『ゴジラ-1.0』ネタバレ解説 ラストの意味とは? 反戦映画としてのゴジラ 感想&考察 | VG+ (バゴプラ)

『ゴジラ-1.0』ネタバレ解説 ラストの意味とは? 反戦映画としてのゴジラ 感想&考察

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2023年11月3日(金)全国公開

「ゴジラ」シリーズ70周年記念作品として、第1作『ゴジラ』(1954)の公開日である11月3日(金)に合わせて公開された『ゴジラ-1.0』(2023)。時代設定は第1作『ゴジラ』が第二次世界大戦から9年後だったのに対し、『ゴジラ-1.0』は戦後間もない日本をゴジラが襲うという設定になっている。

本記事では『ゴジラ-1.0』のラストの意味や作品設定に込められた想いなどの解説と考察をしていこう。なお本記事には『ゴジラ-1.0』のネタバレを含むため、本編視聴後に読んでいただけると幸いである。

ネタバレ注意
以下の内容は、映画『ゴジラ-1.0』の内容に関するネタバレを含みます。

災害、そして反戦映画としての『ゴジラ-1.0』

菊水作戦の生き残り

1945年、第二次世界大戦末期。神木隆之介演じる主人公の敷島浩一少尉は零式艦上戦闘機、俗に零戦と呼ばれる戦闘機のパイロットとして訓練で優秀な成績を収めるも、その成績が認められて神風特別攻撃隊、つまり特攻隊の任務に就いていた。彼の軍服に「六〇一」という刺繍がされていることから、敷島浩一が第六〇一海軍航空隊に所属していたと考察できる。

零戦の故障を理由に大戸島の守備隊基地に着陸する敷島浩一。凸凹の滑走路に着陸できることからも、敷島浩一の操縦能力の高さがわかる。敷島浩一は零戦が故障したため、日本本土近海・沖縄での特攻に参加できなかったと言うが、筑波海軍航空隊整備部所属の整備班のリーダーである青木崇高演じる橘宗作は故障個所など無いと疑う。

第六〇一海軍航空隊は1945年4月6日の菊水一号作戦から6月22日の菊水十号作戦までの連合国への特攻攻撃の作戦に従事している。この菊水作戦により第六〇一海軍航空隊は稼働機を使い果たしたことで菊水作戦から離脱し、関東防衛に専念することになった。この稼働機を使い果たしたという点から、橘宗作は敷島浩一の乗っていた零戦をポンコツと呼んだと考えられる。また、零銭には徹底した軽量化により工数の多さや修理の複雑さがあり、そのことを差していたとも考察できる。

海面に深海魚が浮かび上がってきたその日の晩、大戸島の守備隊基地はゴジラに襲撃される。その頃のゴジラはまだ全高15mであり、橘宗作は零戦の20mm機銃でゴジラを撃つように敷島浩一に頼むが、敷島浩一は零戦の操縦席に座っても引き金を引けず、整備班は全滅。「みんな死んだぞ!」と橘宗作に責め立てられた敷島浩一は以降、死にゆく整備班の悪夢にうなされるようになる。止めを刺すように橘宗作から整備班の持っていた家族の写真を渡されている。

加害者性と被害者性

日本に帰還した敷島浩一は焦土と化した東京を見ることになる。そして、隣人の安藤サクラ演じる太田澄子から、生きて帰って来なさいと手紙に綴っていたはずの母親が空襲で両親ともども死亡したことを知らされる。太田澄子の3人の子供も空襲で死亡しており、太田澄子から敷島浩一ら軍人による戦争のせいで皆死んだと責められる。

ここで敷島浩一は純粋な戦争の被害者ではなく、徴兵されたのか、それとも志願したのかは明確では無いが、東京を焼け野原にし、第二次世界大戦という人的災害を市民にもたらした加害者である軍人の側面を持つことが語られる。これはその後の展開でも度々描写されることだが、戦地帰りの人々は死地に無理やり連れだされた被害者であるとともに敵兵を殺そうとした加害者でもあることが考察できる。

戦争帰りの元兵士の敷島浩一たちはPTSDに加え、サバイバーズ・ギルト (Survivor’s guilt)に苛まれている描写が多い。サバイバーズ・ギルトは戦争や災害、事故の生存者が周囲の人物が亡くなったのに、生き残ってしまったことに罪悪感を覚えてしまうものであり、PTSDと結びつくことが多い。現実でも高齢者の方が第二次世界大戦について実体験を語る際に「その状況では見捨てるしかなかった」「救える命を救えなかった」とサバイバーズ・ギルトを引き起こすことが多い。

