『マダム・ウェブ』公開
SSU(ソニーズ・スパイダーマン・ユニバース)の最新作となる映画『マダム・ウェブ』が2024年2月23日(金・祝) より日本の劇場で公開された。ソニーがマーベルと共同で展開するSSUでは、「スパイダーマン」シリーズのキャラクターを主軸に据えた世界で新たな物語が描かれる。『マダム・ウェブ』は『モービウス』(2022) に続くSSU第4作目で、ダコタ・ジョンソン演じるマダム・ウェブことキャシー・ウェブのオリジンを描く。
『マダム・ウェブ』の監督を務めたのは、マーベルドラマ『ジェシカ・ジョーンズ』(2015-2019) のエピソード監督も務めたS・J・クラークソン。SSUはMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)との繋がりも期待されているが、映画『マダム・ウェブ』ではどんな物語が展開されたのだろうか。今回はそのラストについてネタバレありで解説&考察していこう。
なお、以下の内容は『マダム・ウェブ』の結末に関する重大なネタバレを含むため、必ず劇場で本作を鑑賞してから読んでいただきたい。
以下の内容は、映画『マダム・ウェブ』の内容及び結末に関するネタバレを含みます。
Contents
『マダム・ウェブ』ラスト ネタバレ解説&考察
アマゾンでの出来事
映画『マダム・ウェブ』では、救急救命士として働くカサンドラ・ウェブ(以下、キャシー)が未来を視る能力を身につける。キャシーはエゼキエル・シムズという男に狙われている3人の少女を保護し、自分を産むときに亡くなった母との過去と向き合うことで真の力に目覚めることになる。
『マダム・ウェブ』の終盤では、キャシーは母が自分を産んだ場所であるペルーのアマゾンへと赴く。母の遺品からエゼキエルが母とアマゾンにいたこと、アマゾンの蜘蛛の力が手掛かりになると考えたからだ。そこでキャシーを待っていた“スパイダー・ピープル”または“ラス・アラニャス”と呼ばれる部族の人物サンティアゴにエゼキエルが母コンスタンスを殺したこと、キャシーにはまだ力が眠っていることを告げられる。
ラス・アラニャスは劇中で手から毒を放つ蜘蛛の力を持つ人々と紹介されているが、「ラス・アラニャス」という言葉は「蜘蛛(Spiders)」をスペイン語にしたものである。ラス・アラニャスの人々はアマゾンの蜘蛛から力を得ていると思われ、キャシーの母が見つけたこの蜘蛛を奪ったエゼキエルはラス・アラニャスと同じように超人的な力を手に入れている。
サンティアゴはキャシーの身体を押して霊体を泉に突き落とすのだが、この演出は映画『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』(2021) でドクター・ストレンジがスパイダーマンことピーター・パーカーの霊体を弾き出したときの演出に似ている。この霊体は“アストラル体”と呼ばれており、『ドクター・ストレンジ』(2016) や『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019) でもエンシェント・ワンがスティーヴン・ストレンジやブルース・バナーに対して使っている。もしかすると、カマー・タージとスパイダー・ピープルは何らかの関係があるのかもしれない。
コンスタンスがアマゾンに行った理由
アマゾンでキャシーが知ったのは、母コンスタンスは生まれてくるキャシーのために蜘蛛を探しにアマゾンを訪れていたということだった。キャシーは産まれる前から身体に疾患があることが分かっており、医者からは手が打てないと言われていた。だが、コンスタンスは細胞を強化する力を持つ蜘蛛を探し求めてアマゾンに行ったのだ。
結果、コンスタンスはエゼキエルから撃たれた後にこの蜘蛛に噛まれている。この蜘蛛の力により、コンスタンスのお腹の中にいたキャシーは健康な身体で生まれてくることになった。この設定は、生まれつき重度の筋無力症で外に出られないというコミック版のマダム・ウェブの設定を踏まえたものだと考えられる。母の行動がキャシーの未来を変えたのだ。
また、キャシーの母コンスタンスが蜘蛛を探しにアマゾンに行くという展開は、映画『モービウス』と重なるところもある。同作では、主人公のマイケル・モービウスが不治の病を治すために吸血コウモリを求めてコスタリカへ行っている。「ヴェノム」もそうだが、人間社会の外にあるものから力を得るという点は、SSUにおける一つのコンセプトになっているのだろう。
大いなる責任
コンスタンスは、未来が分かっていても何もしてくれない医師に怒り、自ら行動を起こした。キャシーはその事実に感銘を受け、『マダム・ウェブ』のラストに挑むことになる。そして、ここでサンティアゴからキャシーに告げられた言葉も『マダム・ウェブ』という作品にとって重要な意味を持っている。それは、「大いなる責任を担う者は、大いなる力を手に入れる」というものだ。
