ネタバレ解説&感想『オッペンハイマー』ラストの意味は? 『ゴジラ-1.0』との共通点も | VG+ (バゴプラ)

ネタバレ解説&感想『オッペンハイマー』ラストの意味は? 『ゴジラ-1.0』との共通点も

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『オッペンハイマー』が日本で公開

「ダークナイト」トリロジーや『TENET テネット』(2020) といったSF作品で知られるクリストファー・ノーラン監督の最新作『オッペンハイマー』が2024年3月29日(金) より日本でも公開された。本作は2023年8月に米国で公開されて以降日本公開が待たれていたが、第96回アカデミー賞で作品賞、監督賞をはじめとする7部門を受賞してからの日本上陸となった。

『オッペンハイマー』はSFではないが、同じく第96回アカデミー賞で視覚効果賞を受賞した『ゴジラ-1.0』(2023) との共通点も見られる。本記事ではそのラストについて解説し、感想を記していく。なお、以下の内容は『オッペンハイマー』の結末に関するネタバレを含むので、必ず劇場で本作を鑑賞してから読んでいただきたい。

ネタバレ注意
以下の内容は、映画『オッペンハイマー』の結末に関するネタバレを含みます。

『オッペンハイマー』ラストをネタバレ解説&考察

描かれた二つの視点

映画『オッペンハイマー』では、ロスアラモスを拠点にマンハッタン計画を進め、原子爆弾を作り出したJ・ロバート・オッペンハイマーの物語と、商務長官に指名されて公聴会に出席することになったルイス・ストローズの物語が交互に描かれていく。つまり、オッペンハイマーが原爆開発に成功するまでの物語と、戦後にオッペンハイマーとストローズが対立しそれが終結するまでの物語がメインプロットなのだ。

つまり、大方の予想に反して、映画『オッペンハイマー』はオッペンハイマーだけの物語ではなく、オッペンハイマーを憎むストローズの視点の物語も大きな割合を占めていた。ストローズはかつてオッペンハイマーに軽んじられた過去を根に持ち、オッペンハイマーを嵌めようとしていたのだ。

第96回アカデミー賞ではオッペンハイマーを演じたキリアン・マーフィーが主演男優賞を、ストローズを演じたロバート・ダウニー・Jr.が助演男優賞を受賞した。共に主演レベルの名演を見せており、このダブル主演に近い構成が『オッペンハイマー』の映画としての強度を高めていると言える。

オッペンハイマーがかけられた罠

時系列を整理しておくと、オッペンハイマーが原爆開発に成功したのが1945年小さな部屋で行われる査問委員会でスパイ疑惑を晴らそうとするのが1954年ストローズが上院による公聴会で質疑に応答しているのが1959年だ。オッペンハイマーとストローズにとっての主戦場は、戦後の二つの委員会で、共に名誉をかけた戦いに挑むことになる。

オッペンハイマーの査問委員会では、これまでのオッペンハイマーの不貞やソ連のスパイを計画に入れた疑惑など、過去を根こそぎ掘り起こされる。この公聴会は決して裁判でも取り調べでもなく、オッペンハイマーの国家機密へのアクセス権限更新に対する審査だ。故に弁護士の法的な観点で行われる反論は役に立たず、終始ジェイソン・クラーク演じるロジャー・ロッブのペースで審査は進められていく。

そしてこの審査委員会は、全てストローズが仕組んだ罠だった。ストローズは水爆開発を巡ってオッペンハイマーと意見が対立していた。そしてそれ以上に、オッペンハイマーがストローズのことを悪気なく「靴売り」と軽んじる発言をしていたこと、アイソトープのノルウェー輸出に関する公聴会で笑いものにされたことをストローズは根に持っていた。

ストローズは、決してオッペンハイマーを表舞台で裁くことをせず、悲劇のヒーローにもしない、殉教者にもさせないために密室の場所で行われる審査会で恥をかかせ、ひっそりと(社会的に)死なせようとしたのだ。そして、審査会が次々と出してくるオッペンハイマーの機密情報は一体誰が漏洩させたのか……。

ストローズの最後

その人物とは、他でもないストローズだった。ストローズがデヴィッド・ダストマルチャン演じるウィリアム・ボーデンにオッペンハイマーの情報を提供し、ボーデンからFBIへ、FBIの依頼を受けてケネス・ニコルスが聞き取りの委員会を設置し、ストローズが審査官を指名するという出来レースだ。当時のアメリカはソ連との冷戦下で赤狩りが進められており、共産党との繋がりがあると判断された人物は政治参加が難しくなり、FBIの監視下に置かれることになる。

そして、1959年のストローズの公聴会でラミ・マレック演じるデヴィッド・ヒルがストローズの商務長官就任に反対する証言を行う。ストローズが抱えるオッペンハイマーへの恨みと、オッペンハイマーの審査会での暗躍を暴露されたストローズは、商務長官への正式就任を取り消されることになる。反対の署名をした人間の中には、ジョン・F・ケネディも含まれていた。

