オーガニックゆうき「チグハグバナナ」 | VG+ (バゴプラ)

オーガニックゆうき「チグハグバナナ」

カバーデザイン 浅野春美

先行公開日:2021.3.27 一般公開日:2021.5.1

オーガニックゆうき「チグハグバナナ」
3,790文字

近頃、私は周囲から「オーガニックゆうきは作家として終わってしまった」と噂されているらしい。そりゃそうだろう。この数ヶ月、ロクに原稿も書かずに「バナナを精神科に連れていくにはどうしたらいいか」という話しかしなくなったのだから。

とにかく、言い訳をさせてほしい。なぜ私の生活はこれほど滅茶苦茶になっているのかということを。当の本人がどう説明をすれば良いのかも分からないが、とにかく原稿を書けなくなった言い訳を記せば、自ずと今の私の強いられている状況がいかにリフジンであるかが読者に伝わるはずだろう。

「ソレ」が私の部屋に来たのは、一年前のことだ。

ソレが何なのかというのは説明し難い。はっきりと言えるのはその存在自体が、天災、、一種、、であるということだ。スイカほどの大きさで、水の波紋のような模様を広げ空気中に揺蕩っている。空間のヒズミとも言えるし、埃の塊にも見える。時々部屋の隅に現れては、いつの間にか去っていくのだが、おそらくその様な「ただの怪現象」であるだけなら、私は喜々としてSNSに投稿しただろうし、周囲の知人をありったけ呼んで紹介しただろう。この手記だって「実録! ◯◯特集!」というタイトルでゴシップとして書き立ててもよかったと思う(それが出来たらどんなに幸運なことか!)単純なネタとして扱えない訳は、先に書いたように、これは全くもって不幸な天災であり、かつ、今となっては私にとって忌々しい存在となってしまっているからだ。

とにかくソレが現象なのか、生物なのかもまだ何もわからない。しかし出会ってしまったが最後、ソレからは逃げられなくなってしまうのだ。

ソレとの最初の邂逅の時、私は泥酔で部屋に帰ってきた。

部屋の角にどよよんと漂っているソレを見て、私は当初妖怪か幽霊のたぐいだと思い、まあ驚きはしたものの「やあ」だとか「よう」だとかそういう一言をかけ、さっさと布団にくるまった。要するに良いやつなのか悪いやつなのかも分からないのだから、一旦無視を決め込むことにしたのだ。ただの酔っぱらいの幻覚かもしれない。目覚めてもまだ居るようだったらまた考えればいい。

その日の夜、妙な夢を見た。世界中で、あるウイルスが大流行する。ウイルスには有効なワクチンがなく、次々と感染者が増え、何億人と死者が出る。感染拡大を防ぐため数々の職場やコミュニティが縮小されていく。世界的超大国では、生活に困窮した人々によって国会議事堂が占拠された。人々が求めるものはパンやバラではなく、「カリスマ的指導者」だ。民衆は隣人を憎み、外国人を差別すべきだと訴える。私たちの日常は、犯罪や暴動、差別やヘイトに染まっていく――

「バナナは殺害予告」

無機質な冷たい声で私は飛び起きた。暗い部屋の隅に、こちらを見つめるように灰色の塊がうごめいている。ソレは「殺害予告」と何度も繰り返し言いながら、天井に移動する。その声はまるで私を責め立てているようだった。やめろ、と言いかけた途端、ソレはキューキューと音を立てた。風船が膨張するように身体を膨らませると、やがて泡が弾けるように闇に消えていった。消えると言ってもあの消え方は、癇癪に耐えかねて逃亡すると言ったほうが適切かもしれない。

ソレが最初に発した一言が「バナナ」だったので、私はソレをバナナと呼んでいる。バナナは昼夜問わず不定期に私の部屋に現れては、妙な夢を見せる。それがバナナの特性だということを私は徐々に理解していった。バナナが見せる夢は大なり小なり「予知夢」であるらしい。近くの定食屋が潰れたり、失恋したり、好きなアイドルが引退したり――全て私にとっての不幸な出来事なのだが、まさか夢が現実になるなんて誰に言えば信じてもらえるのだろう。

バナナはタチの悪い幽霊なんじゃないか、と私はまず考えた。成仏出来なかった何者かがどういう謂れか私の部屋に地縛霊の如く棲みつき、私にウラミツラミを被らせるのだろうと。そこで部屋の至るところに塩を撒き、古の都に伝わる陰陽道を各種映像作品から見様見真似で再現した。しかし、バナナはそれで「自分を追い出そうとしている」と確信したのか、予知夢は一層過激になった。私は世界各国で暴動が起きる夢を見、目覚めればそれが夢の通りに実現するのを知ることになる――そういう日々が何ヶ月と過ぎていった頃、あのウイルスが世界的パンデミックを引き起こしそうだというニュースが出始め、私はいよいよバナナをどうにかしなくてはならないと思い始めた。

