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ダイナゼノン、バトルゴー!!!!!!!!!!!!
絶賛TV放送&ネット配信中の『SSSS.DYNAZENON(ダイナゼノン)』。
実写作品『電光超人グリッドマン』を原作として新たな物語を紡ぐ”GRIDMAN UNIVERSE”の第2弾。物語も遂に最終回を迎えた。怪獣化したシズムの圧倒的な力の前に窮地に陥るカイゼルグリッドナイト、そして瀕死のガウマ。果たしてシズムの目的とは何だったのか。そして蓬の恋路の結末は…? それでは、早速最終回第12話を振り返っていきたい。
ダイナゼノン、バトルゴー!!!!!!!!!!!!
最終回第12話「託されたものって、なに?」のあらすじ
もしかして、シズムなのか?!
かつてダイナゼノンの傷を癒したステッキを取り出し瀕死のガウマの痛みを和らげる2代目と、それを見守る蓬、夢芽。
一方、怪獣優生思想の三人は再び集結する。シズムの変身したガギュラを前にしたオニジャは「もしかして、シズムなのか?!」と叫ぶ。覚悟を決めた三人を無言で飲み込むガギュラ。
関係なくないですよ!
自分はもう長くないと悟り、「五千年前のことなんて、お前たちには関係ないもんな」と怪獣優生思想との争いに巻き込んだことを蓬と夢芽に詫びるガウマ。その言葉を聞いて「関係なくないですよ!」と蓬は涙をこぼす。ガウマが自分たちを巻き込み、そして関係を作ってくれたのだと訴える蓬に礼を言ったガウマは山中にも伝えておいてくれと頼む。しかしちゃんと生きて自分で伝えろと叫ぶ蓬に、「声でけぇよ」とガウマは微笑む。
この台詞は蓬が母親に対してしばしば言っていたもので、現代っ子らしい冷めた感性を象徴するものだ。今まではガウマの方がハイテンションに蓬たちを巻き込んでいたが、今際の際にあるガウマに対して思わず感情を爆発させる蓬に対して、普段とは逆にガウマがこの台詞を発することによって実際に瀕死であるということに加えてガウマが蓬たちとの関わりの中で五千年前とは異なる「現代」的な感性を身に着けた、互いが影響を与え合っていたのだということが示される見事な意趣返しだ。
行こう、蓬くん
渾身の”カイゼルナイト・ダブルストーム”もものともせずに接近してくるガギュラの一撃でカイゼルグリッドナイトの合体は解かれてしまう。「行こう、蓬くん。私たちにできること、まだあるよ」と夢芽に言われた蓬はガウマを2代目に託してダイナソルジャーの許へと向かう。
そして走る山中の目の前には偶然ダイナストライカーが落ちてくる。それを見て覚悟を決める山中。
瓦礫の下にダイナソルジャーを見付けた蓬は、夢芽から告白の返事を聞けていなかったことを思い出す。「タイミング逃したな」と苦笑してダイナソルジャーに向かって飛び降りる蓬。思えば第2話でも、蓬は約束を破ったことを怒っているかと夢芽に問われた際に「タイミング逃した」と言っていた。今回はシズムの所為であるとは言え、蓬はつくづく夢芽とはタイミングが合わないらしい。それにも拘らずこれだけ一緒に居られるということは、タイミングという”運”以上のもので、二人はもう繋がれているということかも知れない。つまりそれが、蓬の優しさなのだろう。
蓬は瓦礫の道を歩く夢芽を救い出し、二人はシズムとの決着に赴く。
やっぱり君は、世界で一番カッコ良い私の友達だよ
ゴルドバーンの無事を確認したちせは「やっぱり君は、世界で一番カッコ良い私の友達だよ」と言って飛び立つゴルドバーンの背中を見送る。
ガギュラの放ったビームから、ゴルドバーンは再び盾となりグリッドナイトを護る。
山中は「ちせの友達に死なれちゃ困るんだよ、法事が増えるからな」とすっかり”大人”な決め台詞で援護する。そこへダイナソルジャー・ウィングコンバインで到着した蓬と夢芽。
さあ、反撃開始だ!!
と思いきやガギュラに撃ち込まれたのはダイナダイバーのミサイル!