敷島浩一は特攻から逃げ、ゴジラとの最初の戦いからも逃げて生き残ってしまったというサバイバーズ・ギルトとPTSDに苦しむ被害者の性質を持っている。一方で、自分も人を殺そうとした、東京大空襲などの戦禍を母国に呼び込んだ軍人という加害者性も有しており、この狭間で苦しんでいると考察できる。

これはゴジラに襲われる日本を原爆などによる純粋な被害者ではなく、大日本帝国という加害者でもあったことを表象していると考察できる。この加害者性の象徴が軍国少年で、もう少し戦争が長引けば従軍できたと語り、敷島浩一に叱責される山田裕貴演じる水島四郎だろう。山田裕貴は「あそこ(巨大生物對策説明会)で水島は、『明日死んでもいい』と覚悟を決めていたと思います」と語り、水島四郎が従軍していない故に簡単に命を捨てる覚悟を決められたと考察できる。

丁寧に描かれる戦後の日本

荒れ果てた住居や闇市、そこに住む人々の心も荒れている様子が敷島浩一の目線を通して丁寧に描かれる。そこで出会うのが赤ん坊の明子を連れた浜辺美波演じる大石典子だ。大石典子は空襲で両親を失っている。大石典子との出会いにより、敷島浩一は生きていて良いのか、今の自分は大戸島で死んだ亡骸の見ている夢なのではないかといったPTSDやサバイバーズ・ギルトの症状が緩和されていくことになる。

明子は大石典子が空襲から逃げる際に見知らぬ母親から託された子供で、大石典子の実の子ではない。敷島浩一は大石典子に対し、今のような生活では明子を育てる余裕がないと言い、大石典子はパンパンにでもなれというのかと返す。敷島浩一の返答は「ご時世だから仕方がない」というものだった。パンパンとは戦後の混乱期に在日米軍将兵を相手にしていた売春婦のことである。

「ご時世だから仕方がない」という言葉は、戦後混乱期の日本の全体の余裕の無さを象徴していると考察できる。それに対し、敷島浩一のことを責めながらも、明子に食べさせるために貴重な白米を分け与える太田澄子。この言動は余裕の無さの中にある日本の復興の兆しを象徴しているとも考察できる。

敷島浩一は二人を養うために復員省から紹介を受けて磁気式機雷の撤去の仕事を受ける。危険が伴う掃海の仕事を断るように言う大石典子だったが、敷島浩一は戦争のように必ず死ぬことが決まった仕事ではないと説得する。この復員省とは陸軍省や海軍省が廃止され、その後の機雷撤去などの作業を担当した省庁である。

復員省は昭和天皇への訴追回避、旧海軍幹部への量刑減刑に秘密裏に奔走した極東国際軍事裁判対策でも有名だ。元第六〇一海軍航空隊所属の敷島浩一は海軍省を廃止し、誕生した第二復員省から仕事の依頼を受けたと考えられる。復員省は後に第一と第二が合併して復員庁になり、「引揚援護、戦傷病者、戦没者遺族、未帰還者留守家族等の援護及び旧陸海軍の残務の整理を行うこと」は厚労省、機雷の撤去は運輸省、海上保安庁、海上自衛隊へと引き継がれていった。

ここで磁気式機雷に反応しない木製の特設掃海艇「新生丸」の乗組員である山田裕貴演じる若手の水島四郎、元技術士官の吉岡秀隆演じる野田健治、船長の佐々木蔵之介演じる秋津淸治と出会う。「新生丸」は別の特設掃海艇とペアを組み、両船舶を繋ぐワイヤーカッターで磁気式機雷を海底に留めている鎖を切り、浮かび上がってきた機雷を30mm機銃で撃って爆破処理する任務についていた。

当初は「新生丸」の任務にも疑問を感じていた敷島浩一だったが、徐々に慣れ、賃金を溜めて家を改装するまでに至る。少しずつPTSDの症状も収まっていき、大石典子と明子との疑似家族を形成していくことで、もう一度生きても良いかと両親の位牌に向かって訪ねるまで安定する。街並みも徐々に復興していき、物語は1945年から1946年、1947年へと移っていく。その復興の過程を明子の成長と共に巧みに描いている。大石典子が銀座で事務員として働こうとして敷島浩一の足手まといにならないように自立しようとするのも象徴的だ。

