劇場版『呪術廻戦0』大ヒット公開中
2021年12月24日(金)から劇場公開が始まった『劇場版 呪術廻戦 0』は、大ヒットスタートを記録し、公開初日の時点で配球の東宝が今後の興行収入100億円超は確実と発表した。興行収入100億円突破となれば『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』(2020)、『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』(2021) に続いてアニメ映画史上に『呪術廻戦』の名が刻まれることになる。
大ヒットの一方で、『呪術廻戦』の魅力といえば、やはり登場人物の間の繊細な心情を描くキャラクター描写だ。特に映像作品としては初めて深く描かれることになった五条悟と夏油傑の関係は、主人公・乙骨憂太の物語と合わせて、『呪術廻戦0』の最大の見所でもある。
今回は、『呪術廻戦0』で描かれた五条と夏油の二人のバックグラウンドについて解説していく。以下の内容は、映画『劇場版 呪術廻戦 0』の内容とコミックス『呪術廻戦』第8巻&第9巻の内容に関するネタバレを含むので、注意していただきたい。コミックス10巻以降のネタバレは含まないので、アニメ第二期に備える予習として読んで頂ければ幸いである。
以下の内容は、映画『劇場版 呪術廻戦 0』とコミックス『呪術廻戦』第8巻&第9巻の内容に関するネタバレを含みます。
『呪術廻戦0』の五条と夏油
映画『呪術廻戦0』は乙骨憂太と里香の間の“呪い”をめぐる物語であり、同時に五条と夏油の間のそれをめぐる物語でもあった。映画の終盤で、五条は乙骨に対して、乙骨と里香が呪術高専に来ていなかったとしても夏油は襲来していたと慰めていたが、これは本心だろう。乙骨が夏油と戦わなければならなかった最大の理由は、五条と夏油の過去にあったからだ。
映画『呪術廻戦0』では、このストーリーは深く描かれることはなかったが、何度か五条と夏油の過去を示唆するカットが挿入されていた。これは、コミックス第8巻と第9巻で描かれた“過去編”の内容で、アニメ派の方にとっては初めて見る場面だろう。映画『呪術廻戦0』はアニメ第1期の後に位置するコミックス第8巻と第9巻の内容を踏まえて観るとより楽しめる作りになっているのだ。
コミックス第8巻と第9巻で描かれたのは、五条悟と夏油傑が共に呪術高専の2年生だった時の物語だ。『呪術廻戦』本編は2018年以降を、『呪術廻戦0』は2016-2017年を舞台にしているが、コミックス第8巻と第9巻は2006年-2007年を舞台にしている。『呪術廻戦0』のちょうど10年前である。
コミックス第8巻と第9巻で描かれた五条と夏油
呪術高専で“最強”だった五条と夏油は、呪術界を結界で守る天元が同化する運命にある星漿体の理子を護衛する任務を命じられる。呪詛師集団のQと天元を絶対視する宗教団体の盤星教が理子を狙う中、五条と夏油は理子と理子の大切なものを守るために呪詛師と戦い、沖縄にまで飛んだ。『呪術廻戦0』で登場する五条と夏油の回想シーンには、この沖縄での思い出も含まれている。
二人は、個人を犠牲にして大儀を果たそうとする呪術界に抗いながらも、非術師の集まりである盤星教が雇った呪力のない伏黒甚爾によってこの任務を阻止されてしまう。なお、理子の一件を終えたところで、夏油は伏黒甚爾が操っていた呪具を格納できる3級呪霊を手に入れている。『呪術廻戦0』以降でいつも夏油の右肩から顔を覗かせている呪霊は、かつて伏黒甚爾が使役していたものである。
そして、伏黒甚爾との戦いを終え、五条は理子の骸を抱いて歩く。夏油の心に残ったのは、その少女の死体を見て、何も分からずに笑顔で拍手する残酷なまでに“無垢”な盤星教の信者たちの姿だった。この時、一般人に対して殺意を抱いたのは意外にも五条の方だった。一般人を殺しても意味がないと言う夏油に、五条は「意味」の必要性に疑問を持つ。それでも、夏油は呪術師には意味は必要だと五条が一線を超えることを踏みとどまらせたのだった。
理子の護衛の命を受けていた時の五条は、最悪の場合は天元に逆らって呪術界にも反旗を翻すつもりだった。当時、危うさを抱えていたのは五条の方であり、夏油は冷静にブレーキをかける立場だったのだ。それは第8巻においても描かれている。呪術高専で弱い奴ら=人間に気を遣うのは疲れると不満を漏らす五条に対し、夏油は「弱者生存」が社会のあるべき姿だと忠告しているのだ。
そのような関係だった二人が、『呪術廻戦0』では、五条が呪術高専の教師として、夏油が呪詛師のボスとして、つまり真逆の関係として登場するに至った背景には何があったのだろうか。
なぜ夏油は呪詛師に?
