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野咲タラインタビュー:身体を自由に動かせない人にとっての自由、規則とは何か 「透明な鳥の歌い方」ができるまで

シェアード・ワールド作品、野咲タラ「透明な鳥の歌い方」ができるまで

オンラインSF誌、Kaguya Planetにて配信しているSF短編小説「透明な鳥の歌い方」は、「身体を自由に動かせない人にとっての自由や規則とは何か」ということが一つのテーマの作品です。筆者、野咲タラさんに同作ができるまでのお話を伺いました。

野咲タラ「透明な鳥の歌い方」はKaguya PlanetとSF同人誌『SFG』の主催するシェアード・ワールド企画のSF掌編小説です。Kaguya Planetに掲載している枯木枕「となりあう呼吸」と世界観を共有した作品として執筆され、同じく世界観を共有しているSF掌編小説、暴力と破滅の運び手「灰は灰へ、塵は塵へ」と同時にKaguya Planetに掲載されました。
(どの作品を最初に読んでもわかる内容になっています。)

野咲タラ
大森望 ゲンロンSF創作講座 3期生。2021年には、「新しい鳥の素材」で第二回かぐやSFコンテストの選外佳作に選出。自身のnoteに自作、エッセイ、批評などを掲載。2019年に新潟の牛の話を発端にした紀行文日記「牛冷す川で泳ぐ魚の話」を作成し、グループ展示「おかやま奉還町のnew lagoon」に出展。その後も「文字を/紙に/印刷する」ことをテーマにした『ぬなはおふ池に映る夜』(2020年)、掌編小説集『新しい鳥の素材史』(2021年)と、計3冊の冊子を発行している。犬と街灯主催の『島アンソロジー』に「象渡りの島」を、超短編小説アンソロジー第2弾『たまゆらのこえ』(紅坂紫編)に掌編小説を寄稿。テーマや題材を、独特の身体感覚や言語感覚でフィクションの中に体現する力を持っており、新鮮な読書体験を味わわせてくれる稀有な書き手。
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野咲タラさんインタビュー

――「透明な鳥の歌い方」の最初のアイデアや最初に考えた方向性はどんなものでしたか。

「となりあう呼吸」を読んで私が感じたのは、シャム双生児の看護婦、自由にならない崩れていく身体、ろれつが悪く言葉尻を繰り返す癖があるエコたちに対して、この作品の文体や作風から、これらの身体的な特徴が、物語のための装飾的な要素のように思えてしまい、それが私には現実で身体がうまく動かせない人たちを揶揄するように感じてしまったことへの違和感でした。身体障害者の方だったり、吃音の方だったりに対してです。主人公であるモネとマヤの比較的丈夫な身体が作中世界では現実世界と等しく優位性があるようですし、それが現実世界の一般的な健常者の容姿にも似ているように読みました。また、この作品が演劇や舞台といった身体性を伴う芸術を扱っていることもあり、余計とそう思ってしまったところもあります。その所為もあり、この作品世界では、登場する他の人物たちが、極端な言葉で言うと作品の装飾のための物語の暴力でもあるように、私は感じました。

私はその人たちの表現上の扱い方がずっと気に掛かってしまい、モネとマヤの物語の部分が全然読み込めていません。それよりなぜ、その観点にこれほど自分が気になったのか、また、そのこと自体にどうしたら良いのかについて、考えていました。私のこの反応は、過剰に気にしすぎかもしれないし、私自身が偽善的な態度であるようにも思います。私以外の多くの読者もそんな風には思ってないだろうし、作者の表現の自由もありますし、私が勝手にそう感じてしまっただけなので、自分の意見や作品にもあまり自信がありません。

批評文としてこれらのことを指摘して書くと意図せず攻撃的になる気もして、それも本意ではないので、これらの疑問から考えたものを小説の形にして、公募に応募することにしました。

――ありがとうございます。「となりあう呼吸」をどう読むかという解釈は人によって大きく異なりそうですね。編集を担当したものとしては異論もあります。ただ、そこをインタビューで掘り下げるのは「批評文ではなく小説で疑問を提示したい」という野咲さんの今のお話に反すると思うので、「そこから始まってどんなことを書こうと思ったか」をメインでお聞きできればと思います。疑問から始まって、まずはどんな参考文献を読みましたか。

今回の自分の疑問に対しては、参考になりそうなテキストとして、具体的には、音遊びの会についての大友さんの記事や伊藤 亜紗さんの『どもる体』(シリーズケアをひらく/医学書院)、またそれについて吃音当事者の方を含めたWIREDの音声対談等がとても参考になりました。ネット記事は以下のものなどです。

