吉羽善「五時の魍魎」 | VG+ (バゴプラ)

吉羽善「五時の魍魎」

カバーデザイン VGプラスデザイン部

先行公開日:2023.11.25 一般公開日:2023.12.23

吉羽善「五時の魍魎」
6,365字

「ですから、お宅のパソコンは今相当厄介なことになっているんです。無理にとは申しませんが、すぐにでも手を打つことをお勧めします」

お客様も、現にお困りでいらっしゃるでしょう。

インターフォン越しの言葉に、何度目かの「はぁ」とも「へぇ」ともつかないぼやけた相槌を返しつつ、リビングの時計に目をやった。視線の先の針たちは、どう考えても昼下がりに相応しくない時刻を差したまま揃って静かに停止している。そういえば先日電池が切れたのだった。替えるのを毎日忘れてしまい、ずるずると今日まで来てしまっている。仕方がないので手の届く先にある給湯器のスイッチを入れた。明るくなった画面が告げる時刻を見てから、そういえばそもそもチャイムが鳴った時に何時だったか覚えていないことに気が付く。

まいったな、切り上げ時が分からない。

体感的に十分以上は経過している気がするが、実際のところは何分インターフォンの前で立っているのだろう。

インターフォンに映った姿の背景にミニバンが見え、宅配かと思って居留守を使わずうっかり出てしまった、それだけならよくあることだった。普通の訪問営業や宗教勧誘ならば名乗られた瞬間に間髪入れず「あーすいません今打合せ中でー」や「あー結構ですー」といったテンプレートの呪文を唱えて即刻退散頂くようにしている。

だが、「お忙しいところ失礼します、私パソコンやスマホの誤字を減らしている者ですが」と名乗られたのは初めてのことだった。

それでうっかり好奇心の方を優先してしまった僕は、初動の呪文詠唱の代わりについ「誤字、ですか? 文字の方の?」と聞き返してしまったのだ。

「はい、その通りです。誤字脱字、の、誤字です」

まさか本当に誤字のことを指しているとは思わなかったが、淡々とした調子で頷く相手の表情は至極大真面目だった。冗談を言っているようにはまるで見えない。それとも新手の悪戯か何かだろうか。

困惑したまま尚も断り文句を口にできない僕を他所に、訪問営業らしいその人物は、全く同じ調子と真顔のまま話を続けた。一ミリグラムの愛想もないが、不思議なことになぜか無礼な印象は全く受けない。

不躾ながらお尋ねしますがお客様、ノートパソコンの誤字にお悩みでいらっしゃるでしょう」

尋ねるというよりも、ほとんど断定するような言い方だった。今日初めて訪れた、こちらの顔も分からない相手に言うには妙に具体的で、おまけに確信を持った言い方だ。わざわざパソコンの種類にまで言及している。

「妙にピンポイントな聞き方をするんですねぇ」

変に肯定の意味で受け取られては面倒そうだが、やたらと具体的に聞いてきた理由はちょっとばかり気になる。わざと笑いながらそう尋ねれば、相手は真顔のまま「はい」と手に持っていたらしいスマホをインターフォンのカメラに映る位置に掲げてみせた。画質の粗い画面越しではよく見えないが、相手の画面には何らかのレーダーのようなものが映っている。

「こちらに、ノートパソコンを好む■■■■■の反応が強く出ていましたので」

画面も言われたことも何ひとつ理解できなかった僕は「はぁ」とも「へぇ」ともつかない曖昧な相槌を返す他なかった。

やっぱり、新手の悪戯だろうか。

どうやら通話越しにもこちらの困惑が伝わったらしい。ああ、と頷いてみせた相手は、掲げていたスマホを下ろしてからカメラに向かって軽く頭を下げてみせた。

「これは失礼しました、ご説明の順番が前後してしまいましたね」

淡々とした調子のせいか、あんまり失礼したとは思っていなさそうに聞こえる声だった。

その形だけの謝罪から流れるように「これはあまり知られていないことなのですが」と胡散臭い訪問販売のお手本のような前置きをしたセールスの人物は手慣れた様子で説明を始めた。

