吉羽善「影あそび」 | VG+ (バゴプラ)

吉羽善「影あそび」

カバーデザイン VGプラス編集部

先行公開日:2023.11.25 一般公開日:2023.12.23

吉羽善「影あそび」は、背景にデザインをあしらったPDFバージョンも配信中!
「影あそび」PDFバージョン
また、コンビニのネットプリントにて印刷して読むこともできます。(12月30日まで)
ネットワークプリント登録番号
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吉羽善「影あそび」
2,627字

先日絵を描く友人から聞いたのだが、実は印刷用のインクには影があるらしい。

普段は印刷所の照明係がまっすぐ真正面から明かりをあてているので見えないが、ライトを斜めから当てたりインクの立ち位置をずらしたりすれば、紙にも影が写せるのだという。

デザインやイラストをやっている人の間ではそれなりに知られていることだそうだが、普段文字ばかり印刷してもらっている身なので全く知らなかった。そう素直に言葉にすると、件の友人はそれはそうだろうと頷いた。

「文章なんて、影があっちゃあ読みづらいだけだろうしね」

かく言う友人自身も、普段漫画を描く時に利用したことは一度もなく、過去にイラスト本を作ろうとした際、用意した絵の一枚に合うのではとSNSで他の絵描き仲間から勧められて初めて知ったそうだ。

とはいえ、小説などの文字ばかりの本でも、インクの影は全く現れないという訳ではないらしい。文字が滲んでしまっているように見える落丁の中には、うっかり影が写り込んでしまっているだけの場合もあるのだという。

「印刷所に照明の注文したことある人なら気付くらしいよ」と季節限定のフラペチーノを啜りながら語る友人に、その時はへえと間抜けな相槌を打ちながら知らない世界を覗き見た時のちょっとした面白さを感じたばかりだった。だが、その日の夜に布団に入って読みかけの文庫本に手を伸ばした瞬間、ふと改めて「インクの影とやらは実際どのようなものだろう」と気になり始めた。

もしかしたら知らない故に気付かなかっただけで、既にどこかの絵やデザインで見たことがあるのではないだろうか。「これがインクの影だ」と理解した上で、実物を見てみたくなった。

文庫本まで中指第一関節まで届いていた手を方向転換し、枕元のスマホを開く。画像検索アプリで検索をかけると、インクの影を活かした様々なポスターやイラストが次々と現れる。

その中には、絵の下や記号の傍らで影と共に踊る文字たちもいた。

斜め上空から青いスポットライトを浴びたイベントのタイトル。

イラストのインクの影の下、名脇役のように小洒落たフォントで記された説明文。

三方から光を受け、プリズムの影を纏うロゴマーク。

アプリをスクロールする度に現れるクールなインクの影とそれを活かしたデザインを眺めていると、何だか自分もハイセンスになったような錯覚を覚える。これも印刷所の照明技術者の賜物だろうか。

その心地よいぬるま湯のような錯覚に浸っている中で、ふと私の中の小説書き脳が「このインクの影を小説の演出に活かしたら格好いいのでは」と囁いてきた。我ながら非常にわくわくするアイディアだ。早速画像アプリを閉じると、そのままグーグル検索を立ち上げる。

インクの影を演出に生かすのなら、まずはインクの影と印刷所の照明技術について多少なりとも調べる必要があるだろう。それからどういった演出なら実現可能か、それでどういう話のどんなシーンで影を使うか、そういったことを考えるべきだ。

そう頭では理解しつつも、先走った脳内の左上辺りは既にあれこれと好き勝手なアイディアを浮かべ始める。

キーワードのインクだけ影をあてるのはどうだろう。いや終始特定の単語だけに照明を当てるのは、読む時に鬱陶しいかもしれない。長文全てに影があれば友人の言う通り読みづらいことこの上ないだろうが、例えば特定のシーンの文章のみ照明を落として影をつけるくらいなら平気だろうか。こんなことなら、むかし演劇の裏方もどきの手伝いをしている時にもっと照明についても聞いておけばよかった。