瀕死のガウマはしかし自らの命を顧みず蓬たちの世界を守るために出撃したのだ。蓬に自分の口から伝えろと言われた通り、山中に巻き込んだ詫びと礼を言うガウマ。しかしダイナストライカーを返して以来ガウマの体調を知る機会のなかった山中は「ガウマさん、今これ何の話ですか?」ととぼけた返事を返す。これも第2話で成り行きとは言え初めて怪獣を倒した後に五人で初顔合わせした際に山中自身が言った台詞だ。肝心な時に蚊帳の外に置かれがちな山中だが、高校生を主人公とする青春物語において大人が蚊帳の外に置かれるのは正しい。
しかし蓬に蓬の、夢芽に夢芽の物語があるように山中にも山中の物語がある。それらが交わらず「バラバラのままで」並存していることによって醸し出される一筋縄ではいかない味わいこそが、『SSSS.DYNAZENON』という作品の面白さの根幹にあるのだ。山中暦というキャラクターは、『SSSS.DYNAZENON』の物語を引き立てるこれ以上ないくらいのスパイスだということが、最終回で改めて浮き彫りとなった。
余計なマネを、しに来たんだよ
ナイトに「何をしに来た」と強めの言葉で身を案じられたガウマは、「余計なマネを、しに来たんだよ」とこれまた度々ナイトに言われた台詞で意趣返しをする。
全員が揃ったことで再び、そして最後の合体を果たすカイゼルグリッドナイト。
怪獣優生思想とそれぞれの因縁に決着をつけるべく啖呵を切りながら殴り合う蓬たち。
中でもやはりムジナと山中の応酬が印象深かった。山中の所為で自分には怪獣しかないと分かったと言うムジナに、俺が悪いなら謝ってやると応える山中。「もし謝ったりしたら、絶対許さないから」と言ったムジナが山中に抱いていたものとは、やはり恋心だったのだろうか。怪獣優生思想の面子も、結局最後まで一枚岩ではなかった。それはガウマ隊が「バラバラだからこそ出会えた」とそれぞれの個性を尊重し合い一枚岩の理念に塗り込めることがなかったことのパラレルだろう。
ムジナはもしかしたら、山中に助けを求めていたのだろうか。怪獣優生思想に身を置いているものの、特に怪獣に愛着を持っている訳でもなければ人類を殺したい程憎んでいる訳でもなさそうだ。今居る自分の場所が単なる成り行きでしかないのなら、果たして自分はどうすべきか。そんな内心を高校生の蓬に相談する訳にはいかず、勿論ガウマに打ち明ける訳にもいかない。そんな中出会った山中は、ただ成り行きでダイナゼノンに乗っているだけらしい。
何がしたい訳でもないと言う山中に自分と似た匂いを感じたムジナは、そこに”出口”があるように感じ始める。しかし山中は、自分の手を取ることなくさっさと一人でそこから出て行ってしまった。もしも山中にもう少し節操がなければ、あるいは山中はムジナの手を取ったかも知れない。そうしたらムジナはどうしていただろう。その手を取って、出口を出たところで振りほどくだろうか。それともやはり、その手を払い除けて自らが怪獣となる道を選んだだろうか。
そんなムジナを、「離せ!!」と山中は突き放す。
相手の目を真っ直ぐに見て、静かな声で「好きです」と言えないまま、山中は大人になってしまった。
シズムくんは、何も言わないんだね
自分たちに何も語り掛けず無言で戦うシズムに、夢芽は「シズムくんは、何も言わないんだね」と呟く。
全員で力を合わせた”レックス・グリッド・ファイヤー”はしかし、ガギュラのビームに押し返されてしまう。負けじと踏み止まるカイゼルグリッドナイトの肩から、突如蓬はダイナソルジャーを離脱させる。そしてガギュラに向けて手を伸ばし「インスタンス・ドミネーション!!」と叫ぶとガギュラの首が上を向き、ビームの射線がカイゼルグリッドナイトから逸れた。その機を逃すまいと今度はダイナゼノンに合体するガウマ隊と、ゴルドバーンと合体するグリッドナイト。
二体の連携攻撃によって宙に浮かされたガギュラは捨て身の一撃を放つものの、ダイナレックスとグリッドナイトによる併せ技”必焼灼熱大火炎バーニング・グリッド・レックス・ロアー”およびその後の肉弾戦によって遂に撃破される。