「実は、パソコンやスマートフォンで打った文章の誤字というものは、使用者の不注意やミスとばかりも言い切れないのです。こんなことはないでしょうか? 文章を送ったり印刷したりした後になって、初めて誤字があることに気が付く。それも、事前に何度も見返した時には全く見当たらなかったのに、です」

正直に答えれば、ある。

というか、非常によくある。

画面越しの相手に言えばここぞとばかりに何かしら売り込まれそうで口にはできないが、元々僕は誤字の多い人間だ。タイプが遅いスマホの方はそうでもないが、その代わりパソコンで打つ文章にはこれでもかという程よく誤字が現れる。幸いなことに、大抵の誤字はタイプしてすぐに気が付くか、二、三度読み返した時に発見して直せるものばかりだ。

だが、見付けられない時は本当に、冗談のように見つからない。

「あんまりにも見つからないので、よくふざけて『誤字が隠れていた』なんて言う方もいらっしゃいますが、実はあながち、ただの冗談とも言い切れないのです」

尚も大真面目な声が続けて曰く、そういった誤字は、機械に棲みつく何某かの仕業であることが多いのだという。

「我々の業界では■■■■■、と呼ぶのですが」聞き馴染みの無い五文字の名前は、数度聞いただけでは覚えにくい音の並びをしていた。その名前の覚えにくい何某は、人のパソコンやスマホに棲みつき増殖し、タイプされた文章に紛れ込んでは、更に遠くのあちこちへと運ばれて行こうとするのだという。

「その紛れ込んだ姿こそが、一般に『誤字』と呼ばれるものなのです」

訪問営業の人物はそう言って、「詳しくは後程こちらのパンフレットを見て頂きたいのですが」と画面越しにファイルに入った紙を見せてきた。

「現れてすぐに見つかり、デリートキーで追い返されてしまうようなうっかりものもいますが、中には巧妙に普通の文字に擬態して、誤字として見つからずデータと共にどこまでも運ばれていくものもいます」

そして文章ごと運ばれた先、印刷されたタイミングで紙に封印されてしまい、擬態が解けてから初めて発見される。あるいは、メールの送り先で擬態を解いた姿をたまたま目撃した受信者が指摘して、初めてこちらでも存在に気付くのだ、という。

「印刷された誤字の場合ですと、中には封印された後もしぶとく持ちこたえて、しばらく経ってからようやく見つかる、というケースも珍しくありません」

そういえばつい先日も、友人に誘われて書いた同人誌の原稿で、読み上げソフトまで使って何遍も確認したにもかかわらず、最終稿一歩手前で計十三個も誤字を発見した。

仕事で他部署に送ったメールの本文では、「発送」がことごとく「発想」になってしまっていた。数度読み返しても見付けられず、送信ボタンを押した瞬間に気が付いたが手遅れで、そのまま送信完了になるのを見届けるしかなかった時の無力感は今でも覚えている。

過去の僕は、そういった誤字を見付ける度に己の注意力の低さを呪っていた。

正直言って、インターフォン越しの相手の話については、こうして聞いている間でもまだ半信半疑だ。

だが、あの誤字たちの嘘みたいな潜み方については、確かに何か、妖怪のようなものが意志を持って隠れていた、と言われた方がまだ信じられるような気もする。

「奴らが棲みつきやすい機体であれば、それだけ誤字の数も多くなります。私どもはそういった電子機器から奴らを追い払ったり、今後寄り付かないよう処置を施したりするサービスを提供させて頂いているのです」

「はぁ」

治療や予防接種のようなもの、とお考え頂ければと思います。

医者のような言い方だが、僕の中ではお祓いみたいなイメージしか湧かなかった。紙に封印される、というのは、生き物というよりもおばけか妖怪の生態だ。

「お客様のパソコンでも、ぜひ誤字を減らして今後快適にお過ごし頂くためのお手伝いが出来ればと考えておりますが、いかがでしょうか」

一通り説明を終えたらしい相手は、そう言ってまっすぐインターフォンのカメラを見つめている。その視線を画面越しに受けながら、こんなに訪問販売の話をしっかり聞いたのは初めてだと気が付いた。このタイミングで結構です、とお断りして切り上げても良いだろう。

