伊藤螺子「浦島さんによると世界は」 | VG+ (バゴプラ)

伊藤螺子「浦島さんによると世界は」

カバーデザイン 浅野春美

先行公開日:2021.11.27 一般公開日:2021.12.25

伊藤螺子「浦島さんによると世界は」
5,049字

二百人島(~1664年)

浦島さんによると、その島は生きているのがいやになったのだという。作物の育ちにくいちっぽけな珊瑚島であっただけに、元から多くの人々を養えはしなかった。

住民の人数の上限はきっちりと定められていた。平時で500人、非常時で200人。

嵐や津波、干魃で非常用のクワズイモまでだめになってしまうと、住民たちは率先して海へとこぎ出し、沖合で飛びこんで二百人島とこの世から去っていった。年端のゆかぬ子供たちはヤシの実のジュースを最後に吸わせてもらったあと、眠っているあいだにその実で頭をかち割られた。

そうして残った人数でやり過ごし、作物が実るサイクルが回復したら上限を平時に戻す。非常時の人数では、他の島との交易を維持するに足る余剰を生み出すのは難しかった。

この島で生きるには死を恐れなしに受け容れる必要があったからだろうか。死んだ者はまた島に戻ってくる、と皆信じていた。島の神様がわたしたちの死を見守り、生まれ変わらせて波とともに島へ帰してくれる、と。

それは半分正しく、半分間違っていた。確かに島はすべての死を目の当たりにし、また覚えていた。しかし死者を蘇らせる力など持ってはいなかった。風も波も日照りも、来るとわかっていても防ぐ手立てはなかった。

皺の数まで知っている長老、数々の恵みを捧げてくれた漁師、祈りとともに産まれてきた幼子。愛する人間たちの夥しい死を何百年も見送り続ける。生き残っても上限の数に漏れてしまった者たちは、ありもしない島の力をたのみに自ら命を絶つ。人々の末期の声を聞きながら、島は無力感、罪悪感を募らせ続けてきた。

ある日、未曾有の大津波が島を襲った。屋根や木々の上に避難した住民たちを、波は根こそぎ流し去った。かろうじて生き延びた者たちは、頭の中で誰かがこうつぶやく声を聞いた。

もうたくさんだ。

ひと月ののち、近くを通りがかったオランダの船に、住民21名が救助された。甲板に引き上げられた住民たちが見たのは、避難の完了を見届けたかのように、ずぶずぶと海の中へ沈んでいく故郷の島の姿だった。

島の神は最後にわたしたちを助けてくれたのだ、と語る者もいれば、なぜ津波が来る前に一緒に連れて行ってくれなかったのだ、と嘆く者もいたという。

ブタイガニ島(~18世紀頃)

蟹島の固有種だったブタイガニは真っ赤な背甲が特徴で、住民たちも古くからその固く平たい甲を食器や刃物などに加工して役立ててきた。ただ肉は少ない上に水っぽく、舌に触れると不快なしびれが走るので誰も食べなかったという。

この蟹たちは、一年のほとんどを中心部の森でつつましく過ごす。ひっそりと巣穴にこもり、落ち葉やカタツムリを食べながら、力を蓄える。

雨期の夜、月と潮が満ちる時。万を超える蟹たちが、森から一斉に移動を始める。

海岸にたどり着くと、蟹たちはためこんだリビドーを開放する。続々と寄り集まり、直径10メートルにも及ぶ真っ赤な集合体と化すと、入り乱れて見境なくまぐわうのだ。

巨大な漆塗りの盆にも見えるそれは、引き波に連れられて砂浜を離れ、そのまま波間に揺られる円形の島となる。そのあいだ、水面上と海中の蟹がぐるぐると入れ変わり続けることで生きながらえているという。2週間抱卵した雌たちが卵を海に放つと、島はうぞうぞと泳いで少しずつ砂浜へ移動を始める。何とか生きて砂浜にたどり着いた蟹たちは、また森へ帰って静かな一年を過ごす。

だが蟹島では、このブタイガニの島を見てはならないと伝えられてきた。時折その島の上に、何人もの踊る人影が見えることがあるのだという。それは死んだ家族の姿とも、半人半獣の精霊とも言われるが、いずれにせよ目撃すると、遠からぬうちに海で死ぬ、と言われていた。

この言い伝えは、のちに明らかになったこの蟹の特殊な使い道と、絶滅へ繋がる顛末を考えるに、あながち迷信とも言えない。

18世紀にイギリスの探検隊によってこの島が「発見」された際、この蟹を食べようと火にかけてうっかり丸焦げにした隊員たちは桃源郷のごとき幻覚を見た。その恍惚を忘れられなかった彼らは、異常な熱意による試行錯誤の末、その肉を乾燥させすりつぶした粉末が魅惑のドラッグとなることを突き止める。