最終回でお決まりの全合体最強形態、はもう大分前にお披露目していたので、最終回は基本に立ち返ってダイナゼノンとグリッドナイトの二体で戦うというこの展開も非常に熱い。最終回はやはり全部乗せの物量か、あるいは基本フォームの気合いかというのが王道だろう。どちらも見せてくれた『SSSS.DYNAZENON』には感謝しかない。
見事勝利を収めたものの、ガウマも力を使い果たしてしまったようだ。夢芽はこのまま病院へ連れて行こうと言うが、ガウマは「いや、これ以上厄介になる訳には…」といつか蓬の家に泊めてもらった際に言った台詞を繰り返す。
姫との再会は叶わなかったものの、蓬たちと出会えたことにガウマは満足し、その姿は消えた。
まあ、蓬がそう言うなら
三ヶ月後、雨の橋を渡る蓬と夢芽。途中で足を止める夢芽は、初めて蓬を呼び出した時のことを思い出していたのだろうか。それとも初めてダイナゼノンに乗った時のことだろうか。
ガウマ以外のガウマ隊のメンバーとグリッドナイト同盟の二人でガウマが寝床にしていた河川敷に集まり、ナイトと2代目は最後の別れを告げる。
ゴルドバーン、ダイナレックスとともに異空間へと消えていくグリッドナイト同盟の二人。その先にはコンピューターワールドらしき景色が。
雨の中どこかへと向かう蓬と夢芽。夢芽は渋るが、約束したじゃんと言う蓬に「まあ、蓬がそう言うなら」と言って渋々歩き出す。いつの間にか「蓬くん」が「蓬」になっている。この二人付き合ってんのか?! 付き合ってんだな、おめでとう!!
夢芽の余裕のタメ口に対して、蓬はまだ精一杯という感じで時折敬語が混じってしまう二人の距離感の描写も見事と言う外ない。
山中とちせは怪獣の所為か半壊した中学の校門の前でそれぞれの過去にけじめをつける。山中は21回面接に落ちた末、稲本の旦那の店で働くことに決まったようだ。制服が似合ってないと言われたちせは「あんなもん似合って堪るか」と言って笑う。左腕には最早アームカバーはされておらず、そこにはゴルドバーンを模したボディペイントが描かれていた。
行くよ夢芽!
蓬と夢芽が辿り着いたのは学園祭だ。なるほど夢芽が乗り気じゃない訳だ。この集団行動を忌避する態度も、かつて怪獣に学園祭を襲わせようとした少女の印象と重なるが、さて。
案の定当番をサボって行方を晦ます夢芽を探してこいとらんかや淡木らに発破を掛けられる蓬。この時鳴衣もその場に居たのが意外だったが、それどころか慌てて駆け出す蓬の背中を見送る金石と肘をつつき合う姿は地味に衝撃だった。あれ、そこ友達だったの? ということは、これまでこれ見よがしに蓬に気のある風を見せ付けていた金石の態度は実は鳴衣と共謀して蓬と夢芽をむしろバックアップするために“スパイス”を演じていたということかも知れない。はてさて、真相や如何に。
屋上で夢芽を見付けた蓬が急かすと、夢芽はしゃがんだまま「じゃあ、連れてって」と手を伸ばす。
その手を取ろうとした蓬は、シズムとの最後の戦いの中、二人だけで交わした会話を思い出す。時間や空間、生きることや死ぬことからさえ解放し得る怪獣の力による何の制約もない自由を主張するシズムに、蓬は「俺は自由を失うんじゃないよ。かけがえのない不自由を、これから手に入れていくんだ」と応える。
蓬が手を取ると、夢芽は「よくできました」と言いつつ、「ねえ、まだ、”南さん”なんだ」と挑発する。こんな風に臆面もなく性的なコミュニケーションに踏み込むような大胆さも、やはりグリッドマンに変身する少年を「キスとかしないんすか?」とからかっていた少女の面影に被る。
赤面しつつ「みんな、待ってるから、、行くよ夢芽!」と言って歩き出す蓬に夢芽は再度「よくできました」と言う。なんだこの、”光”は。気分はダイナミックキャノンで焼き尽くされたザイオーンである。シズムに言ったように、蓬は敢えて不自由を選び取った。これから先の人生には、ダイナソルジャーでは倒せない苦しみがいくつも襲ってくるかも知れない。それでも、その不自由の報酬として、この瞬間程のものはないだろう。
