虫太「わたしが島ならことばは海」 | VG+ (バゴプラ)
  • 筆者 虫太
  • 更新日2021.11.27

虫太「わたしが島ならことばは海」

カバーデザイン 浅野春美

虫太「わたしが島ならことばは海」
4,899字

点々と茂る浮草のあいだをぬって、ミズスマシがくるくると泳いでいる。小さな池のようになった洗車場の側溝を覗きこみ、透はその小虫をじっと見つめていた。少し離れた日陰から憲二は所在なさげに彼を見守った。

家の前の、もう車が来ることはない古いガソリンスタンドは、苔が生え、蔦で覆われ、ひとつのビオトープを形成していた。憲二が幼い頃、この渡ヶ島と本島をつなぐ橋が取り壊されてから、ここはずっと廃墟だった。

小学三年生にしてはか細い透の背中の上で木漏れ陽が揺れたとき、憲二は姉と遊ぶ子ども時代の自分を見たような気がした。

「手のかからない子なので放って置かれがちなんです。でもお母さんと離れてきっと寂しいはずなので寄り添ってあげてくださいね」

児相の職員はそう伝えて透を預けていった。彼がグループホームに移るまで叔父である憲二のところで面倒を見ることになったのだ。憲二の姉は本島の町で一人暮らしをしている。しかし、彼女がどんな生活をしているのか、ほとんど会わない彼には知るすべはなかった。

我が子を可愛いと思えなかった姉のことを、彼には責められない。うずくまる透が不意に何となく遠くに見えた。

「手伝うよ」

憲二が台所で夕食の準備をしていると透が来てそう言った。それなら、と椅子に座ってもらい近くで作業を見せた。

「ここを切って。気をつけて。ここを引っ張ってとるんだ」憲二がエビの背わたを竹串で除いていくのを透は目をみはって見ている。

「これ骨?」

「骨はないんだよ」

「じゃ、神経?」

「内臓」

憲二は背わた取りを任せて、自分は玉子を割って卵白と黄身に分けた。

(こっちをやってもらった方がよかったかな)

そう思ったが、透は竹串で黙々と作業を進めている。尻尾の先までわたを取りきることにこだわり、手こずったときも憲二を頼るでも「これでいい?」と聞くでもなく、満足いくまで手を動かした。

夕食を終えてソファでいっしょに子ども向けアニメを観ていると、憲二の膝に透が座ってきた。

憲二は体をこわばらせたが透はリラックスして彼に体をゆだねている。アニメのキャラクターを追う眼球の動きに合わせ長いまつ毛が小刻みに揺れた。ときおり彼はアニメの内容にコメントし、憲二はそれに相づちをうった。

「あ」

CMが流れてゲームソフトが映ったとき、透は思いついたように声を上げた。

「これ、欲しいんだった」

憲二は透を持ち上げ顔を見た。手に彼の肋骨の感触があり、スープ用に近所で買う鶏ガラを連想して少し目を逸らす。

「今度の休みに買いに行こうか」

「うん」

透は無邪気に微笑んだ。

おもちゃ屋にそのゲームソフトはなかった。渡ヶ島の一番大きな百貨店でも見つからなかった。

「隣の島にはあるかな」

「どうだろうね」

しかし憲二は隣島に行かず、また来た道を戻り、おもちゃ屋で予約の注文をした。2週間後になるという。

「ざんねんだけど、もうちょっと待たないとね」

「うん」

口を横に結んで透は小さくうなづく。この歳頃の子にとって2週間はずいぶん長いだろうと憲二は思った。

住宅街を歩きながら透は拾った棒で崖の擁壁に垂れ下がる蔦を撫でている。神社の境内を通り、憲二がよく散歩している浜に出た。その海岸は砂浜というより海に臨む荒野という印象で、ところどころシャクナゲのような灌木が生えていた。浜は日が照って色をなくしたように白っぽく、影だけがくっきりと濃く見える。波打ち際には流れ着いたゴミが散乱していた。

遠くに絶壁の岩が見え、黒いタカが飛び交っている。その向こうの海には大きな島が浮かんでいた。

海を見た透の歩みが速くなった。海の方を指さして隣の島の名前を言う。

「ああ、ママがいる島だな」

憲二はそう答えてからすぐ迂闊だったかと思い直したが、透は落ちているタイヤに興味を示し、覗いたり蹴飛ばしたりしている。

「わ」

ひっくり返したタイヤから水がはね、彼は後ろに飛び退いて避けた。

「誰かが捨てたのかな」

「流れてきたんだろうね。こっちは車乗る人いないから」

憲二が住むこの渡ヶ島の住人が「本島」と呼んでいる隣島から、この島に以前は橋が渡してあった。それが老朽化で取り壊されて以来、こちらで車をもつ人はほとんどいなくなった。今は介護タクシーが一台あるだけだ。だから日に数回港に来る巡航フェリーを使うしか本島に行くすべはない。