中毒者たちは目を血走らせて満月を待ち、ブタイガニ島を根こそぎにして船に積みこんだ。売り飛ばして大金を稼ごうというもくろみもあったのだろう。しかし結局彼らが故郷に帰り着くことはなかった。ひと月ほど経って、近隣の島に無数の蟹の殻と干からびた死体を載せた船が流れ着いた。死体に傷跡はまったくなかったという。

幸いと言うべきか、このドラッグが海を渡ることはなかった。その製法と快感を知ってしまった島の住民たちが、すべての蟹を焼いて吸い尽くしたからだった。

蛤島(存在しません)

貝楼諸島の住民に出会ったら、あなたは会話のどこかでふと、蛤島のことを知っているかと聞いてみることだろう。そして誰に聞いても、そんな島はないという答えが返ってくるだろう。

蛤島は元々存在しないようだ。貝楼諸島の歴史をどの角度から紐解いても、蛤島の実在を支える証拠は出てこない。ただ、外来者が時折蛤島のことを聞いて住民にすげなく否定される、といったやりとりがいくつか見つかる。

旅人が聞き、住民が否定する。それが蛤島のすべてである。

しかしなぜ当たり前のように旅人は蛤島について住民に聞き、なぜ当たり前のように住民はそんな島など存在しないと断定するのか。その理由は誰も知らない。

あなた自身、なぜ蛤島について聞こうと思ったのか、それ以前になぜ蛤島などという、説明できるだろうか。わたしはできなかった。

旅人と住民にそう言わせているのは何者なのだろうか。それこそが蛤島なのではないか。

浦島さんは言う。その推論は土台から間違っています、蛤島なんてそもそも存在しないのですから。

顎島(~1952年)

顎島が歴史の一行にその名を残す代償として地球上から消え去ったのは、1952年のことだった。同年のエルゲラブ島や約5年後のハイアイアイ群島さながらの、当時まだ大気圏内で禁止されていなかった核実験の犠牲者だ。

この島におけるアメリカの核実験については、なぜか長らく秘匿されていた。近年ようやく情報公開がなされつつあるが、依然として奇妙な点は多い。

実験は、戦略爆撃機からの空中投下だった。しかしなぜ、マーシャル諸島やネバダではなく貝楼諸島が実験場となったのか? 島嶼地域での実験に、なぜ着弾地点がずれかねない投下方式が採られたのか? 作戦目的はいまだ判然としないが、「一定規模の島を爆弾投下によって破壊することが可能か」の検証、という説が今のところ主流となっている。

だが、そもそも顎島がどんな島だったのかを調べていくと、新たな疑念が浮かび上がる。

公文書に基づけばこの島は無人島であり、実験前に強制移住が行われたような形跡もない。そのためさほど記録も残されていないが、かつてこの海域が日本の委託統治下にあった時代、ある近隣島駐在の南洋庁職員の日記に、島民から聞かされたこの島についての記述がある。

意訳が入っているだろうことを差し引く必要があるが、顎島は「海を忘れた者たちの島」と呼ばれていたようだ。曰く、この島に入るとなぜか海を渡れない体になり、帰れなくなるから近づいてはいけない、と伝えられているのだという。この島には誰かが住んでいた時期もあるようだが、実態は杳として知れない。

自分なりに調べた結果を話すと、海を忘れるというのはどういうことだと思いますか、と浦島さんは聞いた。泳げない、という意味ですかね。そう答えると、それは一番浅い正解です、と試すように微笑み、淡々と語り出す。

二百人島のことを覚えていますか。あそこに限らず、多くの島々の住民たちが抱く死生観は、人は海から来て海へ還る、というものです。ただ、あの呪われた島は、その輪廻から外れていた。

泳げない。輪廻から外れている。呪い。わたしは苦笑いした。まさかゾンビでもいたんじゃないでしょうね。

『バタリアン』を見た時は驚きましたよ、まさか監督は顎島のことを知っていて皮肉ったのかと。突然浦島さんは真顔で話題を変えた。

いや、話題は変わっていない。核とゾンビの話のままだ。

あの海域は今でも、密かに一切の接近が禁じられています。存在そのものをなかったことにされているに近い。実験の後、呪いが広がったんです、黒い雨に混ざって。ただ爆弾を落とした人たちには、今の状態は都合がよいのでしょうね。泳げもしゃべれもしなくなった近隣島の住民たちには、賠償を行う必要すらないんですから。