クロスロード作戦

人々が戦争から立ち直ろうとしていたのもつかの間、ビキニ諸島で21キロトン級原子爆弾を用いたエイブル実験とベーカー実験からなるクロスロード作戦がアメリカ合衆国によって行われる。クロスロード作戦は1945年7月に行われたニューメキシコ州ソコロのトリニティ実験、そして広島と長崎に落とされた原爆に続く史上4回目と5回目の核実験である。『ゴジラ-1.0』が反核であることは山崎貴監督自身が公言しており、原爆を思わせる表現や核の時代を感じさせる表現が多い。

トリニティ実験をもって世界に核の時代が訪れたとされている。『ゴジラ-1.0』ではクロスロード作戦で標的として接収された戦艦長門が21キロトン級原子爆弾で沈められる中、ゴジラも被爆してしまう。その傷からの再生を試みるも、ゴジラの再生力をもってしても放射能被爆の影響からは逃れられず、再生は細胞レベルのエラーの繰り返しとなる。それによって誕生したのが50.1mの巨体を誇るゴジラだった。この50.1mというサイズがゴジラと目が合い、昭和の建物と同じぐらいの高さであり、直接命の危険を感じるサイズ感となっている。

連合国軍最高司令官(GHQ)のダグラス・マッカーサーはゴジラによって駆逐艦ランカスターが沈められ、その後潜水艦レッドフィッシュが大破と引き換えにゴジラの背びれの写真を撮り、ゴジラの存在を知る。しかし、当時はソビエト連邦との関係性が悪化していたため、軍事行動は起こせず、日本自身がゴジラに対処するようにと連絡した。第1作『ゴジラ』は冷戦下の1954年3月1日にビキニ諸島でテラー・ウラム型水素爆弾実験行なわれ、死の灰を降らせて無船長の久保山愛吉らを死に至らしめた第五福竜丸事件が映画製作のきっかけになったため、『ゴジラ-1.0』はそれ以前の冷戦と核の時代のはじまりにクローズアップした作品と言える。

アメリカ合衆国は一部接収した戦艦や駆逐艦を返還するも、既に武装が外され、日本軍も解体されている日本はゴジラに太刀打ちする術がない。シンガポールで人員宿泊、他艦船の修理、通信などの担任母艦となっていた重巡洋艦「高雄」が到着するまで、掃海の際に回収した機雷を用いて時間稼ぎをする役として「新生丸」が指名される。ゴジラの悪夢を見る敷島浩一は深海魚が浮いてきた様子からゴジラの襲来を察知する。

ゴジラには当然のことながら機雷は通じず、「新生丸」に装備された30mm機銃も通じない。しかし、野田健治の立案で口の中に機雷を入れて爆破することでゴジラの顔半分を吹き飛ばすことに成功した。『ゴジラ-1.0』のゴジラは山崎貴監督が「原爆のダメージを完全再生できずにエラーを繰り返した結果、巨大化した」というだけあって、頑強さよりも再生力の高さが強調されている。ゴジラという無敵のような再生能力の持ち主でも、原爆のダメージを無くすことはできないというのが生々しい。

機雷で爆破された顔面の半分が再生していくのがその良い例だろう。放射熱線も吐く度に顔が焼け、その都度再生している。そのため、放射熱線が連射できないのは体の再生能力が追い付かないためと解説されている。そのことから、重巡洋艦「高雄」を沈めた後に「新生丸」に放射熱線を吐かなかったのは再生能力が追い付かなかったためだと考察できる。また、銀座で放射熱線で大爆発を引き起こした際、焼けただれたゴジラの顔に加え、キノコ雲と広島や長崎で降ったものを想起させる黒い雨が降る点は『ゴジラ-1.0』のゴジラが持つメッセージ性を感じさせる。

政府への信頼

重巡洋艦「高雄」の沈没という事実を国民に告げず、政府は誰がゴジラ襲撃の混乱の責任を取るのかということで揉めている。この政府に対する不信感は『ゴジラ-1.0』全体の軸の一つである。山崎貴監督はコロナ禍での政府の機能不全が脚本にも影響していると語っており、大日本帝国の大本営発表など相まって、政府は信用できず、民間人たち市民が日本を支えていることを描写している。

