Kaguya Book Review、第10回は『光っていません』
月に一冊ずつ、新刊・既刊問わず素敵な翻訳作品を紹介するKaguya Book Review。第10回は、イム・ソヌ著・小山内園子訳の『光っていません』をご紹介します。
イム・ソヌ著/小山内園子訳『光っていません』
(東京創元社、2024/11発売、本体価格2,100円+税)
装画:牧角春那 装幀:藤田知子
適切でいられない私たちの、世界とのすきま
世界に対して「適切」でいられない、と感じることがある。勉強や仕事や暮らしや人生設計、いろいろなことが原因で、誰にでも訪れる局面だと思う。世界の「まとも」で「ふつう」な人たちの歩いている広い道から逸れて行き止まりの脇道に入ってしまって、まっすぐ歩くことを選べなかったせいで私はうまくいっていなくて、あの大通りに戻ることができるのかどうかもわからない。きっと実際にはそんなに道を逸れてはいなくて、そもそもメインストリームや「ふつう」があるのかすら定かではないけれど、自分の心が「私はみんなのようになれない」と感じてしまうことは、誰にでもきっとある。
よるべない心を救ってくれるのは、心と「ふつう」のあいだに空いているすきまをそっと埋めてくれる存在だろう。例えば身の回りにいる人間ではない生き物たち、ぬいぐるみ、本、他の世界の生活を想像すること、あるいはその、他の世界から訪れてくれる誰か。
喪失や悲しみを抱く主人公たちの物語
1995年生まれの韓国人作家、イム・ソヌの『光っていません』は、すきまのできた心と、そのすきまを埋めるものについての短編集だ。恋人の意識が戻るのを2年間待っている主人公の元には、自分の悲しみや罪悪感を100パーセント共有し、ぶっきらぼうながら隣に寄り添う自分そっくりの幽霊が現れる(「幽霊の心で」)。美しい光を放ち、触れたものを自分と同じクラゲに変容させる「ゾンビクラゲ」の出現した世界では、「生きるのに疲れたが死ぬのは悔しい」人々がみずから望んでクラゲに変容してゆく。この変容を手助けする仕事を得た主人公が派遣先で出会ったのは、クラゲになってからも意識を保ち続け、ちっとも光らない顧客だった(「光っていません」)。破産寸前の劇団に所属し、孤高を凌ぐために役割代行の仕事をする主人公のもとに、「冬眠するので、埋めてほしい」という中年男性からの依頼が来る(「冬眠する男」)。落ちてきた看板が直撃して急死した主人公はこの世を去る前に100時間の猶予をあたえられてコールドプレイの来韓公演に赴く。その道中、同じように急死して猶予を与えられたはいいが掃除機に吸い込まれてしまった幽霊を助けることに……(「カーテンコール、延長線、ファイナルステージ」)。明らかに日常を異化する話もあれば、名前をつけようがない、他者との不思議な関係を描く物語もある。
収録された8作の主要人物はみな、大切なものを失(喪)ったり、誰かを見捨てたことを悔いていたり、戻らない人を待っていたりする。さらに、非正規雇用や失業中、はたまたすでに死んでいるなど、社会的・経済的に安定しているとはいいがたい状況の人物も多い。寂しくてよるべない人たちに作品の視点が置かれている。絶望的ではないけれどゆるゆると憂鬱でひかりのない生活に不思議な出来事や出会うはずのなかった人がふと現れて、主人公たちの日々を変えてゆく。その不思議は必ずしも心地よいものではなく、ときに不気味で理不尽だ。だが、直面した人の混乱や反発・受容の過程は丁寧に描かれる一方で出来事の描写は淡々としているので、読者はドラマティックさに揺さぶられずに登場人物の心を追ってゆくことができる。
すきまを埋めてゆく、雪のように白く降るもの
特に私の心に残った1作が、「アラスカではないけれど」だ。可愛がっていた猫を野犬に噛み殺され、復讐のため「殺し屋」となった「私」の部屋の床に穴が空く。階下に住むタトゥーイストのユーが天井を文字通り穴が開くほど見つめ続けたせいだ。この穴をきっかけに二人は友達になる。「私」は野犬を殺すための鍛錬を積みながら雪と氷河に閉ざされたアラスカの地にあこがれ、ユーは彼氏とその恋人について考え続けて天井を見つめては穴を拡大し、雪のように白いセメントに埋もれてゆく。白く冷たく降ってくるものが、二人の悲しみや喪失感にそれぞれ厚く積もり、傷を覆って癒すのだ。
この静かな佇まいの短編集は、なにともなく悲しい心に寄り添って、世界との断絶を静かに埋めてくれる。読み終わって窓の外を見たとき景色が変わっていなくても、日々を変えてくれる何かがそこにひょっこり現れることを期待してしまう、そんな作品だ。