「じゃあ、ママの車のかも」

それほど信じていなさそうに透は言う。

「そうかもね」

ママは車に乗って渡ヶ島に来ようとしたんだ。でも、橋がなかったから来れなくて車を捨てちゃったんだ。今は船を探しているのかも。

浜を歩き、透はぽつぽつとそんなことを話している。彼は黄色いプラスチックのボトルを蹴飛ばしたあと拾い上げた。

「このボトルは谷口さんが僕たちの服を洗ってた洗剤のかもしれない」

「谷口さんって?」

「病院の先生」

おそらく、病院というのは彼が児相から移ってしばらく生活していた一時預かり施設で、谷口さんというのはそこの職員だろう。透が懐いていたのかもしれない、そう憲二は想像した。

僕たちが病院からあちこちの島へ行っちゃったから、谷口さん、僕たちの服を洗濯できなくなっちゃって、それでオレンジ色の洗剤液を海に流してみんなに届けようとしたんだ。透は海を見て話す。

「じゃあ、洗濯桶もどこかに流してくれてるかもね」

うん、と透はうなづいて、少し小走りになってしゃがみ込み今度は小さなサイコロを拾った。

「これは…」

波で軽く砂を洗い流してしげしげと見つめ考えている。

「何かの遊びに使うのかな。すごろくとか」

そう憲二が助け舟を出すと、

「そうだ。すごろく」と、また話し始めた。

誰かがこの貝楼諸島を使ってすごろくをしているんだ。今は4の面が出ていたから、その人はこの島から4つ先の島にいるってこと。僕もこのサイコロでどこか別の島に行けるかもしれない。

そう言って透はサイコロを投げた。転がって3が出たように見えたが、波にさらわれて海に消えた。

次に透が見つけたのは白い陶器の破片だった。東洋風の磁器で青い塗料で絵が描いてある。子どもの手のひらに収まる大きさの三角で、角が削れて滑らかになっていた。

透はしばらく固まって破片を見つめていたがぽつりと、

「オストラシズムだ」

と言った。

憲二は初め何のことかわからなかったが、「どこかの島の人たちが投票をして」と透が話し始めるのを聞いて、(陶片追放か)と思い至った。

みんなから陶器の欠片に自分の名前を書かれた誰かがこの島に追放されて来たのかもしれない。その人は十年間ここで暮らさないといけなくなった。家族から離れて、一人で…。

「でも、これ見て」

憲二は破片を指さした。陶器に描かれていた絵はススキのような植物とその上を飛ぶ鳥だった。

「ここに流されて来たのは鳥なんだよ。鳥だったら、どこにでも飛んでいけるでしょ」

彼がそう言うと透はうなづいて、その破片を大事そうにズボンのポケットにしまった。

次の日も、二人は海岸を散歩した。高齢の男性が一人、清掃をしている。遠くにも他の清掃員がゴミ拾いをしているのが見えた。

「こんにちは」

「こんにちは」

老人はにこやかに2人に挨拶を返した。「僕も拾うよ」と透が言うと顔を彼はほころばせて大げさに褒めてくれた。

軍手とトング、ゴミ袋をもらい、透は漂着物を拾い始めた。ほとんどはプラスチックの袋や容器だったが、電球、ダーツの的、眼鏡、スプレー缶、動物の骨など、興味を引くものを拾うと彼はそれにまつわる短い物語を空想して憲二に聞かせてくれた。

ヘルメットは兜で、兵士たちの島から流れ着いたもの。錠剤の空き容器には、身体を巨大化するための薬が入っていた。ある女が海を渡るためにそれを飲んだけど、彼女は陸には戻らずクジラになった。それからこの額縁は、船乗りたちのために星の動きを写し取って残してくれる…。透は話し続けた。

栓をした壜を拾い中を確かめたが、透が期待した手紙は入っていなかった。しかしそれも彼にとっては、壜に手紙を入れることができなかった誰か、あるいは伝えるべきことが何もなくなった誰かについてのメッセージだった。

漁師がブイに使っていたガラスの浮き玉は、宇宙人たちが空から夜の海に下ろした錨だった。宙に浮かべておいたUFOが風でどこかに流されないように、彼らが繋いでおいたのだ。竜骨のないその船はひとたび動くと、星々と海を同時に見つめ決して道に迷わない。

