【連載】Kaguya Book Review 第2回 マリアーナ・エンリケス『寝煙草の危険』 | VG+ (バゴプラ)

【連載】Kaguya Book Review 第2回 マリアーナ・エンリケス『寝煙草の危険』

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Kaguya Book Review、第二回は『寝煙草の危険』

月に一冊ずつ、新刊・既刊問わず素敵な翻訳作品を紹介するKaguya Book Review。第二回は、マリアーナ・エンリケス著・宮﨑真紀訳のホラー短編集『寝煙草の危険』をご紹介します。

マリアーナ・エンリケス/宮﨑真紀訳『寝煙草の危険』(国書刊行会、2023/5発売、本体価格3,800円+税)

恐怖のどん底で開き直る

恐ろしいこと、取り返しのつかないことが起こったとき、自分の体から自分の意識が離れてしまうような感覚に陥ることがある。巨大な恐怖を前にして、血の気が引くと同時に、ある種のあきらめや開き直りが発生して「ここが最悪だから、うん、まあそんなものよ」という全受け入れモードに入ってしまうといえばいいだろうか。主人公が生き延びるために必死で逃げ、抵抗するホラー作品も多いけれど、すくなくとも私には、瞬間的に逃げる判断をくだせそうにない。たぶん最初に死ぬタイプだ。

麻痺する主人公たち

エンリケスが短編の主人公に据えるのは少女から中年までの女性ばかりだが、“恐怖に逃げまどう女”はほとんどいない。異質な存在や異常事態を前に恐慌状態に陥る周囲をよそに、主人公たちはその事態をそれほど怖がっていない。表題作や「展望塔」、「湧水池の聖母」に出てくる人物たちは、抑圧されていたり、疲れ切っていたり、他のことに手一杯だったりするから、邪悪なのになぜかニュートラルな視線で怪異と対峙している。恐怖に対するある種の麻痺状態というか、一歩引いた主人公の目を通した不気味さがまとわりついている。ハッピーな状態から恐怖のどん底に叩き落とされる無垢な主人公はいない。どこか苦しさを抱えている彼女たちは、コミカルで少し哀れで恐ろしく大胆だ。

あるいは、怪異の存在を普通に信じているから、科学を超越した存在に対する拒否感がなかったり、“まあそういうこともあるよね”と受け入れている主人公たちもいる。「井戸」や「誕生会でも洗礼式でもなく」がそうだ。エンリケスの出身であるアルゼンチンがホイへ・ルイス・ボルヘスを生んだマジックリアリズムの本拠地であることと結びつけるのはあまりに短絡的だけれど、超常現象が起こること自体に対する“ありえない”感は、かなり薄い。

この姿勢が際立っている作品が、冒頭の「ちっちゃな天使を掘り返す」。生後3ヶ月で死に、当時の家の裏庭に埋められた大叔母(祖母の妹)が、腐りかけたゾンビ状態で「わたし」の前に現れる。大叔母は特に危害を加えるでもなく部屋の隅に佇んで、悲しげな目で「わたし」を見つめている。頷くか、首を横に振るか程度の意思疎通はできるから、「わたし」は大叔母の望みをなんとか探り、その望みを叶えてあげるために奮闘する。

素晴らしいのが、見るからに異形で異臭を放つ存在であり、とてもかわいそうな境遇の死んだ乳児である大叔母に対し、「わたし」が極度に怖がるわけでも気を遣うわけでもなく普通に接しているところ。こんなにほのぼのしてちょっと笑えるゾンビホラーのラストがあるだろうか。

ぶん投げられるホラーストーリー

マリアーナ・エンリケスの作品の魅力は、最悪のところで幕を引く、という点にある。『寝煙草の危険』に収録されているほとんどの作品には、実際に惨劇が起きる様子は描かれていない。主人公がまさにその行動を起こす直前だったり、その場から離れるところだったり、あるいは諦めたりしているところで物語が終わるものがあまりに多い。幕切れのあとに何が起こるか、読み終わってからいくらでも恐ろしい想像をし放題。これはほんとうにこわい。エンリケスがお膳立てした恐怖を完成させるのは、われわれ読者自身なのだから。

そして、異常事態を前に冷静になってしまう、あるいはそもそも自体に無頓着な主人公たちの語りだから、エンリケスは物語をぶん投げることができてしまう。「生き延びたい、守りたい」と願う主人公が渾身の思いで邪悪な存在を成敗し、ハッピーエンドへと生還する物語はもうこの世にあふれている。そんな、正義感に溢れた物語の仲間入りを絶対にさせてもらえない、「ああ、もう、いいや。どうにでもなれ」という気持ちで惨劇の眼前に放り出される者たちが、恐怖を求めて文章を読む私たちをより絶望的にさせ、でもなぜか救ってくれるのだ。

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堀川夢

1993年北海道出身。編集者、ライター。得意分野は海外文学。「岸谷薄荷」名義で翻訳・創作も行なう。フェミニスト。

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