「小松左京展」に幻の『新日本沈没』『日本沈没 1999』資料展示 関係者による新たな証言も | VG+ (バゴプラ)

「小松左京展」に幻の『新日本沈没』『日本沈没 1999』資料展示 関係者による新たな証言も

提供:小松左京ライブラリ

『新日本沈没』『日本沈没 1999』資料が「小松左京展」に

世田谷文学館で開催中 (2019年10月12日〜12月22日) の「小松左京展―D計画―」にて、幻の劇場映画企画『新日本沈没』『日本沈没 1999』の資料が展示されている。両作品は、1995 年の阪神淡路大震災をきっかけに、東宝と松竹という日本を代表する映画会社がそれぞれ立案したもの。 いずれの企画も、現実となった都市直下型大地震の経験を反映させるだけでなく、原作には無い原発被災による複合災害まで想定し、後の2011年に起きた東日本大震災をシミュレーションするような大胆な内容だった。
「小松左京展―D計画―」では、企画書、ストーリー案、シナリオなどの貴重な資料展示とともに、関係者による新たな証言も紹介されている。

『新日本沈没』『日本沈没 1999』企画の経緯

1995年、東宝映画の北山裕章氏が1973年に東宝が映画化した『日本沈没』の新たな映画化企画を提案した。『さよならジュピター』 (1984) 、『ゴジラ』(1984) で監督を務めた橋本幸治氏と北山氏の連名で企画書が作られ、脚本家の米村正二氏、藤田伸三氏によるストーリー案を含めた数パターンの企画案が、1998年にかけて当時小松左京の著作権を管理していた株式会社イオに提出された。

ストーリー案のひとつにあった原発爆発による複合災害を盛り込んだものは、後の2011年東日本大震災での原発事故を彷彿とさせる。また、二部構成で後半は世界に散った日本人に焦点を当てる案では、2003年に谷甲州氏と小松左京の共著『日本沈没 第二部』プロジェクトが立ち上がる前に、その要素が織り込まれていたことが分かった。

その後、『新日本沈没』についての新たな提案が東宝映画から出されることはなく、企画がストップした状況の中、1998年に松竹からも新たな『日本沈没』の映画化が打診され、株式会社イオが了承。直後に、東宝映画からも改めて『新日本沈没』の提案 (1998年3月)があったが、既に松竹に映画化を許諾した旨を伝え、東宝映画の『新日本沈没』企画は実現せずに終わった。

松竹の新たな『日本沈没』の脚本・監督は大森一樹監督。 大森監督は、阪神淡路大震災で被災した実体験をもとにしたリアルな災害を描くと同時に、日本人の脱出に焦点を当てた『日本沈没1999』のシナリオを作成。松竹は製作費12億円をかかげ、大々的に記者発表まで行ったが、製作費や当時の松竹内の体制の問題により実現することなく終わったとされている。 企画ではCGが多用される予定で、オープニングCGのデモ映像がイオに持ち込まれ、小松左京の前で披露されていた。

製作が完全に見送られる前に、製作費圧縮の名目で大森監督の脚本をベースにしたシナリオを「日本沈没 改訂稿」として松竹が作成しており、この資料が今回の「小松左京展」での展示物となる。

原発による複合災害に言及(東宝映画「新日本沈没」 1996年4月24日)

幻の第二部の映像化(1996年9月2日)

関係者による新たな証言も

また、「小松左京展―D計画―」では、『新日本沈没』『日本沈没 1999』企画の関係者による新たな証言も紹介されている。

<原発による複合災害に関して>: 脚本家・ 藤田伸三氏談

 

調べながら感じたのは、小松先生が『日本沈没』を執筆された 1960年代の日本と90年代の日本では、この原発問題の大きさ・重要度に雲泥の差があるということです。
90年代に「日本沈没」のような事態が起これば、放射能被害は甚大で、世界的な災害になる……と考え、図書館で暗澹たる気持ちになりました (その危惧が一部具現化したのが東日本大震災でした) 。
と同時に、『日本沈没』のリメイクに本気で取り組むのであれば、ここは避けてはいけないところであろう、とも。

