『機動戦士ガンダム 水星の魔女』最終回
2022年10月2日(日)より放送を開始した『機動戦士ガンダム 水星の魔女』。1期最終回である第12話「逃げ出すよりも進むことを」では、敵側のガンダムであるルブリス・ウル、ルブリス・ソーンと改修されたエアリアルとの初対決も描かれ、今までの中で最も「ガンダム」らしい展開となった。重傷を負ったデリングは果たして無事なのか。プロスペラの行方は? 絆が深まった途端にこれまでにない断絶に見舞われてしまったミオリネとスレッタの関係やいかに。4月に予定されている2期の放送が今から待ち遠しい。
それでは、今週もネタバレありで早速最終話の第12話を振り返っていこう。
これ、訓練じゃないですよね?
「フォルドの夜明け」の襲撃に晒される地球寮のメンバー。リリッケは「これ、訓練じゃないですよね?」と不安を口にする。ガンダム・ルブリス・ウルのパイロットであるソフィはスレッタを挑発すべく更に攻撃を仕掛ける。
そんな中ジェターク社CEOであるヴィムは自らディランザ・ソルに乗り出撃する。フォルドの夜明けの母船に攻撃を仕掛けるも、ジェターク社製のデスルターの攻撃を受けてプライドを傷付けられる。この描写からは、これまで息子のグエルさえも権力奪取の為の手駒としてしか見ていなかったような打算的な態度とは異なり、一方では自社製品に対して「誇り」を持つ人間味が描かれた。
しかし、そのようにキャラクターに奥行きがもたらされた直後、悲劇が起こる。フォルドの夜明けに奪取された母船の中で「ガンダム」の噂を耳にしたグエルは、スレッタの身を案じてデスルターで出撃する。そんな事情を露知らずヴィムはディランザ・ソルでグエルの乗るデスルターへと攻撃を仕掛ける。通信回線が開かれていなかったのか、「敵ではない」というグエルの叫びも虚しくデスルターは窮地へと追い詰められる。
ここでは死ねない、まだスレッタへと進めていないと覚悟を決めたグエルは性能で勝るディランザ・ソルへと決死の反撃に出る。間一髪でディランザ・ソルのコクピットに刃を突き刺したグエル。しかし、そこでようやく開かれた通信の先に変わり果てた父親の姿を発見するのだった。救出しようとデスルターのコクピットを開いた途端、爆炎に包まれるディランザ・ソル。
物語開始当初からそれぞれの子供たちに対してはあらゆる意味で「抑圧的な親」が設定されていた。第1話の時点でヒールとして描かれていたグエルも、その後の展開によりむしろ自身が父親から駒のように扱われ自信を持つ為に必死に振舞っていたことが明かされ視聴者の共感を呼んだ。
なので、それぞれの子供たちが親の支配を逃れ自立していく‟親殺し”の物語が描かれるのかと期待していた。とは言えそれは物理的なものではなく、飽くまでも関係性におけるドラマとして描かれるのかと思っていたが、まさかこのような結末を迎えるとは。学園における決闘では格上のガンダム相手にも果敢に挑み、その実力を遺憾なく発揮していたグエルだが、実弾を用いた初の「実戦」ではトリガーを握る指も震えていた。このあたりの繊細な芝居も「戦争」の実感を際立たせる巧みな演出だ。
互いが生きていれば正面から向き合い、和解するなり乗り越えるなりすることができたかも知れない親という存在。しかし戦争というのはそのような「物語」を許さない。必ずしも相手を憎んでのことではなく、ただ自分が生き延びる為だけに刃を向けた相手が偶然親であるかも知れない。戦争の紛れもない‟現実”、その残酷を逃げずに描いたことに拍手を贈りたい。我々視聴者もこの痛みから目を背けるべきではないだろう。
逃げたら1つ、進めば2つ
エアリアルの待つ78格納庫を目指すスレッタ。格納庫ナンバーの「78」とは勿論初代ガンダムの型式番号「RX-78」から取られている。改修され、見た目もより「ガンダム」らしくなったエアリアル。襲撃犯に居場所を悟られ万事休すかと思いきや、プロスペラらの手により救われる。目の前でプロスペラが襲撃犯を銃殺したことに衝撃を受けるスレッタ。しかし、プロスペラの「逃げたら1つ、進めば2つ」という言葉にエアリアルに乗る決意を固める。
