『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を救ったスピルバーグの一言とは 名作SF映画の誕生秘話に迫る | VG+ (バゴプラ)

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を救ったスピルバーグの一言とは 名作SF映画の誕生秘話に迫る

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初出:2020年6月10日

スティーヴン・スピルバーグが救った『バック・トゥ・ザ・フューチャー』

誰もが認めるSF映画界の金字塔『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)。1989年に公開された『PART2』、1990年に公開された『PART3』を合わせた三部作は、非常に高い評価を受けている。指揮をとったロバート・ゼメキス監督は、その出来の良さから続編やリメイクの可能性を徹底的に否定。ロバート・ゼメキス監督と共同脚本を手がけたボブ・ゲイルの目が黒いうちは「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズの関連作品は登場しそうにない。

時に“完璧”とも謳われる「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズ。その成功の影にあったのは、巨匠スティーヴン・スピルバーグの存在だ。スティーヴン・スピルバーグは現ルーカス・フィルム社長のキャスリーン・ケネディとその夫フランク・マーシャルとともに「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズの製作総指揮を務めたことで知られている。だがそれだけではない。スティーヴン・スピルバーグは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』第1作目の誕生にも深く関わっていた。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』誕生秘話

断られ続けた企画案

書籍『Back to the Future: The Official Book to the Complete Movie Trilogy』(1990) によると、元々『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のアイデアを持っていたのはボブ・ゲイルだった。ロバート・ゼメキスに同作のコンセプトを伝え、二人でコロンビア・ピクチャーズに企画を持ち込んだのは1980年9月のこと。当時、ロバート・ゼメキスは28歳、ボブ・ゲイルは29歳だった。ここからわずか5年後には映画史に残る大ヒット作品を世に送り出すことになる。

二人はいくつかの設定を変更し、脚本に磨きをかけていく。当初の設定ではタイムマシーンは冷蔵庫で、映画を真似した子ども達が冷蔵庫に閉じ込められてしまうという事故を防ぐため、ロバート・ゼメキスが設定を変更したという話はファンの間では広く知られている。

コロンビア・ピクチャーズは作品自体は大変気に入っていたが、商業的な面から見て性的な要素が少なすぎると考えていた。そこでコロンビアは映画製作の権利を保有したまま、二人にこの作品をディズニーに持っていくように提案する。二人はその他の映画会社にも持ち込みを行なったが、“刺激が弱い”という理由で『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の企画を断った。1980年当時のティーネイジャー向けコメディは、過激な内容が売りだったからだ。

二人は“ファミリー向け”として満を持してディズニーに『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の企画を持ち込む。だが、ディズニーからの返答は、母親が息子に恋に落ちる映画はディズニーにふさわしくない、というものだった。ファミリー向けのディズニーとしては過激すぎたのだ。

ここまで見てきてわかるように、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の製作が難航した理由は、タイムスリップをはじめとするSF的なアイデア等ではなく、あくまで各映画会社のビジネス上の理由だった。ロマンスと恋愛要素ありきのハリウッドで「性表現が弱い」「過激すぎる」という映画の本筋ではないところで『バック・トゥ・ザ・フューチャー』はその“就職先”を見つけ損ねていた。

一方で、ロバート・ゼメキスとボブ・ゲイルも大したものである。設定を変えるという妥協を選ばず、二人のアイデアのまま映画化してくれるスタジオを探し続けたのだ。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズの続編は絶対に作らせないと言ってはばからない、現在の二人の芯の強さが垣間見える。

スティーヴン・スピルバーグとの協働の前に…

ディズニーとの交渉もうまくいかず、ロバート・ゼメキスとボブ・ゲイルの二人は遂に運命の人物に『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を持ち込む。名匠スティーヴン・スピルバーグだ。脚本を読んだスティーブン・スピルバーグはすぐにこれを気に入るが、ここでブレーキを踏んだのはロバート・ゼメキスとボブ・ゲイルの二人の方だった。

まだ名前が売れていない二人が当時既に人気監督であったスティーブン・スピルバーグの下で映画を作ってしまうと、その後もスティーブン・スピルバーグのコバンザメという印象がついて回るのではないかと考えたのだ。難しい業界である。

そこでロバート・ゼメキスは『ロマンシング・ストーン 秘宝の谷』(1984)を製作、ロマンチックコメディに仕上げ、商業的にも成功を収める。ボブ・ゲイルは、2014年8月の英The Guardianでのインタビューに以下のように話している。

ロバートが『ロマンシング・ストーン』を監督して大きなヒットを飛ばしたことが潮目でした。彼は実力を証明したんです。

なお、『ロマンシング・ストーン』で初めてアラン・シルヴェストリがゼメキス作品の音楽を手がけ、以降、アラン・シルヴェストリは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を含む全ゼメキス作品の音楽を手がけている。

ユニバーサル × スピルバーグ

十分な実績を提げて、ロバート・ゼメキスはもう一度スティーヴン・スピルバーグとの交渉に挑んだ。スピルバーグは製作総指揮として映画をプロデュースすることを快諾。1981年にスピルバーグがキャスリーン・ケネディ、フランク・マーシャルと共に設立した映画制作会社アンブリン・エンターテインメントでの製作が決定した。