だが、先走るアイディアを放し飼いにしたまま二、三日ほどリサーチを続けた後、残念ながらそれまで思い付いた影の演出のほとんどを諦めた方が良さそうだ、という結論に至った。

あれこれ調べて判明した、インクの影の特性のせいだ。

そもそもこれほど面白いことが、どうしてあまり知られていないのか。文章や漫画は影があると読みづらいし、イラストも通常はデータ通りに印刷されるものばかりだから、影を写さない印刷が普通だということはもちろんある。だがそれ以上に、真正面からの照明をあえて避けて紙に写すということの難易度が、その特性により跳ね上がっていることも原因だろう。

その特性とは、インクの影が我々の影とは違い、かなり自主的で気紛れな存在だということだった。

写真の被写体で言うのなら、活発な子供や動物に近いのだ。印刷所の照明についての説明や利用者のブログでは、皆口を揃えて「インクの影は、我々の思い通りに写ってくれるとは限りません」と忠告していた。落ち着きのない影たちを宥めすかして興味を引き付け、お行儀よく紙に写ってもらうためには、印刷所の照明係でもとりわけ熟練の技が必要なのだという。

普通の小説などのように真正面から照明を当てるのであれば、すぐ近くにいるインクがしっかりと影を押さえている隙に写すことができる。

だが、インクと影の立ち位置がずれる場合にはそうもいかない。

結果、技術のある印刷所でも一発で思った通りの位置にインクの影を写すことは難しく、ミリ単位でのずれは仕方のないものとされるらしい。中には勝手に走り出して大きくずれた場所に写ろうとしてしまう影もいるという。

そんな訳で、原稿通りに印刷してほしい人にはお勧めできない。そして大抵の原稿は、予想外の影の動きを計算にいれて作られてはいない。だから印刷所で照明係を置いているのは、収益のためというよりも半分趣味のところがほとんどなのだそうだ。

「それこそが影を使った印刷の面白さではあります」とやはり口を揃えて言う印刷所や利用者のブログを仕事帰りの電車の中で読みながら、私はそっと溜め息をついてアイディアのほとんど全てをお蔵入りとした。

恐らく彼らの言う通りで、暴走した私の脳内の片隅が次々と繰り出したアイディアには、その面白さを活かせる要素が足りていなかったのだ。いつか別の小説を書いている時に、もっとインクの影の自由度を活かせるようなタイミングを窺った方が良いだろう。

同じようにインクの影を演出で使う小説が先に現れないことを祈りつつ、今はとりあえず照明係のいる印刷所のウェブサイトをブックマーク登録するだけに留めていると、電車がもうすぐ最寄り駅に着くという車内アナウンスが流れた。

駅を出て自宅へと向かう夜道の途中、まばらな電灯で照らされた私の影は、インクの影とは違ってどこまでも行儀よく私の後をついてくる。ように、見えた。

 

 

※吉羽善「影あそび」は、野咲タラさんの企画・編集したZineassemble』に収録された作品です。

吉羽善「影あそび」の姉妹編である、ディスプレイに映る文字のお話「五時の魍魎」をKaguya Planetにて公開中。ぜひこちらも併せてお読みください。

Kaguya Planetコンテンツ一覧

吉羽善

カクヨムで小説の発表をはじめ、2020年のゲンロン 大森望 SF創作講座の第5期を受講。第5回ゲンロンSF新人賞で選考委員特別賞を受賞。その後、『小説すばる2022年4月号』(集英社)に寄稿した「ます」でデビュー。様々な生き物を魅力的に描く書き手で、SF同人誌『Sci-Fire2021 アルコール』に寄稿した「或ルチュパカブラ」が、翌年、大森望編『ベストSF2022』(竹書房)に選出された。『小説すばる2022年11月号』に「妖精飼育日記」を、『NOVA 2023年夏号』(河出書房新社)に「犬魂けんこんの箱」を寄稿するなど、幅広く活躍中。
河出書房新社
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