『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は“完璧”だったのか——人種の偏りとジェンダー観について | VG+ (バゴプラ)

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は“完璧”だったのか——人種の偏りとジェンダー観について

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『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は“完璧”だったのか

1985年に第1作目が公開され、名作SF映画として語り継がれる「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズ。ロバート・ゼメキス監督と共同脚本を手がけたボブ・ゲイルが作り上げた三部作は、時に“完璧”とも称される高い評価を得ており、『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』(1990)の公開から30年が経過した今も続編やリメイクを待ち望む声と、「これ以上を手を加えて欲しくない」と関連作品の製作を否定する両方の声が共存している。

今回は、あえて『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の“欠点”に焦点を当てたい。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と言う作品を褒め称えることはいくらでも出来るし、実際にバゴプラでは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を称賛する内容の記事を公開してきた。

だが、批判しなければならない点も存在する。今の価値観で過去の作品を批判することはナンセンスだと思う方もいるかもしれない。けれど、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』という作品が大きな影響力を持ち、今後も語り継がれていくであろう作品だからこそ、無視してはいけないこともある。

人種の偏り

まず、1985年のハリウッドで製作された『バック・トゥ・ザ・フューチャー』では、メインキャラクターは全て白人に設定されている。後に市長となるゴールディー・ウィルソンや、マーヴィン・ベリー率いるバンド、それに劇中に使用された音楽は、黒人社会への“理解”も垣間見える。それでも、物語において中心的な役割を果たすのは白人の登場人物たちだ。

もちろん『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が作られたのは、デンゼル・ワシントンら黒人俳優たちが主演を務めるのが当たり前になる前の時代だ。だがやはり、白人ばかりが中心的な役割を担う物語に違和感を持つことを忘れるべきではない。

なお、製作陣も白人が多くなっているが、ロバート・ゼメキス監督自身は母がイタリア系、父がリトアニア系だ。

固定的なジェンダー観

次にセリフやストーリーを通して違和感を抱く人も多いであろう性別役割についてだ。白人のキャラクターが物語の中心になる上、“成長”を経験し、物事を成し遂げるのは男性の役割だ。女性のキャラクターは誘導され、暴力にさらされ、救われる役割に設定されている。歴史を本来の方向に導けるのは、マーティがジョージの成長を導いたからであり、万事が解決した1985年にはマクフライ家は“太い家”になり、マーティは経済力のある勇敢な白人男性として恋人のジェニファーと愛を深める。

マーティはSFオタクのジョージに対して、女性を“守る”ために戦うという“男らしさ”を教えていく。マーティ自身が抱える“男らしさ” (癇癪) との向き合い方については『PART3』まで続くシリーズのテーマの一つとなっているが、それもまた男性目線の成長物語として回収されていることも見逃してはいけない。ジェンダーの観点で見れば、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズは理想的なリベラル白人男性への成長劇を描いたに過ぎず、男性と女性以外の性も考慮されていない。

時代によって価値観は移りゆくとは言うが、当時においても、いないことにされた人々は存在していた。SF作家のキャサリン・M・ヴァレンテは、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の2年前に公開された『スター・ウォーズ/ジェダイの帰還』(1983) に、感情移入できるキャラクターをなかなか見つけ出せなかったという。登場人物は強い男性キャラクターがほとんどで、女性キャラクターのレイアは奴隷にされてしまう。そこでキャサリン・M・ヴァレンテは、赤いマスクのロイヤルガードを女性だと思い込むことで、自分の姿を重ね合わせていたという

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に限らず、“クラシック”と呼ばれる過去の作品を無邪気に楽しむことができるとすれば、それは自分の持つマジョリティ性のおかげなのかもしれない。

なすべき批評/果たすべき責務

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』という作品が世間に与えた/これから与える影響は大きい。ロバート・ゼメキスとボブ・ゲイルが続編やリメイクの製作を否定している以上、同作は“完成”した作品であり続け、次の世代の人々にも『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は観られ続けることだろう。「これでいい」と思える部分と、「これではダメなんだ」という部分を明確に示しておくことは、今の世代が次の世代のためにも果たしておくべき責務だと言える。

ディズニーが1998年に発表したアニメーション映画『ムーラン』は、女性の活躍を描きながらも“国を救える女性は称えてもよい”というマチズモを抱えた作品だった。今改めて子どもたちに見せるには厳しいものがあり、『ムーラン』は2020年にその設定を大幅に変更して実写化される。

本稿は、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を「作り直すべき」と主張するものではない。「判」と「価」の両方を提示するのが「批評」の役目だ。「当時はこれが受け入れられた」と言う人もいるかもしれない。でも、今『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を批評するのは今の時代の私たちに他ならない。何を称え、どんな価値観を残してはいけないと考えるか、そのスタンスを表明し続けることで、次の社会が形成されていく。

未来は自分で切り開くもの——それは「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が教えてくれたメッセージでもある。

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」三部作は30周年記念トリロジーBlu–rayボックスが発売中。

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齋藤 隼飛

社会保障/労働経済学を学んだ後、アメリカはカリフォルニア州で4年間、教育業に従事。アメリカではマネジメントを学ぶ。名前の由来は仮面ライダー2号。編著書に『プラットフォーム新時代 ブロックチェーンか、協同組合か』(社会評論社)。
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