だが、何となくそれももったいないような気がした。こんな変な訪問販売、後にも先にもお目にかからないかもしれない。

「それで、なんで今回はこの家にあるノートパソコンが問題だって思ったんですか」

ここまで来たら、最初の疑問についてもついでに教えてもらって、それで切り上げよう。今後何かの話のネタになるかもしれない。

こちらの思惑に気付いているのかいないのか、「不思議に思われるのもごもっともだと思います」と頷いた顔も声もやっぱり淡々としていて、こちらの機嫌を取ろうといったような意志は感じられなかった。

「■■■■■には、鳴き声のようなものがあるのです」

人間には聞こえない周波数で、おまけに微かなものだが、それでも確かに何らかの音は立てているのだという。

人間も意識して聞こえはしないものの、無意識に感じられる人はそれなりにいるそうだ。そういった人がいわゆる「誤字にすぐ気が付ける人」になるらしい。僕には縁のなさそうな話である。

「とはいえ、一般の方々では気付かない方が普通です。我々は特別に訓練を受けて多少は聞き取れるようになっておりますが、それでも人様のお宅にある電子機器から壁越しに聞き分けることは難しい」

だから特別なアプリを使って誤字おばけの鳴き声の周波数を測定し、そこから訪ねるべき家を探している、ということらしかった。

「■■■■■は種類によって、好んで棲みつく電子機器が異なります。それで、ここのお宅からとりわけノートパソコンに棲みつくタイプの鳴き声が多く測定されましたので、こうしてお訪ねした次第です」

ようやくの種明かしにもやっぱり「へぇ」のような「はぁ」しか返せない僕にお構いなしに、営業担当者は続けて「こちらをご覧になって頂きたいのですが」とまたカメラの拾う位置にスマホの画面を掲げて見せた。特別仕様のアプリだという画面の細かい内容は、やっぱりインターフォン越しでは画質が粗すぎてよく分からない。

「画面を見ると、こちらのアパートでこの一室に集中して鳴き声を測定しています。恐らくは奴らの格好の棲み処として目を付けられているんです。どんどん棲みつくし、パソコンの中でどんどん増殖していく。この量だと、既に二台くらい被害に合っていてもおかしくありません」

「へぇ」

誤字で苦しむ僕が使っているパソコンは、確かに仕事用とプライベート用の二台に分かれている。アプリとやらも全くの出鱈目ではないのかもしれない。

「通常のお客様ですと、まずは実際ご自宅の電子機器にどの程度やつらが棲みついているか詳細に診断し、その後一番多かった種類の■■■■■を検知するソフトをセットで販売させて頂く、初回限定の診断・対策セットのサービスをお勧めしております。今ならキャンペーン中ですので、同居するご家族の分も合わせて全部で十台まで診断可能です」

検知ソフトは対象の電子機器にインストールしてライセンスキーを入力すれば、擬態した奴らが文章に現れたタイミングで検知・アラートのポップアップを出してくれるという。これなら駆除やら誤字除けやらよりも安価で済むそうだ。

「ただ、今回のお客様のように既に特定の種類が大量に棲みついていることが分かっている場合には、診断や検知ソフトではなく本格的な対策もご検討頂いても良いかもしれません」

「はぁ」

尚もぼんやりとした相槌しか返せない僕を他所に、インターフォン越しの人物は淡々とした口調のまま如何に僕のパソコンが重症かを一通り説いた後、またもや料金プランの話に立ち戻った。

「このような場合には、一時的に対象の機器をお預かりさせて頂き、私どもの方で■■■■■を追い払い、今後寄り付かないよう措置を施させて頂いております。お値段は張ってしまいますが、その後の快適さは保証致しますよ。それに、回数券をご購入いただければ、万が一他の電子機器でお困りになった時も含めて割引でご利用頂けます」

具体的にどうやって追い出すかについては「企業秘密」とのことで教えてくれなかったが、寄り付かないようにする方の措置については、「私共の方でフォントを加工し、奴らが擬態しにくいように仕掛けを埋め込むんです」とのことだった。元々のフォントの情報に誤字おばけが混乱するような情報を入れておくことで擬態を妨害し、嫌がるおばけたちが寄り付かなくなる、ということらしい。

