野咲タラ「透明な鳥の歌い方」 | VG+ (バゴプラ)

野咲タラ「透明な鳥の歌い方」

カバーデザイン 梅野克晃

先行公開日:2022.5.28 一般公開日:2022.6.25

野咲タラ「透明な鳥の歌い方」
7,396字

その鳥は霧から生まれる。山のふもとの霧はいつも濃く、日中さえ視界を白くさせる。近くにある湖の水を多く含んだ空気がなだれ込むせいだ。霧ははじめ小さな粒である。そのうちとなりあう粒がくっ付き合い、くるんと粒同士の結合を繰り返して、その粒を大きくする。大きくなっていく水の塊は透き通ったまま、とても繊細なバランスを保つ。そのうち塊の表面がうごめき出すと翼が生えてくる。それは霧としてただ宙を漂うだけではなくなり、意思を持った翼で飛ぶ存在になる。そういうわけで山のふもとの一帯の白い霧の中には、ガラスのように透き通った身体を持つ小さな鳥がたくさん飛んでいる。

そうはいっても、透明な鳥たちを見つけることはなかなかに難しいのかもしれない。視界を白くて濃い霧に遮られて見えないのか。それとも透明な身体だから見えないのか。その両方かもしれない。

それならば試しに耳を澄ませてみたらいい。霧全体がうなって聞こえる。それは倍音の集合だ。透明な鳥たちは身体の中から響かせた歌声を聞かせる。

そのうち一羽の鳥が翼を羽ばたかせて、そっと霧から身を剥がす。山のふもとを離れて自らの意思と好奇心の赴くままに奥に続く森へ向かう。

森を進むごとに霧は次第に薄れていく。木々の合間を縫って差し込む木漏れ日が降り注ぐ。その木漏れ日の中を進み、一つ峠を越えたところに、地面から生えて黒々とした硬くて冷たい岩が佇んでいた。その岩にぶつかることなく、ひゅっと簡単に飛び越えると、ふわっと一気に視界がひらける。眼下には茶色い平らな地面が広がり、一面に何本もの土の線が引かれている。線の上には緑色が順番に並ぶ。丸い球ともじゃもじゃした頭。それぞれがそれぞれに列になっている。ちょっとどこかで休もうとそのひとつに近づく。

さっきからずっと虹色に光る小さな影が空から落ちてきている。太陽の光が透明な身体を通り抜けて虹を作るのだ。それは透明な鳥だった。透明な鳥はどこから来るのか一向にわからなかった。いつの頃からか、たまに現れるようになり、やって来ては、またどこかへ消えていく。その間、透明な鳥たちは思い思いに自分の頭の上に止まっていく。

「ここはふかふかして居心地がいいね。あっちの丸いのは、つるつる滑って千鳥足になる」

「だけど元をたどればブロッコリーはキャベツと同じケールだよ」

「全然なにも同じじゃないじゃない。酔っ払ったみたいなこといってら」

「そんなことはない。そもそも同じ野菜だし」

「君と似たやつは黒い岩の向こう側でたくさん見たよ。枝が伸びて、ふかふかした葉っぱが覆ってた」

「森の樹木は全然違うよ。こっちのふかふかは葉っぱじゃなくて、花のつぼみの集合体だからね。そのうち黄色い花が咲くよ」

ブロッコリーが思い出している小さい頃の記憶は、自分自身の記憶なのか、細胞に刻まれた種の歴史としての記憶なのか、いつもわからない。野菜は人の手によって人に都合よく改良された植物で、ブロッコリーとキャベツはずっと昔は同じケールだった。管理方法がよく似たブロッコリーとキャベツの苗は、この農園でも長い畝を順番に埋めていく。苗だった頃、となりあって並んだブロッコリーはキャベツと同じ形をしていた。ひょろっと一本伸びた茎の左右に葉っぱがついていて、その繊細で弱そうな幼少期に、周囲たっぷり50センチの余裕を持って地面に植えられる。それが成長して立派な野菜となれば、太陽だったり、木だったり。全く別々の形になる。

