『機動戦士ガンダム 水星の魔女』1期完結
2022年10月より放送を開始したTVアニメシリーズとしてのガンダム最新作『機動戦士ガンダム 水星の魔女』の第1期がさる2023年1月8日(日)に最終回を迎えた。「全世界の子供たちに向けて」と製作陣が意気込む通り、40年を超える歴史の中で初の女性主人公作品ということでも放送前から注目を集めた。2023年4月から放送開始予定の第2期が早くも待ち遠しいが、ここで第1期を振り返りつつ第2期の展開予想をしてみたい。
『機動戦士ガンダム 水星の魔女』第1期振り返り感想
『機動戦士ガンダム 水星の魔女』第1期全体を振り返った感想としては、学園パートと戦闘シーン、また生徒同士の心理描写を中心とする人間ドラマと「ガンダム」を巡る謎や大人たちの政治的策謀が織り成す緩急に夢中にさせられた。
その一方で、やはりガンダムに期待するものとしてのMS同士の戦闘シーンが物足りなく感じられたことも確かだ。かつては一年間を通して50話規模でみっちりと描けたストーリーも、時代の波には逆らえずというべきか1期12話の分割2クールで全体を通しても24話と尺としてはおよそ半分になってしまった。
その中で描くべきものの取捨選択には苦慮するところだが、第1話「魔女と花嫁」で鮮烈な幕明けを飾った物語が第2話「呪いのモビルスーツ」がいきなりスレッタの幽閉回だったために勢いが停滞してしまったのは残念だった。
初代『機動戦士ガンダム』(1979~1980)でも主人公アムロ・レイがガンダムから降ろされて懲罰房に入れられる幽閉回があるが、これは序盤の物語の導入部分が一段落し、中盤に入った第17話「アムロ脱走」から始まる。ホワイトベースの艦長であるブライトから増長を理由にガンダムのパイロットから降ろされそうになったアムロはホワイトベースからガンダムを持ち出して脱走する。その後、紆余曲折を経てホワイトベースに戻ったアムロは懲罰房に入れられるが、そこで強敵であるランバ・ラルを思い浮かべて一人決意を固める。あの人に勝ちたい、と。
ここでの幽閉はアムロ自身にも原因があり、それがアムロを人間的に成長させる為のギミックとして機能していた。何より、序盤で世界観の説明が終わっていればこそドラマに起伏をもたらすエピソードとして機能したのである。
『機動戦士ガンダム 水星の魔女』ではまだ世界観の説明も終わっておらず、それどころか主人公であるスレッタ・マーキュリーが如何なる人物かということも描き切れていない第2話の時点でスレッタの動きを封じる幽閉回を出してしまったのはやはり早過ぎたように思う。視聴者同様、右も左も分からぬままに幽閉されてしまったスレッタはその時間で自らを見つめ直すこともなくただ狼狽えるばかりであり、したがってキャラクターの成長を描くドラマには繋がらない。とは言え、その分「ガンダム」を巡る謎が提示されその牽引力でメインストーリーが動き出した。
その後は第1話で決闘に勝利したグエルとの再戦、学園モノらしくMSの操縦訓練などが描かれつつ第7話「シャル・ウィ・ガンダム?」でミオリネが株式会社ガンダムを起ち上げたことにより新展開へと突入する。起業するということは、戦いの舞台はこれまでの学園内での生徒同士の決闘ではなく、大人と対等に渡り合う社会へと移行するということだ。
こうして振り返ってみると、エアリアルも動かずスレッタが教習用MSであるデミトレーナーに乗ってあたふたするだけの訓練回に思えた第4話「みえない地雷」もエアリアルに乗らない素のスレッタ自身は特段パイロットとしての超絶技能を有している訳ではないということが分かり、エアリアルの強さはエアリアルにスレッタが乗ることで(パーメットを介して)「人機一体」となることで発揮されるのだということが示されていた。
そして第7話から戦場が大人社会へと移行していく中で、ミオリネに恋心を抱くシャディクの「子供らしさ」が決闘の中で清算され、敗北を受け入れると同時に覚悟を決めたシャディクは「大人らしく」狡猾にデリング暗殺を企てる。しかしそれもやはり張りぼての鎧であり、デリング暗殺に際して居合わせたミオリネが死んでも構わないとする態度は、自らの手に入らないものは壊してしまえという幼さに外ならない。
決闘ではスレッタに敗れつつも、その戦いを通じて自らの「強さ」をスレッタに認めてもらえたことで虚勢から抜け出すことができたグエルも含め、主人公であるスレッタ自身よりはそれを取り巻く個々のキャラクターのドラマが印象深い。彼らの抱える問題がスレッタを軸として一つずつ回り出し、絡み合い、群像劇をなし、更にそれを覆う大人たちの政治劇から戦争の臭いが立ち上る見事な作劇だった。