この言葉はやはり祝福というよりは呪いの言葉であるようだ。窮地を脱する為に戦う覚悟を決めた主人公が新たな主役機に乗る。ロボットアニメとしてはこれ以上ないくらい‟アツい”展開であるにも拘らず、これ程までに胸が躍らないのは何故だろうか。
それはやはりプロスペラの放つ底知れぬ不穏さに由来する。ここではスレッタは自らの意志で戦う覚悟を決めたというより、明らかにプロスペラの言葉に誘導されている。プロスペラの目的が未だ明かされぬ中でスレッタがその意のままに「進む」=戦うことが果たして正しいことなのか。視聴者は常にそのような不安に晒される中で作品を観てきた。そしてその不安は1期最終話に及んでも覆ることはなかった。それどころか、その不安が最高潮に達しての幕切れであったと言って良いだろう。
これまでスレッタはただ状況に流されるままに戦ってきた。自らが主体的な意志や目的を持って、即ちリスクを引き受けた上で敢えて戦いに身を投じた訳ではない。故に、その戦いに勝利することによって、「進めば2つ」という言葉と裏腹にスレッタが「得たもの」というのは実は何一つないのではないか。これはプロスペラがスレッタを「進ませる」為に編み出したまさに‟呪文”だろう。スレッタのこれまでの戦いというのはそれに負けることによって「これ以上失わない為の戦い」であって、ミオリネという‟花嫁”にしろそれは最初からスレッタが望んで得たものというより、強いられた決闘の中で偶然与えられたものに過ぎない。
よって、戦いの勝利がスレッタに何らかの達成感を与えることもなければ、当然成長の契機となることもなかった。スレッタはただプロスペラの、ミオリネの、周囲の人間たちの期待に応える為だけに戦ってきたのであって、それは「進む」為の挑戦というよりはむしろ失わない為の保身であった。スレッタが何故そのようにしか戦えないのかということについては、当然出自の謎を含むプロスペラとの関係が明かされてみないと何とも言えないところだろう。しかし、グエルの場合とは異なる‟親殺し”を、スレッタにはどうにか成し遂げて欲しいという期待とともに2期を楽しみに待ちたい。
余談だが、このプロスペラがスレッタを救いまたエアリアルに乗せるべく説得するシーンは、「エヴァンゲリオン」シリーズのいわゆる‟旧劇”である『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』(1997)でミサトが戦略自衛隊の襲撃からシンジを救い出したシーンが強く意識された描写だろう。どちらも「窮地を救われた主人公が主役機体に乗り込む」というロボットアニメではこれ以上ない程のカタルシスを味わえるシーンである筈なのに、結果は見ての通り…
まとめ
無事に改修されたエアリアルに乗り込み、ルブリス・ウル、ルブリス・ソーンを始めとする「フォルドの夜明け」のMS部隊を圧倒する活躍を見せるスレッタ。この戦闘シーンはまさにガンダムに期待するカタルシスを味わえるもので、新型機のお披露目としてもこれ以上なかった。そして敵を撃退したところで1期終幕となれば一応の大団円ということにできた筈だが、そこで終わらないのが「水星の魔女」。
EDの後のエピローグで、自らを庇い重傷を負ったデリングをベッドに括り付け避難するミオリネにテロリストの魔の手が迫る。そこへエアリアルで駆け付けたスレッタは、あろうことかミオリネの眼前で生身のテロリストをエアリアルの右手で叩き潰してしまう。コクピットから出てきたスレッタが見せる無垢な笑顔に、しかしミオリネは恐怖を覚える。