――参考文献を探す時のコツってありますか。

これは偶然が大きいかもしれません。音遊びの会は、2005年に結成され、知的な障害のある人とプロの演奏家の人たちが一緒に音楽活動をしている神戸のアーティスト集団ですが、去年2021年11月にCDが発売されていて、小説を書いていた2022年3月にライブがあり、告知を兼ねた大友さんのインタヴューがいくつか掲載されていた時期でした。また、私が2月と3月は神戸の映画館へレクチャー付きの上映に何度か行っていて、そこで偶然映画好きの吃音持ちの友人に会ったり、音遊びの会のサポートメンバーの友達に会ったりしました。伊藤亜紗さんのWIDER音声対談は、「GUNDA グンダ」という映画を観に行こうか迷っていて、映画のサイトを見ていたらDosMonosの荘子it氏のキレの良さが半端ないコメントを読んで、以前にWIDERで伊藤亜紗さんとDosMonosの方々が対談していたのを思い出して聞き直したりして、そこから元の伊藤亜紗『どもる体』を読み直したりしました。

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改めて考えると今回の場合は、生活上で向こうからやってくるものを読んだり、かつて読んだ何かを思い出したりするのがコツでしょうか。

――そこからどんな風に話を作って/広げていきましたか。

参考にした記事や本に書かれていたことを要約すると、

①身体を自由に動かせない人にとっての自由とは何か、規則とは何か
②「自由に動かせる人(=便宜上、健常者)」と違う自由や規則を持つ人を理解するには文化人類学的な視点による観察と他者理解が必要なのではないか、

と言うようなことが書かれていました。

また、「正常な、健康な身体性は社会規範が決めていて、それに適合するとうまく暮らしていける」とは河野咲子さんがダールグレーンラジオというSF創作講座の受講生を勝手に応援するラジオで言及していたのですが(6月に公開された回なので小説を書く際に直接影響は受けていませんが、考えていることがうまくまとまっているので引用させていただきます)、うまく身体を動かせないことになぜ私が気になるのか、と言うのはまさにそのような観点を私自身がどう扱うべきか、と言うことを考えたかったのだと思います。

つまり、うまく動かせない身体とは、自らの意思に反して〈うまく動かせない身体〉であり、かつ、それが社会的規範が決めている〈正常〉や〈健康〉の外側にある場合、身体性において個人と社会の両面で二重の〈うまくいかなさ〉を抱えることになります。

さらに、社会的規範と個人の意思の両方の兼ね合いの元に、芸術は芸術として成り立つものだと私は考えるので、そういう意味で、うまく動かせない身体性の(個人的であり社会的な)問題と、その身体性から生み出される(社会的であり個人的な)芸術とは何かについては、最も慎重に考えないといけないことではないか、そうでないと、いわゆる社会的な弱者が芸術に搾取される構造になりうる可能性もあるのではないか、それを回避する構造とは何か、を考えながら書いた話が、「透明な鳥の歌い方」という話であり、透明な鳥とその生態です。

注意として、芸術に対する考え方は、人それぞれだと思うので、あくまで私の考える芸術です。だけど、「となりあう呼吸」の芸術の考え方は、私の考える芸術とは異なっていたので、そこも原作に違和感を持ってしまった原因だと思います。そのどちらが正しいかを議論することではないようにも思うので、私の考える芸術理論を、小説の中に書けたらいいな、と思いました。

また、「となりあう呼吸」で、崩れる人たちがあまりに作品の装飾のため、描写のために描かれすぎているように感じたのは、その彼ら自体が何を考えているのか、どういう意志で何をしようとしているのか、などが書かれていないことも要因の一つだと思いました。そこを自分の小説では考えたいな、と思って書いています。

――うまく動かせない身体性を「透明な鳥」という存在によって表現しようと思ったのはなぜですか。

「①身体を自由に動かせない人にとっての自由とは何か、規則とは何か」というのが、音遊びの会のインタビューと『どもる体』の両方に共通して書かれていたことでした。

音遊びの会では、メンバーの知的な障害のある人は社会的な規則から自由すぎるということでもあり、そういう場合、音楽をするという行為のきっかけを作ること、つまり規則をわかりやすく提示することが大事だと発見した話がありました。インタビューには舞台を作り、拍手をすることで、音楽への集中力が高まり、演奏の終わりが出来るようになった、という方法論が書かれていました。音楽を作るにはいろんな方法があるのだと思うのですが、少なくとも音遊びの会ではこの方法で10年以上活動をしていて、その説得力もあって、自分たちに合った芸術の方法論を見つけ出すことのおもしろさを感じ、「透明な鳥の歌い方」に取り入れしようと考えました。それは、「透明な鳥」の生態でもあるし、タイトルの「歌い方」の部分にも反映されています。

