【ネタバレ】レビュー『ブラック・ウィドウ』 性差別からの“解放”とジャンルへの“抵抗” | VG+ (バゴプラ)

【ネタバレ】レビュー『ブラック・ウィドウ』 性差別からの“解放”とジャンルへの“抵抗”

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レビュー:映画『ブラック・ウィドウ』

映画『ブラック・ウィドウ』が2021年7月8日(木) より映画館で公開され、翌9日(金) よりDisney+ プレミアアクセスでの配信が始まった。MCUの第24作目にしてフェーズ4においては映画作品第1弾、『スパイダーマン: ファー・フロム・ホーム』(2019) 以来、約2年ぶりのMCU映画となる重要な作品だ。加えて『アイアンマン2』(2010) で初登場のブラック・ウィドウことナターシャ・ロマノフが登場してから11年目にして誕生した単独作品で、ケイト・ショートランド監督によるMCU初の女性単独監督作品でもある。

今回は、映画『ブラック・ウィドウ』が掲げたテーマと、ストーリー以外の要素についても触れるレビューをお届けする。以下の内容はネタバレを含むため、必ず映画『ブラック・ウィドウ』を鑑賞してから読んでいただきたい。

ネタバレ注意
以下の内容は、映画『ブラック・ウィドウ』の内容に関するネタバレを含みます。

『ブラック・ウィドウ』解放の物語

映画『ブラック・ウィドウ』のメインテーマは“解放”と捉えていいだろう。ナターシャはS.H.I.E.L.D.の入隊試験でレッド・ルームの支配者であるドレイコフを、その娘のアントニアもろとも爆破することでアメリカ行きのチケットを得た。エレーナが妬むように、その後のナターシャは“アベンジャーズのブラック・ウィドウ”としてスターになっていく。

しかし実際にはドレイコフは死んでおらず、ドレイコフの娘を巻き込んだことへの罪の意識と、レッドルームに多くの少女達を残して自由を手にしたことに対して、ナターシャは心を痛める。洗脳を解かれたばかりのエレーナ、ナターシャとエレーナに対して罪の意識を抱えるアレクセイとメリーナと共に、ナターシャは再びドレイコフを沈めるために戦いに挑む。

レッドルームでは、男性が支配し、女性同士に戦わせるという現実社会でも頻繁に見られるグロテスクな構図が再現されている。これを解消するのは脱洗脳の解毒剤だが、これはレッド・ルームから抜け出すことができた女性達が命をかけてバトンを繋いできたものだ。現実においてはフェミニズムやジェンダー平等のムーブメントがこれに当たる。

『ブラック・ウィドウ』では、レッドルームの女性達がドレイコフに従ってしまう理由を心理的なものではなく物理的な要因に置いている。これは、支配されている女性達に自己責任論を向けさせないための優れた設定だと言える。本作ではSF的な設定で表現されているが、現実においても暴力的な支配を受けてきた人々が抑圧者の側に立つことはままあり、その時に責められるべきは被害者ではない。『ブラック・ウィドウ』は、この作品を観た人々がSF的な設定をどのように現実に当てはめて捉えるかということに対して、丁寧に考え込まれた作品になっているのだ。

ナターシャとエレーナは、レッドルームのブラック・ウィドウ達を解放し、エレーナは世界各国のウィドウ達を助けに行く。贖罪は、同じ痛みを抱える人々や自分が向き合ってこなかった人々を解放することにあると、『ブラック・ウィドウ』は教えてくれている。だから、『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019) では、ナターシャは世界を救うために自ら身を投げ出す。そうすることが正しいかどうかではない。それはナターシャにとってはアントニアに対する罪の意識から自らを解放する手段の一つだっただろうし、それがナターシャの生き方だったのだ。