とは言え肝心のスレッタ自身の問題が未解決だ。というより、そもそもスレッタの「問題」とは何なのかというところすら未だ明かされていない。単刀直入に言えばスレッタは「何者」なのだろうか。
もしもスレッタの望みが故郷である水星に学校を作るということだけであれば、そもそも何故エアリアルに、MSに乗っているのだろう。スレッタはエアリアルを「家族」だと言うが、プロスペラに言われるままにエアリアルに乗りこれまで生きてきたということなのか。
劇中で明らかになったのはPROLOGUEに出てきた「エリクト・サマヤ」と本編主人公であるスレッタ・マーキュリーは別人だということだ。であればエリクトは今どこで何をしているのか。エアリアルに乗った際にスレッタが「みんな」と呼ぶものの正体とは何か。YOASOBIによるOPテーマ「祝福」の‟原作”小説である「ゆりかごの星」はエアリアルの一人称視点で綴られるが、この「人格」とはつまりエアリアルに搭載されたAIのものなのか、それとも…
『機動戦士ガンダム 水星の魔女』第2期展開予想
それでは、ここからは『機動戦士ガンダム 水星の魔女』第2期の展開予想をしてみたい。
アーシアンとスペーシアンの対立の原因、企業が絶大な権力を握る世界で国家は存続しているのか、プロスペラの目的、ヴァナディース事変に際してデリングは何故ああも強硬な武力行使に打って出たのかなど未だ明かされていない謎は尽きない。
更に劇中の展開を追えば、ミオリネの命を危険に晒しその為にスレッタに「人殺し」までさせたシャディクは最早自身が命のやり取りをする立場に立つことを避けられないだろう。その時シャディクの相手となるのはスレッタか、それとも間接的に父親を殺された(殺させられた)グエルか。
すべてを知ったグエルが復讐相手としてシャディクと決闘するのも十分アツい展開ながら(その際には学園でグエルとの「決闘」を避けていたシャディクが初めてグエルと真っ向から戦う場は命を奪い合う「実戦」となるだろう)、個人的にはそれよりもむしろプロスペラの不穏な野望に気付き意のままに操られているスレッタを救い出す役回りを期待したい。グエルはスレッタとの決闘に敗れることによって、しかしその戦いの中で強さを認められることで自分を取り戻した。そのグエルが今度は逆に「本当のスレッタ」を見付け出すという展開になれば非常に胸アツだ。
プラモデルの発売も決定している「ガンダム・シュバルゼッテ」。外観にダリルバルデとの共通点を感じさせるこの機体にはやはりグエルが乗るのだろう。今からエアリアルとの共闘が楽しみと言いたいところだが、はたまたグエルも闇墜ちしてスレッタと戦わないとも限らず予断を許さない。
そのエアリアルも第1期最終回で改修後初起動し圧倒的な性能を見せたが、あれが最後の姿という訳でもないだろう。見た目はより「ガンダム」らしくなったが、エアリアルの持つ穏やかさは感じられずラストシーンの印象も相まって悪役に見えなくもない。第2期劇中でのスレッタの変化/成長に合わせて更なる改修が施されると予想する。
そしてその最終形態は最初のエアリアルに近く先祖返りしつつもブラッシュアップされたものとなるのではないだろうか。そうなれば、前衛的な見た目の第1期主役機であるガンダムエクシアから、従来のガンダム像に寄せられた第2期主役機であるダブルオーガンダム、そして完結編である劇場版においてエクシアに先祖返りしたかのようなダブルオークアンタが出てきた『機動戦士ガンダム00』(2007~2010)と似たコースを辿ることになるだろう。
そして、根本的なことを言えばそもそもタイトルに「水星の魔女」とついているところ以外、未だ劇中では「水星」の要素は登場していない。単に「水星からやって来た転校生」が主人公だというだけならば、それは「金星の魔女」でも「土星の魔女」でも変わらないということになる。
もしもパーメットが水星でしか採れない資源であり、従ってGUND技術は水星の専売特許、「ガンダム」は水星でしか造れないというようなことであれば腑に落ちるが、劇中ではGUND技術は広く開放されており、「地球の魔女」もガンダムに乗る。であれば何故スレッタは水星からやって来たのだろうか。これはエアリアルというよりもスレッタ自身の出自に水星と関わる秘密があることを暗示しているのだろうか。第2期を最終回まで観終えたあと、「だから‟水星の魔女”なのか」と感嘆させられることを期待したい。
『機動戦士ガンダム 水星の魔女』シーズン2は、2023年4月 毎週日曜午後5時~MBS/TBS系全国28局ネットにて放送開始。
第1期はAmazonプライムビデオ他で配信中。
Blu-rayはvol.1〜4が発売中。
第1期最終回第12話のネタバレ感想&解説はこちらから。
第1話のネタバレ感想はこちらから。