『ボーはおそれている』日本上陸
『ヘレディタリー/継承』(2018) や『ミッドサマー』(2019) で知られるアリ・アスター監督最新作の『ボーはおそれている』が2024年2月16日(金) より、日本の劇場で公開された。『ボーはおそれている』では、主人公のボーを『ジョーカー』(2019)、『ナポレオン』(2023) などで知られる名優ホアキン・フェニックスが演じる。『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(2022) で2023年のアカデミー賞を席巻したA24スタジオによる制作という万全の布陣による映画だ。
179分(2時間59分)という長大な尺も『ボーはおそれている』の特徴の一つ。ボーの悪夢のような長い旅の先に待っていたものとは……。今回は、『ボーはおそれている』のラストの展開について、ネタバレありで解説&考察していこう。以下の内容は重大なネタバレを含むため、必ず本編を劇場で鑑賞してから読んでいただきたい。
以下の内容は、映画『ボーはおそれている』の結末に関する重大なネタバレを含みます。
Contents
『ボーはおそれている』ネタバレ解説 ラストはどうなった?
ボーの旅の最後に待っていたのは…
映画『ボーはおそれている』は、観ているこちらも悪夢を見ているかのような気の悪くなる展開の連続で、冒頭からラストに至るまで想定している“最悪”が次々と更新されていく。旅行鞄と家の鍵が盗まれ、母は突然の怪死、家の水道が止まり、部屋を暴漢に占拠され、トラックに轢かれて……と息をつく間もなくボーは不幸にさらされる。
そんな旅の果てに、ボーは母の葬儀が行われていた実家に辿り着き、幼い頃に好きだったエレインと初体験を経験するが、エレインの死に直面する。中盤でボーは父と同じく心雑音があり、絶頂に達すると死ぬと示唆されていたが、実際にはおそらくエレインの方に心臓の病気があったのだろう。ハッピーエンドのムードが一転、エレインの腹上死から事態は急展開を迎える。
『ボーはおそれている』の最後に明かされたのは、死んだと思われていた母のモナは生きており、ボーの旅は全て仕組まれていたということだ。頭のない死体はマーサというお手伝いさんのもので、マーサは大勢の家族を養えるだけの大金を見返りに命を捧げてこの大芝居に貢献したのだった。
中盤の回想シーンでは、ボーは「マーサが好き」と話し、マーサに好意を寄せていることが明かされていた。ボーは葬式会場で頭のない死体を見たときに、マーサの手にあったアザを見つけたことで母が生きていることには気づいていたようだ。
モナの会社であるMWインダストリーズの歴史を辿るシーンでは、最後に従業員の顔写真で構成されたモナのフォトモザイクが登場する。この時、写真で笑顔を見せている従業員には、面倒を見てくれた外科医のロジャーや、ボーの家の周囲にいた人々も含まれている。この写真を見たボーはある程度、自分の旅が仕組まれていたという事実を理解したはずだ。
旅の劇団の演劇を見ていた森のシーンでは、ボーの父の世話をしたという人物が登場した。この人物は両親がボーの母モナに借金があったことから、モナのもとで表に出せない仕事をしていたことを明かしている。なお、この人物はボーの足に取り付けられた発信機を見て、ボーの側から離れていた。これはボーがまだモナの監視下にあると認識したからだろう。
なお、エレインだけは前の週にモナの会社を辞めたと発言しており、モナが仕組んだ芝居の“役者”ではなかったと考えられる。なんだかジム・キャリー主演の映画『トゥルーマン・ショー』(1998) を思わせる設定だ。そして、エレインという部外者を紛れ込ませたボーへ、母モナからの怒涛の攻撃が始まる。
ボーへの非難
モナはボーに全てを捧げてきたのに、ボーが嘘をついて帰省をやめたと言い募る。鍵が盗まれたのはモナの仕業ではなかったようだ。そしてここにカウンセラーのジャーメインが登場。すべてのセッションは録音され、モナに共有されていたことが明かされる。
このシーンで思い出されるのは、ボーが車に轢かれた後に連れてこられたグレース&ロジャー夫妻の家での出来事だ。グレースはこっそりボーにカメラで監視されていることを知らせようとしていた。監視は夫の医者ロジャーによるものと思われたが、夫妻の家での出来事もモナによって仕組まれていたことだったと考察できる。その証拠に、モナ側はボーがロジャーの手術を待って出発する提案を受け入れたことを知っていた。
モナからのボーへの批判で痛烈なのは、ボーがいつも「この問題を避けるためにはどうすればいい?」と周りに聞いていて、みんなに決めさせていると指摘する点だ。これは映画の冒頭で鍵を盗まれて飛行機に間に合わないと悟ったボーが母に「どうすればいい?」と尋ねていたことを踏まえている。
