映画『ボーはおそれている』音楽に注目
ホアキン・フェニックス主演の映画『ボーはおそれている』が2024年2月16日(金) より日本の劇場で公開された。米国では2023年4月に公開された作品で、ついに公開された日本でも話題を呼んでいる。『ボーはおそれている』で描かれる2時間59分に及ぶ主人公ボーの旅は、日本の観客にも様々な受け止め方をされているようだ。
今回は、映画『ボーはおそれている』で流れた音楽について解説していきたい。その内容を見れば、難解なストーリーを理解する一助になるかもしれない。なお、以下の内容は本編の重要なネタバレを含むため、必ず劇場で本作を鑑賞してから読むようにしていただきたい。
以下の内容は、映画『ボーはおそれている』の内容に関するネタバレを含みます。
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『ボーはおそれている』で流れた曲は? ネタバレ解説&考察
スウィングル・シンガーズ「Largo」
カウンセリングを終えたボーが家に帰るまでの帰路で流れている曲はスウィングル・シンガーズ「Largo」(1965)。1966年公開のフランス映画『恋するガリア』の主題歌で、歌詞はないものの心地よいスキャットのメロディーが歌われている。
この曲を主題歌に起用した映画『恋するガリア』の内容は、夫の浮気が原因で自殺未遂をした女性と出会った主人公の女性デザイナーがその夫に惹かれていき、逆に夫から妻殺しの相談を持ちかけられるというもの。ラストでは更に衝撃の展開が待っている。
『ボーはおそれている』でこの曲が流れるシーンでは、ボーは母からのボイスメッセージを聞いており、これから起きるサスペンス展開を示唆している。
ヴァネッサ・カールトン「サウザンド・マイルズ」
グレースの家でボーがジグソーパズルのお手伝いをするシーンで流れている曲は、ヴァネッサ・カールトン「サウザンド・マイルズ」(2002)。そのタイトル通り、「あなたに会えるなら、私は1,000マイルでも歩く」「人々とすれ違って、家に帰ろうとしてる」と歌われている。明らかにボーに帰宅を促すための曲だ。
このシーンでは、ボーとグレース、そしてロジャーが夜のリビングで家族の時間を過ごしており、ボーに家族のもとに帰りたいと思わせようとするモナの意図も感じられる。夫役のロジャーが少し離れて新聞を読んでおり、グレースとボーが一緒にパズルをやっている点も、母子関係を意識させたいモナの意図がうかがえる。
なお、ヴァネッサ・カールトン「サウザンド・マイルズ」は、ショート動画をベースにしたSNSの走りであったVineで2015年ごろに流行した曲としても知られる。その後、TikTokなどのSNSでの流行により、2020年には発表から18年の時を経て全米5位に返り咲いたことで三度話題となった。
ヴァネッサ・アモロッシ「Shine」
森に着いたボーは、演劇を見ることになる。この演劇が始まる前に流れている曲はヴァネッサ・アモロッシ「Shine」(2000)。ヴァネッサ・アモロッシはオーストラリア出身のシンガーソングライターで、「Shine」は2000年のシドニー・パラリンピックの開会式でも使用された曲として知られる。
「Shine」の歌詞は、聴いている人を励ます内容になっているが、その冒頭は「あなたは自分にお母さんはいないと言った」から始まり、「あなたも歳をとる」と歌われている。そして、サビに入る前には「目を閉じて、目を開いた時には新しい人生が待ってると願ってみて」と、この後に始まるボーの“妄想の旅”が示唆されている。
サビでは「あなたは自分の人生を生きられる」「あなたが見ている、あなたが知っている人々、すべては輝く」と歌われている。思えば、『ボーはおそれている』でボーが人生を変えられるタイミングがあったとすれば、この森が最後だったのだろう。ここからボーは別の人生の可能性を見せられるが、ジーヴスの乱入によりボーは家に逃げ帰ることになる。
ブレッド「Everything I Own」
葬式後の家に帰ってきたボーが聴いている曲はブレッド「Everything I Own」(1972)。母モナが仕込んでいたと思われるこの曲では、「あなたは私を守ってくれてた」「私に人生を与えてくれた」「あなたが戻ってくるのなら、私の全てを捧げよう」と歌われている。
