今の目で観る『ジュラシック・パーク』!〜変わらないテーマと変わってきた表現〜 | VG+ (バゴプラ)

今の目で観る『ジュラシック・パーク』!〜変わらないテーマと変わってきた表現〜

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『ジュラシック・パーク』TV放送!

2021年9月3日(木)、日本テレビ系「金曜ロードショー」にて『ジュラシック・パーク』が放送される。『ジュラシック・パーク』はマイケル・クライトンの原作小説を元にスティーブン・スピルバーグ監督が映画化し、1993年に公開された。

シリーズ最新作である『ジュラシック・ワールド ドミニオン(原題)』の公開を2022年に控える今、改めて原点を振り返ってみよう。

『ジュラシック・パーク』のあらすじ

古生物学者のグラント博士と古植物学者のサトリー博士はインジェン社のハモンドに誘われ、数学者のイアンとともに遺伝子操作で現代に甦った恐竜たちの暮らす「ジュラシック・パーク」へと足を踏み入れる。

しかし、パークのエンジニアであるネドリーは恐竜の胚をライバル企業に持ち出そうという謀略を企て、パークの安全システムが作動不能に陥る。電流の流れなくなった金網の外へと脱走するティラノサウルスを始めとする肉食恐竜たち。

グラントとサトリー、イアンはパークに見学に来ていたハモンドの孫であるレックスとティムの姉弟を恐竜から守りながらパークのシステム復旧に尽力する。

『ジュラシック・パーク』を“今の目”で見る

『ジュラシック・パーク』のあらすじをざっと振り返ってみた。さて、『ジュラシック・パーク』が公開されてからもう三〇年が経とうとしている。今やフルCGの巨大怪獣やロボットが縦横無尽に暴れ回る映画も見慣れてしまった我々だが、公開当時このクオリティーの恐竜がスクリーンを所狭しと暴れる様子を観た観客の驚きや興奮はどれ程のものだっただろうか。

タバコを吸いながらパソコン操作

とは言え、やはり現代の目で見ると映像の他にも時代の変化に伴い価値観の違いが感じられる点が多々ある。

2021年公開の『クルエラ』では、『101匹わんちゃん』(1961)登場時はシガレットホルダーに取り付けたタバコがトレードマークだったクルエラでさえ劇中で喫煙シーンは存在しない。これは制作のディズニーの方針によるものだが、まさに隔世の感がある。

何せ、『ジュラシック・パーク』(1993)においては物語のヴィランどころか端役のエンジニアでさえタバコを咥えながらパソコンを操作することを許されていたのだから。

利己的なエンジニアが「肥満の白人男性」として描写される

その他、事件の元凶であるネドリーの外見が「肥満の白人男性」として描写されていることにも注目したい。そのようなステレオタイプな表現は最近は見られなくなったが、1993年当時は「ネタ」ではなく「ベタ」にこのような表現が通用していたということだろう。

加害性を性暴力に例えることは妥当か

同じく、現代では通用しないであろう表現が「ベタ」に用いられていると感じたのはイアンの台詞だ。劇中、ジュラシック・パークの展望を語るハモンドに対して、イアンは遺伝子操作による恐竜の復活を自然に対する性暴力に例えて批判した。

この主張自体には頷けるし、「遺伝子操作の是非」、生命倫理というのは『ジュラシック・パーク』シリーズに一貫したテーマである。しかし現代的な価値観から言えば何らかの加害行為を性暴力に例えること自体が相応しくないと感じられるだろう。つまり、それは非常に繊細な問題であって、その暴力によって個人が受ける傷も様々だ。

にもかかわらず、それを「性暴力」の一言でまとめ、それをあらゆる暴力の加害性を示す便利な象徴として用いることそれ自体が性暴力の被害者にとっては(自らの痛みが蔑ろにされていると感じられるという意味において)二次加害的であるとも言えるだろう。

第一、自然破壊と性暴力の間に直接的な関わりはなく、そのように例えること自体が端的に的外れであるようにも思える。その無関係な暴力性を敢えて「性暴力」という言葉で例えようとする態度そのものが無自覚な性差別と言えるだろう。

差別的表現とペナルティ

軽口を叩くイアンが、けれど生命については厳格な倫理観を維持しているという描写は一人の個人の多面性を表現するものとして納得できる。

筆者としては、差別的な台詞そのものを描くなと言いたい訳ではない。人間の多面性、あるいはもっと直接的にその負の側面を描きたいと思えば差別的な台詞を描かねばならない場合もあるだろう。問題なのは、そうした台詞を言う登場人物が劇中においてどのような処遇を受けるか、他の登場人物によって反論なり反撃なりされることによってペナルティが与えられるかどうかではないだろうか。

ペナルティが与えられるのであれば、それは作品としてそのような「差別は許さない」というメッセージを観客に与えることになるだろう。ペナルティが与えられないのであれば、それは作品が差別を許容していると受け取られかねない。

勿論そのような作品も表現されることは自由かも知れない。だが、そうであるならば作品はその自由の行使に伴う責任として批判に晒されもするだろう。自由とは無制限のものではない以上、それこそが「表現の自由」ということである筈だ。

もしも現代の作品で何らかの加害を性暴力によって例える人物が出てきたら、それはその人物が性差別主義者であることを示す台詞として受け取られるのではないか。そして、その台詞は別の登場人物によって厳しく批判されるに違いない。つまり、現代の我々は加害性を性暴力によって例える言葉をベタに、素朴に受け取ることは最早できなくなっている。

しかし『ジュラシック・パーク』公開時の1993年においては、観客はまだそのような台詞をベタに受け取ることができていたのかも知れない。ここにも時代の違いを感じるのである。

一方で、ハモンドが「私が行かねば。君は女だ」と言ってブレーカーを復旧させに行こうとするサトリーを止めた際には「性的偏見の話は別の機会に」という台詞をサトリーに与えて反撃させるなど、1993年当時でも先進的な価値観が表現されている箇所もある。

果たして、2022年に公開される『ジュラシック・ワールド ドミニオン(原題)』は如何なる価値観を我々に提示してくれるのだろうか?

映画『ジュラシック・パーク』は4K ULTRA HD + Blu-rayセットが発売中。

『ジュラシック・ワールド/炎の王国』のネタバレ解説はこちらから。

最新作『ジュラシック・ワールド ドミニオン』はコロナ後に初めて撮影を再開する大作映画になっている。

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普段は自転車で料理を運んで生計を立てる文字通りの自転車操業生活。けれど真の顔は……という冒頭から始まる変身ヒーローになりたい。文学賞獲ったらなれるかな? ラップしたり小説書いたりしてます。文章書くのは得意じゃないけどそれしかできません。明日はどっちだ!
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