ダイナゼノンに乗ったことの証なのか、蓬や夢芽の身体に刻まれた傷痕は消えなかった。それがずっと消えないままでいればいいと夢芽は言う。
コンピューターワールドに帰還したナイトと2代目の許で、ダイナレックスは目を覚ます。
「託されたものって、なに?」ー最終回ー
『SSSS.DYNAZENON(ダイナゼノン)』最終回第12話 解説&注目ポイント
最早何も言うことはない。
と言いたいところだがそれは流石に強がりが過ぎる。
言いたいことなら山程ある、この生涯では語り尽くせぬ程に。
だからこれからも何度だって観直すだろう。
『SSSS.DYNAZENON』は、いつだって僕らの未来とともにある作品なのだ。
という訳で以下、『SSSS.DYNAZENON』を最終回まで観た上での感想を述べていきたい。
これは”大人になる”ための物語なのか
シズムの言う「怪獣の力」は筆者としても甚く同意するものだ。
怪獣は人間の「理」の外にある。その力は人間を存在することそのものの苦痛から救い出す。ならば怪獣の力に身を委ねてしまえば良いのではないか。
けれど、怪獣使いの才能を宿しながらも、蓬は怪獣使いにはならなかった。
何故だろうか。
それは蓬に愛する者が居たからだ。
愛する者の居る世界を、ともに生きたいと願ったからだ。
さて、これは果たして”大人になる”ための物語なのだろうか?
筆者としては、生に纏わるあらゆる営みは、常に究極的な無根拠に晒されていると感じる。
保守的な政治家は「生産性」という尺度で個人の”価値”を測ることに余念がないが、
そもそも生産性があることに一体どんな意味があるのだろうか?
何を生産したところで、それはいずれ朽ちる。
物に限った話ではない。というより、人間の身体も物理的に存在している以上物理法則を免れず、いずれ死ぬ。
その死までも含む営みが今日まで続いてきた訳だが、そうした営みを「続ける」ことそれ自体の意味とは果たして何なのだろうか。
つまり究極的な、生きる意味、ないし「存在することそのものの意味」とは何か。
もしも神様が居るのなら、神様にでも訊いてみるのが一番手っ取り早いかも知れない。
しかし残念ながら、大抵の人間は神様に出会うことはできない。
だからこそ各々が自力で己の生を意味付けてゆく外ない。
その途方もないコストを肩代わりするために宗教は発明されたのかも知れないが、
それが救うのも所詮「信者」だけだ。
そもそもそれを信じられない人間を、宗教は決して救わない。
この“途方もない無意味”を思う時、ふとシズムの声が耳許で響くのだ。
怪獣は何ものにも縛られることはない、と。
その言葉はこれ以上ない程甘美な音色で筆者の鼓膜を震わせる。
もしも『SSSS.DYNAZENON』の世界に居たら、筆者は怪獣の出現に歓喜するだろう。
怪獣こそが神だと信じ、と同時に自らの才を無根拠に信じ、怪獣の前に手の平を突き出すに違いない。そして唱えるのだ、インスタンス・ドミネーション、と。
しかし怪獣は微動だにせず、ひしゃげる街灯とともに筆者は怪獣に踏み潰される。
そんな最期を迎えられるのであれば、生まれてきたことにも意味を見出せるかも知れない。
だが蓬は、筆者のような、シズムのような底の浅い虚無とは無縁だ。
家庭が居心地の悪い場所なら、さっさとそこから出て自立すべくバイトに励む。
街に怪獣が現れれば、「守れるものは守る」と言って自らロボットに乗って戦う。
そして、好きな人には相手の目を真っ直ぐに見て、逃げずに想いを告げるのだ。
つまり蓬は、いつでもリスクを引き受けている。
ひどく単純な言葉で言ってしまえば、勇気がある。
その勇気こそが、蓬をして「生の究極的な無根拠」に立ち向かわせたのである。
だからこそ蓬は怪獣を選ばずに居られた。
最後まで怪獣の”意味を分からずに”居られた。