初の実戦に恐怖し、震えながらも生き延びる為に‟敵”であるMSを撃破したグエルと対照的に、ここでのスレッタには最早恐怖も躊躇いもない。「人を殺した」という実感もなくただ「なすべきこと=ミオリネを救う」をしただけであり、かつそれを確実に達成したことによって笑顔さえ見せる。この無垢な笑顔はPROLOGUEにおいてガンダム・ルブリスに乗って初出撃したエリクト・サマヤが右も左も分からぬ中機体と同調して次々に敵機を撃墜した挙句、母であるエルノラ・サマヤ(=プロスペラ)に向けて「蝋燭みたいできれいだね」と言い放った際に見せた笑顔を想起させる。
そして、この時確かにエルノラは娘に対して‟恐怖”の表情で応じていた。こちらもミオリネがスレッタに向けた表情が韻を踏んでいる。ここでエリクトの‟才能”に気付いたエルノラは、エリクトに何を施したのだろうか。そして未だ劇中に現れていないエリクトは今どこで何をしているのか。スレッタとエリクトの関係は未だ本編では明かされていない。そして、スレッタに恐怖すると同時にその才に見入られたミオリネが、果たして今後エルノラ/プロスペラと同様の‟闇墜ち”をしないことを祈るばかりである。
ところで、劇中での出来事によって最も変化/成長を遂げるキャラクターを主人公と呼ぶのであれば、「水星の魔女」劇中で最も変化したキャラクターというのは言うまでもなくグエルであろう。つまり、グエルは従来の「ガンダム」作品であれば間違いなく主人公を務めたキャラクターだった。しかしそこを敢えて外し、主人公格のキャラクターを主人公以外のポジションに収めたところに「水星の魔女」の面白さがある。
では主人公であるスレッタはどのように物語を動かしていくのか? この点については前述したように少なくとも1期においてスレッタは実は「何も得ていない(どこにも進んでいない)」ので、まずは自らが「進めば2つ」の言葉と裏腹に「進んでいない」ことを自覚する=プロスペラの違和感に気付く為のイベントが2期のドラマには期待される。
そして、株式会社ガンダム立ち上げ時にはガンダムを「兵器として売る」ことに躊躇いを見せなかったミオリネも、しかし自らを守る為であってさえ目の前で生身の人間が殺されるという戦争の、暴力の現実を目の当たりにさせられることでスレッタをさえ「人殺し」と呼ぶ程の衝撃を受けていた。このことは、いくら現実主義者を気取るミオリネも、所詮は頭の中の想像だけでこれまで生きてきたということを意味する。対してスレッタは、生身の人間を叩き潰してさえその現実感を上手く捉えることができずにいる。
それはまさにガンダムという「仮初の身体」を通して振るった暴力にリアリティを感じられないということの表れだろう。つまり、ミオリネは現実を「相手」として、スレッタは現実を「自分」として捉え、向き合っていく必要がある。ミオリネは既に数字では捉えられない現実の不条理な暴力その身に刻んだ。では、スレッタは果たしてプロスペラの呪縛から抜け出し、自分の主体性を獲得した上でその欲望を成就する為に敢えて暴力を選ぶのか、それとも否定するのか。2期の物語のテーマとして、このあたりが深掘りされることを期待したい。
『機動戦士ガンダム 水星の魔女』シーズン2は、2023年4月 毎週日曜午後5時~MBS/TBS系全国28局ネットにて放送開始。
第1期はAmazonプライムビデオ他で配信中。
1期の振り返りと、2期の予想はこちらの記事で。
第11話のネタバレ感想はこちらから。
第1話のネタバレ感想はこちらから。
第2話のネタバレ感想はこちらから。
第3話のネタバレ感想はこちらから。
第4話のネタバレ感想はこちらから。
第5話のネタバレ感想はこちらから。
第6話のネタバレ感想はこちらから。
第6話までの振り返りと用語解説はこちらから。
第7話のネタバレ感想はこちらから。
第8話のネタバレ感想はこちらから。
第9話のネタバレ感想はこちらから。
第10話のネタバレ感想はこちらから。