映画化の権利はコロンビアが保有していたが、コロンビアは映画『ビッグ・トラブル』(1986) を製作するために、その設定が酷似していた映画『深夜の告白』(1944) の権利と引き換えに、ユニバーサル・ピクチャーズへ『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の権利を譲渡してしまう。これにより、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は後にユニバーサル・スタジオでも大黒柱のコンテンツとして活躍するようになる。

こうして、スティーヴン・スピルバーグ製作総指揮、アンブリン製作、ユニバーサル配給という今振り返れば盤石の布陣で『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の製作は始まった。だが、ロバート・ゼメキスとボブ・ゲイルが、そして『バック・トゥ・ザ・フューチャー』という作品が真の意味でスピルバーグに助けられたのは、この後だった。

衝撃の改題要求

当時ユニバーサルの社長を務めていたシドニー・シャンバーグは、スティーヴン・スピルバーグと共に『ジョーズ』(1975)や『E.T.』(1982)を作り上げ、後に『ジュラシック・パーク』(1993)の製作もサポートした人物だ。スティーヴン・スピルバーグとは盟友関係にある。

そのシドニー・シャンバーグが、ロバート・ゼメキスとボブ・ゲイルが作り上げたプロットに対し、次々と変更を要求し始めたのだ。その変更の中には、“プロフェッサー・ブラウン”という呼び名を“ドク”に変える、ドクの助手をチンパンジーから犬のアインシュタインに変えるなど、確かにシャンバーグの慧眼が光る提案は存在した。

だが、ロバート・ゼメキスとボブ・ゲイルの二人がどうしても従えない要求があった。それは、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』というタイトルを『A Space Man from the Planet Pluto (冥王星からの宇宙飛行士)』に改題するという要求だった。これは、劇中でマーティが宇宙ゾンビに間違えられるシーンに由来する。経営者として商業的な成功を求めたシドニー・シャンバーグは、観客をタイトルでミスリードすることで興行成績を伸ばそうとしたのだ。

ジャンル映画はNG

当時シドニー・シャンバーグが送ったメモには、「(『バック・トゥ・ザ・フューチャー』というタイトルでは) 安っぽくて古臭いSF映画だと言う観客が現れるだろう。ナンセンスだ!」「(『冥王星からの宇宙飛行士』を採用すれば、) 最も重要なことに、タイムトラベルものの“ジャンル映画”という雰囲気を避けることができる」と記されている。シドニー・シャンバーグは、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が“ジャンル映画”だと思われてしまう可能性を繰り返し指摘している。

当時のハリウッドは、商業主義でがんじがらめになっていた。ジブリの『風の谷のナウシカ』(1984)が『Warriors of the Wind (風の戦士たち)』というタイトルに改題され、そのポスターでは肝心のナウシカが端役として扱われていたことはよく知られている。『風の谷のナウシカ』がアメリカで配給されたのは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と同じ1985年のことだった。

スティーヴン・スピルバーグの一言

そして、シドニー・シャンバーグからの『バック・トゥ・ザ・フューチャー』改題のピンチを救ったのが、ほかでもないスティーヴン・スピルバーグだった。スピルバーグは、改題の要求に衝撃を受けたロバート・ゼメキスとボブ・ゲイルに助けを求められる。

ボブ・ゲイルは、英ShortListのインタビューで以下のように話している。

どうすればいいのか分からなくなって、スティーブンにメモを持っていったんです。すると、「心配はいらない。彼の扱い方は分かっている」と言われました。

前述の通り、シャンバーグとは盟友関係にあったスピルバーグ。シャンバーグに向けて一枚のメモを送ったという。

ハイ、シド。ユーモアに溢れるメモをありがとう。皆で大笑いしました。引き続き、よろしくお願いします。

スピルバーグはシャンバーグの行き過ぎた要求をジョークとして片付けてしまったのだ。その後、シャンバーグはすぐにタイトル変更の要求をやめる。さすがは『ジョーズ』と『E.T.』を共に大ヒットさせた関係だ。これによって『バック・トゥ・ザ・フューチャー』というタイトルは守られ、皆が知る大ヒットSF映画として公開されることになったのだ。

このように映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は、ハリウッドの様々な“大人の事情”に苛まれながら、業界の中でクリエイターとしてのし上がったスティーヴン・スピルバーグに救われた。だが、スピルバーグが手を差し伸べることができたのも、原作者の二人が妥協しなかったからこそ。つくりたいものをつくる——クリエイターとして情熱を持つことの大切さを教えてくれるエピソードである。

第1作目の成功を受けて、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズは三部作として続編の製作が決定、『PART3』公開後もさらなる続編やリメイクが待望される。ロバート・ゼメキスとボブ・ゲイルはその要求を拒み続けるのだが、それはまた別のお話。その詳細はこちらの記事から。

Source
『Back to the Future: The Official Book to the Complete Movie Trilogy』(1990)  / The Guardian / ShortList

齋藤 隼飛

社会保障/労働経済学を学んだ後、アメリカはカリフォルニア州で4年間、教育業に従事。アメリカではマネジメントを学ぶ。名前の由来は仮面ライダー2号。編著書に『プラットフォーム新時代 ブロックチェーンか、協同組合か』(社会評論社)。
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