2期第3話ネタバレ感想!『マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝 2nd-覚醒前夜-』あらすじ・解説 | VG+ (バゴプラ)

2期第3話ネタバレ感想!『マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝 2nd-覚醒前夜-』あらすじ・解説

(C)Magica Quartet/Aniplex・Magia Record Anime Partners

『マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝 2nd-覚醒前夜-』放送開始!!

2011年にTV放送され、当時社会現象とも呼べるヒットを記録した『魔法少女まどか☆マギカ』(以下、まどマギ)。その外伝作品である『マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝』(以下、マギレコ)の2期作品、『マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝 2nd-覚醒前夜-』が2021年7月31日よりTOKYO MX、MBSその他でTV放送、ABEMA、dアニメストア他で配信開始されている。

今回は早速、第3話のあらすじと感想をネタバレありでお届けしよう。

第3話「持ちきれないほどあったでしょ」 あらすじ・感想

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繋がる”噂”

ねむの黒江に対する依頼は「環いろはを救って欲しい」というものだった。ねむによればすべての”噂”は根底で繋がっており、記憶ミュージアムで姿を消したいろはが辿り着くとすればそれは万年桜の噂だろうとのことだった。

いろはのドッペルの中

万年桜の噂の中でいろはと再会したやちよと黒江は、そのままいろはのドッペルに吸い込まれてしまう。やちよが目を覚ますとそこはみかづき荘の自室だった。ドアを開けて入ってくる鶴乃、フェリシア、さなの三人の姿に驚き、やちよがいろはの部屋に行くとそこにはいろはが寝ていた。無事を喜んでいろはを抱き締めるやちよ。しかしいろはの顔にはドッペルの影がちらつく。

食卓でやちよの作った朝食を囲むいろは、鶴乃、フェリシア、さなの四人を後目にやちよは黒江とともにカウンターに座り、どうやらいろはのドッペルに吸い込まれたらしいと語る。

その時、黒江は知り合いではない筈のフェリシアとさなから親しげに話し掛けられて戸惑う。やちよは黒江から万年桜の噂について書かれた紙を受け取り、いろはに本当に自分の知っているいろはなのかと問う。その「妹思いの」という言葉にいろはが動揺を見せた途端、周囲の景色はみかづき荘から電車の中へと変わる。黒江が混乱していると、いろはが「寝ぼけてるんですか」と嗜める。やちよ、いろは、黒江の三人でいろはの妹のお見舞いに行く途中らしい。

里見メディカルセンターの病室

里見メディカルセンターに着いたやちよ、いろは、黒江の三人が病室に入ると灯花とねむが踊っていた。黒江から神浜市の噂は全部ねむが作ったのだと聞かされたやちよは、神浜市の噂とこの病室の記憶の関係を疑う。いろははピンク色の髪を縫い付けたクマのぬいぐるみを抱いて「うい」と話し掛ける。その様子を見てここがいろはの夢の中だと見当を付けるやちよ。だからいろはの知り合いはみんな知り合い同士だったのだ。

噂を制御できる筈のねむの手にも負えないということは、ここは噂の空間ではなくいろはのドッペルの中だと見抜いたやちよは出口を探す。やちよによれば、ドッペルは「ソウルジェムの濁りを魔女化させて身体の一部とともに切り離」して自在に操ることが出来るものだが、ドッペルが現れ続けているということは現実のいろはのソウルジェムも濁り続けているのではないかということだった。

いずれにせよ、ドッペルを倒さない限りここからは出られない。いろはの身を案じるやちよはいろはのベッドに開いた窓から更なる夢の世界へと足を踏み込むが、追って来ようとする黒江にマギウスの翼の手を借りる気はないと言って刃を突き付ける。黒江がこの世界のいろはは本物なのかと問うと、やちよは根拠はないが本物だと思うと言い残して一人歩を進める。

その窓の中の世界はゴッホのような西洋絵画風のタッチで描かれ、現実世界と変わらない質感の夢の世界から差別化されている。果たしてやちよは無事にいろはを救い出し現実世界へと帰ることができるのだろうか?

