昔、道路は黒かった | VG+ (バゴプラ)

昔、道路は黒かった

「昔、道路は黒かった」

戸川さんにはこっちじゃない。わたしは、今日のセッションが始まる直前、端末に呼び出す画像のセレクトモードを10年早め、「2020年代・風景」に切り替えた。

「ミレイちゃん、今日も若くて可愛いねぇ」

たった数語にハラスメント要素を無邪気に満載し、柔らかい照明に満たされた温かいデイルームの空気感を一瞬で凍らせるような戸川さんの感覚は、ある意味才能なのかもしれない。年齢と心身状態を考慮して、治療よりも「スルー」を支援方針として決定するまでのチーム内の議論を、戸川さん自身は知らない。本人が知らない支援方針の決定は、自己決定の尊重に反することは明白だが、自身の(今日では“反社会的”とされる)言動を自覚できる知力・体力は彼にはもはや残っていない。

残された日々を穏やかに過ごすことが、認知症の症状が進行しつつある戸川さんにも、またその周囲にとっても最善であるとわたしたちは結論づけ、法人の倫理審査会もクリアした。彼の言動はこの部屋の中だけ。わたしたち専門職チームが隔壁となって、戸川さんから外部への拡散を防ぐ。当初は反発していたわたしも、今はこの方針に納得している。

「昔、道路は黒かったって知ってるかい?」いつもの思い出話の時間が始まった。

「道路の舗装をやる会社ってのは、だいたい大手三社で独占してたんだよ。ずっと長いこと。使ってたのは工業用アスファルト。原油の精製でできる残りカスみたいなもんだ」

「値段が安かったし、道路工事が早くできたんですよね」話を合わせて引き取る。戸川さんの担当になってから、自分なりに調べてもいる。

戸川さんは、その大手三社ではない別の会社で、改良コンクリートによる当時としては斬新な舗装工法を、自治体などの道路工事に売り込んできた元サラリーマンである。わたしは、端末に何枚かの画像を呼び出して、リラックスした座位をとっている戸川さんが見えやすいように端末の角度を調整した。まず並べたのは、竣工直後のかつしかハープ橋の航空写真と、歩行者がほとんどいない、新型コロナパンデミック時の渋谷スクランブル交差点写真の2枚である。画像のチョイスはわたし個人の好みであるが、戸川さんにとって大事なのは路面であるから問題はない。

昔の思い出を画像や動画、物品とともに振り返る「リアリティ・オリエンテーション:回想法」は、本人の子どもの頃の風景や思い入れの深い事物を見ながら、思考を活性化させ、言葉を引き出し、認知症の進行を遅らせるという、もう100年以上前から取り組まれている援助技法である。わたしが並べた2枚の静止画像は、いずれも黒々とした筋の舗装道路が構図のアクセントとなっている。

「そう、こんな感じで昔の道路は黒かったんだよ。アスファルト舗装。それを何とかしようとボクたちはがんばってきたんだ」

片手で目をこすりながら戸川さんは、写真を懐かしげに見やった。

「鹿島建設が2020年頃に発表してましたよね。CO2吸収型コンクリートの商用化に向けた実証実験を」

「あれだけじゃあ、役所に売り込む殺し文句が足りなかったね」

産業副産物の再利用でセメント使用料を減らしながら、温室効果ガスであるCO2をコンクリートに固定化し、製造すればするほどCO2を減らすという「夢のような」技術は、ブレイクスルーまでもう一押しが待たれていた。戸川さんの会社はその波をうまくつかんだ。つかみ方はともかくとして。

タイミングも悪くなかった。工業用アスファルトは火力発電所の稼働数減少とともに供給が減り、価格も上昇していた。また、コンクリート舗装の強みは、耐久性の高さとライフサイクルコストの低さにある。路面の耐久性が高ければ工事回数も減らせる。高齢化と人口減少で施工業者の確保も難しくなっていた。様々な要因が絡んでアスファルト舗装とのコスト面の競争力がついたという事情がある。

戸川さんたちは、「コンクリートを原料段階から着色する」という奇策で勝負に出た。

「グリーン・ペーブメントって社長に言われて、最初はボクも何だそりゃ? “緑の舗装”ってそのままじゃねえか、と思ったよ。だけど、なんぼプレゼンで環境にいいですよ、今ならアスファルトよりお安くできますよって訴えるより、見た目で人は気持ちが動くんだよ。ほら、あの、市長……えーと、何だっけ……」

「北沢市長ですか?」話のリズムを崩さないよう、注意深く助け船を出す。

「そう! 北沢市長だ。あなた良く覚えているよねぇ。彼に見せてやったんだよ。試験施工した幅6.5メートル、長さ20メートルのグリーン・ペーブメントの脇に道路と同じサイズのヒマワリ畑をこしらえてな。うちの社長が『この革命的な舗装道路、グリーン・ペーブメントは、隣の同じ面積のヒマワリ畑の3倍のCO2を吸収します!』って、ぶち上げて、記念写真も撮って。そこからだよ。市道の補修工事をまず200メートルやって、テレビとかの取材もたくさん受けて」

