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翻訳家・作家の二刀流で活躍のケン・リュウの魅力に迫る
2018年2月に「新☆ハヤカワ・SF・シリーズ」で発売された『折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー』は、大きな注目を集めた。同書は、「紙の動物園」でネビュラ賞、ヒューゴー賞、世界幻想文学大賞の三冠を果たしたケン・リュウ編の短編集だ。ケン・リュウは、中国SF作品の翻訳者としても目覚ましい活躍を見せており、今や中国SFを語るには欠かせない人物となった。
しかし、ケン・リュウの魅力は、もちろん彼自身の作品の中にもある。今回は、早川文庫から2017年に出版された『ケン・リュウ 短篇傑作集2 もののあはれ』(以下、『もののあはれ』)に収録された作品を通して、SF作家としてのケン・リュウの魅力を紐解いてみよう。
以下の内容は、物語の核心に関わる重要なネタバレを含みます。
ケン・リュウは“不死”をどう描いたか
『もののあはれ』は、古沢嘉通 編/訳のケン・リュウ短編集第二弾。2015年に刊行された『紙の動物園』を、『ケン・リュウ 短篇傑作集1 紙の動物園 』(以下、『紙の動物園』)と『もののあはれ』の二冊に分けて刊行したものだ。ケン・リュウの作風は、シンギュラリティを中心的なテーマとして扱いつつも、中国の農村に伝来する魔法や不思議な力といった要素を取り入れた作品も多い。ファンタジー色が強めの『紙の動物園』に対し、『もののあはれ』には、よりSF色の強い短編作品が選ばれた。その中でも、今回はケン・リュウが描いた“進化”にフォーカスしてみよう。
不老不死をテーマにした「円弧」
2012年に『ファンタジイ・アンド・サイエンス・フィクション』誌で発表された「円弧」は、人類が目指す次のステップになるであろう“不老不死”をテーマにしている。短編小説のボリュームの中で、ある女性の生涯を伝記的に描き、医療技術の発展により彼女が人類初となる不老不死の身体を手に入れる過程と、その後を描く。死という誰にでも訪れる平等な事象から、“逃れる”という選択肢を人類が得た時、個々人はどのような決断を下すのか、そして、人が人たる条件をどこに見出すのか、という哲学的なテーマが据えられている。
「死は生命が発明してきたなかでもっとも偉大な発明だ」という、スティーブ・ジョブスの言葉を引用したセリフも登場し、伊藤計劃・円城塔の『屍者の帝国』(2012)における、「進化には“死”が必要であった」という会話を想起させる。現実に、人類が死を乗り越える時が来るとすれば、この作品の中でなされた議論は、私たちに大きなヒントを与えてくれるだろう。
追記 (2021年2月9日) :「円弧」は、芳根京子主演、石川慶監督で『Arc』のタイトルで長編映画化されることが決定した。ケン・リュウにとって初の長編映画化になる。
不老不死の先を描いた「波」
「波」は「円弧」と同じ2012年に『アシモフズ・サイエンス・フィクション』詩に掲載された作品。「円弧」と同じく「不老不死」をテーマにしながら、更に踏み込んだ世界観を提示した。
舞台は宇宙船。300名の乗員を乗せた〈海の泡〉号は、おとめ座61番星を目指し、400年という長い旅路に就いていた。何世代にも渡る計画的な出産と資源配分を前提としていた旅の途中で、地球に残っていた人類から一報が届く――人類は死を克服したと。〈海の泡〉号に住む人々にも、自然な死を選ぶか、不老不死の身体を手に入れるかの選択が生まれる。人間の条件を問う議論はここでも交わされるが、不死を選んだ人々には、物語の続きが待っている。
400年の航海を経て、おとめ座61番星に到着した〈海の泡〉号の人々は、そこで人類が更に進化を遂げた姿を目撃する。人類はもはや肉体を捨ててしまっていたのだ。〈海の泡〉号で生まれた時から不老不死の技術が存在し、幼くして選択を迫られていた世代は、いとも容易く肉体を捨てることを選ぶ。死が平等な義務であった時代を知っている〈海の泡〉号の第一世代の人間は、またしても新たな選択を迫られるのであった。
絶えず押し寄せる進化の「波」
生まれた時から身の回りに高度なAIが存在している世代は、人間の労働が機械に取って代わることに抵抗を感じることは、ほとんどないだろう。一方で、インターネット以前に生まれた世代も、インターネットの波に適応できたからといって、更にブロックチェーン、AIといったインダストリー4.0の波にも適応することは、必ずしも簡単なことではないだろう。
絶えず進化の波が押し寄せる時代において、私たちはその意義を繰り返し問い直す作業に迫られる。「波」では、随所に挿入されるギリシャ神話の比喩を織り交ぜ、“超えていくこと”、“変わり続けること”という壮大なテーマが扱われた。かつて創造された物語から学び、選択していくという作業は、人類にとって不変の営みなのかもしれない。
もう一つの「進化」の物語、生きるための進化を描いた「良い狩りを」
『もののあはれ』の最後に収録された「良い狩りを」は、2012年にウェブマガジン『ストレンジ・ホライズンズ』に掲載された。第47回星雲賞で海外短編部門を受賞している。現代・近未来を舞台にした上記二作品とは打って変わって、1870年代中盤から1890年代後半の香港を舞台としている。妖怪退治を生業とする父のもとで育った少年・梁と、妖狐の少女・艶の成長の物語だ。だが、「良い狩りを」は、“成長の物語”と呼ぶには残酷な“生存の物語”でもある。
魔法なき時代の進化
イギリスからの入植者が香港の近代化を進める中で、妖怪が減り、梁とその父親は生業としていた妖怪退治を廃業せざるを得なくなる。近代化が進むにつれ、艶の妖力も失われ、遂には人間から狐の姿に戻れなくなってしまう。二人は大人になり、梁は香港の近代化の象徴とも言えるピーク・トラム(ケーブルカー)の機関士として、艶はイギリス人入植者の相手をする娼婦として再会する。
更に時が経ち、梁はスチームパンク的な世界におけるエンジニアへと成長し、艶は異常な性癖を持つ入植者の手によって、金属の身体に改造されてしまっていた。梁は艶の願いを聞き入れ、彼女に改造手術を施す。艶は、美しいクロム製の妖狐へと進化を遂げる。
妖怪から人間へ、そして金属の身体を持つ新しい何かへ――。確かにこれは生存の為に遂げた進化の物語にも見えるが、かつて妖怪退治屋であった梁が、近代的な労働者へ、そして現代的な技術者へと“進化”を遂げている点と合わせて考えるとどうだろう。必要に迫られて遂げた変貌の後に、自らの意志で力を手にする第三形態が待ち構えているのだ。
“魔法”や“呪い”のような曖昧な領域が失われてしまった現代においても、SFというツールを用いて、かつてのような想像力を現代に呼び覚ます。ケン・リュウの作風をも表した作品と言えるだろう。
来たる時代に備えて
このように、ケン・リュウは2012年に公開した三作で、それぞれ異なる“進化”の在り方と、人々の受け止め方を描いている。新たな進化に直面した時、そして更なる進化に直面した時、人々はどのような選択肢を選ぶのか。必要に迫られた進化の先に、どのような生き方を選ぶのか。これらの作品は、今後、シンギュラリティの時代を迎え、予想だにしない“進化”に直面するであろう私たち人類に、指針を与えてくれるものになるかもしれない。