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『ジョーカー』と『キング・オブ・コメディ』が描いた妄想と現実

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『ジョーカー』と『キング・オブ・コメディ』の共通点

「バットマン」シリーズの悪役・ジョーカーを主役に据えた映画『ジョーカー』が2019年10月4日(金)より公開され、世間を賑わせている。初週末のオープニング興行収入は66カ国で第一位を記録。物議を呼ぶ内容をめぐり、SNS上では様々な議論が飛び交っている。

中でも話題になっているのは、マーティン・スコセッシ監督が指揮をとったコメディ映画『キング・オブ・コメディ』(1982) との関連性だ。『キング・オブ・コメディ』との共通点は数多くあり、『ジョーカー』の劇中には様々なオマージュが散りばめられていた。『キング・オブ・コメディ』で大物司会者にストーキング行為を行う主役のコメディアン、ルパート・パプキンを演じたロバート・デ・ニーロが、『ジョーカー』では大物司会者役で登場している。

だが、両作の共通点は形式だけではなく、その内容にも重要な共通点が見られる。今回はその内容に重点を置いて、『ジョーカー』と『キング・オブ・コメディ』の共通点を見ていこう。

ネタバレ注意
以下の内容は、映画『ジョーカー』、映画『キング・オブ・コメディ』の内容に関するネタバレを含みます。

『ジョーカー』の『キング・オブ・コメディ』からのオマージュ

『ジョーカー』における『キング・オブ・コメディ』からのオマージュは、分かりやすい例で言えば、アーサーがショーパブでトークショーを繰り広げ、観客の笑い声が響くシーンだ。『キング・オブ・コメディ』の主人公ルパート・パプキンは、自室の壁いっぱいに描かれた満員の観客の前で演説を行い、存在しないはずの客の笑い声が響く。『ジョーカー』でもやはり、アーサーのジョークで笑っている客の声は幻聴だった。

また、アーサーがテレビ番組に出演する前に一人でリハーサルを行うシーンも、『キング・オブ・コメディ』からのオマージュだ。ルパート・パプキンもまた、大物司会者ジェリーのパネルを前に番組出演時の練習を行う。両作品の冒頭では大物司会者が主人公に「君に番組を譲りたい」という旨の話をするなど、『キング・オブ・コメディ』を意識したシーンは挙げ始めるときりがない。

ラストシーンにも『キング・オブ・コメディ』

中でも大きな意味を持つのは『ジョーカー』のラストシーン。アーカム州立病院から逃げ出そうとするジョーカーを職員が追いかける場面で物語は終わる。左に右にジョーカーが追いかけられるこのシーンは、『キング・オブ・コメディ』でも印象的でコミカルなシーンとして登場している。ラストシーンという最も大切なシーンにこのオマージュを持ってくること自体、『ジョーカー』という作品そのものが『キング・オブ・コメディ』の影響下にあることの証左でもある。

人生自体が喜劇

『ジョーカー』では、アーサーは自分の人生自体が喜劇であるという諦観に至り、何を笑い、何を批判するかは個人の主観でしかないと言い放つ。一方、『キング・オブ・コメディ』では、ルパート・パプキンは自身の人生を振り返った自虐ネタで会場から爆笑をとる。4分以上にもわたるこの独演は、幼少期の貧困、家族からの虐待、学校で虐められた経験 (そして大人たちがそれを救ってくれなかったこと) が主な内容だ。アメリカのスタンダップコメディにおいては、自虐ネタは鉄板のネタではあるが、ルパート・パプキンが話すのは、ジョークでないとすればゾッとするような内容ばかりだ。

“お笑いのコツ”

『キング・オブ・コメディ』の作中では、ルパート・パプキンが妄想の中で大物司会者ジェリーに“お笑いのコツ”を聞かれた際には、以下のように話している。

自分の人生を振り返り、嫌なこと、腹が立つことを笑い飛ばすのです。それだけです。

さらに、彼の妄想の中では、小学校の校長が登場し、過去の彼に対する仕打ちについて謝罪するシーンも登場する。最後の独演会におけるパプキンのジョークが、ほとんどがジョークではなく現実だったということが示唆されているのだ。

『キング・オブ・コメディ』を観ている者は、狂気に満ちた存在だと思っていたルパート・パプキンが、ただ自分の人生について話しているだけであり、苦難に満ちたその過去を観客が笑っているという構造に気がつく。狂気に満ちているのは彼なのか、それとも彼を笑う社会の方なのか。

何が現実で何が妄想?

一方で、ルパート・パプキンのトークでは母親は死んだことになっているが、劇中、彼の母親は登場している。だが母親は姿を見せず、声だけが聞こえるため、この声はルパート・パプキンの幻聴だという解釈もできる。独演会後にルパート・パプキンが売れっ子になる結末も、彼の妄想だという見方ができ、公開当時は様々な議論が起きた。マーティン・スコセッシ監督は、この結末をどう解釈するかは、観客がどのようにこの作品を捉えているかを表すものだと述べている。

「コメディは主観」

このマーティン・スコセッシ監督の『キング・オブ・コメディ』に対する姿勢が、まさに『ジョーカー』でアーサーが言い放った「コメディは主観でしかない」という結論に生きている。『ジョーカー』においても、その結末やそれまで描かれてきたストーリーをどのように解釈するかは観客に委ねられている。そこで導き出された結論は、他でもない観客自身の主観から生まれたものになるのだ。

一方で、「全ては主観だ」という主張は、ジョーカーのロジックでしかない。個人に責任を負わせてきた社会を内面化し、現象へと昇華した存在がジョーカーである。映画『ジョーカー』が人々に要求しているのは、ジョーカーを否定しながら自己責任論に陥らないアクロバティックな論法だ。人間社会はジョーカーの理論を乗り越えるロジックを見つけ出し、また発信していけるだろうか。

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