それから私はバナナと遭遇しないよう、自分の部屋へ帰らないようにしていた。バナナは私が一人で居るときにしか現れない。万が一、出先や道端で出会っても無視を決め込む。バナナは夢を支配できないせいか、私へ罵詈雑言(その内容はここには書き記さないでおく)を浴びせるようになっていた。日々、トイレやシャワーなど一人になる度、誹謗中傷やらヘイトスピーチやらを叫び続けられるのはしんどいもので、対応策をどうにか練らねばと思っている。どれほどしんどいか、というのをツラツラ書いてもいいのだが、とにかくまともに原稿が書けないほどしんどい――この事実だけでも私の愚痴は読者に充分伝わるだろう。重要なのは、この先どうやって「バナナ問題」を解決するかである。

ある日、執筆中にバナナが現れた。勘弁してくれと席を外そうとした時、バナナはあの無機質な声を発した。

「バナナは連動した圧力」

その後、バナナは私に対してこれまで以上に、激しい口調で差別用語をまくし立ててきた。何回か聞いていくうちに理解したのは、要するに、バナナの主張は私がバナナを殺そうとしているというものらしい。バナナにとって私は「加害者」であり、「被害者」(おそらくバナナ)の訴えを無視し、追い詰めていると。そして生存の危機を感じたバナナは、私へ呪詛の言葉をまくしたてるのだ。

その翌日、私は米国の議事堂が占拠されたことを知る。私の見た夢は着実に現実と化していた。

ニュースを見た直後トイレに行くと、バナナがキューキュー鳴きながら便座に乗っていた。私が来るのを待っていたのだろう。「オーガズム(オーガニックのことらしい)は殺人者」と繰り返し喚く。そのヒステリックな様子は『お前はこうなることを知っていただろう』と糾弾するようで、正直、不快極まりない。私は踵を返し、再びバナナを無視した。バナナは例のごとく私の足元で攻撃的に喚き散らしていたが、時々「バナナは桃色」だの「六等星」だの「俊敏」だの支離滅裂な言葉を発していた。そして私が玄関へ向かうと、キューキューと叫んで消滅した。

バナナのこうした言動を見て、私はかなり真剣に、バナナは何かしら誰かに訴えたい生きづらさを抱えているのではないかと思っている。なにか対話ができれば「なぜそんなことをするのか」と理由を聞けるのかもしれないが、あの調子だと私の手には負えない、負いたくないと思ってしまう。

そこで、冒頭に出てきたような「どうにかしてバナナをカウンセリングにつなげられないか」という相談をホウボウにしているわけである。バナナは明らかに「言葉のサラダ」の状態だ。バナナだけに、雑に例えれば今の状態は、永遠に続く「一人マジカルバナナ」である。

しかしそもそもバナナなのである。編集者に相談しても「ゆうきさん、面白い話なのは分かりました、とにかく〆切を守ってください。こちらも限界です」と言われる。病院や警察に行っても、相手にされるだけ奇跡だろう。バナナは、仮に生きづらさを抱いていたとして、たまたまここに居て、なぜか悪質な言動を繰り返し、誰にも為す術もないという天災なのである。

ここで察しの良い親切な読者なら「バナナの正体こそ作者本人なのでは」と指摘するだろう。落ち着いてほしい。私はあまり出来の良い書き手ではないし、その私でも「実はバナナの正体がドッペルゲンガーでオーガニックゆうきは徐々にその思考と肉体がチグハグなバナナになっていくのでした!」というSFを書いても良かったのかもしれない。しかし、今回のケースは申し訳ないほど本当に物語もへったくれもないのだ。けれど、バナナは確実にこの世に存在していて、今も私の精神を蝕んできている。

昨日、シャワー室で喚いて消えていったバナナを見て、私は思った。バナナは私の部屋にだけ現れていると思っていたが、もしかしたら私の知らないどこかで、同じことをしているのではないか。きっとバナナに出会った誰もが「共生不可能な異物」として認識し、私のようになんとかして排除出来ないかと考えるだろう。それを感じてバナナはますますキューキューと音を鳴らし、体を膨らませていく。ならばどうすればいいのか。どれだけ掘り下げて考えてみても自分の力量の限界を確認するだけになってしまうのが腹立たしい。

今夜もしかしたら私は再びバナナと一緒に夢を見るのかもしれない。そしてまたその夢が言霊のように現実と化すことに怯えるのかもしれない。天災はいつそれが始まり終結するのかが分からない。けれど、いつかアイツにサヨナラと言ってやるという魂胆だけはある。さしあたり、あの悪意の洪水に呑まれないように過ごすことにしよう。けれど、もしバナナがこのままそばに居続けるなら? ならば、せめて、私はこの胸騒ぎに、時間をかけて抗っていたい。

 

 

 

 

井上彼方編『社会・からだ・私についてフェミニズムと考える本』(社会評論社) 収録のオーガニックゆうき「龍とカナリア」は、前半部分をバゴプラで公開中。

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オーガニックゆうき

1992年生まれの小説家、ウルトラシリーズ好きの、うちなーんちゅ。2018年に『入れ子の水は月に轢かれ』で第8回アガサ・クリスティー賞を受賞し、同作で早川書房からデビューを果たす。2019年10月から2020年6月までは、沖縄タイムスでコラム『うちなぁ見聞録』を連載。2020年12月には『社会・からだ・私についてフェミニズムと考える本』(社会評論社)にSF中編「龍とカナリア」を寄稿した。ミステリとSFを自在に横断していく多才さを見せる注目の作家。

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