映画『変な家』の中心人物である栗原文宣とは何者か
2024年3月15日に全国公開された映画『変な家』は、異常な間取りの家を舞台にしたホラーミステリだ。そこでは家を中心として人間の持つ闇を描いている。主人公は間宮祥太郎が演じる雨宮トオルだが、もう1人の中心人物が佐藤二郎演じる栗原文宣だ。栗原は雨宮が雨男として動画クリエイター活動をしている際に、オカルト情報を提供してくれる存在だ。映画『変な家』は雨宮と栗原のバディものとも言える映画でもある。
しかし、栗原はただのオカルト情報の提供者というだけではなく、映画『変な家』の物語全体の鍵を握る重要な人物である。本記事では映画『変な家』に登場する栗原について、その役割と性格について考察と解説をしていこう。なお、本記事は映画『変な家』のネタバレを含むため、本編視聴後に読んでいただけると幸いである。
以下の内容は、映画『変な家』の内容に関するネタバレを含みます。
ミステリーとしての『変な家』
探偵役としての栗原文宣と助手役としての雨宮トオル
映画『変な家』において栗原は探偵役にあたり、雨宮は助手役にあたる。栗原は「あくまでも妄想ですよ」と前置きをしつつ、日本各地の変な家の間取り図から考察を立てていくのが特徴だ。そのようにして片淵綾乃と片淵慶太夫婦が暮らしていた家が「子供を利用した殺人を実行するための家」だと突き止めている。
その他にも、恐ろしい形相で雨宮を襲った女の正体を、松岡喜江だと考察し、喜江の家まで行って証拠を見つけるなどしている。そこで栗原は喜江が仮面を被り、幻覚剤で雨宮を朦朧とさせることで恐ろしい形相をした女だと錯覚させたことまで考察してみせた。
栗原は雨宮のオカルト情報提供者というだけではなく、ミステリー愛好家でもある。その知識は深く、あくまでも栗原は設計士だが、薬瓶を見てその中身を幻覚剤だと見抜くほどだ。そうなると気になってくるのが、栗原は映画『変な家』で起きた左手供養の儀の真相にどこまで近づいていたのかということだ。
左手供養の儀の真相
映画『変な家』の最後の場面では、綾乃の口から左手供養の儀の真相が語られている。綾乃と慶太夫妻は、左手供養の儀のために用意された10年間陽の光を浴びてこなかった男児であるトウヤに殺人を犯させたくなかった。そのために心臓発作で死亡していた宮江の左手首を自分たちで切り落とし、トウヤの犯行に見せかけたのである。
しかし、左手供養の儀は3年連続で行わなければならい。2人目の準備ができない綾乃と慶太夫婦は左手供養の儀を延期させようとしたが、片淵本家に何者から2人目の左手首が届く。2人目の左手首を見た綾乃と慶太夫婦の反応から、片淵本家は綾乃と慶太夫婦を怪しんで夫婦の実子であるヒロトを人質に取り、綾乃と慶太夫婦を薬漬けにして洗脳を試みた。
2人目の左手首を用意したのは誰だったのか。それは映画『変な家』の最後に、喜江と綾乃の会話で明らかになる。綾乃は薬物の洗脳から解放されたと思われていたが実際はまだ左手供養の儀をするつもりであり、3人目も喜江が用意すると語っていた。喜江は2人目の左手首を準備した人物であり、ホームレスの炊き出しをするボランティアという立場を利用して、足のつきにくい被害者を物色していたのだ。
栗原文宣の探偵像
栗原はどこまで考察していたのか
左手供養の儀の真相を栗原は知っていたのだろうか。映画『変な家』での描写を見るに、喜江が左手供養の儀に参加しているという人間の闇に近づいていた可能性が高いと考察できる。栗原は片淵本家に行きたがる柚希に対する喜江の反応を見て、喜江が片淵本家で行われている何かについて知っていると考察していた。そうして、喜江の家に乗り込み、証拠である仮面と幻覚剤を発見し、左手供養の儀の話を聞きだしたのである。