いろはのドッペルの正体

ベッドから降り、本当に魔女の結界に居るみたいだと独り言をこぼした黒江の後ろに突如現れたいろは。「魔女」という言葉にいろはが反応すると辺りの景色はたちまち魔女結界の中へと変わる。チームみかづき荘の連携プレーで魔女を撃破したいろははグリーフシードを腕一杯に抱えて黒江にも渡そうとしてくる。このいろはが本物かどうかの見極めがつかない黒江。

一方、絵画のような質感の世界を抜けたやちよは夢の輪郭が雑になった半透明のいろはと出会う。同じく半透明のフェリシア、鶴乃、さなが現れるが、やちよがそれらを斬ると花火のように弾けて消えた。

そして花火を燃やすいろはの手元へと繋がるのだが、このイメージの連鎖が見事だ。黒江はみかづき荘の面々が花火に興じる場に居合わせるが、そこには現在単独行動をしている筈のやちよの姿もあった。どうやら本人がその場に居ない時には勝手に補完されるらしい。やちよは「夢の最果て」に辿り着きいろはに「うい」と呼ばれていたクマのぬいぐるみを見付けるが、それ以上先へは進めなかった。

いろはの横で布団に入った黒江は、いろはに何故妹がぬいぐるみなのかを訊ねる。するといろはの表情が一変し、ドッペルが姿を現す。ドッペルはいろはの中に隠れていたのだ。いろはのドッペルに拘束された黒江を間一髪のところでやちよが助ける。

ドッペルはいろはの不安から生まれたものだった。噂の底で深い眠りに落ちたいろはは、妹や仲間のことや魔法少女が魔女になるという真実を知ったことから不安定になり悪夢を見るようになった。その所為でソウルジェムは今も濁り続けてしまっているらしい。ドッペルはそんないろはのために理想の妹、仲間、世界を夢の世界で上書きしていた。クマのぬいぐるみは、ドッペルによって作られた仮の妹の姿だった。

しかし、やちよは妹はただ可愛いだけの存在だったのかといろはに問う。自分たちの関わりも綺麗なだけのものでは決してなかった筈だ、と。けれど辛く苦しい時間の中で確かに出会い、関係を深めてきたのが自分たちだった筈だ、綺麗なだけの夢に惑わされるなと言ってやちよはいろはのドッペルと戦う。やちよは言う、「理想の世界が何? 私たちの怒りや悲しみは、都合の良い偽物となんて交換出来たりしない」

下がっていろと言われた黒江も自らいろはを救いたいと決心して戦う。そして二人は合体技である「コネクト」を発動させ、見事いろはのドッペルを打ち破る。

万年桜の下で無事にいろはと再会したやちよ。「死なない」という約束を果たしたと言ういろはをやちよは抱き締める。二人をそっと見守る黒江。

一方、まどかはマミに送ったメッセージに返信がないことを気にしていた。雨の中、「何があっても私がみんなを助けてみせるから」という一文を最後にマミからの返信が表示されていないスマホを握り締め、まどかは決意の表情を固める。

待て、次回。

第3話「持ちきれないほどあったでしょ」感想

「感動」と「暴力」

以上、第3話のあらすじをざっと振り返ってみた。

個人的にはマギレコはまどマギ本編よりも楽しんで観ているかも知れない。電車や街並みの情景描写が、ありそうでなさそうな、日本的な部分とヨーロッパ的な部分が混ざり合ったような、夢と現実の狭間にあるような景色に感じられて心を掴まれる。これはまどマギの頃から意識されていた部分らしいが、それがより明確に描かれていると感じる。世界観は未だに筆者の心を掴んで離さない『ブギーポップは笑わない Boogiepop Phantom』(2000)を思わせるダークファンタジーであり、かつアクションシーンなどの演出は『少女革命ウテナ』を始めとする幾原邦彦監督作品の系譜を引き継ぐような外連味に溢れたものなので、ブギーポップファン、ウテナファンには是非観て頂きたい。

感動「する」ことは可能か

第3話で、やちよはいろはの夢、理想の世界を否定して痛みのある現実世界へと連れ戻した。嘘が暴かれて真実へと至る物語には感動を覚える一方で、それが暴力的であるとも感じる。

果たしてやちよは自らが「夢を見る」側であったとしても、それでも幸福な夢を捨てて痛みに溢れた現実世界へと帰ることを選べただろうか? もしも筆者がやちよだとしたら、正直その自信はない。現実が「現実である」というだけで無条件に尊いとは思えないからだ。

とは言え物語の中ではいろはが現実世界へと帰還し、再びやちよと歩んでいく姿に感動を覚える。一体それは何故だろうか。

この問いを感動の本質的な受動性という点から考えてみたい。感動というのは、能動的に「する」ものではなく何かに触れた時に否応なく「させられてしまう」ものなのではないか。例えばスポーツを観て感動するのは何故だろうか。そこで身体を動かしているのは自分ではない。小説を読んで、映画を観て感動するのも同じだ。そこで物語世界を生きているのは決して自分ではないのに、人はその物語に触れて感動を覚える。