政府が責任を押し付け合っている間にゴジラは品川へと上陸し、銀座を蹂躙する。ここで第二次世界大戦の空襲でも被害を免れた日本劇場を破壊していることをアナウンサーが伝えているのが印象的だ。戦争が人々に与えた傷の象徴のゴジラが、戦争で破壊されなかった建物を破壊するというのは戦争の犠牲者たちの復讐劇だと考察できる。

民間人によるゴジラを倒すための会議「巨大生物對策説明会」では戦争帰りの民間人に駆逐艦「雪風」と「響」の操船を頼む際、次々ともう死地に行きたくないと帰る中、留まった人々は政府による死にに行けという命令ではないと奮起するなど、死を命じた政府への不信感がにじみ出ている演出が多い。

特に野田健治が大日本帝国時代の兵器開発の現場にいた技術士官だからこそわかる大日本帝国時代は脆弱な装甲の戦車の製造、精神論をもとに補給を怠り大量の餓死者と病死者を出す、戦闘機に脱出装置など取り付けないなど、命を軽視しすぎたという発言は重たい。国への忠義ではなく、家族のためにゴジラとの戦いに挑む民間人の姿が『ゴジラ-1.0』では印象的だ。

「死ぬための戦いではないんです。今度の戦いは未来を生きるための戦いなんです」

銀座の悲劇で大石典子を喪ったと考えた敷島浩一は、野田健治らの立案したフロンガスによって気泡を水の抵抗を激減させて相模湾の海底に沈めて急速な水圧変化でダメージを与え、それが失敗した場合はバルーンで海上に急速に浮上させて更なる水圧変化でゴジラを殺す「海神(わだつみ)作戦」とは別の作戦を立てる。それは誘導用に使用する第二次世界大戦末期に試作された局地戦闘機「震電」のパーツを可能な限り外し、そこに25番と50番の爆弾を搭載してゴジラ口内に特攻するというものだった。この時点で敷島浩一はサバイバーズ・ギルトから死に場所を求めていたと考察できる。

局地戦闘機「震電」は「異端の翼」と呼ばれる独特な姿をした戦闘機であり、山崎貴監督は開発者の息子にまで会いに行き、取材をしてまで映像化したかったと言う。その際、「震電」のテストパイロットに開発者自身がなるなど、危なすぎて誰も乗りたがらなかったのではないかと山崎貴監督は推測しているため、大石典子を喪って希望を喪ったことによるもう生きて帰るつもりが無いという敷島浩一の心情を表現していたのかもしれない。その一方で特攻を決意したとき、敷島浩一は命と向き合い、特攻を覚悟していたにも関わらず、死にたくないという感情を抱くようになる。

野田健治らの立案した「海神作戦」は浮上時にバルーンをゴジラが食い破り、「雪風」と「響」で無理やり引き上げようとするが失敗に終わる。そこで助けに来たのが未来のある若者を作戦に巻き込まないようにと船に乗せなかった水島四郎だった。水島四郎を含め、民間船が集まり、ゴジラを海上へと引き上げる。急激な水圧の変化によりゴジラの体は崩れ始め、目は白濁している。

『GODZILLA ゴジラ』(2014)を監督したギャレス・エドワーズ監督と山崎貴監督の対談で、ギャレス・エドワーズ監督が欧米の映画からの影響について訊ねていたのは、民間船の集合場面からだろう。民間船の集合場面は『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』(2019)を想起させる。

最後、操縦席に大石典子の写真を置き、放射熱線を吐く直前のゴジラの口に特攻する敷島浩一が乗る「震電」。それの爆発と放射熱線の誘爆によってゴジラの頭は吹き飛び、体内に溜めていたエネルギーが全身のひびから漏れ出して瓦解していく。その姿に敬礼する民間人たち。吉岡秀隆はこの場面が脚本で神殺しと書かれていたことに触れ、戦争で傷を負った人々がゴジラという神のような存在が自分を倒して未来を生きろと伝えているように感じたと述べている。

