なかむらあゆみ「玉田ニュータウンの奇跡」 | VG+ (バゴプラ)

なかむらあゆみ「玉田ニュータウンの奇跡」

カバーデザイン 浅野春美

先行公開日:2022.1.29 一般公開日:2022.3.5

なかむらあゆみ「玉田ニュータウンの奇跡」
3,979字

「ニュータウン熊原」の小高くなった一角に老姉妹は住んでいた。大きなケヤキの木を背にしたオレンジ色の三角屋根を持つ家は、古めかしくも品があって外国風情が漂っていた。

「あらヤモリ。可愛い、小さいの。ほら、ねえさん見て」

「ほんとに、小さいの。赤ちゃんだ」

「ヤモちゃんお出かけ? いってらっしゃい」

朝食後、肌着一枚で水色のサマーベッドに横たわり、庭で日光浴するのが姉妹の日課。姉のフヨはシュミーズ、妹のハルはステテコ姿。時おり声を掛ける住民もいたが、二人はサングラスからちらっと覗いて口角を上げるだけ、あるいはイビキをかいて寝ている、あるいは――これは頻繁に姉妹の様子を盗み見ていた隣人の証言によるが――眠った状態で両手を上げ、角度を少しずつ変えながら全身を波動させているなど、とにかくその時間、彼女たちと言葉を交わせる者はいなかった。仕事の時間以外はよその人と話をしない。それが姉妹のモットーだった。客商売を生業にしている二人はこのひそやかな時間を「補給」または「補充」と呼び、何より大切にしていた。雨が何日も続く時は、補給が十分でないことを理由に店を開けない日もあった。

老姉妹は「ピアンタ」という店を自宅で営んでいた。広い玄関土間を開放した店は風通しよく、気候の良い時はデッキにもテーブルを出した。「ピアンタ」は常連客にとって喫茶店であり、食堂であり、酒場だった。祖母からこの家と店を受け継いで以来、二人は朝10時から夜10時まで店をほぼ毎日開けた。冬と夏以外は――。客たちは「ピアンタ」が春と秋しか営業していないことを心から寂しがった。

「夏は旅行にでも出掛けてるのかい?」尋ねられると姉妹は大笑いした。

「とんでもないこと。私たちが移動するなんてありえない。夏はただここで休んでいるの、暑いから」姉のフヨが言うと、妹のハルも調子を合わす。

「この頃は特に、ほら、異常気象で。私たちみたいな年寄りは、ほら、焦げちゃうし、溶けちゃうから」

客たちは笑った。なるほど、その通りだ。

「じゃあ冬は?」

「冬眠」

「冬眠」二人は口を揃えて言った。

この店がいつも賑わっている理由には、フヨが作った煮込み料理とハルがネルドリップで淹れた珈琲のおいしさのほかに、小気味いい姉妹の会話があった。ハルは話し上手。白いブラウスに緑色のカーディガンを羽織った彼女がカウンターに立つと、皆がユーモアたっぷりの話を聞きたがった。フヨは聞き上手。白いブラウスに朱色のカーディガンを肩に掛けた彼女がカウンターに立つと、グラス片手に客たちは打ち明け話をした。忙しい店にあって、姉妹同時にカウンターに立つ幸運に巡り合えた客は、その会話に耳を傾ける。好き勝手に放たれた言葉が少しずつ調和のとれたリズムになり、賑やかな客の声も加わって、いつしかメロディになっていく――。それが「ピアンタ」で流れる唯一の音楽だった。

何もかもうまくいっていた店の均衡が崩れたのは、蒸し暑い日が続いた6月始め、「ピアンタ」が夏の休暇に入る1週間前のことだった。

「きょう風、ない。いやな暑さ……ね」ハルの言葉にいつもの柔らかさがなく、表情も硬かった。フヨは妹をすぐに休ませ、その日は一人で店を切り盛りした。翌朝、姉妹はいつもより長めに日光浴をし、1時間遅く店を開けた。