「畑で野菜を植えることには予測が大事です。植物は、そして野菜作りに関しては特に、一度植えたらそれを植え替えたり移動させたりはしないことです。根を張ったところから成長していきます。無駄に移動させて根を傷つけたりしてはいけません。そのため、先を予測しながらその時々にふさわしい作業をすることが野菜作りには肝心です」

毎日被っているお気に入りの緑色の帽子をかぶり直しながら、老人は緊張しつつも、普段を装った声でしゃべっている。それは今年のブロッコリーがいつも以上に豊作だった事の記録だ。マイクが掲載された小型ドローンはハンミョウを模した虫型をしている。ハンミョウに道しるべの別名があるように、人の行く先、未来を案内するのは正確な記録であるという理念を具現化するとともに、構造色による美しい色合いは、監視ではなくあくまで記録の創造であることを表す。ドローンは集音の他、撮影機、司令機、故障機回収機といった役目を細分化させ、より細やかな客観的情報を収集するように設計されている。統合された情報は俯瞰した一つの人工的な風景を形造る。

透明な鳥は虫型ドローンと一緒に、老人の周りを元気に飛び回る。だけど老人は記録作業に夢中で透明な鳥には気が付かない。

ブロッコリーは健康的な野菜の代名詞である。野菜を食べることはそもそも健康的とされるが、より健康を促進させる野菜がブロッコリーである。実際のところ栄養価が高く、健康をめぐる裁判に引き合いに出され、健康革命を表現する。もはや戦う健康の象徴だ。老人はブロッコリーのそういうところを好み、栽培し、人々の健康を促進させることに誇りを感じている。

こういった山間の農園に従事するのは老人ばかりで、世代的な特徴である丈夫な身体で異様な生命維持、健康を保つ。それが毎日食べている野菜のお陰なのか、若い時分のある時期の政策によって施されて腐らない身体になったせいなのかは定かではない。いずれにせよ、老人たちは自分たちの長寿と健康に満足していた。

一方で、グリーン帽の老人の子どもたちは街で離れて暮らす。子どもといっても、自分の息子たちや娘たちではなく、世代交代を繰り返し、もうひひひひひひ孫の代になっている。自分たちの世代だけが健康に長生きをして、死ぬ事がない。いつまでも死なない老人たちは、もう死んでしまった幽霊みたいに永遠の時間を持ち合わせている。

定期的にやって来る無人トラックを招き入れる時だけ、農園の入り口にある鉄製の硬い扉が開く。自動運転によってコンテナが次々と積まれていく。ブロッコリーは花が咲く前の蕾がしっかり詰まった時期に収穫され、街へと出荷されていく。街は工場ばかりで野菜が育つ土地もないから、代わりに農園で街の人たちの食べる分の野菜も全部まとめて作る。トラックの荷台に山積みになったブロッコリーが運ばれていく光景を、老人は嬉しそうに見送る。ひひひひひひ孫たちの住む街へとつながっているからだ。そのトラックの行き先がどんなところなのか、まだ一度も確かめたことがない分、想像が膨らむ。老人はいつかひひひひひひ孫に会いたいと思いながら、今日もひたすら自分と子どもたちのために野菜を作り続けている。

老人の元へはたまに電話が掛かってくる。姿は見えないけれど、電話越しにたどたどしい小さな声が響く。子どもたちからだ。

先日もひひひひひひ孫から電話が掛かってきた。そうやってたまに電話で話をするけれど、もうずっと子どもたちには会えていない。声の主とは会わないまま、そのうち次の代の子供が電話を掛けてくる。ひひひひひ孫の時もそうだった。ひひひひ孫の時も、ひひひ孫の時も。親の安否を訪ねても、よくわからないと言ってなんとなく誤魔化すので、自分の名前もろくに言えない子どもに無理強いするのもはばかられてしまう。名前を言えないからといって勝手に名付けることも出来ず、「私のひひひひひひ孫」と呼びかける。それから、老人は農園のことを話して聞かせてやる。すると、ひひひひひひ孫は農園に遊びに行きたいと言って喜ぶ。実のところ、ひひひひひひ孫も、その前のひひひひひ孫も、ひひひひ孫も、ひひひ孫も、この農園に来たがった。だけどひひひひひひ孫も、その前のひひひひひ孫も、ひひひひ孫も、ひひひ孫も、まだ農園にやって来たことがない。もし、子どもたちがこの農園にやって来たなら、どんなに嬉しいことだろう、と老人はその日が来るのを農作業をしながらずっと待っている。

