黄金蝉の恐怖 | VG+ (バゴプラ)

黄金蝉の恐怖

「黄金蝉の恐怖」

僕の人生は半ばを過ぎ、今や平穏のスープの中にある。しかし、ふとしたきっかけでスープが揺れると、決まって底からあの夏がひょっこりと浮かび上がってくる。小海老の殻を剝く時、レンタカンバの樹皮が今にも剝がれおちそうにめくれあがっているのを見た時、あるいは、10歳になるリュカがはじけるような笑い声をあげた時。彼女と過ごしたあの夏の記憶が蘇る。鼓膜に刻まれた見えない溝をなぞるように、数十億匹の蝉たちが一斉に鳴き始める。僕の耳元でジワジワと。

1970年、幼馴染のデビーと僕は、揃って11歳だった。ラストベルトの端っこ、ボルチモアから200kmほどのところにある寂びれた町に住んでいた。そして、恐らくその町の誰よりも不幸だった。僕は貧乏な母親とトレーラーで寝起きしており、朝夕の食事にも困る有様だった。デビーの父親は保安官だったが、粗暴な男で、デビーを事あるごとに怒鳴りつけた。もちろん、それはデビーが問題児だったせいもあるのだが、あまりに何度も耳元で大声を出されたせいで、デビーは左耳の聴力が弱かった。だから、いつも右耳を前に出す癖がついていて、背中が奇妙にねじれていた。母親はとうの昔に町を出ており、草ぼうぼうの庭つきの古い家に二人で住んでいた。デビーの髪は、誰も梳かしてくれないせいでいつもくっついてベタベタしていた。

それでも僕らはめげずに生きていた。特にデビーには誰にも負けない強さがあった。目をみはるような生命力が身体中に漲っていた。

「アンドルー!」 デビーはいつも僕のことをこう呼んだ。語尾まで力一杯に呼ぶから怒っているみたいに聞こえたし、実際怒っていることも多々あった。癇癪持ちで、気に入らないことがあると怒鳴るし、ぶつし、嚙み付いてくることさえあった。だけど、それ以上に彼女はよく笑った。

「アンドルー! 学校が終わったら森に集合!」 僕らはよく森で遊んだ。森にいる時、デビーは勇敢な冒険家のゲオルク・フォン・シュパイヤーで、僕は彼女に付き従う忠実な騎士フィリップ・フォン・フッテンだった。デビーのベタベタした髪も、汗の匂いも、森の中では自然で、むしろ魅力的に感じられた。僕らは毎日、飽きることなく、昆虫をつかまえ、土を掘り返し、宝物を埋め、罠をつくって遊んだ。眠る前に手の匂いを嗅ぐと、クワガタと苔の匂いがした。

しかし、夏のはじめに大事件が起きた。デビーが黄金の蝉を発見したのだ!

「噓じゃない! ブルースワローの壁に張り付いた巨大な金の蝉を見たんだ! 目も、羽も、腹も、足の先まで磨いたみたいにピカピカだった。昆虫図鑑にものってない新種だ! 世紀の大発見だよ!」デビーは熱をこめて語った。重たそうな羽と腹をギラつかせて飛び去った様子も身振りで交えて表現した。聞いていた上級生は鼻で笑った。「デビー、デビー、ごめんよ! それって、俺が昨日かんだガムの包み紙なんだ」デビーは哀れな雄牛みたいに上級生に突進した。が、攻撃はうまくいかず、カフェテリアのテーブルに激突して目尻を切った。

しかし、もちろんデビーは、そんなことでめげはしなかった。「黄金蝉はいる! 絶対に見つけてやる!」僕らは黄金蝉の探索に乗り出した。手製の虫取り網を手に、デビーが黄金蝉を目撃したモーテルの裏手の壁はもちろん、街のすべての壁も、森も、町外れの国道あたりまで自転車を漕いで行って探索した。

蝉は、その年、北アメリカ東部に大発生していた。ラジオのニュースでは1m四方に300匹もの蝉がいると報じられており、見渡す限りのあらゆる外壁に、木々に、蝉が張り付いて鳴いていた。耳だけではなく、体全体に蝉の声が刻まれるようだった。確かに、こんなに蝉がいるなら一匹くらい黄金の蝉が混じっていたとしても不思議はない。むしろ、当たりの蝉が入ってないならイカサマだと疑うほどだった。

僕が用意した紙袋はすぐに蝉でパンパンになった。捕まえた蝉は裏も表も舐めるように観察し、怪しく光る部分がないか、足の付け根の一本一本まで伸ばしてみた。しかし、金の蝉など一匹もいなかった。茶色でカサついたありふれた蝉ばかりだった。1週間もたつころ、僕はさすがにもうやめようとデビーに言ったが、デビーはこの探検に恐るべき執着を見せていて、まだまだ諦める気はなさそうだった。目尻に茶色いかさぶたを作りながら、汗だくで駆け回るデビーを止めるすべを僕はもたなかった。

そして、さらに1週間、また1週間と調査は続いた。僕らは町の噂になり、自転車で走っていると、町の人が「金の蝉はいたか」と声をかけてくるようになった。概ね馬鹿にした態度だったが、時々「廃工場辺りに巨大な蝉がいた」など有力な情報をくれる人もいた。僕らは情報に一喜一憂しながら、汗みずくで町中を駆け回った。そして、ついに他の個体より大きめの一匹を捕まえた時、デビーが言った。「切ってみよう」「内側も調べないと」

