【ソー編】『アベンジャーズ/エンドゲーム』は“ビッグ3”をどう描いたか Part.2【ネタバレ】 | VG+ (バゴプラ)

【ソー編】『アベンジャーズ/エンドゲーム』は“ビッグ3”をどう描いたか Part.2【ネタバレ】

via: © 2019 MARVEL

もはや“現象”の域に

2019年4月26日(金) に公開された映画『アベンジャーズ/エンドゲーム』は、世界中を席巻。映画史上でも稀に見る大ヒットを記録し、同一シリーズの22作品目が歴代映画興行収入ランキングでトップ3入りを果たすという異常事態に。その盛り上がりはもはや“現象”の域に達した。

この「『エンドゲーム』は“ビッグ3”をどう描いたか」シリーズでは、MCU21作品を経て、本作でキャプテン・アメリカ、ソー、アイアンマンの三人がどのように描かれたかを考察する。Part.1では、ビッグ3が直面している矛盾と、「ザ・ファースト・アベンジャー」の二つ名を持つキャプテン・アメリカことスティーブ・ロジャースの描かれ方を解説した。第2回目となる今回は、雷神・ソーに焦点を当ててみよう。

本記事は『アベンジャーズ/エンドゲーム』の内容に関する重大なネタバレを含むため、未見の方は注意していただきたい。

ネタバレ注意
以下の内容は、映画『アベンジャーズ/エンドゲーム』の内容に関するネタバレを含みます。

ビッグ3の物語を閉じる作品

権力者としてのビッグ3

ビッグ3は『アベンジャーズ/エンドゲーム』で、その役目を終えなければならなかった。多様性を重んじる時代において、権力を持ったマッチョな白人男性という同じ属性のキャラクター達が物語の中心に立ち続けていては、物語の正当性を保ち続けることは難しい。

ビッグ3がMCUを作り上げてきたということは揺るぎない事実だが、『ブラックパンサー』や『キャプテン・マーベル』に代表される新時代のアベンジャーズの在り方とは異なる。同じ白人男性であっても、王であり英雄であり社長でもあるビッグ3と、まだ高校生のスパイダーマンことピーター・パーカーや、はぐれ者のスターロードことピーター・クイルらとでは立場が大きく異なる。とりわけ、ソーは神であり王だったのだ。

ソーというキャラクターの特殊性

資本主義の価値観に根ざした経営者のアイアンマン、近代国家の価値観に根ざした英雄のキャプテン・アメリカに対して、ソーは宗教・神話に根ざした神であり王族という立場だ。設定としてはファンタジー色が強く、その意味ではビッグ3の他の二人よりも現実離れした“力”を手にしている。ゆえにソーは、“高貴”で“勇敢”な“王族”の“神様”という、一人のキャラクターに負わせるには少々荷が重い設定を背負い続けてきた。

全てを失ったソー

『マイティ・ソー バトルロイヤル』(2017) から『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』(2018) にかけて王として、神として、家族を失い、民を失い、誇りを失ってきたソーは、『アベンジャーズ/エンドゲーム』では自暴自棄になった姿を見せた。かつての勇敢な戦士としての面影はなく、酒に溺れ、人と目を合わせることも困難になっている。

仲間に連れ出され、「自分が何者なのか」を理解している者がヒーローだ、という母の言葉に救われながら、少しずつ、再び戦う姿勢を手に入れていく。マイティ・ソーとして架空の“あるべき姿”を演じ続けた結果、全てを失ったソーが拠り所にできるのは、友人達と、まだ見ぬ自分自身の在り方に他ならなかった。

ソーが捨てたもの

“元の姿に戻る”という定石

『アベンジャーズ/エンドゲーム』におけるソーの描き方の特徴は、身体的な変化が伴っている点だ。年老いマッチョな身体を失うキャプテン・アメリカと同じく容姿が変容し、これまでのビッグ3としてのステレオタイプなマッチョな“格好良さ”からは逸脱する。

引きこもり生活でかつての肉体を失ったとしても、これまでのスーパーヒーロー映画であれば、何らかの特訓や魔法でムキムキの肉体に戻るのが定石だ。だが、『エンドゲーム』のソーには、身体的な復活劇は存在しない。そして、精神面を見ても、それは復活劇や成長というよりも“変化”であり、これまで無理に背負ってきたものを“捨てる”ということでもあった。

王からリーダーへ

『アベンジャーズ/エンドゲーム』の最後にソーが捨てるのは、“王”という地位と権威だ。白人男性が世襲制で守り続けてきたその地位が、黒人でバイセクシャルのヴァルキリーの手に委ねられる。ヴァルキリーもまたかつてはアルコールに溺れていたが、今ではニューアズガルドを指揮するリーダーとなっていた。権威に依拠した王ではなく、実務を担うリーダーへ——。『アベンジャーズ/エンドゲーム』では人の目を見ることができず、終始精神状態が不安定だったソーだが、王位を譲る時の彼は落ち着きを取り戻し、ヴァルキリーの目を見て対峙していた。

ソーの物語の閉じ方

ソーは王位を譲り、ただ自分らしくあることを選ぶ。“はぐれ者”の拠り所であったガーディアンズ・オブ・ギャラクシーと共に、宇宙へと、まだ見ぬ世界へと旅に出るのだ。「自分らしく」——母からの言葉を受け、英雄キャプテン・アメリカと同じく、“神様”であるソーも自分の生きたい人生を選んだ。“勇敢な戦士”でなくても“ムキムキ”でなくても“王族の神様”でなくてもよい、自分らしくあればそれでいい——それが、『アベンジャーズ/エンドゲーム』で描かれたマイティ・ソーの物語の閉じ方だった。

このように、『アベンジャーズ/エンドゲーム』は、ビッグ3がそれぞれの役割を終え、物語を閉じていく様子を描いた作品だった。最終回のPart3では、MCUにおける“最初のヒーロー”であるアイアンマンが果たした役割を考察する。

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齋藤 隼飛

社会保障/労働経済学を学んだ後、アメリカはカリフォルニア州で4年間、教育業に従事。アメリカではマネジメントを学ぶ。名前の由来は仮面ライダー2号。編著書に『プラットフォーム新時代 ブロックチェーンか、協同組合か』(社会評論社)。
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