『室井慎次 生き続ける者』杏に注目
『室井慎次 生き続ける者』が2024年11月15日(金) に公開され、初週末は前作『敗れざる者』超えのヒットを記録している。『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』(2012) 以来12年ぶりに動き出した「踊る」と室井慎次の物語には大きな注目が集まっている。
今回は、その中でも新キャラクターとして登場した福本莉子演じる日向杏に注目して考察してみよう。以下の内容は『室井慎次 生き続ける者』の結末のネタバレを含むので、必ず劇場で本編を鑑賞してから読んでいただきたい。
以下の内容は、映画『室井慎次 生き続ける者』の内容に関するネタバレを含みます。
『室井慎次 生き続ける者』杏はどうなった?
これまでの杏
前作『室井慎次 敗れざる者』では、『踊る大捜査線 THE MOVIE 湾岸署史上最悪の3日間!』(1998) と『踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ!』(2010) に登場した日向真奈美が出産していたことが明らかになり、その娘の杏が東京の里親から室井家へと送られた。日向真奈美は16年前に獄中出産したとされていることから、杏は16歳ということが分かっている。
杏は里親が面倒を見切れなくなり室井の元へ送ったということだったが、タカとリクに室井から殴られたと嘘をつくなど、室井家の平和を乱すようになる。ラストでは室井家の車庫が燃え、杏の仕業であることが示唆されて幕を下ろした。
『室井慎次 生き続ける者』では、室井は警視庁の桜章太郎から防犯カメラの映像を見せられ、杏が発火した車庫の側にいたことを知る。室井が証拠映像を見た一方で、市毛商店で万引きをしたリクは杏からお菓子を盗んでいいと言われたと告白。室井は杏の荷物の中からかつて日向真奈美が凶器として使っていたメスを見つけ、いよいよ緊張感が高まってくる。
杏と青島、鳥飼への言葉
しかし、杏も杏で苦しんでいるようだった。杏はかつて母の日向真奈美と刑務所で面談した際に、「生きることは憎むこと」「傷つける前に傷つける」という教育を受けていたのだ。一人で母のことを思い出していた杏は「クソババア」と吐き捨ててもいる。『室井慎次 生き続ける者』の序盤では、杏は母を憎みながらも、その支配から脱却できないという状態にあったと考えられる。それは、母以外に頼れる大人が存在していなかったからかもしれない。
被害者遺族であるタカとの対話では、室井への嫌がらせについて、杏は母に言われた通りにやっているだけだと嘯く。終盤では、『敗れざる者』のラストでの火災を起こしたのは杏であったことを自ら告白する。その時の表情を見ていると、杏は“刑事・室井”の象徴であるコートだけを燃やしたかったが、車庫全体が燃えてしまったという風にも見える。
杏はタカから日向真奈美は帰ってこないこと、一人で生きていかなくてはならないということを告げられると、ついに猟銃を手にしようとする。杏のそんな姿を見つけた室井は、むしろ猟銃を撃たせてやることにする。ちなみにこのシーンで室井が杏を信じて目の前でガンボックスのロックを解除したことで、杏が終盤で猟銃を取り出すことが可能になっている。
室井はここで免許のない杏に猟銃を撃たせることは違法であることを確認し、「責任は俺が取る」の名言が登場する。ドラマシリーズ最終話で青島に言った「責任を取る。それが私の仕事だ」、『踊る大捜査線 THE LAST TV サラリーマン刑事と最後の難事件』(2012) で青島と鳥飼に言った「俺が責任を取る」といった言葉が思い出される。青島に言ってきた言葉を杏に使ったという意味でも重要なシーンだ。
銃を撃った杏は「こわい」と話す。しかし室井は、それは銃が人を傷つけるものだと思っているからだと諭す。思えば日向真奈美は元看護師で、人の命を救うための医療に使うはずのメスを凶器として用いていた。
室井は銃は人を攻撃する者ではなく守るものだと語り、「生きる力」を持つよう杏に助言する。「生きることは憎むこと」という母の教えに従っていた杏は、その人生を他者を傷つけるために使っていた。しかし、誰かを守るために使うこともできるということを学んだのだ。
母の言うことを聞くしかなかったと話す杏を優しく抱き寄せる室井の姿は涙もの。思えば室井の「踊る」での道のりは、被害者の娘の柏木雪乃と向き合うところから始まった。青島との約束を自分なりに果たせないかと考え、犯罪孤児の里親になった室井は、加害者の娘とも向き合うようになったのだ。
室井の杏への眼差し
