Kaguya Book Review、第7回は『伝説とカフェラテ 傭兵、珈琲店を開く』
月に一冊ずつ、新刊・既刊問わず素敵な翻訳作品を紹介するKaguya Book Review。第7回は、トラヴィス・バルドリー著・原島文世訳のおいしいファンタジー『伝説とカフェラテ 傭兵、珈琲店を開く』をご紹介します。
トラヴィス・バルドリー/原島文世訳『伝説とカフェラテ 傭兵 、珈琲店を開く』
(東京創元社、2024/5発売、本体価格1,200円+税)
装画:MIKEMORI、装幀:藤田知子
コーヒーが人生に現れてしまった者たち
ちかごろ、人生に「コーヒー」という選択肢が増えた。カフェインに弱く、ほとんどコーヒーを飲まずに生きてきたのだが、先輩にお下がりのミルをいただいたのでカフェインレスの豆を買って挽いて淹れて飲んでみたら、これがとってもおいしかったのだ。昔飲んだデカフェのコーヒーは「茶色の苦い水」といった感じだったのに、おいしいものを生み出すためのたゆまぬ努力というものはすごいですね。
『伝説とカフェラテ 傭兵、珈琲店を開く』も、おいしいものに魅入られた者たちがたくさん登場する。主人公はファンタジーによく登場する種族の一つであるオークの女性ヴィヴ。緑色の肌を持ち、頑強な身体と強い力を持つヴィヴは元傭兵で、これまでパーティーの一員として冒険をしてきた。魔物スカルヴァートの女王を倒し、その頭の内部に秘められた「幸運の輪を呼ぶ」という石を得た彼女は、さっさと傭兵を廃業して、とある町の厩を購入する。旅稼業を続けてきたヴィヴにとって定住は初めてのこと。何をするのかというと、長年の夢であったコーヒー屋さんの開業だ。
流浪する冒険者たちの世界ではコーヒーは馴染みあるものではないので、ヴィヴがまず直面した壁は人々の「コーヒーって、何?」だった。実際、店づくりの協力者としてヴィヴがスカウトしたホブゴブリンのカルからはコーヒーを「豆水」呼ばわりされる。カフェをオープンさせてもコーヒーが何か誰にもわからず、店は閑古鳥。そこでアートセンス抜群で有能な店員のタンドリがコーヒーの試飲期間をもうけ、人々にコーヒーの美味しさが伝わってゆく。さらに、カフェラテの虜になったラットキン(ねずみの種族)のシンブルが天才ベイカーとして加わり、珈琲店「伝説とカフェラテ」は人気店としての道を歩みはじめる。
いろいろな種族が自由と思いやりを持ち寄って
この作品の素敵なところは、珈琲店をとりまく異なる種族の面々が、それぞれのステレオタイプではなく個人の美質を互いに認めたうえで、良き仲間として集まっていることだ。傭兵として血みどろの冒険を続けてきたヴィヴは、「屈強で荒々しいオーク」という自分の見え方をよくよく承知しており、必要でないときにはできる限り威圧的でない振る舞いを心がける。とても有能で聡明なタンドリは「男を誘惑する」サキュバスで、かつてその特性のせいで勉学を諦めた過去がある。ヴィヴとタンドリの出会いの場面では、まさにヴィヴがステレオタイプに基づいた振る舞いをしてしまうが、彼女は過ちにすぐ気づいて謝る。偏見を向けられる側だからこそ、そうされたときの悲しみに思い当たることができたのだろうと読み取れるし、タンドリはその過ちを許す。ここからヴィヴとタンドリの関係はゆっくりと親密になってゆくのだが、その幕開けを感じさせる丁寧なやり取りだ。以降も、それぞれの種族や人間たちが、できるだけ楽しく気持ちよく珈琲店を共同経営し、お客に楽しんでもらうために気遣いあう、繊細なコミュニケーションが描かれてゆく。
もうひとつ面白いのが、登場人物の中でファンタジーの種族よりも人間たちの方がよほど「変」なところ。越してきた日からなにかとヴィヴを気にかけ、お手製のケーキ(あまり美味しくはない)を届けてくれる向かいの家の世話焼きな老女、かなり独創的なリュート演奏を披露する吟唱詩人、コーヒーを提供する場である珈琲店で何も頼まずせっせと勉学に励む奇術大学の学生……。街を裏で取り仕切る、とある人間も、蓋を開けてみればかなりの変わり者である。様々な種族の者たちが排斥されるわけではなく共存しているファンタジー世界にあって、みんなと同じように人間たちも好き勝手にやっている。
コーヒーとシナモンロールと一緒にどうぞ
「おいしいコーヒーを飲んでのんびりしたい、その幸せを他者にもあじわってほしい」という優しい気持ちが、『伝説とカフェラテ』の根底にある。冒険のあとも生活は続くし、その生活の真ん中に素敵な仲間とかぐわしくおいしいものがあると幸せが増す。『伝説とカフェラテ』を読みはじめる前にコーヒーと出会えていてよかった。あなたも、ぜひ淹れたてのコーヒーとシナモンロールやビスケットを用意して、ページをめくってほしい。