ジャンルへの抵抗としての『ブラック・ウィドウ』

そうしたSF設定を通して人々に勇気を与えるという役割を果たした『ブラック・ウィドウ』だが、同時にサブジャンルに対する強い抗議を打ち出す作品にもなっている。それは、“スパイ映画”というジャンルに対する抵抗だ。近年のMCU作品は、『アントマン&ワスプ』(2018) の量子力学SFやドラマ『ロキ』におけるタイムスリップSF、監視社会ディストピアなど、SFというジャンルの中で発展したサブジャンルを描き直す手法を取っている。

そのサブジャンルが持つ魅力を活かしながら、時に時代遅れにもなる古典的な描写や設定を塗り替えることで、次の世代の人々に新しいサブジャンルの形を提示している。『ブラック・ウィドウ』においては、それが“スパイSF”または単純に“スパイもの”というサブジャンルだったのだ。

これまでのエンタメの歴史において、“女スパイ”は性的なアピールとセットで描かれてきた。2010年にナターシャが『アイアンマン2』で初登場を果たした時もそうだった。『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』(2014) の初期の脚本では、ブロンドのカツラに真っ白なテニスコスチュームでキャプテン・アメリカを迎えに来るという描写も存在していたと、ナターシャを演じたスカーレット・ヨハンソン自身がFatherlyに語っている。

『アベンジャーズ』(2012) では、日本におけるブラック・ウィドウのキャッチコピーは「あり得ないほど《妖艶》」というものだった。アイアンマンが「あり得ないほど《天才》」、ニック・フューリーが「あり得ないほど《凄腕》」等とされていたことを考えると、このコピー自体が「あり得ない」。さらに『アベンジャーズ』では、ナターシャはハルクの“世話係”を担当する。

男性を誘惑して思い通りに操るファム・ファタールであるか、理性のきかないキャラクター達のケアの役割を担わされる——端的に言えば、ナターシャと女性達は「魅力的な若い女」か「お母さん」であることを求められてきたのだ。物語の主体はあくまで男性であり、それが、『キャプテン・マーベル』(2019) まで20作品もの間、MCUで女性単独主人公の作品が作られなかった理由であり、ブラック・ウィドウが主人公に据えられた作品が作られるまでに10年もの月日を要した理由だ。

念のために書いておくと、MCUは第1作目の『アイアンマン』から約10年もの間、白人男性監督と白人男性主人公のみで作られてきた過去がある。「#OscarSoWhite」や「#MeToo」といったムーブメントでハリウッドが変わり始めるまでは、MCUもまた白人男性以外の存在を都合よく扱う“レッドルーム”だったのだ(もちろん、そこから“変わることができる”ということにMCUの強さがあるのだが)。

そして、“女スパイ”に対する性差別的な扱いを、ナターシャだけが抱える問題としなかったことが『ブラック・ウィドウ』の優れた点だ。劇中でドレイコフによって使い捨てにされる少女達は、スパイ映画で女性達が消費の対象としてのみ扱われることに対するメタとして表現されている。

もちろん、人身売買や虐待により直接的に暴力を受ける少女達もまた、世界中に存在している。そうした暴力に関与していないつもりでも、日常的に、女性が一方的な形で消費されている現状に対して無批判であれば、世界はより悪い方向へ進み続けるだろう。そして、世界のそうした現状に対して見て見ぬふりをしないと決め、行動に移すのがナターシャ・ロマノフという人であり、だから彼女は“ヒーロー”なのだ。

その意味では、ナターシャが女性達を「解放する」という役割を自ら選んだことは、「誘惑」や「ケア」という役割から自分自身や“女スパイ”を解放することにもつながっている。性差別を根元におく抑圧からの解放——それが『ブラック・ウィドウ』が描こうとしたテーマなのだ。

“家族”の物語としての『ブラック・ウィドウ』

加えて、『ブラック・ウィドウ』は一見すると家族の物語のようでもある。映画は、ナターシャ・ロマノフの幼少期の風景から幕を開ける。ロシアにスパイとして所属するナターシャ、エレーナ、メリーナ、アレクセイの4人は疑似家族としてオハイオ州で暮らしていたが、平穏な家族としての生活はこの3年間だけ。4人にとって、その思い出は生涯残るものになった。