嫌な予感がした。イソップ童話のガチョウの話だ。「それはあんまりいい考えじゃないと思う」もちろん、僕の控えめな意見は聞き入れられなかった。

デビーの家に入るのは実はそれがはじめてだった。昼間なのにカーテンのかかった蒸し暑いリビングで、デビーは死にかけの蝉を袋から取り出した。蝉はもう鳴き声も出さずにじっとしていた。確かにその蝉は他の個体よりも少し大きく見え、内側になんらかの秘密が隠されていそうな気配があった。デビーはリビングにある古ぼけたキャビネットの中から、銀色の鋏を取り出した。古い病院にあるような大きくてするどい銀の鋏だった。ふいに蝉が状況を悟ったように激しく震えた。けたたましい羽音が部屋に鳴り響いた。

デビーは見たこともないほど神妙な顔つきで蝉を押さえつけていた。顔色は蒼白だった。銀色の鋏がサクリと音をたてて茶色の昆虫を切り裂いた時、僕は思わず目をつむった。「ああ!」とデビーが声を出した。「ああ!」二回目はか細い悲鳴のような声だった。目をあけるとデビーは真っ二つになった蝉を見て呆然としていた。僕の背筋に凍るように冷たいものが通り抜けた。蝉の断面はぞっとするようなものだった。頭の下にピンク色の筋肉らしいものが見えた。腹の部分にはなにか黄色がかった白い粒のようなものがぎっしりと詰まっていた。僕は弾かれたように立ち上がって扉のほうに逃げた。「まって! アンドルー!」部屋の中は蒸し蒸しと暑くて、デビーのほつれた金髪は額に張り付いていた。突如、それがものすごく気持ち悪く思えた。「いやだ!」僕は叫んだ。「いやだ! いやだ!」デビーの顔が歪んだ。必死に泣くのをこらえているような顔だった。「アンドルー! 待って! ほら! 金が!」デビーは半分になった蝉を摑んで半狂乱に叫んでいた。透明な汁がべちゃりと机に垂れた。もう一方の銀色の鋏を持つ手が震えていた。僕らは黄金探しに目がくらんで、とんでもないことをしてしまった! 物語から恐ろしい現実を生み出してしまったのだ! 僕は、嫌悪感にめまいを起こしながら、デビーの震える手から鋏をもぎとった。「やめろ! それは卵だ! 金の蝉なんかいないんだ!」その時、リビングに人影が現れた。デビーの父親だ。異様な状態に気づき、「なにしてる」と恐ろしい声でそう言った。僕は心の底から縮みあがって、銀の鋏を握りしめた。声は出なかった。父親は机の上に転がったまっぷたつになった蝉の死骸に目を走らせた。そして一瞬のち、僕の頭頂部を力任せに殴った。目の前がチカチカして、アゴが震えているのがわかった。それからどうなったのか、覚えていない。脳震盪でも起こしたのだろうか。気づいたら自分のベッドに座っていた。窓の外は真っ暗だった。蝉の声もしなかった。

デビーとの夏はそれで終わった。いや、終わったのは夏だけではなかった。デビーとの友情も途絶えてしまった。蝉の一件で父親の激しい怒りをかったデビーは、ボルチモアに住む伯母さんの家に送られることになり、夏休みの終わりを待たずに学校を去ったからだ。あんなにたくさんいた蝉たちは姿を消し、カサついた死骸を道路に残すのみだった。黄金蝉の謎は、苦い思い出と一緒に記憶の底に沈んでいくはずだった。

ところが、話はこれで終わらなかった。17年後、僕らの故郷は再び蝉だらけになったのだ。彼らは17年ごとに現れる周期蝉で、年級群はブルードX。羽化が始まると街はパニックに陥った。その頃すでに結婚してNYで働いていた僕は、テレビでそのことを知った。デビーと僕らの夏の冒険のことが、ふと頭をよぎった。

小包が届いたのはそんな折だった。送り主はデボラ・ベックリー。デビーは一体、どうやって僕の居場所を知ったのだろう? 驚きつつもやけに軽いその包みを開けると、小さなマッチ箱が出てきた。中には蝉の抜け殻が一つ。そして、小さな紙片が入っていた。「見つけた!」一言、そう書いてあった。

僕は小さな抜け殻を手にとり、しげしげとそれを眺めた。ぱっくりと開いた背中から中を覗き込むと、気門の内壁にあたる筋が、ところどころキラキラと輝いていた。それは、紛れのない金の輝きだった! 僕は、その時にはじめて、あの夏がまだ続いていたことを知った。そして彼女のしつこさに敬服して、いつまでも笑った。

その後のデビーのことは皆さんもご存知だろう。僕らの故郷の重金属を扱っていた工場跡地から、塩化金から純金を抽出する土中バクテリアが発見されたのだ。それがブルードXの呼吸器官にのみ感染することを突き止めた彼女の名前は、世界的に知られるようになった。今やデボラ・ベックリー博士といえば、錬金術師の異名で呼ばれている! 17年毎に彼女の名前は輝きを増すようだ。僕も誇らしさと恐ろしさの混じった気持ちで幾度も思い出す。あの黄金色の夏を、鳴き止まない蝉たちの声を!

 

 

 

 

もといもと

北海道出身。webディレクター/ボドゲクリエイター(SFボードゲーム「シュレーディンガーのねこ」制作者)第1回かぐやSFコンテストをきっかけにSF小説を書きはじめる。「嘘つきロボット先生」(かぐやSF1選外佳作)作者。海外SF、昆虫、化石、お酒、エビフライ、面白い話が好物。特技はルービックキューブと利きビール。

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