ベントラ、ボール、ベントラ | VG+ (バゴプラ)

ベントラ、ボール、ベントラ

第三回かぐやSFコンテスト最終候補作品

鈴木林「ベントラ、ボール、ベントラ」

 

商店の前に繋がれていた犬を抱えて喜んだのも束の間、焦りを思い出して路地へ入り、家の裏の並びを走り抜けてどぶ川のそばまで辿り着く。腕の中の犬が歩きたそうにしたので地面に降ろし、散歩であるかのようにオリエはリードをひっぱった。昼休みの間に犬を自宅に落ち着けたかったが、もう時間はない。オリエは歯噛みした。サボりは重罪だ。担任の緑山に叱られることを想像すると、心の捻り上がった部分が熱を持つ。

「オリエ、ポー!」

声をかけてきたのはタムタムだ。茂みから顔だけ出している。学校からあとをつけていたのだろう。オリエはリードを手繰り寄せた。

「犬、とりあえずお預け計画」

タムタムが手を差し出してきた。提案に心が揺らぐ。特別学校行きを繰り返すタムタムはサボりの常習犯であり、無敵だった。目の前の安心に吸い寄せられ、手繰ったリードをごちゃりとタムタムの手に乗せる。じゃね、と川沿いを駆けて行くタムタム。あーやってしまったかも、と思った。嫌な予感は当たって、その日の放課後は、タムタムと犬の姿を見ることなく六時を迎える。六時十分になってカリヨン広場に顔を出したタムタムは、オリエの迂闊さを笑った。

ヒジリマルの家の犬だった。六時のチャイムが鳴った瞬間に、ボールである犬を持っていたタムタムが勝者だ。

オリエは、ボールの指定者であるヒジリマルにこっそりと教えてもらい、いち早く情報を掴んでいた。ヒジリマルがオリエに好意を寄せていることを、オリエは気がつかないふりをして利用したのだ。

ボールはうちの犬にしたんだよ、と囁かれたオリエは、こいつの口の軽さでは他の誰に情報が漏れるか知れぬ、と考え、すぐに行動を開始、犬を手に入れてすぐさまタムタムに横取りされたわけだ。

タムタムはタムタムで大変だったらしい。よく町で見かける犬を、いつもとは違う人間が連れている、という変化は目立った。大体ボールがバレるのはそのような理由によるものだった。手ぶらの青年が背後に迫った時はいよいよだと思い、タムタムは和菓子屋の角を曲がって、坂道を駆ける。崩れた部分を足場に塀へ登ると、犬を抱えながら民家の奥へ進む。落ち葉に着地し、破れた金網から公園へ侵入、ブランコだけが置かれた殺風景な中を横切り、ささやかな林で息を潜めた。犬は抱き寄せられるがままになっていた。家には帰れなかった。片方の親は遠くへ行ったままで、もう片方は無事を祈りながら、毎日リビングで日記を書いている。手書きのノートの中では変わらない日常がいつも正しく、タムタムの突飛な行動はいつもその人に歓迎されない。

「次のボールは……」

カリヨン広場の真ん中、タムタムはそう呟いてにやにやしている。勝者は次のボールを指定できる。ほとんどの場合その情報は口外されず、それぞれの勝者のやり方で暗示された。ローカルルールにもよるが、ヒジリマルのようにこっそり教えるというのは多くの場合レギュレーション、もといマナー違反だ。

勝率の高いタムタムはたびたび新しい暗示を持ち込んだ。以前は「不幸の手紙」を採用し、「川べりの赤い石がボールです。これと同じ内容を五人に送信しないと不幸になります。ポー!」というメッセージをばら撒いた。拡散とデマの派生は混乱を呼ぶ。一部界隈では話題になり、以降この方式をローカルルールに採用してゲームメイクする者がいたらしい。「ポー!」はタムタムの口癖で挨拶のような意味を持ったが、転じてルールの名称となった。

「不幸の手紙」というものを、タムタムは昔の雑誌で知った。読むのは非常識であるという認識をすり抜け、タムタムは非推奨図書を次々と手に取る。曰く、そういう人が一定数いるから、このゲームも発達したのだという。

ゲームはドッジボールと呼ばれている。

度重なる教育基本法及び学習指導要領の改正・改訂で、オリエやタムタムたち小学生が学ぶスポーツの中に、それは含まれていなかった。球を標的にぶつける、というルールは一時評価され学習の一環に復帰したこともあったが、「遊び」(主に低学年向けのカリキュラムに含まれる)と「ボール運動」(主に高学年向け)とに明確に振り分けられる競技群の中ではどっちつかずな立場をとっている、且つ、「協働による課題解決」には有用ではなく、むしろいじめを助長するという意見が目立ち、ドッジボールは再び教育の現場から消えた。どこからかルールを耳にした子供が先導して興じることもあったが、そのままの形では継続されなかった。禁止されたスポーツであるという事実が本来の形を歪め、ローカルルールの異様な発達を促す。名称だけが残ったボールはゲームごとに姿を変え、それ自体が標的となった。つまり、ボールの奪い合いが大まかなルールとなったのである。任意の日の午後六時にボールを持っていた者が勝ち、というルールは各ゲームで共通している。