3つの対物レンズがついた顕微鏡の部品はロボットの眼で、そのロボットはこの島で鳥類の研究をしていた。レンズの近くに黒い鳥の羽根が落ちていたのがその証拠だ。

CDケースを拾ったときには透は、音楽が好きな施設の友だちについて憲二に話した。

「同じ島のグループホームに行けたらいいな」

透はケースを見ながら言った。帰り道は夕日が眩しかった。

夕食前の百貨店は親子連れが多かった。透は憲二から少し離れて歩いている。憲二は銀行に寄り、用事を済ませるあいだ、透を近くの本屋コーナーで待たせた。

「ここで待ってて」

「うん」

透はうつむいて答えた。

憲二が本屋に戻ると透はいなかった。

店中を探してインフォメーションに聞いても彼は見つからなかった。目を離していたのがまずかったのだろうか。そう後悔して次第に焦りが募った。あちこち探しても家族客や大人ばかりで、一人でいる子どもはどこにも見当たらない。

憲二は走って家に帰り透が戻っていないことを確認すると、ガソリンスタンドを探したあとまた町に戻った。町から神社を抜けて浜辺に来た。すでに日は落ち、海はどこまでも黒く、呻くような波音が透を探す憲二の呼び声を飲み込んだ。海沿いを歩き、島の北側の住宅街を進むとポツリと佇む駐在所の灯りが見えた。

「息子さんですか」

「いえ、甥です。彼の母に会いに行ったのかも。でなきゃ誘拐されたか…」

届けを出すために警官に話していると透を見失った不甲斐なさがこみ上げてきた。窓に蛾や羽虫がせわしなくぶつかっている。

「こんな小さな町で誘拐はないでしょうが、海は怖いですからね。すぐ捜索にかかるよう手配します」

暗い夜の海の轟きがここまで聞こえてきたような気がした。

捜索はすぐに打ち切られた。透が意外なところで見つかったのだ。渡ヶ島から3つも離れた島にいたという。そこの漁船に乗って「本島に行きたい」とせがんだ、と漁船の主から本島の警察署に通報があったそうだ。

(やっぱり、姉のところへ…)と憲二は思った。現実の欠乏を空想が埋めることはない。それにしても、なぜそんな遠くの島にいたのだろうか。

翌日、警察に送り届けられた透を迎えに港に来た。

「こっちの島の子だったとはねぇ。どうやって来たんだ、連れてこられたのか、て聞いても鳥を追っただの宇宙人だの言って要領を得なくてね。まあ見つかってよかったですよ」

「ほんとうにありがとうございます。ご苦労さまです」

けっきょく、他の手段はないという理由で巡航フェリーに忍び込んでいたのだろうと結論づけられた。

平日の港の食堂は空いていた。ナポリタンを食べる透がふいにフォークを置いて憲二を見た。

「ごめんなさい。でも僕ほんとうに…」

「いいさ。無事だったなら」

外のベンチは海に臨んでいた。向こうには、ここの島民が本島と呼ぶ隣島がある。カモメが鳴きながら海の上をくるくると飛び交っていた。透は、長いあいだ黙って海の方を見つめている。憲二は、声を上げずに泣く甥の肩にそっと左手をおいた。

数日後、透は廃墟になったガソリンスタンドの事務所を掃除して、そこで勉強を始めた。転校先で提出する夏休みの自由研究のため、借りてきた『貝楼諸島の民俗誌』という本を開いている。ガソリンスタンドは荒れ果てた温室のように草が茂り、事務所からは中庭のように見えた。

憲二はガラスの破片や危ないものを片付けたあと、しばらく外から事務所を眺めた。このスタンドの地下には耐震基礎とタンクが埋まっていて、そう簡単には撤去できないらしい。

おそらく透は新しい環境で新しい繋がりを見つけて、うまくやっていくだろう。それでも彼の中で待ち続けるであろう何かを思い、憲二は小さく息をついてガソリンスタンドをあとにした。

 

 

 

 

 

虫太

秘密結社サンカクカンケイのメンバー。『サンカクカンケイ』vol.2「穴」に、O市を舞台にした連作ショート・ショート、突・究・穽・窃・窺・空という怪作を執筆している、隠れた鬼才だ。また、小説投稿サイトカクヨムにも短編小説を投稿している。架空のラジオ番組の書き起こし「権威、モグラ太郎先生の回」は思わずくすりと笑ってしまう、ユーモアに満ちた連作。ドイツ在住。自身のブログにてドイツの移民、トランスフォビア、フェミニズムなどについての動向や記事を紹介している。

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