これはもちろん、「スパイダーマン」シリーズでよく知られる「大いなる力には、大いなる責任が伴う」という言葉を応用したものだ。孤児として里親のもとで育ったキャシー・ウェブは、人との関わり、特によその家族との関わりを避けてきた。ゆえに3人の少女たちの保護者にもなりたがらず、親の元へ送り届けようとしていた。
過去を知り、まだ眠っている力があると告げられたキャシーは、大人としての責任を果たすため、ニューヨークに戻って3人の少女を守るためにエゼキエルに立ち向かう。最後の戦いの舞台となった花火倉庫は、序盤にキャシーが救命救急士として駆けつけていた倉庫だ。キャシーは、あのとき既に未来のビジョンを視ており、加えて現場での会話から倉庫内に大量の花火があることも知っていたのだ。
応援で呼んだヘリは落とされ、少女たちも3人ともが危機に陥る場面で、エゼキエルは「全員を助けることはできない」とキャシーに言い放つ。このセリフは、映画『スパイダーマン/ノー・ウェイ・ホーム』でピーター・パーカーが一時的に陥った心情と重なる。闇堕ちスパイダーマンらしいセリフだ。
しかし、ここでキャシーは「大いなる責任を担う者は、大いなる力を手に入れる」という言葉を思い出して覚醒。アストラル体のような姿で自身を分身させ、ジュリア、マティ、アーニャの3人を救うことに成功する。このマダム・ウェブの能力については、MCUスパイダーマンと重なるところもある。詳しくはこちらの記事で考察している。
エゼキエルの最後
エゼキエルはキャシーを追い込んでいくも、キャシーにはペプシ・コーラの文字看板が落下する未来が視えており、エゼキエルはまんまとその文字たちの犠牲になる。エゼキエルは自分が夢で見ていたように高所から落下して死ぬことになるが、それは3人の少女たちによってではなく、キャシー・ウェブによってもたらされることになった。
ちなみにエゼキエルは、最後に「P」の文字の下敷きになっているが、「P」は「ピーター・パーカー」の頭文字でもあり、「Past(過去)」の頭文字でもある。「S」の字も活躍を見せているが、こちらは「スパイダーマン」や「ソニー」の頭文字である。
しかし、この勝利には犠牲が待っていた。足場が崩壊しキャシーも川に投げ出されると、暴発した花火がキャシーの顔面に命中する。ジュリアがなんとか地上に引き上げ、マティとアーニャがキャシーに教わった心肺蘇生法を実施することでキャシーは蘇生。一方でその目は色を失っており、視力を失ったことが示唆されている。
キャシー・ウェブが視力を失うのは原作コミックの設定と同じ。また、この事故でキャシーは車椅子で生活を送ることになっているが、これも原作コミックでのマダム・ウェブの姿を再現するための演出だ。
生まれてきたのは…
病院のシーンでは、キャシーが3人の少女たちを自分の家族だと受け入れる一方で、キャシーの同僚ベン・パーカーの妹であるメアリー・パーカーが無事に出産を迎えていた。もちろん、ここで産まれてきたのは後にスパイダーマンとなるピーター・パーカーだ。
2003年を舞台にしている『マダム・ウェブ』では、ピーター・パーカーの誕生も描かれることに。ソニーは2025年に「スパイダーマン」の新作映画を公開したいと考えているという報道があるが、それが実現すれば22歳のピーター・パーカーがSSUに登場する可能性がある。
そして、ベン・パーカーは甥っ子が生まれたことで、ここで初めて「ベンおじさん」になることに。『マダム・ウェブ』の序盤で、良い出会いがあったとキャシーに話していたが、その相手は後のメイおばさんのことだろう。
ベンまたはメイは、のちにピーター・パーカーに「大いなる力には、大いなる責任が伴う」という格言を教えることになる。そう考えると、キャシーが受け取った「大いなる責任を担う者は、大いなる力を手に入れる」という言葉がそのヒントになったのかもしれない。
「未来の良いところ」
ラストシーンでは、キャシー・ウェブはジュリア、マティ、アーニャの3人と共に暮らす姿を見せている。それまでは死に関する未来しか見えていなかったが、今ではアーニャがくしゃみをすることや、3人が買ってきた食べ物まで言い当てている。未来視の能力が相当高まったのだろう。
キャシーは印象的な形のサングラスをかけているが、これも原作コミックのビジュアルに寄せた演出である。娘のような3人と家族になったことで、キャシー・ウェブは“マダム・ウェブ”となり、少女たちをスーパーヒーローへと育て上げていくことになる。
マダム・ウェブは3人がスパイダーウーマンとして活躍する姿を視る。そして最後にマダム・ウェブは、「未来の良いところは、まだ起きてないこと」という言葉を残して映画『マダム・ウェブ』は幕を閉じる。先行きの見えない不安定な時代だが、未来はまだ起きていないことだから変えられる、そこにこそ可能性がある、そんなメッセージが読み取れる。
エンディングとポストクレジットシーンは?