ボールの情報は勝利への鍵だ。噂は蔓延し、時に町の掲示板に示され、世間話の合間には探りが入る。あの人が持っていた万年筆を、今はあの人が愛用しているらしいよ……。友人、恋愛、婚姻関係間でのプレゼントには違う意味を見出せた。物の所有者が変わるということは、その物がボールである可能性を生んだ。

ゲームの存在など知らず、外野であったオリエが内野になったのは、オリエのヘアクリップが勝手にボールに指定されたことが原因だった。事故的に巻き込まれて状況に感染していたオリエは、ヘアクリップを奪われる。知らぬ上級生が着用し、やがて飽きられたヘアクリップはどこかへ消えた。落ち込んで家へ帰ったオリエは、他人の自転車を乗り回す兄を見る。奪取と窃盗に育まれた情念が内野たちのスポーツマンシップになっていった。新たなゲームの発生を耳にすれば、フィールドである町へ出かけ、仲間の誰一人いない戦いに興じる。隠匿された物流が、町中をめぐり始める。

タムタムはカリヨン広場の真ん中で空を指した。オリエにウインクしてから、ベントラ、ベントラ、と唱え始める。タムタムが見せてくれた雑誌に載っていた、UFOを呼ぶ呪文だとオリエだけは知っていた。タムタムらしい友情の示し方だと思った。この様子を見た他の者が、噂を流し始める。ベントラ、ベントラ……何かの儀式らしい……空を指す行為……。ボールはオカルトとなっていくつかの推論を呼ぶ。

ヒジリマルの家の犬の名前はまんげつといった。まんげつはタムタムが勝った日からタムタムの所有するところとなった。はじめて生物がボールに指定された日をもはや誰も覚えていない。やがて人がボールになることを誰かは期待している。それは支配と非支配の関係ではダメだ、というのがタムタムの主張で、だからこそ次のボールを宇宙人に指定したのだ。常に未知なる新たな関係性を探っていかなくては、と意気込むタムタムの横で、連れ回されたまんげつがくううと鳴いた。どうせ家には連れて帰れないので、ヒジリマルの元へとひっぱっていく。ヒジリマルはまんげつの帰還を喜びながら、タムタムに軽蔑の眼差しを向けた。我が家に所属していたという真実がペロリと剥がされた気がしていたのだ。

オリエは広場に一人残って、ベントラ、ベントラ、と空に向かって唱える。UFOがボールなのだとしたら、操縦できるようになったらいいのだろうか、宇宙人がボールなのだとしたら、触ったりしなければならないのだろうか、手はあるのだろうか、触らなくとも家へあげればいいかもしれない、と考えた。片方の親がいないから、案外スムーズにいくかもしれなかった。欠いた穴に見えるところに、別の生物を投入していくというのは愉快に思えた。勝敗に固執するタムタムとは違い、オリエは目まぐるしい物流を堪能していた。失ったヘアクリップを埋めるものが次から次へと入れ替わりでやってくる。

オリエの詠唱を不審に思った通行人が、その出来事を手帳に記す。誰に見せるものでもないノートの隅にドッジボールは刻まれる。

宇宙人を待っている間に、外野だと思われていた担任、緑山が授業中にボールをちらつかせたので、教室にいた内野の脳内はざわめいた。外国語の授業だった。Ken bought the ball at the mall. というなんでもない例文から、内野たちはショッピングモールに唯一残っている店、森文具を思い浮かべる。放課後の内野の多くはモールへと向かった。廊下で緑山を引き留めたオリエは問う。

「先生休職するって本当ですか」

「私も徴兵されるんだよね」

緑山は悲しそうに眉毛を下げた。

森文具にある商品は飛ぶように売れた。金のない小学生を差し置いて、噂を聞きつけた大人のうちの一人が勝者となった。

ある日には道路に落書きがあった。濃く描かれた円だった。六時に円の中に立っていた者が勝者だという認識が広まった。力の強い柔道部の大学生が勝った。

九月八日に疎開道路を横切る猫、がボールであったときは、猫の特定がうまくいかず、勝敗はうやむやになった。

南の湖に印が付けられた画像が流布されたときは、湖にボールが沈んでいるのか、湖自体がボールなのかという点で意見が割れた。湖の持ち方を考えるのは難儀であった。ある者は網を持参して、ある者は水槽をかき集めて、ある者は囲いを作るための杭を用意できないか画策し、オリエは今回は外野でいいやという気持ちで物見遊山、南へ向かう。ベントラ女と陰で揶揄されるこの頃は腹を立てていて、やけくそでベントラーと言いながら走っていると、やがて「ベントラ、湖に現れる」という噂が立ったりして、ボールはベントラなのか、ベントラ女なのか、湖なのか、ベントラは湖の怪物なのかという話題が連鎖することになる。

タムタムにもまだ勝ち筋は見えていなかったが、今回の策略には何計画と名付けよう、などと考えているようだった。

 

 

 

 

第三回かぐやSFコンテスト特設ページ

鈴木林

怪談好き。映画美学校ことばの学校一期生。ブンケイファイトクラブ4で本戦出場し、「高度な不親切さ」と評され喜ぶ。ノベルゲームを作ることが現在の夢。webでは日記を更新中です。

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