<第二部における世界に散った日本人に関して>: 脚本家・米村正二氏談

 

こちらに関しては、小松さんの方で小説として第二部を書こうとしていて、それが前作の原作『日本沈没』のその後の話で、世界中に散らばった日本人が様々な迫害に遭いながら、日本に再結集し、日本を再建するというストーリーになる予定だったそうです。
しかし小松さんとしては迫害される日本人を描いていた際に精神的にきついものがあり、完成には至っていない状態でした。
そこでそういったアイデアを小松さんから聞き、映画で実現しようとしたわけです。
世界に散った日本人に対しての思い、それは恐らくはそういった日本人を描く事で「国とはなにか」「日本人とはなにか」を再認識させたいという思いがあったと思われ、我々もそこに共感して、企画書に仕上げたのだと思います。

松竹映画『日本沈没』改訂稿

<小松左京『日本沈没』を映画化するということ>: 大森一樹監督談

『日本沈没1999』の映画化の話が来たのは、1998年の夏ごろだったと記憶する。もちろん小松左京原作であり、一観客として興奮した文句なしの傑作の再映画化の監督を任されるという光栄と同時に、その3年前に芦屋の自宅で阪神淡路大震災に遭遇、目の当たりに見た都市の崩壊をスクリーンに再現する責務。40代半ばの映画監督として脂の乗り切った時に、この企画と出会う誇りと使命を感じたといっても決して大げさではなかっただろう。
とはいえ、20年ぶりに手元にある初稿を読み返してみると、その大げさな気負いが過剰のあまり、我ながら稀有壮大、誇大妄想、荒唐無稽、現在ならまだしも、CG技術が手探りの時代にこれをどうやって映像化しようというのだったのだろうと思わざるを得ない。結局は、当時の日本映画の製作配給システム変革の大きな流れの中で、日本より先に映画が沈没してしまうことになるのだが、そもそも映画会社がこの脚本で実現可能と思っていたのだろうかとさえ思う。そう考えた時に、小松左京原作を映画化するということはすべからくそういうことなのだと改めて気づかされる。そして、前作の『日本沈没』しかり、『復活の日』『さよならジュピター』、それらを映画にした我が先輩映画人たちの創意と力量に改めて敬服する。余計なことかもしれないが、現在、小松左京原作という巨艦に立ち向かうエネルギーが日本映画にあるのだろうかとも。

『日本沈没』に関する貴重な資料が公開されている「小松左京展―D計画―」は、2019年12月22日まで開催中。

「小松左京展 D計画」
『日本沈没』関連展示
:『日本沈没』直筆原稿
:『日本沈没 第二部』創作メモ (2018年発見)
: 半村良氏から小松左京への『日本沈没』への想いをつづった手紙 (2014 年発見)

関連イベント
:『日本沈没』(2006年版)トーク&上映会・12月7日(土) 世田谷文学館
【出演】樋口真嗣氏(映画監督)、巽好幸氏(マグマ学者・神戸大学海洋底探査センター教授)
:小松左京音楽祭・11月30日(土) 成城学園 澤柳記念講堂ホール
*『日本沈没』を中心とした、小松左京にかかわる音楽の演奏会。『日本沈没』の映画、テレビドラマ、ラジオドラマの劇伴演奏。
五木ひろし氏によるテレビドラマ『日本沈没』主題歌歌唱他。

なお、小松左京の『日本沈没』は、『DEVILMAN crybaby』(2018) などの作品で知られる湯浅政明監督によってNetflixオリジナルアニメシリーズ『日本沈没 2020』としてアニメ化されることが決定している。「小松左京展―D計画―」では、絵コンテを含む『日本沈没 2020』の最新資料も展示されている。詳細は以下の記事を参照して頂きたい。

また、「小松左京展―D計画―」では、アーサー・C・クラークから小松左京に宛てられた手紙も初展示されている。

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