「……よぉ、おねたん。しましま……しょ」

ハルの言葉はさらに乱れ、動きは遅く、不快そうに顔を歪ませていた。フヨはカウンターの外に出ようとする妹をひき止めた。「待って、下半身がステテコのままよ。どうしちゃったの?」ハルの口から涎が垂れる。いやな感じがする。フヨは店にいる客に詫びを言い――悪いわね、ハルが暑気にあたっちゃったみたいだから、今日はもうおしまい――出ていってもらった。「姉妹だけじゃ心細いだろ? わしはここに残るから何でも言っとくれ」身内気取りで、店から出ていこうとしない隣人に、フヨは護身用の木づちを振り上げた。「あんたに心配してもらわなくて結構。今すぐ帰って、その小便臭いスラックスでも洗濯してなさい。さもないと毎晩あんたがオムツをつけて寝てること、近所に触れ回るよ!」

誰もいなくなった店内でフヨは乱れた銀髪を頭の上でおだんごにまとめ、マドラーを髪に挿した。カウンターの中でうずくまった妹の背に手を当てる。「おハル、ちょっと待っててね」夏季休暇の看板を外に出し、ドアと窓を閉め、鍵を掛けた後、ハルを後ろから抱きかかえるように引きずりだし、ひんやりした土間に寝かした。フヨは肩で息をしながら腕まくりをし、急いでハルのブラウスを脱がした。「寒いね、ごめんね」骨と脈が浮き出た78歳の体。黒く変色し、半透明になっている左腕を押すとブニブニしていた。思っていたより進行は速いようだった。

「おハル、ねえ、消えないで。一人にしないで」

フヨが妹のステテコを下ろそうと引っ張ると、一緒に膝下が抜けて尻もちをついた。「任務だ」耳元でだれかの声がした。「早くしないと間に合わないよ」こりゃ大変。フヨは抜けた妹の足を土間の端に運び、カウンターの中から包丁と木づちを持ってきた。ハルの息がまだあることを確認してから、包丁の刃を妹の指の第一関節に慎重にあて――さてと、いくわよ!――木づちを力の限り振り下ろした。喉が張り裂けんばかりのハルの声が上がる。フヨは脳内で流れ始めた『ジェームズボンドのテーマ』に合わせ、夢中になって目の前の仕事を遂行した。頬は火照り、息は荒く、時おり全身を大きく震わせた。

右手の指を全て切り落とした時、ハルの残りの体は全て溶けて土間のシミになっていた。フヨは指を拾い、カウンターの上に並べ、床に残っていたハルの髪と銀歯と老眼鏡を青いクッキー缶に仕舞った。こんな別れが突然くるなんて……。崩れるように椅子に座りこんだフヨは肩を落とし、涙を落とした。しばらくして、缶を開けるために皿に移したクッキー――ブルターニュ産のバターの香りとざらめの食感が絶品――のことを思い出し、むさぼり食べた。

その夜、フヨは夢を見た。祖母がいる。ハルが生まれた日の夢だった。

「もうすぐ妹が出てくるわよ。ほら、ここに赤い点がみえるでしょ」「ほんとだ、可愛い。これが赤ちゃん」祖母が声をたてて笑う。「赤ちゃん? とんでもないこと。実生じゃあるまいし……。出てくるのはお婆さん。あなただって2週間前に生まれた小さなお婆さんなんだから、わかるでしょ」

フヨはベッドから飛び起き、急いで店のカウンターに並べた妹の指を確認した。薬指と中指は黒く腐敗し、人差し指は溶けてカウンターのシミになっていた。虫眼鏡を使って残り2本の指を観察すると小指の切り口の断面がほんの少し赤くなっている。フヨは嬉しさのあまり短い悲鳴を上げた。「赤子じゃなくてもいいから」小指にささやいた。

