九月『走る道化、浮かぶ日常』、好評発売中!
オンラインSF誌Kaguya PlanetにSF短編小説「冷蔵庫を疑う」を寄稿している芸人の九月さんによる書き下ろしエッセイ集『走る道化、浮かぶ日常』(祥伝社)が2023年8月1日に刊行された。
この記事では『走る道化、浮かぶ日常』の、読みやすくわかりやすいのに少し不思議で不可解な、「妖怪的」ともいえる魅力を紹介する。
「九月」とは何者なのか
「九月」というピン芸人をご存知だろうか。事務所に所属せずフリーで活動し、コントを年間に1000本作り、72時間ぶっ続けでライブをし、X(旧・Twitter)アカウント「九月の『読む』ラジオ」で、フォロワーからの相談や質問に対して毎日それなりの長さで回答し続けている。体力がすごい。情報量もすごい。クリエイティヴィティもすごい。何者なんだ。
この九月が八月に上梓した初のエッセイ集が、『走る道化、浮かぶ日常』である。
18の章とまえがきである「目次まであと3ページ」、そしてあとがきの「寿司とオーロラ」からなるこのエッセイ集に、特定のテーマはない。著者が人生や生活の中で見つけたおもしろい物や出来事、看過してしまうこともできるような小さいひっかかりを増幅させて(著者の言葉を借りると「万物の揚げ足を取って」)ゆく、シンプルな内容だ。極めて明快で読みやすい文体によって書かれたそれぞれのエッセイは、ボケ、ツッコミ、傍観、悪ノリ、寄り添い、突き放し、クソ真面目、虚無、その他諸々を自在に行き来しながら、「なるほどな」あるいは「いやいやいやいやそっちに行くんかーい」というところに着地する。
天井からの水漏れと友情を育んでいるうちに状況が悪化してゆく「不快感早押しクイズ〜人生大会〜」、学生時代に先輩と焼肉に行っていた思い出から突然「肉はあまりにも現世の食べ物だ」と肉の身体性の話を引っ張り出す「あの世の肉」、自らに与えられた「キャラクターらしさ」とうまくやっていけるようになるまでの過程の話のはずがタイトルの圧と語呂の良さに全てが持っていかれている「頭でっかち屁理屈ぐうたら空想自我持ち肉団子」などは、構成の緩急と鋭い言語感覚によるテクニカルな面白さが炸裂している。かと思えば、「寂しさを舐めてはいけない」「説明なんか何一つつかなくていい」「要らない応援を忘れろ」などでは、誰もが一度はモヤッとしたことがあるであろう事柄について、ちょうどいい軽やかさと距離感で語ってゆく。
ひときわ読み応えのあるのが、「暗黒秘密結社『コーヒーブレイク』」だ。とある喫茶店に入った九月が、コーヒーを待つ間にマスター、その妻、常連客の「人間は要らない」というけったいな会話を聞いたことがきっかけで、「この三人は人間の破壊をもって世界に休息をもたらす、暗黒秘密結社『コーヒーブレイク』なのだ」という空想をどんどん広げてしまう。三人の素性を推察し、破壊対象であることに恐れ慄き、「要らない存在」である人間がその要らなさを丸ごと引き受けて生きることを言祝いで、このエッセイはどこへ辿り着くのか。果たして九月は無事にコーヒーを飲めるのか。気になった方はぜひ自分で結末を見届けてほしい。
エッセイから入る? コントから入る?
エッセイで単著デビューとなった九月だが、コントの作風はかなり幅広い。本書とテイストの似た、日常から半歩だけ足を踏み外すようなコント、ホラーやサスペンス、さらにはブラッドベリやヴォネガットの好きな読者に刺さりそうなSFテイストの作品もある。普段SFを楽しんでいる読者にも楽しみやすそうなコントや、エッセイの読み口と近しい雰囲気を持つコントを、以下にいくつかピックアップしてみた。
「自己紹介」
ごく軽く当たり前のように行われるのに、セルフプロデュース感覚が問われる新入生の自己紹介。言われてみればたしかに、かなりハイコンテクストな要求だ。
「カワムラアカエビ」
「新種のエビ」が「めちゃくちゃビールに合う美味しいエビ」だったということ自体が発見のような気がしてくる、絶妙なずらし。
「エレベーター」
一言も発さず、顔芸とパントマイムで魅せる。疲れて眠った時に見る夢のようなコント。
「雪の子」
北国のどこかで毎年発生する豪雪被害は、地元を出ることを許されなかった「雪女」たちの逆襲なのかもしれない、と考えてしまう。
「拷問」
期待に応えてくれないことほど恐ろしいことはない。
「妖怪探偵」
妖怪はひとりも出てこないが、この芸人さん、不気味な動きがうますぎる!と驚愕したコント。また、なんだか演じている本人がすごく楽しそうなところが良い。
「東京ではないところ」
わけのわからない世界観にわけのわからない世界観が入れ子になっており、煙に巻かれたまま世界観に溺れる世界観のコント。
「神様の子守り」
エッセイでも言及されている「説明のうまさ」が発揮されて、いつのまにか超展開へと引きずり込まれている。
「ハンバーグ屋失格」
太宰治リスペクトコント。ただ、いっさいは過ぎてゆきます。
「ビッグ・ユグドラシル」
20秒で序破急すべてを終わらせるスピード感(しかもコントの内容は「スピード感」とは真逆)。超絶技巧。
「十秒」
どんどんでかくなってしまう人のコント。身体の使い方がとても上手く、ほんとにどんどんでかくなり、木星を掴み損ねているように見える
「冬と滅びと蘇り」
数ある九月のコントの中で筆者がいちばん好きな作品がこれ。文明が滅び、いろんな色のイカの文明が栄え、滅び、ふたたび誰かの文明が現れても、冬は変わらず巡ってくる。中原中也「生ひ立ちの歌」にも似た、壮大なスケールのSFコントである。
『走る道化、浮かぶ日常』のプロローグ「目次まであと3ページ」を良い声で朗読している動画もあるので、試し読みの代わりにぜひ聴いてみてほしい。
妖怪芸人・九月
本書には「妖怪」という単語が2箇所出てくる。ひとつめは最初のエッセイ「自分らしさはもうある」で、九月の故郷である青森県出身の太宰治、寺山修司、人間椅子を連ねて、「どこかいびつで、自然的で、ある種のおどろおどろしさを持った想像力」として言及される。もうひとつは「『やや不思議ちゃん』とは何か」で、やや不思議な経緯で芸人として独自のスタイルを確立した自分を「『やや妖怪』に片足をつっこんでいる。割と嬉しい進化である」と評している。そうか、この人は妖怪の系譜にいるのか。
妖怪は愉快だ。自らの論理に基づいて存在し、暮らしている。社会秩序を大きく破壊するわけではなく、時たまどこかに闖入しては誰かの希望に答えたり答えなかったりし、楽しく過ごして、あるいはちょっと疲れて去ってゆく。人々の輪からときたまあぶれてしまうことを悲しく思って、でも自らが自らであり、自由であることを何より喜んでいる。そしてその妖怪の言葉は、同じような妖怪、もう少し不器用な妖怪を大いに笑わせ、時には慰めや救いをもたらすのだ。
わかりやすさと不可解さが共存する九月の妖怪的な目を通して、日常の出来事が綴られたエッセイ集『走る道化、浮かぶ日常』。読んだあと、少しだけその「妖怪の目」を借りてあたりを見渡してみると、世界はちょっと生きやすく、愉快なものになっているかもしれない。
九月『走る道化、浮かぶ日常』は祥伝社より好評発売中!