仕事小説」的な内容である、というのも、他の作品にはあまりなかった要素でした。対象者そのものではなく、外的な要因である星の環境を診断に組み込むという理知的な解決方法もよかったですし、そこに留まらない形で踏み込むラストも他の作品に少ないポジティブな未来の描き方でした。題名は、恐らく”humaniac”という極端な動物博愛主義者を示す語からきていると思うのですが、これは少し捻りすぎかな、とも感じました。「ヒュー」「マニアック」で区切られているのは、人間でない者たちを表しているのでしょうか?
今回のコンテストは、現実の未来への投影という作品が多かったように思うのですが、本作はその中でもたたずまいの違う地に足のついた小説です。さらりと書かれた中のディティールの細かさは、作者自身の経験によるものかもしれませんが、その「設定」が違和感なくとりこまれ、作品の強度を上げていたと思います。それが、作品をワンアイデアとして終わらせず、説得力のある形にしていました。個人的には少し情報量が4000字の中では多すぎる印象も受けるので、普段は長い分量で書くことを得意とされる方なのかもしれません。この強みを生かした作品をもっと読んでみたいと思わされました。
2020年、第1回かぐやSFコンテストで審査員特別賞を受賞。受賞作「リモート」が「Remote」としてDaily Science Fictionに掲載(訳 Toshiya Kamei)。2021年、SFウェブメディアバゴプラとSF同人誌『SFG Vol.03』に姉妹編のSF短編小説「パラミツ戦記」と「常夜の国」を掲載。『小説すばる』2021年6月号にエッセイを寄稿。『電信柱より』が第3回百合文芸小説コンテストでSFマガジン賞を受賞(『SFマガジン』2021年8月号掲載)。『ファーサイド』が日本SF作家クラブの小さな小説コンテストで日本SF作家クラブ賞受賞。
審査員 橋本輝幸による選評
今回の受賞作はいずれも自由や選択肢にまつわる、巧みな小説でした。本作は鬱屈と閉塞感のあるディストピアSFです。世界に誰しもに等しく危機が降りかかっていて、そこから要領よく難を逃れるにも地位や経済力が必要です。不条理な状況に見舞われるのは普遍的な設定ですが、被験者たちが自ら実験に参加し、クリームを塗り、自らを変えざるを得ない点に独創性というか現代性があると思いました。誰に責任を問えばいいかもわからず、日々不確かな情報に晒される点も多くの人が共感する思いでしょう。作者自身の不安と怒りが、制御されつつも小説に活かされていると感じました。血のかよった語りが強みでした。
冒頭でガツンと衝撃的な設定を出してきたのも、難テーマを選んだのも大胆です。小説として完成度が高く、視覚的想像力に訴えるアイディアもわかりやすく印象的。子供たちやお年寄りの行動に翻弄されるスラップスティックな部分と、技術革新後も変わらぬ人類という現実味を兼ね備えていました。壊れた掃除機で時間経過を示す仕掛けのような細部まで楽しさが充実しています。曾祖母の存在も読みごたえを増していますが、少しカリカチュアが強い印象でした。未来という設定ですが、現在の東アジアからの感性的・文化的な距離が近いです。必ずしもNGではありませんが、好みが分かれる点でしょう。
面白い小説を書こう、読ませようという意欲を大いに評価します。まだ理想とする小説を追求している途中だと思うので、今後さらなる高みを見せてほしいです。
自由意志(あるいは自分を納得させる方法)に迫った作品として読みました。審査員2名が大賞に推しましたが、私は下読み時にマークしつつも最終候補には残していません。惜しい点がありました。
1.予備知識や検索を必要とする
2.見どころや結論がややわかりづらい
3.翻訳時に魅力が減る
芸術家(スーラ等)や舞台(区議の反同性愛発言が話題となった足立区。ゲノム研究のメッカ柏のある千葉)への言及には必然性があります。しかし登場させた意図のヒントはありません。ドーア『すべての見えない光』の内容は中間の山場で重要ですが、書名さえ明かされません。ついてくる読者を絞った印象を受けました。
忘れがたいセリフもありますが、翻訳で壊れてしまいそうな繊細な魅力でした。翻訳時、上記1と2の課題がより目立つ懸念もありました。難しい創作に取り組み、概ね狙いを遂げた技術と努力は評価しており、特別賞の贈呈を決めました。
子供時代の思い出と、古き良き時代の翻訳短編小説の味わいを持つレトロな逸品でした。セミをチョキンとやるシーンはずっと忘れません。こだわりを持つ少女が、そのこだわりを活かして大成する展開もすがすがしいです。十七年ゼミの生態は印象的で、時間のスケールの演出にも一役買っています。公開された季節にも合っていました。プロ作家かもしれないと思わせる、掌編としての無駄のなさにも舌をまきました。また、黄金色の特別なイメージを利用した作品は意外に珍しく、私の下読み担当分で他になかったはずです。