それは矛盾を孕むこの社会の構成員としての「大人」になることを選んだというより、
自らの責任において「自分が自分であること」を選んだということではないか。
怪獣に感情移入する筆者がそれでも蓬の選択を好ましく感じられたのは、
それが確かに蓬の選択であると説得力を覚えたためだ。
物語の都合としての、外部からのお仕着せのハッピーエンドではなかった。
つまり、嘘臭くなかった。
以下の内容は、映画『シン・エヴァンゲリオン』の結末に関するネタバレを含みます。
『新世紀エヴァンゲリオン』に対する”親殺し”をやってのけた『SSSS.DYNAZENON』
『SSSS.DYNAZENON』監督の雨宮哲はガイナックス出身だ。ガイナックスと言えば本放送時『新世紀エヴァンゲリオン』(以下、エヴァ)のTVシリーズを制作した会社だが、現在は諸権利は完全にシリーズの総監督である庵野秀明率いる株式会社カラーに移っている。その顛末はこちらに詳しい。雨宮哲はエヴァには直接は関わっていないようだが、『SSSS.DYNAZENON』や前作『SSSS.GRIDMAN』で演出やシーンがオマージュされるなど、勿論その影響は受けている。
しかし、雨宮哲は『SSSS.DYNAZENON』という作品において見事にエヴァに対する“親殺し”を成し遂げた。主観でしかないことを承知で言い切ってしまえば、個人的にはエヴァより遥かに楽しんだ。一体何がそこまで面白かったのか。要素は多岐に亘るが、その面白さの一つは南夢芽を麻中蓬にとって都合の良い救済装置として描かないという徹底した倫理と矜持にあると言えるだろう。
エヴァ以前に遡れば、例えば『王立宇宙軍』の昔からガイナックスの作品は非常に”男くさい”ものだった。『王立宇宙軍』劇中では、主人公の男がヒロインを襲うシーンが描かれる。ヒロインの抵抗に遭ったために男の性加害は挫折させられたものの、その後ヒロインから警察に突き出されたり、せめて個人的に絶縁されたりといった最低限描かれるべき倫理的な”報い”はついぞ描かれず、男は作中世界における「夢」たる宇宙飛行を達成し、ヒロインを含む多くの人々から拍手喝采を浴びることとなる。
これ程「男にとって都合の良い物語」があるだろうか? たとえ夫婦間であっても、当然ながらセックスを拒否する権利はある。対等な関係というのはそういうことだ。婚姻という”制度”によって日々移ろう互いの気持ちがたった一つの点に未来永劫固定されることなど有り得ない。どんな相手とのものであれ、人間関係というのは相手に対して敬意を欠いた瞬間に瓦解するものなのだ。そういった厳しさが、『王立宇宙軍』には微塵も感じられなかった。筆者としては、たとえどれ程緻密なアニメーションが描かれようと、駄作中の駄作であると断じざるを得ない。
そしてそのような”男性優位”的な価値観は、これ程人口に膾炙したエヴァシリーズにも残念ながらそのまま引き継がれているように思える。
『新世紀エヴァンゲリオン』では、主人公の少年はまさに世界を守るために戦っていた。というよりは戦わされていた。碇シンジが何を思って戦っていたのかは筆者には知る由もないが、少なくとも作劇上は彼の選択が最終的には「世界を救った」という風に描かれていた。そこでは世界を守ることが自明の善とされ、複雑な諸設定や物語展開と裏腹にすべてがその結論ありきのラストへと収束していくような印象を覚えた。碇シンジは何故世界を背負わねばならなかったのか。彼も自ら望んで力を手に入れた訳ではない。自らの与り知らぬところで偶然選ばれてしまっただけだ。彼はむしろ家族関係や友人関係、他者との関係に軋轢を感じており、「世界を救う」内的な動機は特に持たなかった筈だ。
それでも『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』(以下、シンエヴァ)のラストにおいて、彼は父親の屈託を浄化し、世界の破滅を阻止し、そして最後には”乳の大きいいい女”を自称するヒロインと結ばれる。世界を救った報酬として、その程度の”トロフィー”は当然だとでも言うように。