『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(2016) では、キャプテン・アメリカことスティーブ・ロジャースが「18歳の時から孤独だった自分にとって、アベンジャーズは家族だった」と語る。血がつながっていなくても、それが政府によって作られたものでも、その構成員が同じ思いならば家族でよいのだという原則は、ナターシャの“ロシアの家”でもアベンジャーズでも変わらない。

だが、MCUは「Family comes first(家族最優先)」のアメリカ的な価値観が強いため、今回の作品でも「家族はいなくてもいい」という結論には至らなかった。血がつながっていなくてもいいという「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」シリーズで語られた内容に加え、家族は複数あってもいい(どちらかを選ばなくてもいい)と、更に“家族”という概念の間口を拡大して、ナターシャはもう一つの家族の元へと飛び立っていく。

物足りなさの正体

一方で、『ブラック・ウィドウ』には少しの物足りなさも感じた。それは、作品のせいではない。本来であれば2020年5月に公開を予定していた本作は、新型コロナウイルス感染症拡大の影響により度重なる公開延期を余儀なくされ、予定よりも1年以上遅れての公開となった。本作の公開が延期となっている間に、MCUフェーズ4は2021年1月にドラマ『ワンダヴィジョン』で幕を開け、3月にはドラマ『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』の、6月にはドラマ『ロキ』の配信が始まった。

MCUのドラマシリーズは、毎週クリフハンガーとなるエンディングが用意されている、いわば6〜9時間かけた映画作品と呼べるものだった。世界中のファンが各エピソードごとに議論を交わし、監督や出演者がインタビューで毎週コメントを発表していく経験は、MCUの楽しみ方をすっかり変えてしまったのだ。

その意味では、『ブラック・ウィドウ』における2時間の旅路は少しコンパクトな物語であるように感じてしまった。キャプテン・アメリカの盾を引き継ぐサム・ウィルソンのアメリカ黒人としての苦悩も、人生を支配され、そこから自由になろうとしたナターシャ・ロマノフの女性としての生涯も、同様に重要で、時間をかけて語られるべきものだと感じたからだ。

今後のMCU映画は、MCUファンの“ドラマ体験”を踏まえたものになっていることは想像に難くない。『ブラック・ウィドウ』はパンデミックによる被害を被った作品の一つになったと考えてよいだろう。

それでも、MCU世界には『ブラック・ウィドウ』でナターシャとエレーナによって解放された数多のブラック・ウィドウたちが存在している。エレーナも含め、彼女たちの多くは自分の意思で自分の人生を歩み出すだろう。その意味では『ブラック・ウィドウ』は“終わり”の作品ではなく、“始まり”に過ぎない。新時代を象徴するMCUフェーズ4の映画第一弾として公開された『ブラック・ウィドウ』は、確実に次の世代へと種を撒いてくれた。

映画『ブラック・ウィドウ』は2021年7月8日(木)より劇場公開中。7月9日(金) からはDisney+ プレミアアクセスでも配信中。

映画『ブラック・ウィドウ』公式サイト

今回論じたテーマにつながる曲も登場する『ブラック・ウィドウ』で流れた音楽は全曲こちらで解説している。

『ブラック・ウィドウ』のポストクレジットシーンについての詳細な解説はこちらの記事で。

ポストクレジットシーンと、その前のラストシーンも含む『ブラック・ウィドウ』における時系列の解説はこちらから。

ポストクレジットシーンでヴァレンティーナが iPad mini を持っていたことから分かる意外な事実についてはこちらで解説している。

タスクマスターがコピーした能力と、今後のMCUに繋がるヒントはこちらの記事で。

齋藤 隼飛

社会保障/労働経済学を学んだ後、アメリカはカリフォルニア州で4年間、教育業に従事。アメリカではマネジメントを学ぶ。名前の由来は仮面ライダー2号。 編著書に『プラットフォーム新時代 ブロックチェーンか、協同組合か』(社会評論社)。 お問い合わせはコチラから
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