モナからボーへの言葉と捉えることもできなくはないが、元々この曲は、ロックバンドのブレッドのリーダーであるデヴィッド・ゲイツが亡き父にあてた曲である。子から親にあてた曲の歌詞だと考えれば、まさにモナがボーに「そう思ってほしい」という内容の歌詞が並んでいることが分かる。モナはボーに、母の死を前にして嘆き悲しみ、帰ってくるよう求め、そのためなら自分の全てを捧げると言って欲しかったのだろう。
ニーナ・シモン「Isn’t It a Pity」
ボーがソファーに横になっているシーン、エレインが家を訪れる場面で流れている曲はニーナ・シモン「Isn’t It a Pity」(1972)。ザ・ビートルズのリード・ギター、ジョージ・ハリスンの曲をニーナ・シモンがカバーしたバージョンで、このカバーバージョンはジョージ・ハリスン自身にも影響を与えたと言われている。
「Isn’t It a Pity」の歌詞では「情けなくならない? 恥だとは思わない?」「お互いを傷つけて、痛みを与え合ってる」「愛を手に入れながら、それを返そうとしないなんて」「情けなくならない?」と歌われている。まさに母モナが曲を通してボーに話しかけているようだ。モナはずっとボーを見ており、曲の歌詞を通してずっとボーに語りかけていたと考えると恐ろしくなってくる。
マライア・キャリー「オールウェイズ・ビー・マイ・ベイビー」
そして、映画『ボーはおそれている』のハイライトの一つが、エレインとボーのベッドシーンで流れる、というかエレインが流すマライア・キャリー「オールウェイズ・ビー・マイ・ベイビー」(1995)だ。言わずと知れた大ヒット曲で、エレインは「一瞬だけでも、私たちは一つだった」と歌われる冒頭部分をリピートして楽しんでいる。
そのほかにも「あなたは自由になりたがってる」「あなたを羽ばたかせてみせる」と、ボーを自由にする存在としてのエレインが強調される歌詞となっている。これを見聞きして、先ほどまでボーに歌で語りかけてきたモナが怒り狂ったことは想像に難くない。みんな、ボーに曲で語りかけすぎ。
マライア・キャリーとの意外なやり取り
マライア・キャリーという大物歌手の人気曲をなんとも言えないシーンで起用したアリ・アスター監督。実はこの曲を使用するにあたって、監督直々にマライア・キャリー本人から許可を取っていたという。共同プロデューサーを務めたラース・クヌーセンは、米ニューヨーク・タイムズにその顛末を明かしている。
曰く、アリ・アスター監督はどうしてもこの曲を『ボーはおそれている』の劇中で使用したいと考えていたが、普通に行けばこの曲の使用料がとんでもない額になることは分かりきっていたという。ラース・クヌーセンはこう振り返っている。
アリは(『ボーはおそれている』)の最初の脚本を10年以上前に書いていて、そこにはすでに「オールウェイズ・ビー・マイ・ベイビー」が入っていたんです。正直に話すと、編集段階に入るまで、彼にとってこの曲がどれほど必要不可欠で重要なものなのか分かっていませんでした。非常にお金がかかるし、マライアが許可を出さないだろうとも思っていました。「やってみよう、でも多分厳しいけどね」という感じだったんです。
予算が限られている中で、アリ・アスター監督はどのようにしてマライア・キャリーからの許可を得たのだろうか。その方法とは、ラース・クヌーセン曰く「非常に美しい手紙」をアリ・アスター監督におくるというものだった。マライア・キャリーは最初にこのシーンを見た時にはショックを受けたが、すぐにこのシーンの重要性を理解して曲の使用を快諾したという。
マライア・キャリーは、ニューヨークでの『ボーはおそれている』のプレミア上映会でアリ・アスター監督と共に登場し、レッドカーペットを歩いたことで話題を呼んだ。マライア・キャリーは観客の反応を楽しんでおり、アリ・アスター監督の才能を広く知られることを喜んでいるという。
観れば観るほど綿密な構造と仕掛けが見えてくる映画『ボーはおそれている』。アリ・アスター監督のこだわりは曲の中にも宿っていたことが分かる。流れている音楽の意味を意識しながら観なおすと、更なる発見があるかも?
映画『ボーはおそれている』は2024年2月16日(金)より劇場で公開。
Source
New York Times
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