この場面は銀座で戦争の被害を免れた建物を破壊するなど、戦争の犠牲者たちの復讐とも感じられるゴジラに対し、心が戦地に行ったまま帰ってこない傷ついた人々がゴジラの死によって犠牲者たちと共に故郷に帰ってきたことを感じて敬礼しているように思えた。敷島浩一も死んで戦争を終わらせるのではなく橘宗作が設置したパラシュートで脱出しおり、野田健治の語っていた命を軽視しすぎていた大日本帝国時代の第二次世界大戦から抜け出している。この脱出装置の設置は橘宗作と敷島浩一が“生に執着する”という心境の変化を描いていると思われる。

最後、港へと帰ってきた敷島浩一のもとに明子を一方的に託した太田澄子が駆け寄り、大石典子が重傷を負ったが存命であることを知る。そして、明子を連れて病院に向かった敷島浩一は大石典子から「浩さんの戦争は終わりましたか」と訊ねられ、泣きながらそれに答えて敷島浩一の戦争は終わり、大戸島に置き去りにされた敷島浩一の心はようやく愛する人々のもとに帰ってきたのだった。

本当に戦争は終わったのか

敷島浩一の戦争はようやく終わった。しかし、無(ゼロ)からゴジラによって負(マイナス)になった日本の戦争は終わったのだろうか。映画のラストはゴジラの肉片が再生していく場面で終わる。他にもゴジラに関する情報で冒頭からゴジラが再生とそのエラーを繰り返して落としていく皮膚片から未知の物質が検出されていることが語られている。この演出は山崎貴監督が好きだと公言している『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001)のラストを想起させる。『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』のゴジラは太平洋戦争の怨念が乗り移った破壊神のような存在だった。

『ゴジラ-1.0』は第二次世界大戦直後の話のため、『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』のゴジラのような戦争の悲惨さを忘れた人々への復讐のために暴れまわる設定とは違うように思われる。だが、戦後直後だからこそ、生き残った者への想いが強く反映されたのが『ゴジラ-1.0』のゴジラなのかもしれない。また、再生とエラーを繰り返し苦しみながら変化する怪獣というゴジラ像は『シン・ゴジラ』からの要素も感じられる。

そして、この映画ではゴジラに襲われた日本の被害者性と大日本帝国時代の加害者性が描かれている。もしかすれば、日本が加害者性を持っていたことを忘れたとき、戦禍としてゴジラがよみがえってくるのかもしれない。また、野田健治がゴジラの縄張りに言及していたことや、音響式地雷用スピーカーで同種族が縄張りを侵してきたと考えるはずと語り、そのスピーカーにゴジラが引き寄せられたことから、別個体のゴジラの登場も可能性も考えられる。

他にも重傷を負って入院していた大石典子の首元にあった黒い痣らしきものなど謎も多く、『ゴジラ-1.0』にはある意味で復活の余白が残されていたと考えられる。戦時下から戦後へと移り行く日本を描いた『ゴジラ-1.0』。再生能力の異常な高さを誇るゴジラの今後にも注目していきたい。

『ゴジラ-1.0』は2023年11月3日(金)より全国公開。

『ゴジラ-1.0』公式サイト

山崎貴監督が手がけた『ゴジラ-1.0』の小説版は、11月8日(水)発売で予約受付中。

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『ゴジラ-1.0』オリジナル・サウンドトラックのLP盤は12月15日(金)発売で予約受付中。

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映画『ゴジラ-1.0』のキャスト紹介の記事はこちらから。

映画『ゴジラ-1.0』で描かれる政府への不信感に関する記事はこちらから。

映画『ゴジラ-1.0』で描かれる海神作戦に関する記事はこちらから。

映画『ゴジラ-1.0』で描かれる生への執着はこちらの記事が詳しい。

映画『ゴジラ-1.0』予告編第1弾はこちらの記事から。

映画『ゴジラ-1.0』予告編第2弾はこちらの記事から。

映画『ゴジラ-1.0』予告編第3弾とラージフォーマットでの上映に関する記事はこちらから。

モンスター・ヴァース版ゴジラの映画最新作の情報はこちらの記事から。

モンスター・ヴァース版ゴジラのドラマ最新作の情報はこちらの記事から。

『ゴジラ S.P <シンギュラポイント>』の第1話ネタバレ感想と考察はこちらの記事から。

鯨ヶ岬 勇士

1998生まれのZ世代。好きだった映画鑑賞やドラマ鑑賞が高じ、その国の政治問題や差別問題に興味を持つようになり、それらのニュースを追うようになる。趣味は細々と小説を書くこと。
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