この時点で、栗原は喜江が左手供養の儀について知っていることを理解している。喜江は栗原に左手供養の儀を恐ろしいものと語り、それに関わったことで綾乃と柚希の父親である片淵宗彦は狂わされたとも語った。そうすると一つの疑問が生じてくる。それは片淵家の人間ではない喜江が何故、左手供養の儀で使う仮面と幻覚剤を有していたのかという点だ。
このことから、喜江が雨宮を脅迫した証拠を押さえた時点で、栗原は喜江が左手供養の儀に参加していることを知ったと考察できる。それでは、何故それを明らかにしなかったのだろうか。それは栗原の人間の持つ闇やそれにまつわる歴史とは一線を引き、関わらないようにするという性格が反映されていると考察できる。
雨宮は動画クリエイターとしての好奇心と柚希への同情から、左手供養の儀を調べることに乗り気であった。また、柚希も姉の綾乃の失踪の真実を探るために左手供養の儀を調べようとしていた。しかし、栗原はそれらの行為は人間の持つ闇に触れることだとして、左手供養の儀を調べることを止めた方が良いと忠告していた。
探偵としての栗原
栗原は映画『変な家』の冒頭から家には暮していた人間の歴史があり、そこにある人間の闇について立ち入るべきではないと忠告している。栗原は探偵役であるが、探偵ではないのだ。あくまでも設計士であり、犯罪を明らかにすることに対してあまり興味はないと考察できる。栗原の人物像はどことなく横溝正史「金田一耕助」シリーズを想起させる。
長い付き合いである雨宮も栗原について「何を考えているかわからない人」と評しており、推理を披露することもあるが、手の内を完全に曝さないことも多い。喜江の自宅を訪ねる際も、雨宮と柚希が片淵本家に向かうといって別れた後、独断で強引に押し入っている。
また、喜江の自宅で左手供養の儀について情報を知り、そのことを雨宮と柚希に知らせるのが遅れたため、柚希は薬で眠らされてしまい、左手供養の儀の生贄になる一歩寸前になった。このように捜査で手の内を見せず、被害者を増やしてしまうというのは金田一耕助でも見られるものだ。おそらく、栗原の人物像のモデルにはそれに類するようなキャラクターが存在しているのかもしれない。
設計士ならではの着眼点
栗原は探偵役として映画『変な家』の物語を動かすが、その着眼点は独特だ。栗原は人間関係などから考察を立てるのではなく、設計士として家の構造上の問題点などを中心に考察していくのが特徴だ。さいたま市の変な家でも、間取り図で空白になっているところから、そこが家を建てるために必要な杭打ちが出来ない場所だと考え、死体の隠し場所である地下室があるのではないかと考察している。
これはパンフレットで栗原を演じた佐藤二郎も言及している。雨宮が左手供養の儀で殺されそうになったとき、栗原は雨宮に対してタカマウシオの仏壇の脚を壊すように言っている。これはタカマウシオの仏壇の構造を理解している設計士ならではの着眼点である。
このように映画『変な家』では栗原が探偵役として物語を動かしている。設計士探偵とも言える栗原だが、その反面、人間の闇に対しては一歩引いた態度を取っている。そのような栗原の設計士としての着眼点と人間が闇を背負った業の深い存在と考えている設定は、非常に興味深いと言える。
映画『変な家』の原作小説は続編である『変な家2』が発刊されており、異常な間取りの家も更に増えている。映画の興行成績も順調なため、映画『変な家』も続編が制作される可能性が高いだろう。そこで栗原がどのような捜査や考察を立てるのか。映画『変な家』の今後の動向に注目していこう。
映画『変な家』は2024年3月15日より全国公開。
『変な家』の原作小説は発売中。
映画『変な家』のラスト解説と考察はこちらから。
映画『変な家』のトリックと謎についての考察はこちらから。