また、吃音が出てしまうとき、拍子をつけると言葉が出やすくなったりするとあり、規則にしばられ過ぎてもうまく行かず、けれど自由過ぎてもうまく行かず、規則と自由を行き来する話が興味深いな、と思うと同時に、そういう風に規則や自由を感じれる身体を持つということは、障害というより感性や能力のようにも思えてきました。「正常な、健康な身体性は社会規範が決めていて、それに適合するとうまく暮らしていける」ということなので、現実的な生活の中にはいろんな生きにくさはあると思うのですが。

そういう興味を持ったことを、抽象的な別な形に変換させたりして、小説に反映させて書いたりしました。抽象化しすぎて、本文だけ読んでもあまりことはどこに書かれてるの?って感じかもしれません。リサーチが大事と言いながら、それをそのまま書く、ということもあまりしないです。

――「ひひひひひひ孫」や「健康革命」などの言葉遣いが印象的でした。

ひひひひひひ孫は、伊藤亜沙さんが上記WIDERのトークで、子供としゃべっている時に〈図工〉のことを〈図図工〉ってどもってしまったけど、図工は時間割で繋がってるので、〈図図工〉っていう言い方はいいね、っていうエピソードが紹介されていたのですが、それがおもしろくて、文字を重ねると時間を表すというのがおもしろいな、というのもあり、ひひ孫はもともとある言葉ですが、文字を過剰にかさねて時間を表す案を盛り込みたくなりました。

――ブロッコリーを出そうと思ったのはなぜですか。

いくつか理由があります。まず、今年ブロッコリーが豊作で、美味しかったので。日記的な要素を私は小説に入れていてその一環です。それから、ブロッコリーをウィキペディアで調べたらおもしろかったので。健康の象徴であること。(これは原作ではりんごなんだと思うのですが、別の形での健康の提示)、アメリカでの裁判事例、ブロッコリーという名前のプロデューサーの話等です。他にも家にある野菜の本のブロッコリーの項などを読んだりしました。

――「健康革命」というワードはどこから思いついたのですか。

これは、一つ前の質問の続きでもあるのですが、『新潮』(2022年2月号)に発表されていた、劇団チェルフィッチュを主催する岡田利規氏の「ブロッコリーレボリューション」という小説を読みました。三島由紀夫賞を受賞した作品です。チェルフィッチュの演劇は身体性の演出に特徴があり、演劇や身体性を扱った原作にリンクすることもあり、言葉として組み込んでみました。また、「ブロッコリーレボリューション」とは実際にタイにあるおしゃれカフェなのだそうですが、やはりタイでも革命に修飾されるくらい、健康の表象なのもおもしろいと思いました。

小説自体は、タイと親交のある岡田氏がタイの政治問題と日本の政治の問題を背景にした人称の運びが独特な旅行記のような小説です。

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――ツイッターで畑をされているということを呟かれていましたが、「透明な鳥の歌い方」を書かれる上で活かしたことなどありますか。

10年くらい京都で市民農園を借りて小さな畑をしているのですが、ブロッコリーやキャベツも冬野菜として植えます。一度ブロッコリーがすごく大きく育った年がありました。その大きなブロッコリーの頭の上に鳥が乗ってそうだな、というのは具体的にイメージができるというのは、畑をやっていたからだと思います。あと、おじいさんの畑の具体的な作業方法なども、普段畑で考えていたり作業していたりすることです。

――最後に、シェアード・ワールド企画の感想をお願いします。

私の小説の作品はこのインタビューで述べたように、ちょっと神経質な感じで今回の企画を捉えてしまい、小説を書いてしまったところがあるのですが、同時に採用された暴力と破滅の運び手さんの作品「灰は灰へ、塵は塵へ」が、崩れていく体うまく動かせない体という世界設定は共通なのに、完全にエンターテイメントに仕上がっていて、なおかつ知的で良質なユーモアに溢れた作品で、読んでとても救われました。崩れる体を感情豊かに捉えるところや、崩れる体をオペラが安楽死の装置になったり国家が仕組む暗殺に転用されたり、サスペンス展開など、物語の楽しさに溢れる小説でした。自分と違うアプローチをしていて、とてもおもしろくて、そういう自分が考えてもたどり着かないところへ、ほかの作品で発見することが、シェアード・ワールド企画の醍醐味なのかな、と思います。なので、暴力と破滅の運び手さんの作品には、とても感謝しています。ありがとうございました。

――野咲さんもシェアード・ワールド企画にご参加いただき、ありがとうございました!

 

野咲タラ「透明な鳥の歌い方」、暴力と破滅の運び手「灰は灰へ、塵は塵へ」、枯木枕「となりあう呼吸」はKaguya Planetにて一般公開中!

井上 彼方

1994年生まれ。VG+合同会社クリエイティブ・ディレクター。2020年、第1回かぐやSFコンテストで審査員を務める。同年よりSF短編小説をオンラインで定期掲載するKaguya Planetでコーディネーターを務める。編著書に『社会・からだ・私についてフェミニズムと考える本』(2020, 社会評論社)。

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