勿論、筆者としてはこのラストに全く納得していない。
何故か。
それは『SSSS.DYNAZENON』と見較べてみれば一目瞭然だ。
即ち、『SSSS.DYNAZENON』においてかくも繊細に南夢芽のドラマが描かれたのに対し、シンエヴァでは”乳の大きいいい女”こと真希波・マリ・イラストリアスのドラマは、ほぼ完全に捨象されていたためだ。劇中において過去が語られることはなく、出番もほぼ戦闘シーンに限られたために一体彼女が何を考え、何を守るために戦っているのかという肝心の“キャラクター”がまるで伝わってこなかった。伝わったのは眼鏡、ツインテール、巨乳、それから戦闘中の「にゃにゃにゃ」という声という、どれもが単なる記号だった。
けれど『SSSS.DYNAZENON』は麻中蓬の物語である時に南夢芽の物語であり、山中暦の物語であり飛鳥川ちせの物語でありガウマの物語である。それらの物語は重なったり重ならなかったりする。無条件に神に選ばれていた少年が父と和解することで世界を救い、記号でしかないような女性キャラクターをトロフィーとして獲得するというようなご都合主義的な物語じゃない。少女は少年に意味なく敵意を向けもしなければ好意を抱きもしない。受け入れるしかない「儘ならなさ」とその隙間にある”偶然”が丁寧にー愛を持ってー描かれている。少年を戦いに駆り立てる為だけに、少女は危機に陥らない。少女には少女の世界があり、少年はそれを理解すればこそ、その世界に橋を架ける権利を与えられたのだ。
エヴァシリーズに限らず、庵野秀明は殆ど偏執的と言って良い情熱で以て「細部」のディテールの描写に腐心している。まさに「神は細部に宿る」の言葉を地で行くように。しかしその一方で、肝心のキャラクターについてはその百分の一程も情熱を傾けていないようだ。そこには無前提的な物語があり、キャラクターは飽くまでもその物語に対して相応しい位置へと配役されるに過ぎない。だからシンジがいくら悩んで見せても、その苦悩自体が物語のエンジン、それが如何に重大な役割を与えられていようと、結局は一つのパーツに過ぎなく感じられる。
しかし雨宮哲は、『SSSS.DYNAZENON』において視聴者が十分にそこに自分を没入させることができる緻密な背景描写を実現した上で、それ以上の情熱でキャラクターを描いた。大切な人を失った夢芽の苦しみや、まさに大切な人を想う蓬の恋心は、現に筆者がかつて抱え、これから抱えるかも知れない感情であると信じられた。
この点において『SSSS.DYNAZENON』という作品は、『新世紀エヴァンゲリオン』劇中において碇シンジがついぞ成し得なかった”親殺し”を、まさに『新世紀エヴァンゲリオン』という作品に対して成し遂げたのである。
勇気を持つことの困難さと、であるが故の尊さを教えてくれてありがとう。
この物語を最終回まで見せてくれてありがとう。
今はただ余韻に浸りたい。
Scarred Souls Shine like Stars
アニメ『SSSS.DYNAZENON (ダイナゼノン)』のBlu-rayは全4巻が発売。
サントラとキャラクターソングアルバムも発売中。
Amazonプライムビデオをはじめとする各動画サイトでも配信されている。
筆者が予想した最終回の展開はこちらから。
『SSSS.DYNAZENON』第11話のネタバレ解説はこちらの記事で。
第1話のネタバレ解説はこちらの記事で。
第2話のネタバレ解説はこちらの記事で。
第3話のネタバレ解説はこちらの記事で。
第4話のネタバレ解説はこちらの記事で。
第5話のネタバレ解説はこちらの記事で。
第6話のネタバレ解説はこちらの記事で。
第7話のネタバレ解説はこちらの記事で。
第8話のネタバレ解説はこちらの記事で。
第9話のネタバレ解説はこちらの記事で。
第10話のネタバレ解説はこちらの記事で。