コミックスの『呪術廻戦』第9巻では、二人の一年後の姿が描かれ、五条は一人で“最強”の階段を駆け上がっていく。一方、独りの時間を過ごすことが多くなった夏油は、呪霊を祓い、自らの身体に取り込む作業を続ける日々で、誰のためにこの“マラソンゲーム”をやっているのかと疑問を抱き始める。
そこに現れた特級呪術師の九十九由基が、「原因療法」として、この世から呪いをなくす二つの方法を夏油に教えたことが、後の夏油に大きな影響を与える。それはすなわち、全人類から呪力をなくすか、全人類が呪力をコントロールできようにするか、という選択だった。夏油は、後者を「非術師を皆殺しにする」ことで実現可能と思い至るが、この時は九十九にそれが“本音”になるかどうかは自分の選択次第だと助言を受けている。
つまり、呪師という“強者”が非術師という“弱者”のために戦い続けるのかという問いに対して、高専生時代の五条と夏油はどちらにも転びうる“選択肢”を持っていた。かつて危うさを見せていたのは五条だったが、結果的には夏油の方が呪術を持たない人間を殺すという思想に傾倒するようになる。夏油が『呪術廻戦0』で出会った呪力を持たない真希を蔑む理由もそこにある。
五条が業界のトップランカーとして単独で活躍するようになる一方で、夏油の目の前では呪術師の仲間が傷つき、死んでいく。呪術師達の屍の上に平和を築いていく“マラソンゲーム”に疑念を抱く中、夏油にとって最後のトリガーとなる出来事が降りかかる。
夏油は、任務で赴いた村で、呪力を持っている二人の少女が虐待されている姿を目の当たりにしたのだ。結果、夏油は112名の村人たちを虐殺することを選んだ。この時虐待されていた二人の少女は菜々子と美々子であり、映画『呪術廻戦0』では10年後、15歳になった二人の姿も描かれている。恩人である夏油に付き従う二人は、百鬼夜行で夏油への恩を語るシーンで、コミックス第9巻で虐待を受けていた頃の場面が回想として挿入されている。
五条悟の選択
そうして呪詛師になった夏油は、非術師だった両親も“平等に”手にかけ、呪術師だけの世界を作ることを五条に宣言する。「意味」は必要だと語ってきた夏油は、これから進む道には「大義」すらあると話す。つまり、非術師を抹消することで呪いをなくし、呪術師の戦いを終わらせると言うことだ。これが『呪術廻戦0』のラストで乙骨の「純愛」に対して夏油が「大義」をぶつけた理由である。
この時、夏油は五条に、五条悟なら夏油の目標が達成できると語りかけている。夏油は確かに強いが、その術式は呪霊を操る呪霊操術であり、全人類を相手にしようと思えば時間がかかる。一方で、「無限」を作り出す無下限呪術の使い手である五条ならば、大量殺戮も容易い。
そして夏油は五条に自分を殺したければ殺すよう伝えるが、五条は夏油を見逃すことを選ぶ。実はこの時の五条の選択は、夏油の思想を否定するものになっている。“最強”である五条が自分の考えのもとに夏油を殺して止めるなら、それは強者が弱者を生かすも殺すも選んでよいという夏油の行動原理と同じだ。両者に「非術師を守る」「術師を守る」という目的の違いはあれど、“弱肉強食”という夏油の掟を受け入れることになる。
一方で、五条は夏油のことを殺せなかったメインの理由は、親友だったからだろう。夏油は非術師の醜さを目の当たりにして、人間が変わるという可能性を信じることができなかった。しかし、五条は夏油に対する希望を捨てなかった。ここが夏油と五条の決定的な違いだろう。強いものが弱いものを支配するという理論ではなく、人間は「親友だから」という理由で他者を信じることもあるのだ。