「ただ、その後にインストールされたフォントについては無効となりますので、十分にご注意いただければと思います」

滔々と流れてくる説明にぼんやり相槌を打ちながら、つい先ほど聞かされたばかりの「誤字の真実」について考える。

生憎と、初めて知った情報を元に大慌てで個人情報も入ったパソコンをよく知らない訪問営業に預けられるほど、僕は世の中を信用してはいない。そもそも誤字の話自体が初耳なのだ。本当かどうかすら確かめられていない。

だが、もしも本当に誤字が、僕の不注意のせいでなく、擬態した何かのせいだというのなら。

お金を払って、あの不毛な誤字とのかくれんぼから今後解放されるなら。

切り上げ時のわからない話を延々聞いた後、迷いに迷った僕が返した回答は「ちょっと考えさせてください」だった。

断るにしても申し込むにしても、僕にはもう少し情報が必要だ。誤字のおばけについてだって初耳なのだ。あれこれ調べて、この訪問販売以外の話を聞いてから決めた方がきっといい。

インターフォン越しとはいえ、長時間話を聞いてもらってそれなりの手応えは感じたのだろう。営業訪問の担当者は淡々とした口調のまま、「よろしければパンフレットをポストに入れておきますので、ご確認ください」と一礼してようやく退散した。

金属が跳ねる音と共に入れられた小冊子を、ミニバンのエンジン音が小さくなるまで待ってから回収する。パラパラと目を通すと、先ほどあれこれと説明された内容に加えて、事業所のウェブサイトらしきアドレスも載っていた。何となく、誤字の正体について調べるついでにとアドレスをプライベート用のラップトップで打ち込んでみる。

見るからに小さな事務所のお手製ホームページ、といった感じのウェブサイトでは、一番上に表示された会社名のすぐ下に営業文句が元気よく踊っていた。

『誤字に悩んではいませんか? あなたのパソコン、スマートフォンの誤字を減らして、改適な文書作成をサポートいたします!』

その文を読んだ瞬間、僕は静かにブラウザ右上の閉じるボタンをクリックした。

治療や予防接種のようなもの、とお考え頂ければと思います。そう自社のサービスについて説明していた訪問営業の、淡々とした声が脳裏に甦る。ならばこれは、医者の不養生というやつだろう。

ウェブサイトを見た結果、丁重にお断りをすることに決めた僕だったが、結局あの営業の人物が再度家を訪れてくることはなかった。僕が不在の間に来ているのかもしれないし、僕の煮え切らない反応に手応えを感じなかったのかもしれない。いずれにせよ今のところは、あの一度きりの訪問で終わっている。

そんな訳なので相変わらず、僕の文章は誤字まみれだ。

とはいえあの話を聞いて以降は、より慎重に確かめるようにしている。不思議なことに、何らかの意思を持って誤字が隠れていると思いながら確かめた方が、ただ誤字脱字をチェックするよりもおかしなところを見付けやすかった。この文章も、そうやって何度も確認している。既に厄介な奴も含めて、何匹(?)もの誤字を見付けて修正済だ。さすがにあの営業訪問が言っていたような巧妙な奴も、ここにはもういないだろう。

それでもまだ誤字があったとしたら、それは僕よりも奴らの方が一枚上手だったということだ。

 

 

 

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吉羽善

カクヨムで小説の発表をはじめ、2020年のゲンロン 大森望 SF創作講座の第5期を受講。第5回ゲンロンSF新人賞で選考委員特別賞を受賞。その後、『小説すばる2022年4月号』(集英社)に寄稿した「ます」でデビュー。様々な生き物を魅力的に描く書き手で、SF同人誌『Sci-Fire2021 アルコール』に寄稿した「或ルチュパカブラ」が、翌年、大森望編『ベストSF2022』(竹書房)に選出された。『小説すばる2022年11月号』に「妖精飼育日記」を、『NOVA 2023年夏号』(河出書房新社)に「犬魂けんこんの箱」を寄稿するなど、幅広く活躍中。
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