浦島さんはそう言って静かに日本酒をすすった。わたしは目を伏せてメモを取り続けた。

浦島さん(人間:1988年2月~2019年7月、2020年3月~ 島:2019年7月~2020年3月)

こんな名字だから違和感が薄くてよかったですよと、島になってからを振り返って浦島さんは穏やかに笑った。

おととしの夏、飲み会でたまたまこの人が目の前に座った時、わたしはすでにしたたかに酔っ払っていた。一切記憶にないが、なぜかわたしはこの初対面の相手に、こっそり小説を書いていると口走ったらしい。

翌朝、酷い二日酔いで目覚めると、メッセージが届いていた。

昨日はありがとうございました。取り急ぎ、自殺した島についてお話ししたいのですが。

以来、浦島さんと定期的に酒を酌み交わしながら、貝楼諸島のことを聞くことになった。

浦島さんが島になったのは、休暇で訪れた沖縄の海岸で、拾った美しい巻貝を耳に当ててみる、というお約束の行動をとったせいだという。

耳から入ってきたんですよ。島が。

その貝は貝楼諸島から流れ着いたものだった。あの島々は、時折タンポポの綿毛のように、海へ記憶の種をばらまくらしい。いくつもの島の記憶を託された結果、元の人格を保持しつつも貝楼諸島のアバターのような存在になってしまったのだそうだ。

心の中に大海原を臨む開放感にあてられてか、浦島さんは飲み会のすぐあとに辞表を出して正式に会社員から島となった。真偽はともかく、頭の部品がいくつか外れてしまったのは間違いなさそうで、そういう人と話すのはじつに歓迎すべきことだとわたしは思った。

浦島さんは、訪れることのできない島の話ばかりを語った。語ることでその島を蘇らせようとしているようだった。

絶望して自殺した島。映画のセットとして作られ、撮影後幻のように解体された島。絶滅した蟹が繁殖時に寄り集まって形作る島。他の島からは見えるけれども、船で近づくと消える島。海の只中に突然現れた滝壺の先にある、一軒の小屋のみが建つ小島。核実験で消されたゾンビの島。

いつか書いてあげてくださいね。話の最後にそう付け加えるのが浦島さんの口癖だった。その時のささやかな息づかいを、わたしはひそかに好いていた。

最後に会ったのは20年の1月だった。

たぶん、春までには人間に戻ります。そう言われました。

何にそう言われたのかは聞かなかった。いつものように島々の話をたくさんして、同じくらいたくさん取るに足らない話をした。浦島さんはかなり俗世の話の通じる島だったなと今になって思う。戻る前にあと何回か会えたらいいですね、と別れてから、あれよという間に新型コロナウイルスが流行し始め、人と会うこともままならなくなった。わたしも本業の混乱にもまれながら、ほとんどの時間を職場と家の往復で過ごすはめになった。

2月にさしかかると音沙汰がなくなった。人に戻る過程には想像のつかない苦しみがあるのだろうか。大丈夫ですか、と聞いてもなしのつぶてだった。

3月のある晴れた日。不意に、メッセージが届いた。開く前からなんとなく、それが浦島さんの最後の手紙だとわかっていた。

またあの海で。

白い画面に浮かぶその文字だけを残して、浦島さんは新たに失われた島に名を連ねることとなった。返信してみたが、すでに連絡先は使われてはいなかった。

なぜかもう、浦島さんの顔を思い出せない。街ですれ違ったとしても、わたしは気づかずに通り過ぎてしまうだろう。でも、秘密を囁くような心地よい声だけは、今も耳の奥に残っている。

わたしは貝楼諸島についての原稿を書き始めた。今なら、浦島さんが何を託したのかがわかるような気がする。わたしも貝の話に耳を傾けすぎて、すでに島と化してしまっているのかもしれない。

 

 

 

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伊藤螺子

会社員兼小説家。 2011年に『オクターバー・ガール 螺旋の塔に導くものは』(徳間文庫)でデビュー。2013年には『秘密結社来夢来人 まほうびんぼう』(徳間文庫)を出版。その後同人活動に移り、『ビンダー』(発行:ククラス)や『トラベシア』(発行:鈴木並木)など、複数のリトルプレス・同人誌に寄稿。自身のサークル・ホテルニューオバケから、2019年に短編集『UFOを待っている』、2021年にはツイッターで書いた140字小説を100本まとめた掌編集『エイプリルフールの国』を刊行した。Kaguya Planetの特別企画「200文字怪談」に寄稿。

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