一方で、絵を描くことの楽しみや何かを作ることの楽しみはその行為それ自体に宿っているのではないだろうか。自らが能動的に行為することそのものに宿る楽しみと、何かに触れることで受動的にもたらされる感動とは、本質的に異なる種類の快楽であると感じる。

「感動」の持つ暴力性

嘘が暴かれ、悪が倒される物語に人が感動を覚えるのは、そこでは自らが傍観者に徹することができるからではないだろうか。それが物語であれば、自らが一方的に眼差すという態度が可能となる。受動的にただ感動を味わうことができる。

しかしそこで一方的に眼差すという態度が、厳しく言えばやはり暴力的ではあるのだと思う。本来自らが能動的に行為することによって達成しなければならないはずのタスクを、物語の中の登場人物に丸投げしてしまうからだ。けれど、その物語の中で嘘が暴かれ、悪が倒されることによってそれは「正しい」ことになり、自らが一方的に眼差しを向ける=消費するという態度の暴力性が免罪された気になるのではないだろうか。

人が何かに感動する仕組みというのはこのようなものである気がする。そしてそれは何も虚構の物語についてのみ言えることではない。現実にも、例えば障碍者が「頑張る」姿を映すドキュメンタリー番組がしばしば”感動ポルノ”と呼ばれて批判されている。アイドルやアスリートの「頑張り」は常に人々に「感動を届ける」役割を期待されている。

2021年、コロナ禍の東京においてオリンピックが強行されたのも、建前的な理屈としては「パンデミックに負けないアスリートの姿を見せることで人々を勇気付ける」というものだった。しかし、言うまでもなく実在の個人として生きる彼らは人々を感動させるための道具ではない。それぞれが個人の人生を生きている。「感動」という言葉で覆い隠されてしまうのは、そんな当たり前の事実ではないか。だからこそ、個人が個人であることを忘れて一方的に眼差しを向けて「感動」してしまえるということにある種の暴力性が付きまとうのだ。

だからと言って感動が悪いことだとは思わない。まどマギ、そしてマギレコの物語に確かに筆者は感動した。まどかが身を呈して世界を救おうとする姿に、逆にほむらが世界を生贄に差し出してまでまどかの幸せを願うというその強烈な欲望の在り方に心を動かされた。勿論、やちよが必至にいろはを取り戻そうとする姿にも。

それを味わえない世界の味気なさに、筆者自身耐えることはできないだろう。だからこうしてアニメを観て、小説を読んでいる。とは言えそれが無垢なものであると居直りたくもない。自らが誰かの夢を醒まさせようとする時、あるいは反対に夢を見せようとする時、その暴力を心のどこかで予感しながら、それでも「よりマシな夢」を作り上げたいと思う。

さて、2期も第3話にしてようやく主人公のいろはが復活した。今後まどかたちとどう絡んでいくのかも楽しみだ。それにしても気になるのはねむの言葉だ。第1話で、ねむは黒江に「君はお姉さん、いや環いろはを知っているかい?」と訊ねていた。そしてねむは何故黒江にいろはを救いに行かせたのだろうか。他のマギウスのメンバーには内密に行動しろと念を押していたことから、これはねむの独断行動だということが窺える。果たしてねむの目的、そして黒江の正体とは何なのだろうか。そして今のところ画面に姿を見せていない鶴乃がどこで何をしているのかも気になる。このまま忘れ去られなければいいが…

アニメ『マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝 2nd-覚醒前夜-』は、TOKYO MXで2021年7月31日より毎週土曜24時から放送中。

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ABEMAでは24:30より配信中。その他放映情報については公式サイトをチェック。

『マギレコ』公式サイト

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『マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝 2nd-覚醒前夜-』第2話のネタバレ感想と過去シリーズの振り返りはこちらの記事で。

第1話のネタバレ感想と過去シリーズの振り返りはこちらの記事で。

腐ってもみかん

普段は自転車で料理を運んで生計を立てる文字通りの自転車操業生活。けれど真の顔は……という冒頭から始まる変身ヒーローになりたい。文学賞獲ったらなれるかな? ラップしたり小説書いたりしてます。文章書くのは得意じゃないけどそれしかできません。明日はどっちだ!
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