「ケケケケケケ、くだらないおしゃべりばっかりして」

といったのは土の中からのそのそと頭を出した蛙だった。土の中から出てきたところで、灰色と茶色の混ざった身体は地面の上でどこにいるのかわかりにくい。

「ケケケ、うるさいのはあんたかい。あんた見かけないね。どこから来たんだ?」

「山のふもとにある水辺のそばから」

「ケケケケケケ、おや、懐かしい。湖だね。わたしもその湖で生まれたよ。まだ足がなかった頃だね」蛙はサーカスのピエロが宙返りをするように、ひと跳ねした。

「ブロッコリーはどこから来たの?」

「ケケケケケケ、こいつはここから動いたことがないよ」

「そんなことない。ぼくは海を渡って来たんだから」

「ケケケケ、ほらはじまった。ブロッコリーはいつだって、いつのことだかわからない朦朧とした自慢話をするんだ」

「海ってなによ?」

「湖よりももっともっと大きな水の塊だよ」

「そんなのどこにあるの?」

「ここよりずっと遠くの方だよ」

「何があるのさ?」

「大きすぎてまったく見えないずっと先の向こう岸に、こことは違う別の地面がたくさん広がっている」

「おもしろそうね。次は海に行ってみたい。目印はあるの?」

「目印はそうだね、海はただ大きくてね、青いよ」

透明な鳥はひたすら頭の上の青色を追いかける。海を探して飛んでいるのだ。透明な鳥が一番よく知っている青色は空だから。小さな透明な体を青色に染めながら重力に逆らう。風は強く、空気は冷たい。けれど、向かう先、吸い込まれるような青色には、一向にたどり着くことが出来ない。どこまで行っても大きな青色の塊は現れない。次第に重力を大きく感じるようになってくる。自分の重さは僅かしかないはずなのに、とうとうそれに抗いきれず、透明な鳥は飛び続けることを諦め、地面に引き戻されはじめる。落下が始まった身体から眼下をふと見ると、向かう地面には緑色の異なる濃さや黄緑色がまだらを作り、そこに薄桃色や薄紫色や白が加わる。それら新緑や季節の花の賑わう森の中に、小さな点になった青色が見えた。それから、それよりさらにはるか遠くの方に、もっと大きな青色の塊が広がっているのが見えた。

疲れた透明な鳥は、再びブロッコリーの上にいくつも虹色の影を落とす。白い蝶が黄色い卵をブロッコリーの葉や茎に落とすように。卵から孵った幼虫は白と黒の混ざった色で鳥の糞を模している。幼虫はブロッコリーの身体を一生懸命食べていく。幼虫はどんどんと大きくなり、その分だけブロッコリーは小さくなって、なくなっていく。そうなる前に、ブルドッグは白い蝶を追いかけて、殺すように改良されている。牛を殺す見世物のために改良されたブルドッグは、今や牛ではなく蝶を追いかけるようになった。害虫駆除の役割を担うブルドッグによって、この農園は無農薬栽培に取り組む。より健康な野菜作りを目指すために、ブルドッグは重宝されている。

白い蝶を追いかけていた灰色のブルドッグが、畝と畝の間を走り回るのを急にやめて立ち止まる。しばらくじっと宙を見る。透明な鳥に反射した光が眩しく光って、目の中にキラキラが入ってくるのだろう。ブルドッグが吠えた。

「突然なにさ。急に大きな声でびっくりした」

「そいつはブルドッグだよ」

「ブロッコリーとブルドッグ、似た名前ね」透明な鳥が言う。

「最初のブが一緒なだけじゃないか」ブロッコリーは不愉快な気分で即座に答える。

透明な鳥はブルドッグを怖がってくるくる回る。そのせいで余計に太陽が反射して光り、ブルドッグはさらに一層よく吠える。だけど、知らない言葉でいくら何かを言われても、言いたいことがわからない。

