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アメコミの王様!マーベルの歴史を振り返る
意外と知らない? アメコミ出版会社の歴史
アメコミの出版会社といえば、「マーベル」と考える人も多いのではないだろうか。今では出版会社としては先輩にあたるDCコミックスの知名度を追い抜き、アメコミ界の王者として君臨しつつある。この記事では、そんなマーベルの個々の作品ではなく、会社としてどのような遍歴を経て現在の地位にあるのかを振り返ってみたい。出版/制作会社を知る事で、作品についても、より深みのある見方ができるようになるだろう。
ニューヨークで生まれた小さな会社
マーベルは、DCコミックスの創業から5年後にあたる1939年に、“タイムリーコミックス”としてニューヨークで設立された。今やディズニー傘下の巨大なエンターテイメント企業だが、もちろん始まりは小さな出版会社だった。創業者はマーティン・グッドマン、そして編集は「スパイダーマン」や「アイアンマン」など数々のマーベルコミックの原作者としても知られるスタン・リーだ。スタン・リーはマーティン・グッドマンの親戚でもあった。
マーベルの歴史を振り返るドキュメンタリー『マーベル75周年の軌跡 コミックからカルチャーへ!』(2014)では、「アメコミは大恐慌から第二次世界大戦に突入していく時代において、現実から逃れる手段として愛されていた」と紹介されている。
記念すべきヒーロー第一号は?
マーベル設立の年、10月に出版された『Marvel Comics #1』(1939)は、アンドロイドのヒューマン・トーチを表紙に採用した。記念すべき第一号のマーベルヒーローなった。同誌には、「ネイモア・ザ・サブマリナー」という泳ぎを得意とするヒーロー漫画も収録されている。
そして、早くもヒューマン・トーチとネイモア・ザ・サブマリナーの二人のヒーローが対峙するストーリーが描かれた。デッドプールの生みの親としても知られるライターのファビアン・ニシーザは、1939年当時の基準においても、マーベルは新しいことに挑んでいたと評価している。
アメコミ界激動の時代。戦争と焚書を乗り越えて——
戦争で生まれたヒーロー
そんなマーベルを待ち受けていたのは、戦争の時代だった。第二次世界大戦において、スタン・リー自身も徴兵を経験する。「ファンタスティック・フォー」や「X-メン」シリーズの生みの親としても知られるジャック・カービーを始め、コミック業界では多くのユダヤ人作家が活躍していた。ナチス・ドイツによるユダヤ人への迫害が繰り広げられる中、そのカービーと後にDCコミックに引き抜かれるジョー・サイモンによって生み出されたのが、「キャプテン・アメリカ」シリーズだ。愛国の象徴として現実の戦場で戦うキャプテンの姿は、戦時中のアメリカにおいて人気を集めた。
試行錯誤の時代
しかし、終戦後に待ち受けていたのは、残酷にもアメコミへの反対運動であった。アメリカは元来、キリスト教的な価値観を持つお国柄。暴力表現や性描写を嫌悪する団体・政治家による“漫画規制”の時代に入ったのである。
それでも、アメコミ業界は一致団結して、対象年齢などを設定する“コミックス・コード”を作成。マーベルもSFアドベンチャーやホラーものの作品を制作するなど、出版会社として試行錯誤の時代を過ごした。そして、SFでありながら現実の街にヒーローたちを登場させ、貧困や恋愛などヒーローの個人的な葛藤に焦点を当てる、スタン・リーの愛すべきアメコミ作品たちを時代が見逃すはずはなかった。
テレビの時代が到来した時には、スタン・リー自らアニメ版の製作総指揮を担当し、数々のアメコミ作品をお茶の間に浸透させた。これまで“モノ好き”しか触れることがなかったコミックが、子どもたちにとっても身近な存在へと生まれ変わったのだ。
1963年には、DCコミックスの「ジャスティス・リーグ」に遅れを取りながらも、マーベルのスーパーヒーローチームである「アベンジャーズ」を結成。ヒーロー個人に焦点を合わせた作品性は、むしろチームモノの群像劇との相性がよく、2000年代の映画版では個々の作品をヒットさせながら定期的に“大集合作品”に集約させるという新たなビジネスモデルを生み出した。また、1968年には、グッドマンの単独経営が終わりを告げる。売却契約が締結され、親会社はパーフェクトフィルム・アンド・ケミカルコーポレーションとなった。
破産申請からアメコミ界の王様へ!
新たな不遇の時代。破産に至った経緯とは
会社は新体制となったが、1970年代後半から再び不遇の時代が訪れる。アメコミファンの心理を理解していないマーケティングが行われ、フランク・ミラーやジャック・カービーといった著名ライターも会社から流出、コミックの売り上げが低下し始めたのだ。
1986年には、ニューワールド・エンターテイメントが親会社のマーベル・エンターテイメント・グループを買収。1993年には、アヴィ・アラッドをCEOとしてテレビ・映画製作会社のマーベル・スタジオを設立した。一方で自社作品の映画化版権を売却するなど悪戦苦闘を強いられたが、それでも会社の窮地を救うことはできず、1997年に破産を申請した。権利を売却した『X-メン』(2000)、『スパイダーマン』(2002)の大ヒットにより、アメコミヒーローに再び脚光が当たるわずか数年前の出来事であった。
再び戦争から大恐慌へ…
2002年には映画『スパイダーマン』の利益配分を不服とし、スタン・リーがマーベル・コミックを提訴する。コミックでは、2003年に開戦し泥沼化したイラク戦争と関連づけるかのうように、2007年にキャプテン・アメリカの死が描かれた。2008年のリーマン・ショックはアメコミに限らず経済界に大きな打撃を与え、激動の時代は再び同社を飲み込んでも不思議ではなかった。しかし、マーベルという会社にとって契機となったのはむしろ、アメコミファンをないがしろにし、優秀なクリエイターの流出と破産という結果を招いた、この苦い経験だった。
マーベルが再生した意外な経緯
破産申請後、マーベルが再生を図るためのビジネスプランを作成すると、同年にアヴィ・アラッドのトイビズ社がマーベルの買収を申し出る。2004年には、マーベルが権利を持つ10作品の映画化とユニバース化を条件に、投資銀行のメリル・リンチが融資を開始。これがきっかけとなり、『アイアンマン』(2008)から始まるマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)の歴史が始まる。
背中を押される形で、権利を持つアメコミ作品の実写映画化を自社で行うという新たなビジネスモデルを作り出したということになるが、同社がコツコツと作り上げてきたコンテンツを時代が欲した結果とも言える。2009年には、これに目をつけたウォルト・ディズニーがマーベルを約40億ドルで買収。20年前に破産した会社とは思えないほど生き生きとした姿は、2010年代のアメコミヒーローブームのど真ん中で輝いている。
大恐慌から戦争と、激動の時代に生まれたマーベルコミックは、新たな戦争と大恐慌の時代を乗り越え、新たに生まれ変わった。2019年には創設80周年を迎える。また新たなフェーズをどのように描いていくのか、ワクワクしながら見守ろう。
Source
Dow Jones & Company