翌日、小指からは足が出ていた。見ると、すねは粉をふき、爪は黄緑色、足裏には大きなイボまであった。ハルの足だ。そっと触れると、ちんまりしているのに、もうざらざらして、自分と同じ匂いがした。「残念そうな顔。つるんとして、頬を寄せたくなる足がよかった?」「おハルの足の方が100倍嬉しいに決まってるでしょ」「私たちは世界に一つだけの花にはなれないんだよ」祖母の笑い声が頭の中で響きわたる。「うるさい」フヨは小指と足を掴んだ。「足を引きちぎるのかい? 妹の体だよ」

フヨは深呼吸をして、小指――その頃にはたるんだお尻が半分突き出ていた――を小皿に載せた。「さぁ、おハル、一緒に日光浴しよう」

「ド根性お婆ちゃん」としてハルが隣接市の玉田ニュータウンで暮らしていることを「ピアンタ」の客たちが知ったのは、姉妹が店から姿を消して、半年近くが経った時だった。ハルはあの日、姉と日光浴をしている時、突然何かに捕まれ空を飛んだ。カンカン照りで真夏のような暑さに、むき出しのお尻は焦げそうだった。小さく離れていく街を見下ろしながら、ぐっすりと眠っていた姉のことを心配した。運ばれた鳥の巣でハルの争奪戦が行われた時、彼女は運よく巣からこぼれ落ち、排水溝に生えていた苔の上に落ちた。ハルはそこで発根し、夏の間に全身を小指から出すことができた。散歩中の犬に発見された時には体長20㎝ほどに成長していた。風雨にさらされても踏みつけられても、耐え抜いてきたハルの姿はSNSで拡散され、多くの人を勇気づけた。苔を体に貼りつけたハルの姿を見た人たちからは、小さなセーターや着物、水着やウェディングドレスが送られた。ハルはドレスの下着としてセットされていたドロワーズ――白いかぼちゃパンツ(裾が絞られたステテコ)――と白いブラウスを迷わず選んだ。頭頂部から咲いた黄色い花の存在がますますハルを映えさせ、彼女をかたどったクッキーまでが売りだされた。かつての客たちが会いにいった時は、幼稚園児たちが小さなログハウスをハルにプレゼントし、合唱しているところだった。常連客の一人が訊いた。「フヨさんはどこにいるんだい?」彼女は悲しげに首を振る。「とにかく一緒に帰らないか、ニュータウン熊原の『ピアンタ』に」やはりハルは首を振った。「ありがとう。私たちは一度根を張ったら、そこで生きなければならないの」

客たちはこれまでの楽しかった時間のお礼を言い、サマーベッドを届けることを約束した。

水色のサマーベッドに横たわり、ハルは毎朝欠かさず日光浴をした。隣にはフヨのサマーベッド。彼女はたびたびそこに染みこんだシミを眺め、姉との思い出に浸った。

「あらヤモリ。可愛い、小さいの。ほら、ねえさん見てよ」

「ほんとに、小さいの。赤ちゃんだ」

ハルが体内で細胞分裂し、数日かけて脱皮した後、再び姉妹で会話のメロディを奏で始める瞬間――玉田ニュータウンの奇跡――に住民たちが立ち会うのは、それから2年後のことだ。

 

 

 

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なかむらあゆみ

徳島県在住。徳島文学協会会員。2020年に短編小説『檻』が第3回阿波しらさぎ文学賞にて徳島新聞賞を受賞。翌年の2021年に『空気』が第4回阿波しらさぎ文学賞にて大賞を受賞。「赤いパプリカ」が、オンライン雑誌Déraciné Magazineに掲載されたことを皮切りに、第二回ブンゲイファイトクラブの本戦出場作品「ミッション」がThe Ekphrastic Reviewに、「檻」がOddville Pressに掲載された。翻訳はいずれもToshiya Kamei。2022年には、阿波しらさぎ文学賞の賞金を使って、徳島の女性の書き手による文芸誌『巣』(あゆみ書房)を刊行。その様子を綴ったエッセイ「地方文学賞の賞金で文芸同人誌をつくる」を文学+WEB版に連載中。

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