一方のオッペンハイマーも、国家機密へのアクセス権限更新は却下される。それでも、自身が抱えていた秘密や矛盾を曝け出したオッペンハイマーには、審査会から一定のリスペクトは向けられているようだった。公の場で恥をかいたストローズとは対照的に。

アインシュタインへの言葉

そして、映画『オッペンハイマー』のラストシーンは1947年に池のほとりでオッペンハイマーがアインシュタインに話しかけた場面へと戻る。ストローズは、この場面でオッペンハイマーがアインシュタインにストローズを自分を無視するよう伝えたと被害妄想を抱いていた。しかし、ここで話されていたのはもっと大切なことだった。

アインシュタインは、オッペンハイマーに原爆開発の結果はいずれ出ると話し、オッペンハイマーは賞賛もされるだろうが、その賞賛はオッペンハイマーのためでなく、その周囲の人々のためのものだと助言されるのだった。最後にオッペンハイマーは、核爆発が大気で連鎖して地球を炎が覆い尽くす可能性について触れる。

これはエドワード・テラーが提唱した理論で、オッペンハイマーはアインシュタインにこの理論について相談していたが、アインシュタインの答えは、もしその理論が正しいのであれば研究をやめてナチスにその情報を共有しろ、というものだった。アインシュタインは国家間よりも人類単位で世界のことを考えていたのだ。

ラストシーンでは、オッペンハイマーはアインシュタインに、核爆発の連鎖反応はおそらく成功したと伝える。これは物理的に爆発が大気で連鎖するということではなく、オッペンハイマーが原爆を完成させたことによって世界中に核が拡散されたということの比喩だ。ショックを受けたアインシュタインは、ストローズに目もくれずに去っていくのだった。

そしてオッペンハイマーの脳内には、世界中に核ミサイルが発射される映像が映し出されていた。一つの原爆を開発したことにより、いつしか核爆発が地球を飲み込んでいく、そんな未来を見て、映画『オッペンハイマー』は幕を閉じる。

映画『オッペンハイマー』ネタバレ感想

視点の切り替えにこだわった作品

映画『オッペンハイマー』は、非常に複雑な時間と視点の移動で構成されるクリストファー・ノーラン監督らしい作品だ。オッペンハイマーの視点で語られるシーンはカラーで、他者の視点のシーンはモノクロで描かれるなど、視点の切り替えにもこだわった作品でもある。

映画の公開前に、NHKなどのメディアは長崎・広島での原爆投下被害が描かれなかった理由として、「一人称にこだわった」と紹介していたが、そうではない。クリストファー・ノーランは何を描いて何を描かないかを構成に規定されるような作家ではなく、描きたいものを描くために構成を作り出すことができる大監督だ。

映画『オッペンハイマー』は原作の伝記に忠実というわけでもなく、例えばトルーマン大統領がオッペンハイマーに「Hiroshima isn’t about you.(広島は君の問題ではない)」というセリフはクリストファー・ノーラン監督の創作だと言われている。当たり前の話だが、クリストファー・ノーランくらいの監督になれば、自分の映画で何を描いて何を描かないかは監督が決めている。「こういう作りだから」と思考停止するのではなく、なぜその作りにしたのか、その取捨選択の意味を考えるべきだろう。

上記のトルーマン大統領のセリフは、米国のファンが「この映画は広島の話ではなくオッペンハイマーのことだ (This film isn’t about Hiroshima or Nagasaki, it’s about Oppenheimer.)」と本作を擁護する言葉としても使われている。クリストファー・ノーラン監督が描きたかったのはオッペンハイマーとストローズのストーリーであり、原爆で殺されたジェノサイドの被害者の話ではなかったというのが実際の理由だろう。

映画メディアの問題点

また、オッペンハイマーが広島・長崎への原爆投下を「目にしていない」ということが、それを描かなかった理由として挙げられることが多いが、作中にはオッペンハイマーが目にしていないものはたくさん出てくる。例えば、クリストファー・ノーラン監督が自分の娘を起用した、被爆した少女の幻覚だ。

オッペンハイマーはアジア人に原爆が落とされることを想像することはできなかったが、自分たち白人に原爆が使われることについては恐怖を覚えた。それはクリストファー・ノーラン監督が遠い国の被害者に思いを寄せることはできないが、世界に核を放たれて自分の娘が被害を受けることについては思いを寄せられるということの表れではないだろうか。

一方で、オッペンハイマーが原爆投下後に映写室でその被害を目にするシーンがある。これもまた「被害を目にしていない」という公開前に流れた言説に反するものだ。オッペンハイマーは被害を一瞬目にした上で目を逸すのだ。『オッペンハイマー』の事前の評判では、そうした演出の機微は捨象され、簡潔に正当化する言説ばかりが唱えられてしまった。