クレジットシーンで流れている曲はクランベリーズの「ドリームス」(1993)。「どんなことも起こり得る」「望みは叶う」と、未来が視えるマダム・ウェブらしい歌詞が並んでいる。
そして、『マダム・ウェブ』のポストクレジットシーンは“なし”。米Comicbook.comによると、ポストクレジットシーンを置いていないのはS・J・クラークソン監督の方針によるものだという。同監督は「色々試したのですが、(本編で)全て語り尽くしたように感じました」とした上で、マダム・ウェブのビジョンがポストクレジットシーン的なものに該当するとも話している。
つまり、スパイダーウーマンたちが後に活躍する様子というのが『マダム・ウェブ』のオマケ要素だということだ。マダム・ウェブがSSUに参入したことで、様々な可能性が開かれたと言える。ここからは、エンディングから読み取れる可能性を考察していこう。
『マダム・ウェブ』ネタバレ考察
舞台が2003年の理由は?
映画『マダム・ウェブ』は、かなりしっかりマダム・ウェブのオリジンを設定するための作品だったと言える。同時にピーター・パーカーの誕生を描いたという点でも重要な作品になる。おそらく、『マダム・ウェブ』が2003年を舞台にした理由は、今後の作品で20年後の現代を舞台にする時に原作コミックのように年配のマダム・ウェブを登場させるためだろう。
また、ピーター・パーカーの誕生を描くには、現在から逆算して時代を設定する必要もあったと考えられる。念のため書いておくと、MCUのピーター・パーカーは2001年8月生まれなので、ここで生まれた赤ん坊とは無関係ということになる。『マダム・ウェブ』はSSU独自のピーター・パーカーを誕生させたのだ。
そうなると、今後のSSUではMCUで描かれた高校生のスパイダーマンとは違い、過去のソニー映画と同じく大学生くらいのスパイダーマンが描かれることになるのだろうか。マダム・ウェブは原作コミックでスパイダーマンを助けることにもなる。『モービウス』ではスパイダーマンの宿敵となるシニスターシックスの結成が示唆されたが、マダム・ウェブはSSUにおける貴重な“スパイダーマン側”の人物になってくれそうだ。
マルチバースのキーパーソンに?
マダム・ウェブの能力について特筆すべき点は、未来視ができる=マルチバースの分岐を取捨選択できるという点だ。MCUの理論では、異なるユニバースが発生するのは、誰かが未来を変える行動をとったときで、時間軸が木の枝のように“枝分かれ”することで異なる世界が生まれる。
MCUでは、“在り続ける者”がその分岐を阻止してきたことによって、マルチバースの存在は無かったことにされてきた。しかし、ドラマ『ロキ』(2021-) を通して“在り続ける者”が消えたことにより、マルチバースが存在することになっている。そして、『スパイダーマン/ノー・ウェイ・ホーム』で示された通り、SSUの世界もMCUのマルチバースの一部だと考えられている。
今後、MCUでは7月公開の映画『デッドプール&ウルヴァリン』で再びタイムトラベルの要素が用いられる。時間とマルチバースの概念は隣り合わせであり、マダム・ウェブが遠い未来を視れるようになれば、他のヒーローと協力してマルチバースの危機も回避できる可能性がある。
今回は独立した作品として紹介されていた『マダム・ウェブ』だが、本作の物語がSSUとMCUの未来にどのような影響を与えることになるのだろうか。今後の展開を注視しよう。
映画『マダム・ウェブ』は2024年2月23日(金・祝) より劇場公開。
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