しかし、五条が夏油を見逃したことで、夏油は盤星教の残党を基盤とした新たな宗教団体の教祖になる。『呪術廻戦0』では、教祖になった夏油が呪力のない人間を「猿」と呼び、呪いと金を集める道具として扱っている姿が描かれた。
一方で五条は、“最強”であっても夏油を救うことはできなかったと、教育の道に進むことになる。理子を犠牲にしようとした天元の同化もふくめ、呪術界の理不尽な状況、呪術師たちが置かれている状況がこのままでいいとは思っていなかったということは、五条と夏油の共通点である。それはお偉いさん達に対する五条の一貫した態度を見れば明らかだ。
だが、五条が選んだのは、呪術師が理不尽な目に遭っているのなら、自分より弱い相手を狙うのではなく、“お上”に逆らうことで術師を守り、呪術界を変えるという道だった。
五条と夏油の二人が示すこと
『呪術廻戦0』では、手負いの夏油に五条がとどめをさす。だが、その直前に五条は言葉をかけ、夏油は「最後くらい呪いの言葉を吐けよ」と苦笑いする。10年前に夏油を見逃した五条が、今度はなぜとどめをさしたのだろうか。生徒達に危害を加えるようになったからだろうか。一度可能性を信じた夏油のことを諦めたのだろうか。
その真意は、最後にかけた言葉の中にあったのだろう。少なくとも、その言葉は呪いの言葉ではなかったということは事実だ。五条は、乙骨に対しても、最後まで夏油のことを「親友」と言っていた。二人の間でしか分からないものがあったのかもしれない。
また、夏油の言った「マラソンゲーム」という表現は、『呪術廻戦』という作品そのもののテーマでもある。特定の目標・ゴールを求めるのではなく、この「マラソンゲーム」をどう捉え、どう抗っていくのか、ということが本作のテーマの一つだ。五条と夏油の二人は、相反しながらも共存する感情同士としてこのテーマに対する解答を示している。
九十九が示唆したように、夏油の道も五条の道も、その二つは誰しもの心の中に不確定な状態で存在し、最後には自分自身で選択するしかない。だが、どちらの道を選んだとしても、力の理論では解決できないということを『呪術廻戦0』の物語は示している。だから、夏油の「大義」は、思想とは別のベクトルからやってくる乙骨の「純愛」の前に破れるし、五条は教育を通して目的を達成しようとするのだ。
このように、五条と夏油の物語は、現実世界にも通じる「選民思想」「優生思想」といった、弱肉強食の思想に対する一つの答えを示しながら、力で解決することの限界をも提示している。自分の力について考え、それぞれの生き方を選ぶ人々の物語だからこそ、『呪術廻戦』は面白いのだ。
アニメ派の方は、『呪術廻戦0』のあと夏油がどうなったのかについては、アニメ第1期の続きにあたるコミックスの8巻以降をチェックしよう。また、五条と夏油の過去編にあたる第8巻と第9巻を未読の方は、ぜひそちらを読んでから映画『呪術廻戦0』を再鑑賞して頂きたい。五条と夏油の間にある特別な感情が更によく理解できるようになっている。
映画『呪術廻戦0』のラストとエンドロール後についての解説はこちらの記事で。
『呪術廻戦』コミックス最新刊第18巻は2021年12月25日(土)発売。
映画版の原作コミック『呪術廻戦 0巻 東京都立呪術高等専門学校』は発売中。
『劇場版 呪術廻戦 0』のサントラも発売中。
『劇場版 呪術廻戦 0』は2021年12月24日(金)より、全国で大ヒット上映中。