下読みから大賞選考までのすべての過程で一貫して高評価をつけました。最終候補10作を決める際、全審査員が10作中5位以内に選んだ唯一の作品で、広く愛されそうです。
宇宙SFの投稿作は少なかったです。宇宙の色彩を描くためには調べものが必要になるので敬遠されてしまったのでしょうか。それとも読者に提示する情報量の制御が難しいからのでしょうか。本作は構成の工夫と、宇宙SFらしい単語の量のバランスをとることで、うまくやり遂げていたように思いました。オシロイバナの種という例えも小惑星(仮)のイメージをつかみやすくしてましたし、色彩が花開くクライマックスにきれいにつながっていて素敵です。希望ある結末も含め、いい意味でクラシカルな作品でした。
会話パートでしめくくるのはもったいないと感じました。ぜひ読者の反応を参考に、いっそうコンセプトの実装精度を上げて創作に臨んでください。
本作と「黄金蝉の恐怖」は私のイチオシで、2作を最終候補に送りこんだだけで成仏しそうになりました。視ることや絵画がテーマの投稿は数多くありましたが、個性と完成度がずば抜けている。課題テーマからの多少の逸脱をねじふせるだけの強度がありました。コンセプトやテーマを表現するセンスに脱帽ですが、初読は物語が魅力的で技巧を気にする余裕もなく読み終わってしまいました。
なお選考時、ニァグはどうして人間の性別を「たった二種類」「雌性体」と判断したのかという指摘が出ました。ニァグ達がゾウリムシやモジホコリのように多数の性別を持つらしき記述と、モデルであるヘンリー・ダーガーの少女絵には男性器が描かれているという有名な特徴を踏まれば確かに判断理由が不明でした。せっかくの設定ですから、活かしかたを考えてあげても良かったのではないでしょうか。今のままでも非常に強い作品ですが。
宇宙版〇〇という空想は、SF小説を書くための定型のひとつです。本作の題材のパーソナルカラー診断は、複数の協会が検定を実施する実在のアドバイザー資格ですね。この発想をどう調理してくれるのか、楽しみに読み進めました。本作は出オチにならず、宇宙ならではの仕事上の課題や色彩の効能にまで踏みこんでいます。またテーマとSF掌編形式に対して正攻法で取り組んだ点を評価し、最終候補として強く推薦しました。まさにSF掌編コンテストというステージ上で輝くべき話でした。
あえて言うと、題名と一部の言葉選びに凝っているのが王道な構成から乖離していて、読者に引っかかりを与えていると思います。
1984年生。SFウェブジン「Rikka Zine」を主催。2008年より「S-Fマガジン」などでSF小説の紹介者/書評家として活躍。編著書『2000年代海外SF傑作選』(2020, ハヤカワ文庫SF)、『2010年代海外SF傑作選』(2020, ハヤカワ文庫SF)。2020年、第一回かぐやSFコンテスト審査委員長を務める。
審査員による総評座談会を公開
また、最終候補作品以外の作品を対象にした審査員による総評座談会を公開しました。応募作品の傾向やコンテスト全体の感想、選外佳作の選び方など、4人の審査員が座談会形式でコメントしています。
(一部音声が聞き取りづらい箇所があります。YouTubeの字幕機能をご利用ください。)
最終候補作品を読む
受賞作を含む最終候補作品は特設ページで公開中。こちらから読むことができます。
また、各審査員が“最終候補には残せなかったが優れた作品”をまとめた選外佳作リストは、こちらで公開しています。
第三回かぐやSFコンテストは2023年に開催
2020年、2021年と2年連続でかぐやSFコンテストを開催し、筆者・読者・審査員・スタッフを含む多くの方々によって立派なコンテストに育てて頂きました。本当にありがとうございました。第三回かぐやSFコンテストは2023年に開催いたします。
詳しくはこちらの記事の後半をご覧ください。
Kaguya Planetでは毎月SF短編小説を配信中!
かぐやSFコンテストを主催するバゴプラでは、SF短編小説を定期的にウェブ上に掲載するKaguya Planetを主宰しています。Kaguya Planetは第一回かぐやSFコンテストの結果を受けて得た問題意識をもとに始動したプロジェクトです。月500円で登録していただくと、毎月先行公開の作品を読むことができます。Kaguya Planetを出版につなげていく計画も進行中です。
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9月は宮内悠介さん、f3hitoさん、北野勇作さん、佐々木倫さんの作品を公開します。詳しくはこちらから。