似たくない者と一緒にされると、些細な共通項に過敏になる。最初の文字、改良されて作られたという歴史。ブルドッグも自分も、人の手によって人に都合よく改良された。だけど自分は何かをいじめたり殺したりはしない。そうかといって、ブルドッグだって牛殺しや蝶追いになることを自ら選択したわけでもなく、他者によって組み込まれた攻撃性に感じる嫌悪に加え、さらにそれが自分たちを守るために施された改良であることに、ブロッコリーはいたたまれない気持ちになる。目の前の不条理に対する思考停止は、新たな不条理を生み出す。不条理こそ暴力だ。

ブロッコリーはブルドッグの真似をして吠えた。

そうすると空まで吠えはじめる。雷鳴は雨の予兆だ。山の天気は移ろいやすい。さっきまで青色を保っていた空がみるみると暗い灰色になる。集まった雲は雨を降らす。蛙は仲間たちと一緒に雨を祝うためにあちらこちらで鳴き始める。重なりあった低い音は、雨の音とともに農園全体を立体的なものに感じさせる。

もう随分と前のことになる。農園に雨が降ると見慣れない塊が落ちていることがあった。ブロッコリーの畝と畝の間に水に濡れてぐちゃぐちゃになった不気味な物体があり、悪臭を放つ。雨は匂いを搔き消すどころか、際立たせる。地面には塊が這った痕跡がずっと遠くの方から連なっていた。老人が見つけた時にはもはや塊は移動していなかったが、雨に打たれながら崩れていく。それは角砂糖が溶けるようにも、能動的なうごめきのようにも見えた。雨が上がると老人は鼻を背けて顔を歪めながら、少しも残さずその塊を集めて袋に入れ、次に来たトラックに乗せて処分する。老人は異物を追い出せたことに安心した。

だけど、そういうことが何度かあった。老人は得体の知れないその塊が畑の環境を汚す可能性を危惧しはじめ、農園の土地が汚れることに非常に神経質になる。健康的な野菜を作るには、農園の土壌は綺麗でなければならない。それに子どもたちがいつ農園に遊びに来てもいいように、安心した場所に保ちたかった。そして、何度目かの異物の侵入を確認した時、とうとう老人は我慢ができなくなり、黒い大きな鉄の扉を閉めて外界からの異物侵入を拒んだ。それ以来、農園は安全な土地なのだ。

そのうち再び空は晴れて太陽が現れる。雨が上がり、農園にいた透明な鳥は氷が溶けるように消えていた。

街は視界が悪かった。空が常に曇っているのは雨を降らすための雲で覆われているのではなく、工業から吐き出された煙が街を空まですっかり覆っているせいだ。街全体がくすんだ灰色一色で、むしろ雨一滴すら降らずに常に乾燥している。その中を虫型ドローンが飛ぶけれど、視界の悪さはその存在すら街の者たちに気づかせない。そもそも街の者たちが自分以外の周りを見る余裕があるかどうかも疑わしい。煙を吸い込みながら暮らす街の者の身体は世代を追うごとに脆くなり、ちょっとした衝撃で簡単にその身体は崩れて塵や欠片になるようになった。個体としての身体の形成が弱くなるにつれ、人の関係性も希薄になる。親も自分の名前すらもわからない子らが煙の街を彷徨う。街に住む人びとの短い未来のために、煙によって不正確な記録が残されていく。

不安定さの中にも、ささやかであろうと楽しみは生まれる。ある子にしてみれば、この殺風景な街で色を探すことが好きだった。混ざり合って灰色になる前の、工場の煙突から出てくる柔らかな形の赤やピンク、黄色、青色が生まれては消えていく様子を、仕事の合間に飽きずにずっと眺めている。街に落ちていた美しい色をした虫の死体は宝物だ。美しい色はいつまでも色あせることがない。

別の子は、路上で小さな紙屑にとり憑かれた。埃に紛れて付きまとう小さな紙屑は払っても追いやってもまた自分の近くに落ちて付き纏ってくる。その紙屑を拾ってみると、ザラついた紙面に少し滲んだペンで書かれた数字が並んでおり、その数字が全体で電話番号を意味するものだとわかるまでにずいぶん時間がかかった。靴磨きで稼いだお金を溜めて、その番号に電話を掛ける。「おじいちゃん」と名乗る電話口の相手は、自分のことを「ひひひひひひ孫」と名付けてくれて、たくさんの話を聞かせてくれる。優しい声の「おじいちゃん」に、いつか会いに行きたいと思う。偶然には何の因果もない。