それだけでなく、ボーはいつも自分で判断を下さずに、誰かに選択を委ねてきた。それに対してモナは、「決める能力がないかのように」「自分に罪がないかのように」振る舞っているとボーを非難するのだ。ここまで見てきて分かる通り、モナは優秀な経営者であり、それゆえに“できない人”への理解がないということも考察できる。誰もが強く生きられるわけではない。
屋根裏部屋にいたのは…
ボーは幼少の頃にお仕置きで入れられていた屋根裏部屋へ連れて行かれると、そこで死んだはずの自分の父と出会う。ボーの父はボーが生まれる前に死んだと言われていたが、それもモナの嘘だったのだろう。
ところが、ボーの父は巨大な男根の怪物に変化すると、そこにやってきたボーを追う元軍人のジーヴスにメッタ刺しにされてしまう。そのジーヴスも怪物に頭を刺されて死ぬなど、もう何が現実か分からない。
もし理屈をつけるとするなら、ボーは「おそれている」ものに対して強い幻覚を見るという説が成り立つだろう。父が生きていて母が嘘をついていたことも、ジーヴスに追われることもボーにとっては「おそれている」ことだからだ。
ドクター・コーエンの独壇場
モナは、泣いて赦しを乞うボーを突き放し、いかに自分が耐えてきたか、人生を捧げてボーに愛を注いできたかを語り出す。傷つけないという約束も破られ、全てを捧げた見返りは「憎しみ」だったと吐露する。クライマックスに“母親”が全てを吐き出す展開は、映画『エブエブ』と似ている部分もある。しかし、『ボーはおそれている』はひたすらに“最悪”を更新する。
パニックになったボーはモナの首を絞めて殺してしまい、放心状態のまま再び旅に出る。モナの家を離れるボーを演じているホアキン・フェニックスの姿はまさに“怪演”そのものだ。拾ったボートで洞窟へ入っていったボーは、観衆が見守る巨大アリーナの中心にたどり着く。まだ“ショー”は終わっていなかったのだ。
ボートに乗ったボーが天井を見るシーンは、グレースの家で監視カメラの映像を早送りして見た未来の最後のカットと同じだ。この辺りはSF要素なのだが、ボーの未来はすでに決められており、仕組まれていたということだろう。
そして登場したのは、先ほど死んだはずの母モナと、ドクター・コーエンだ。ドクター・コーエンはボーがグレースの家から電話をかけた弁護士で、モナを弔うために一刻も早く家に辿り着かなければならないとボーに告げた人物だ。
コーエンを演じるのは俳優のリチャード・カインドで、ドラマ『GOTHAM/ゴッサム』(2014-2019) のゴッサム市長役などで知られる。『ボーはおそれている』でもラスト数分間で名演技を披露している。
ボーの罪
弁護士らしい雄弁な語りを披露するドクター・コーエンは、ボーの人生における“罪”を暴いていく。物を乞う人を助けなかったことや、幼い頃に母に行った仕打ちを責められ、ボーの弁護人もいるのだが異様に声が通らない。これもなんだか悪い夢のようだ。
いずれの行いも、犯罪が多い地域であったり、心配する母に怒られると思っていたり、友人たちから脅されていたり、ボーが「おそれている」が故の罪だった。だが、ドクター・コーエンは「良心があるのに無視した」等と言葉巧みにボーを責めていく。
ボーの弁護士は高所から落とされて殺され、いつの間にかボーは大衆に向かって自己弁護をしている。ドクター・コーエンの土俵に乗ってしまっているのだ。本来乗る義理のない公開処刑ショーで、逃げ場を失って弁明せざるを得ないという状況は現実のSNSでも起こることだ。
最後に、ボーはモナに向けるべきはずの愛をエレインに向けたと糾弾される。モナが握っていた手すりが水に落ちたところで結審となったようで、ボーは母や大衆に助けを乞うが誰も助けてはくれない。まるで、マンションの前で助けを乞うた人を見捨てたボーのように、大衆は手を差し伸べてくれない。ボーは諦めの表情を浮かべるとボートは転覆。ラストシーンでは母モナの後悔の声が響き、エンドロールの背景では静かに聴衆たちが帰路につくのだった。
『ボーはおそれている』ネタバレ考察&感想
アメリカでの批判
なんというラスト。とにかく最後まで“最悪”を更新し続ける、ある意味で真っ直ぐな映画だった。やはりホアキン・フェニックスの演技が光る作品で、また、A24スタジオとアリ・アスター監督らしい自由な作品でもあった。
アリ・アスター監督は『ボーはおそれている』で何を表現したかったのだろうか。CLASSYのインタビューでは、アリ・アスター監督は本作で「ボーの心配性や孤独感」を表現したかったと語っている。一方で、「アメリカではボーが消極的すぎると批判を受けました」とも明かしており、日本の観客がボーへの共感を抱くことを期待している。
『ボーはおそれている』は2023年4月に米国で公開されているのだが、製作費約3,500万ドル(約52億円)に対し、日本公開前の世界興収が約1,148万ドル(約17億円)と苦戦を強いられた。アリ・アスター監督の予想に反し、アメリカではボーに対する共感を得られなかったことが苦戦の一因になったと考えられる。
