【連載】Kaguya Book Review第9回 カイ・チェン・トム『危険なトランスガールのおしゃべりメモワール』 | VG+ (バゴプラ)

【連載】Kaguya Book Review第9回 カイ・チェン・トム『危険なトランスガールのおしゃべりメモワール』

Kaguya Book Review、第9回は『危険なトランスガールのおしゃべりメモワール』

月に一冊ずつ、新刊・既刊問わず素敵な翻訳作品を紹介するKaguya Book Review。第9回は、カイ・チェン・トム著・野中モモ訳の『危険なトランスガールのおしゃべりメモワール』をご紹介します。

カイ・チェン・トム著/野中モモ訳『危険なトランスガールのおしゃべりメモワール
(晶文社、2024/8発売、本体価格2,300円+税)

装丁/脇田あすか 装画/我喜屋位瑳務

蜂、イモムシ、そして蛾

ドイツ語やフランス語には、「お腹の中に蝶がいる」という表現がある。恋をして心がそわそわ落ち着かない気持ちを指すそうだ。英語にも同じ表現があるが、こちらは心配事や焦り、緊張などで落ち着かない、という、ネガティヴな意味合いも孕むらしい。どこか地に足のつかないような、自分の外のことがらが身体の中に入りこみ飛び回っているような心持ちを絶妙に表現していると思う。
しかし、カイ・チェン・トム『危険なトランスガールのおしゃべりメモワール』の主人公のお腹の中にいるのは、蜂だ。しかも、殺人蜂。蜂たちは、主人公が6歳だったある日、部屋になだれ込んできて彼女を蹂躙し、出ていったが、そのうちの何匹かは彼女の中に残った。
それからイモムシ。仲間を救うために窮地に追い込まれた主人公を、巨大なイモムシとして身体の中に顕現した良心が責め立てる。
また、作中で殺された状態で発見される、とあるトランスガールの身体のなかには、目玉模様がある緑の蛾の形をした魂がいた。最後の息とともに彼女の身体を離れた緑の蛾は、両親の元へ、話を聞いてくれる誰かの元へ、復讐に燃え立つ主人公の元へと飛んでゆく。

トランスフェムたちの奇跡通り

実家を脱走して「煙と光の都市」にたどり着いた16歳の主人公は、姉貴分のキマヤや闘志あふれるヴァラリアをはじめとするたくさんのトランス女性たちに出会う。彼女たちは「奇跡通り」という通りにあるフェム連合本部(FAB)と呼ばれる施設を根城としてセックスワークに従事し、ときおり激しく喧嘩しながらもそれなりに仲良く暮らしている。主人公は仲間の一員として迎え入れられるが、それからまもなく、仲間の一人が他殺体で見つかり……。

これまでに描かれてきた様々な作品の中で、トランスジェンダーは(悪魔化して描かれないのであれば)優等生、善き人間性の者、つまり助けを求める可哀想な無辜の存在として描かれることが多かった。しかし、著者は開始3ページのプロローグで、その手の描写にNOを突きつける。

「ううん、あたしが、本当に頭に来てるのは、こういう物語の「語られ方」なんだ──どいつもこいつもこのかわいそうなトランスの女の子が、おっぱいとヴァギナと可愛い顔を与えて素敵なドレスを着させてくれる魔法使いのおばあちゃん医者を必死で求めてると思ってる! トランスジェンダーの女の子を救え! クジラを救え! 動物園に入れろ!」

『危険なトランスガール』に出てくるのは、喧嘩が強くて不正義には黙っていられないトランス女性たち。タイトルの通り、「危険なトランスガール」たちだ。「可哀想なマイノリティ」とまなざすことをだれにも許さない。仲間を殺されたことにブチ切れたフェム(ここではトランス女性のこと)たちはギャング団を結成し、「奇跡通り」を訪れる男たち、そして世界に逆襲を仕掛ける。
そしてこの主人公はFABに集うトランス女性たちの中で最年少なのだが、中国からの移民である父親仕込みのカンフーの使い手でとくに喧嘩がめっぽう強い。その能力を最大限に生かし、男たちをどんどんボコボコにしていく。
読んでいてかなり爽快感のある逆襲劇だが、そのカタルシスは、彼女たちが日々脅かされているものから読者の目を逸らさせるようなものではない。従順でないトランスガールたちに激怒した男たちがすることは理不尽極まりなく、彼らを殴るたびにフェムたちは傷つく。
差別者によって「恐ろしい存在」と名指され、それを避けて「世間」に認めてもらうために必要以上の行儀の良さを求められてしまうトランスガールたちが、自分の怒りを正当に扱おうとする。「これが私たちの怒りで、痛みだ」と、読む私たちに突きつける。

体の中の虫たちを

主人公はまた、「世界最高のエスケープ・アーティスト」を自称している。その名の通り、とにかく逃げる。親元から逃げる。奇跡通りをふらついている男たちをぶん殴って逃げる。マッチョな男性警察官から逃げる。仲間を殺そうとする相手から逃げる(攻撃は最大の防御)。自分を大切にしてくれるかもしれない相手から逃げる。
悪態をつきまくり、いろんなものをぶん殴りながら逃走をつづける主人公に、「もう逃げなくていいんだ」と思える日は来るのだろうか。彼女はいつか殺人蜂を体から追い出し、自責のイモムシを羽化させ、自らの目玉模様の蛾を、納得のいく最期まで守り切れるのだろうか。

晶文社
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堀川夢

1993年北海道出身。編集者、ライター。得意分野は海外文学。「岸谷薄荷」名義で翻訳・創作も行なう。フェミニスト。

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