Kaguya Book Review、初回は『夜の潜水艦』
月に一冊ずつ、新刊・既刊問わず素敵な翻訳作品を紹介するKaguya Book Review。記念すべき第一回は、陳春成著・大久保洋子訳のファンタジー短編集『夜の潜水艦』をご紹介します。
陳春成/大久保洋子訳『夜の潜水艦』(アストラハウス、2023/5発売、本体価格2200円+税)
誰かの夢を覗くように
もう夜が遅くて、疲れきって、ねむくて、ひとりきりになってしまいたい。だけどひとりでいるのがさみしい。誰かの夢の中をほんの少しだけ漂って、あたたかな気持ちでねむりたい。そんなときにぴったりの1冊が、陳春成『夜の潜水艦』である。
うつくしい奇想の短編集
作家のホイヘ・ルイス・ボルヘスが海に投げ入れた1枚のコインと、夢の中の潜水艦を操る少年の数奇な連環を描いた表題作、かつて僧侶たちが大切なものを守るために隠した秘密をたどる「竹峰寺」、いなくなってしまった恋人と幻の湖をめぐる「李茵の湖」、小説と酒造と刀鍛冶、それぞれの真髄にあまりにも近づいてしまったがゆえの消失を描く「彩筆伝承」、「杜氏」と「尺波」……。著者の緻密な描写と物語への愛が詰まった短編集は、読むものの心をゆっくりと想像の世界へ誘ってくれる。256ページのそこかしこに、あまりにも美しく読むのが惜しくなってしまう描写がちりばめられている。なかでも絢爛なイメージに溢れているのが、1950年代のソ連を舞台にした、新しい楽曲が“適切”かどうかを審査する局で長く勤め上げた老音楽家の物語である「音楽家」だ。「微小な歯車は天体のように完璧に運行しながら、時間を均等な粒へと研磨した」(「音楽家」、190ページ)。腕の骨のしらじらと浮かび上がるレントゲンにジャズが刻まれたボーン・レコードや自分の旋律を見つけて灰の中にとけてゆくムクドリ、水底に消えたともだち、幻影たちに手をひかれて、読者は夜のレニングラードを音楽家とともに彷徨する。
失われてしまうもの、忘れられるものへのまなざし
美しいものはみな消えてしまう。どうして、失われてしまうものばかりが美しいのだろうか。そんな著者の視線がどこにもかしこにもあふれて、光っている。「竹峰寺」で、主人公は大好きな大学図書館の人目につかない一角に、大切にしていたイルカのペーパーウェイトを隠す。イルカを想うとき、図書館の大きな窓から差しこむ月光を浴びているそのイルカは彼の分身となる。遠くにいても、「そこにあってくれる」ということを信じられるのは、きっとお守りのような、魂に碇がおろされているような、確かな感覚だろう。
そして、忘却は幸福なことである。そこにあるということを、かつて誰かが知っていたのだから。そこには、このうえなく愛おしいさみしさがある。「ひとときの思い出を、ともに過ごした人たちがみなとっくに手放しているのに、彼女は今まで宝物のようにしまい込んできたのだ」(「李茵の湖」、151ページ)
「今」の作家による物語の庭園
表題作にも登場するボルヘスへの愛が随所に見え隠れし、さらにはあまりにも落ち着いた語り口でなんだか遠い昔の民話や伝承を読んでいるような気持ちになるが、ポケモンやウイニングイレブンがひょこっと現れるので、著者が現代を生きる、私と同世代の作家であり、しかもどうやらカルチャーを愛しているらしい、そして現代の世界を書いていることを思い出す。きっと著者にとって、ゆたかな空想の世界は現実と完全に地続きで、だから完全なファンタジーである「裁雲記」に映画『アバター』が出てきたりするのだ。
中国・福建省に生まれ、いまも暮らす著者は、小説が見出されて作家になる前は地域の植物園で土木技師をしていたという。美しい植物を並べて庭に仕立てる仕事がそのままページの上で発揮されたような、控えめで端正な本。助詞を省略せず修辞を多用せず描写の美しさで勝負する、生真面目ながらチャーミングな文体は、翻訳者が原文のヴォイスを丁寧に掬いとった賜物であろう。
枕元に置いて、夢の中へと帰っていくときにいつでも手を引いてもらいたい、そんな1冊だ。