「なんでヒマワリだったんでしょうね」

「あれだよ。社長が昔読んだ小説で、ヒマワリが地中の放射性物質だかなんだかを吸収するとかいうくだりがあったから、パクったんだってさ。要は“一面の金色の絵”が欲しかったんだよ。わざわざ暑い日に撮影入れてさ。黄色だけだったら菜の花でも良かったのに。後で菜種油が取れるしさ」戸川さんは面白そうに笑った。

「ヒマワリは背が高いから、角度がつけられて写真映えもしたんじゃないですか」

北沢「元」市長は、その際の収賄罪で有罪が確定し……、なんて余計なことは言わないのは当然である。

「市道の次は県道、県道の次は国道、そして高速道路だよ。楽しかったねぇ。ポン付けの耐震補強で固められたしょぼい市役所に通い詰めてたのが、県庁になってさ、国交の地方整備局にも“お百度”踏んで。最後はネクスコ本社のある霞が関まで上り詰めるんだから。商標でもめたのを「緑化」じゃねえってなんとか黙らせたり。会社の営業本部の壁にでかい道路地図貼ってさ、受注できた道路を緑で塗りつぶすんだよ。月毎に地図が緑に染まっていって。あっちの県が未だ塗り足りない、営業に行ってこいって若いのにハッパかけて。工場に増産体制かけて。まさに国盗り物語だよ」……「国盗り」は言葉として知っているだけで、たぶん戸川さんは司馬遼太郎を読んでいない。斎藤道三も織田信長にしても、最期は殺されてしまうストーリーだ。

ここで一息ついておこう。わたしは写真を切り替えた。路面が緑に舗装された第三京浜道路の都築インターチェンジ付近の空撮写真である。本線と料金所の間に位置するパーキングエリアはアスファルト舗装が残っているのと、料金所ゲートまわりは従来のコンクリート舗装でやや茶色のかった白い舗装だが、それ以外の、タコの足を思わせるような複雑な弧を描いた路面は、全て緑になっている。グリーン・ペーブメントが初期に受注した大型案件である。

「こういう複雑な形状だと工事も大変ですよね」

「出口ルートが複数作れるところは、迂回路が確保できるからいいんだよ。難しいのは、他に逃げ場が無くて通行止めが長くなっちゃう現場がしんどかったな。地元の調整はあるわ、工期も天気にも左右されるわで」上機嫌で話は続いていく。

戸川さんは、道路舗装事業で数年間に渡る華々しい営業実績をあげた後に70歳の定年を迎え、第一線からは勇退した。在職当時から患っていた糖尿病の警告を無視し続けた結果、今は週3回の血液透析が欠かせない。視力もだいぶ落ちている。

「でも、こうやって、長い間見慣れた風景の色を変えるお仕事は、未来をつくるようなものですよね」

「ボクの夢はさ、子供がお絵書きで道路を塗るときに、緑のクレヨンを持ってくれることなんだよ。昔は黒とか灰色だったろ。なんかイメージ暗いじゃない。それを変えたんだよ。凄いことだと思うよ。ボクがこの世に生まれてきた証を残してやったぞって」

戸川さんは何度も頷きながら端末の画像に映る道路にゆっくりと指を伸ばした。わたしは戸川さんが指を重ねやすいように、画像を拡大した。戸川さんだけの、多幸感に満ちた時間が流れていく。外の喧騒も、今は聴こえない。

悪名高き「グリーン・ペーブメント」は、開発当初の予定を上回るCO2を固定化した。施工後、十数年が経過すると、舗装面を突き破ってくるヒメイワダレソウの変種が盛大に繁ったのである。緑の路面をさらに覆う緑の帯は、これまで3千件以上のスリップ事故の原因とされ、車両は制限速度よりも大幅な徐行を余儀なくされ、事故の増加もあいまって渋滞は慢性化した。長距離トラックを通じて種は各地に運ばれ、“植害”はあっという間に全国に広がった。何度刈ってもすぐに生え伸び、踏み圧や酷暑にも強いその生命力は、従来の道路保全にはなかった悩みの種となった。開発・販売に当たった会社は、今までになかった種類の「公害」訴訟に直面している。自治体の予算も限られていて、一度施工した「グリーン・ペーブメント」の代替工事は遅々として進んでいない。

開発チームに、農業せめて家庭菜園程度の知識がある者が一人でもいれば、事態の発生は止められたのかもしれない。施工材にリンとカリウムを混ぜてコンクリートの性質改善を図ろうとした結果、大気中の窒素と結合し、雨水の浸透とともに大量の化学肥料が土壌に供給されるという想像力は働かなかったのか、と。

春から夏の間、緑の帯には小さく白い花が咲き乱れる。ドライバーはそれを、「死を招く花」として恐れている。

 

 

 

 

宗方涼

SFはずっと読むだけでした。ふと思いついて、中学の授業以来40年ぶり(そういう年齢です)に創作SF「官報公告5年前」(下記リンクにPDF)を書き上げ、第一回かぐやコンテストに応募したら、望外の選外佳作をいただきました。調子にのって今年も応募した次第です。

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