映画『マスク』公開から25年
ジム・キャリー主演、SFコメディ映画として異例の大ヒットを記録した『マスク』(1994) の公開から25年が経過した。『マスク』が米国で公開されたのは1994年7月29日。フルCGリメイクが話題になっている『ライオン・キング』の公開一ヶ月後に公開されている。
ジム・キャリーは時の人に
『マスク』は元々、マーベルとDCに次ぐアメコミ界の“第三勢力”であるダークホースコミックスの作品。「バットマン」や「スーパーマン」といった実写化作品に続き、いち早くアメコミ実写化を成功させた。そのヒットを牽引したのは、言うまでもなく主役を演じたジム・キャリーだ。コミックからそのまま出てきたような、まさにコミカルな演技で一躍時の人となった。
時代の先駆けだった『マスク』
ジム・キャリーは翌年、『バットマン フォーエヴァー』(1995) でリドラーことエドワード・ニグマを演じると、『ライアー ライアー』(1997)『トゥルーマン・ショー』(1998)『グリンチ』(2000) など、数多くのSFファンタジーコメディ作品に出演している。『マスク』自体は1994年の年間9位の興行成績を記録しており、SFコメディ作品が商業的にも戦えることを証明した。ダークホース・コミックスの作品としては、『ヘルボーイ』(2004) や『シン・シティ』(2005)、『300』(2007)といったコミック実写映画化作品の先駆けとなった。
小学校教師のあるアイデア
では、そのジム・キャリーがコメディの道に進むことになったきっかけをご存知だろうか。当時『マスク』にVHS版に収録されたコメンタリーで、ジム・キャリー本人が小学生の時の思い出を語っている。
小学生の時、授業中でも構わず喋りまくり、あまりに落ち着きがなかったジム・キャリー。そんな彼に、ある教師がこう言ったのだという。
ジム、静かにしなさい。ただし、一日の授業が終わった後に15分間、好きなことをしていいですよ。
授業中は静かにするという条件で、“終わりの会”でのパフォーマンスを許されたのだ。この提案がジム・キャリーを変えた。ジム少年はその日から毎日、終わりの会の時間が来るまで、一日かけて皆を笑わせる方法を考えるようになった。ジム・キャリーにとっては初めての“帯番組”だ。無軌道に喋り、動き、笑いをとっていた少年時代の彼が、静かに計画を立て、念密に人を笑わせることのクリエイティブさに目覚めた瞬間だ。
当時の教師は、目立つ生徒をただ黙らせるのではなく、その才能を活かす方向で提案を行い、成功させたのだ。この教師の助言がなければ映画『マスク』は生まれず、SFコメディ映画のジャンルは現在のように多様なものにはなっていなかったかもしれない。『マスク』25周年を迎えた今、ジム・キャリーの原点となった一人の教師の存在を脳裏に刻んでおこう。