その背景には、日本の映画メディアが今や“宣伝屋”としての機能が主となってしまったことが挙げられるだろう。日本で公開される洋画は絶賛一辺倒になってしまい、試写の率直な感想が出にくく、前評判が当てにならない。これは洋画の国内興収が落ち込んでいる要因でもあるだろう。

だが、『オッペンハイマー』は本作に否定的な人も含めて大規模な試写を行うなど、そうした状況を打開するような宣伝策をとってきたことも確かだ。それでもNHKや民間メディアが自主的に本作を庇ってあげる(それも内容に反している売り文句で)ようなムーブを見せ、本作に対する丁寧な議論に蓋をしてしまったように思えてならない。

『ゴジラ-1.0』との共通点

映画『オッペンハイマー』は、同じく2023年に公開された映画『ゴジラ-1.0』と同じく、加害者たる主人公の被害者を描かずに、戦争の時代を生きた男の生き様を描くような作品だった。それは両作を手がけた監督の選択であり、両監督が「クリストファー・ノーラン監督最新作」や「ゴジラ最新作」という看板のもとで世に送り込みたいと考えた内容と題材だったのだろう。

もちろんどのレベルの監督が映画の題材に何を選ぶかという議論は為されるべきだ。『オッペンハイマー』は徹底した白人視点の映画だったが、クリストファー・ノーランはなぜそれを作ろうと思ったのか。白人だから? それが答えでもいい。だがその問答の前に、アメリカの言説に同調して、「徹底した一人称」だとか、「原爆の被害を見ていない」とか、描かない理由を、それも嘘の理由を説明してあげてしまう日本の批評文化には危機感を抱いてしまう。

断りを入れておくが、筆者はクリストファー・ノーラン監督のファンである。だが、ファンであるが故に、同監督の言葉や表現にどんな背景があるのかをしっかり考えたいと思っている。『オッペンハイマー』は観るべき映画であるが、それと同時に丁寧に議論されるべき映画でもある。

製作陣の問題

最後に、クリストファー・ノーラン監督がアカデミー賞の授賞式で本作の製作総指揮のジェームズ・ウッズの名前を挙げて感謝を述べたことにも触れておきたい。この人物は、Xでパレスチナの人々に対し「#皆殺しにしろ(#KillThemAll)」と投稿し、ジェノサイドを呼びかけた人物である。

また、オッペンハイマーの妻キティ役を演じたエミリー・ブラントは、レッドカーペットで自身のスーツを「原爆のよう」と軽口を叩いたことも話題になっている。ロバー・ダウニー・Jr.がアカデミー賞授賞式で見せたプレゼンターのキー・ホイ・クァンを無視したような態度も大きな批判を集めた。

そして、クリストファー・ノーラン監督は、NHKの『クローズアプ現代』のインタビューで、原爆の被害が描かれなかったことについて日本へのメッセージを求められたが回答を拒否した。その理由を「映画をどう見てほしいか明言したくない」としているが、それ以外の質問には回答しており、明確に日本へのメッセージを拒否したと言える。

こうした非白人を軽視するような製作陣の言動と態度が『オッペンハイマー』という作品の価値を下げていることも確かだ。製作陣が失態を披露するたびにアクロバティックな擁護が日本で起きる。そんな無意味なループをやめ、真面目な議論を始めるべきだろう。

『オッペンハイマー』から『流転の地球 -太陽系脱出計画-』へ

ちなみに筆者は、日本では『オッペンハイマー』の一週間前に上映を開始し、高評価を受けている中国のSF大作映画『流転の地球 -太陽系脱出計画-』の鑑賞をお勧めする。本国での公開順は逆だが、過去を振り返る映画だった『オッペンハイマー』のラストを受けて、未来を描く『流転の地球 -太陽系脱出計画-』で核がどのように扱われたのかについては一考の価値がある。そこでは、アカデミー賞を受賞した『オッペンハイマー』も『ゴジラ-1.0』も描けなかった核爆弾と人類の未来が描かれている。

『オッペンハイマー』は日本で始まったばかり。『ゴジラ-1.0』と『流転の地球 -太陽系脱出計画-』と合わせて、日米中の作品が描いたもの、そして描かなかったものについて、今後も議論していきたい。

映画『オッペンハイマー』は3月29日(金)、全国ロードショー。IMAX®劇場 全国50館 同時公開。

『オッペンハイマー』公式サイト

配給:ビターズ・エンド  ユニバーサル映画

【ネタバレ注意!】映画『流転の地球 -太陽系脱出計画-』ラストのネタバレ解説&考察はこちらから。

【ネタバレ注意!】映画『デューン 砂の惑星 PART2』ラストのネタバレ解説&考察はこちらから。

不遇だったクリストファー・ノーラン監督のイギリス時代のエピソードはこちらの記事で。

齋藤 隼飛

社会保障/労働経済学を学んだ後、アメリカはカリフォルニア州で4年間、教育業に従事。アメリカではマネジメントを学ぶ。名前の由来は仮面ライダー2号。編著書に『プラットフォーム新時代 ブロックチェーンか、協同組合か』(社会評論社)。
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