日本公開に際しても、おそらくボーに対する意見は真っ向から分かれることが予想される。実際、筆者は「ボーももう少し自分で判断して動くことができたのでは」と思わないでもなかった。ボーを責める母の方にも共感できる点が多々あったことから、ボーに共感しきれなかったことも事実だ。
ボーとADHD
だが、ボーとアリ・アスター監督を弁護するなら、ボーを取り巻く環境を理解するためのヒントは劇中で示されていたことも指摘しておきたい。モナの会社の歴史を振り返るコーナーでは、「対照研究により、ADHD治療への効果が明らかに」と書かれたポスターが貼ってある。使われている写真は少年時代のボーだ。アレルギー緩和薬の広告にもボーが使われている他、セキュリティやカミソリなど、モナのMW社はボーのために“安全”を売り文句にした製品を作り続けてきたことが分かる。
このシーンではボーがADHD(注意欠陥・多動性障がい)であることが明確に示されている。玄関のドアに鍵を差したまま部屋に戻ってしまうのも注意欠陥と多動の結果だが、母のモナには「そんなわけない」と嘘つき呼ばわりされてしまっている。
ボーはADHDとの併発率が高い不安障がいも持っていると思われ、それがボーが世界を「おそれている」原因にもなっている。自分で物事を判断して決めることを「おそれている」ボーは、選択を人に委ねて生きてきたのだが、物語のラストでは経営者(モナ)や弁護士(ドクター・コーエン)といった高名な職につく人々からはその態度を非難されることになる。
モナがボーの抱えるしんどさに理解がないということは、先ほどのADHDの治療薬の名前からも考察できる。その名は「Doitol(ドイトル)」で、発音は「Do it all(全部やれ)」と同じになる。マルチタスクが苦手とされるADHDの人を“変わらせよう”とする意識が表れている。ありのままを受け入れるのではなく、“治療”しようとする姿勢がモナにはあるのだ。
おそらくボーが抱える辛さは、アメリカでは伝わり切らなかったのだろう。「ボーもしっかりしないと」「変わらなければ」という視線を、ボーは劇中と同じように浴びることになったのだ。
母への共感
一方で、ボーへの共感を削いだ要因は、母モナへの共感のしやすさにもあると考えられる。『ボーはおそれている』では、母をヴィランとして置いたが、『エブエブ』をはじめ、近年では“母”である人物が辛さや苦悩を吐露する作品が増えてきたように思える。
母は聖人などではなく、一人の人間であり、子どもの無邪気さや小さな悪意に耐えられなくなる時もある。実際にモナも下着を盗まれるなど性被害に遭っており、社会の中で抑圧を受ける女性の一人としての側面も持っている。
(『エブエブ』の物語を前提として話してしまい申し訳ないのだが、)『エブエブ』では、個々人が抱えるどうしようもなさをぶつけ合い、それでも母と娘が一緒に生きるという結論を導き出した。一方で、『ボーはおそれている』では、アリ・アスター監督は母と息子の関係を悲劇として描き切った。母が子に優しく接することで世界に安定がもたらされる/そうでない場合は破滅する、という母性原理的な物語が展開されるのだ。
豪Sydney Morning Heraldのインタビューでは、アリ・アスター監督はモナに共感する観客が出てくる可能性も認めている。一方で前述のインタビューでは、アリ・アスター監督は「フロイト的な話を織り交ぜました」と、全ての原因を母に求めるフロイト的コメディを作りたかったと明かしている。『ボーはおそれている』は、コメディと呼ぶにはあまりにも凄惨な旅路だったのかもしれない……。
映画『エブエブ』では、ロールズの「正義論」やマルクス・ガブリエルのニヒリズムに挑む思想を応用しつつ、現代社会を生きるヒントを物語の中で提示した。そうした理論は作中で昇華されており、難解な説明は不要で、私たちの生活に語りかけてくるメッセージとして受け取ることができた。『ボーはおそれている』では、監督がフロイトの名前を出して説明しなければならないということ自体、作品の難解さを示していると言える。
筆者は、ボーへの思いやりを持ち、モナが置かれた状況にも想像力を働かせて、優しい世界を作り出すことができればと思う。『ボーはおそれている』は、簡単にはそうできないという社会の厳しさを示した怪作だ。ボーの姿を見て何を受け取るか、ボーやモナを憎むかどうかは私たち次第だ。現実もやはり悪夢のようだけれど、目を背けることなく旅を続けよう。
映画『ボーはおそれている』は2024年2月16日(金)より劇場公開。
『ボーはおそれている』の劇中にあった8つの伏線の考察はこちらの記事で。
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A24制作、アカデミー賞7冠を達成した映画『エブエブ』のネタバレ解説はこちらから。