酒かクスリか、現実逃避を試みた千鳥足の酔っ払いが路地で子の一人にぶつかる。そんなことはよくあることだ。大きな衝撃は、より丈夫な身体でより弱い身体を砕く。工場からの煙に紛れて路地で塵になった子らの身体は、全てをきれいに片付けられもせず、適当なちりとりからこぼれて欠片となり地面をさまよう。欠片は風に運ばれ、街から遠く離れた山のふもとまで行き着き、吹き溜まる。そこに辿り着く頃には子らは人の目に見えないほど微細なものになっていた。だけどいくら小さくなろうとも、それは子らの欠片だった。そして彼らの身体はエアロゾルとなり、霧となる。

霧になった子らは、となりあう互いの水の粒で出来た身体に手を伸ばし合う。核にあるのがかつて自分の一部であろうと、見知らぬ誰かの一部であろうと構わない。子らが纏った水は簡単にくっ付き合い、合わさったその粒を大きくする。子らは世界への好奇心を募らせ、意志は翼を生やしていく。そうして子らは透明な鳥になった。

街にいた頃と違い、地面から離れて軽くなった身体は、地面から自由になるための身体だ。それからただ宙をただようだけではなく、翼を持ち自由に飛ぶこともできるようになった。意志が身体と直接的に関係し合う。

鳥が奏でる倍音は、となりあう子らが互いの音を注意深く聴き合ったためであり、同時に、互いの音を軽やかに響かせたせいでもある。

その山のふもと一帯の霧には小さな透明な鳥がたくさん飛んでいる。目の前を遮る白いもやを目を凝らしてよく見ると、そこには鳥がいるのだ。もし目の前がやはり真っ白で一面が霧にしか見えなければ、耳を澄ましてみたらいい。倍音の重なりが響いているだろう。それは街にいた頃、舌打ちすら煙の中でかき消されて誰にも聞こえなかった子らの歌う声だ。

朝日が昇り光が差し込むと鳥たちは歌うのをやめる。拍手を浴びるように光に満たされ、それを合図に舞台の幕がゆっくりと閉じていく。そこには湖からの湿った空気は届かず、乾いた空気に透明な鳥の身体が解体されていく。となりあっていた子らはまたばらばらになり、再び地面に降りる。お互いをつなぎあっていた身体から自由になった。

またいつでも霧になる準備が始まる。次は本当の海へ飛ぶ。

 

 

 

野咲タラ「透明な鳥の歌い方」はKaguya PlanetとSF同人誌『SFG』の主催するシェアード・ワールド企画の作品です。Kaguya Planetに掲載している枯木枕「となりあう呼吸」と世界観を共有する作品として執筆されました。またKaguya Planetにはシェアード・ワールド作品としてもう1編、暴力と破滅の運び手「灰から灰へ、塵から塵へ」を掲載しています。
そして『SFG vol.4』には枯木さん自身による姉妹編「ささやかなおとの鳴る」が掲載されています。詳細はこちら

 

野咲タラ

大森望 ゲンロンSF創作講座 3期生。2021年には、「新しい鳥の素材」で第二回かぐやSFコンテストの選外佳作に選出。自身のnoteに自作、エッセイ、批評などを掲載。2019年に新潟の牛の話を発端にした紀行文日記「牛冷す川で泳ぐ魚の話」を作成し、グループ展示「おかやま奉還町のnew lagoon」に出展。その後も「文字を/紙に/印刷する」ことをテーマにした『ぬなはおふ池に映る夜』(2020年)、掌編小説集『新しい鳥の素材史』(2021年)と、計3冊の冊子を発行している。犬と街灯主催の『島アンソロジー』に「象渡りの島」を、超短編小説アンソロジー第2弾『たまゆらのこえ』(紅坂紫編)に掌編小説を寄稿。テーマや題材を、独特の身体感覚や言語感覚でフィクションの中に体現する力を持っており、新鮮な読書体験を味わわせてくれる稀有な書き手。
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