室井は杏が東京に戻る手続きが済んでも、「いたかったらいていい」と手を差し伸べた。この時、室井は犯罪に巻き込まれた家族のために何かできないかと思い里親になったこと、今では里親として失敗したり悩んだりする生活が楽しいと思っていることを明かした。
杏にとって、自分が迷惑をかける相手に一緒にいて「楽しい」と言ってもらえたのは初めてだったのではないだろうか。“日向真奈美の娘”として生きてきて、厄介払いされてきたであろう杏の気持ちを考えれば、どれだけ大きな言葉だっただろう。
そして、室井のその思いは建前だけのものではなく、室井は日向真奈美信者となった国見昇との面会で「日向真奈美の家族も苦しんでいる」と話した。室井慎次は口下手で不器用だが、杏を切り捨てなかったのは、杏が苦しんでいることを見抜いていたからだろう。その前提を持って「室井慎次」二部作を見直すと、室井の辛抱強さの理由もより明確に見えてくる。
そして、室井は国見に、杏を間違った道には進ませないと宣言する。前作『室井慎次 敗れざる者』では、タカが面会室で母を殺した犯人に「あんたみたいな大人にはならない」と宣言し、室井のようになると誓った。室井はこのタカの言葉に影響を受けたのかもしれない。杏の母を崇拝して人を殺した犯人との面会で、杏を誤った道に進ませないと宣言したこのシーンは、前編と後編で対になっていると考えられる。
人を守るための道具
リクが実の親の元に帰ることになり、室井家は最後のひと時を過ごす。温泉に行き、ご飯を食べる普通の幸せ。リクにも、タカにも、杏にも、そして室井にもなかった平和で幸せな時間だ。
しかし、リクが父の柳町明楽に暴力を受けて帰ってくると、明楽がリクを連れ戻しに室井家に現れて暴れ出す。杏は猟銃を取り出して明楽に向けたことで明楽の制圧に貢献した。杏は室井の教えに従って、銃を家族を守るために使ったのだ。
室井の死後、杏とタカ、リクは、もっと多くの犯罪孤児を受け入れたいという室井の夢を叶えることを決意する。エンドロールでは、杏が交番の警官・乃木真守と一緒に自分が燃やしてしまった車庫を再建する姿も見られた。三人が成人するまでは石津夫妻が面倒を見るようで、杏は無事に室井慎次の意志を継ぐ人間の一人となったのだった。
日向杏の今後はどうなる?
遺された「室井慎次の家」
日向杏は連続殺人犯で悪のカリスマである日向真奈美の娘として、邪悪な側面を見せることもあったキャラクターだった。その負の側面を“苦悩”として描き、室井慎次が寄り添うことによって乗り越えていくという展開は、非常に希望があるものだった。
また、青島と鳥飼に言った「責任は俺が取る」を杏に言ったことを挙げても、室井が過去と向き合っていたことが分かる。室井は事件を解決しても、犯罪に巻き込まれた家族が苦しんでいることに気がつき犯罪孤児の支援を始めた。『THE FINAL』では犯罪遺族だった鳥飼誠一が事件を起こしたが、室井は杏、タカ、リクの三人と向き合い、新たな被害と加害を生まないための道を最後まで歩んだのだ。
高2のタカは警察になるために東京大学を目指しており、2年後には秋田から出ていくことになるだろう。一方の杏は学校にも行っていないので、犯罪孤児を預かる施設「室井慎次の家」を管理するようになるというのが自然な流れだろう。“シリーズ最大の敵”である日向真奈美の娘が、犯罪に巻き込まれた家族に寄り添って生きていくのだとすれば、室井慎次の晩年には大きな意味があったと言える。
しかし、杏には世間や日向真奈美本人からの様々な妨害や嫌がらせあるかもしれない。そんな時には秋田県警の乃木真守、そして県警本部長・新城賢太郎に対処してもらいたい。新城はあと5年ほどで定年退職を迎えるので、室井慎次の家に住んでもいいだろう。怖い警察OBがバックについている施設なら、一般人なら簡単には手出しできないはずだ。
日向杏の年齢は16歳だが、杏を演じた福本莉子は『室井慎次 生き続ける者』公開時点で23歳だ。福本莉子は主演を務めた『今夜、世界からこの恋が消えても』(2022) で第46回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した最注目の若手俳優の一人で、2025年3月には主演映画『お嬢と番犬くん』が公開される。福本莉子が演じる杏の今後に期待しよう。
映画『室井慎次 生き続ける者』は全国の劇場で大ヒット公開中。
シナリオ全文と、その詳細な解説やスタッフ&キャストのインタビューで二部作の魅力を深堀りする 『室井慎次 敗れざる者/生き続ける者』シナリオ・ガイドブックは2024年11月29日(金) 発売で予約受付中。
『室井慎次 敗れざる者』と『室井慎次 生き続ける者』のオリジナル・サウンドトラックは予約受付中。
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