固定価格制に国策仮想通貨? 近未来SFは仮想通貨をどう描いたか―2018年を舞台にした小説『アンダーグラウンド・マーケット』 | VG+ (バゴプラ)

固定価格制に国策仮想通貨? 近未来SFは仮想通貨をどう描いたか―2018年を舞台にした小説『アンダーグラウンド・マーケット』

SF小説は仮想通貨をどう描いたか

小説の舞台となった2018年を迎える

東京オリンピックを二年後に控えた2018年を舞台にして描かれた藤井太洋著『アンダーグラウンド・マーケット』(2015)。仮想通貨が実用的な手段として浸透した東京に生きる若者と移民の姿を描いたSF小説だ。現実においても、小説内の舞台となった2018年を迎えた。巷は仮想通貨ブームに沸く一方で、大手仮想通貨取引所・コインチェックのNEM不正流出事件が発生し、それに伴い政府による取引所の規制管理がすすめられている。一方で、資金洗浄対策やセキュリティー確保について真剣な議論と取り組みが始まり、「貨幣発行の自由化」についてさえも議論され始めている。もはや仮想通貨のない世界には戻りえず、仮想通貨の健全な運用方法、どこまで活用するのか、といった議題が中心になっている。

『アンダーグラウンド・マーケット』のオリジナルバーション「UNDER GROUND MARKET」が執筆されたのは2012年。ビットコインの登場から三年が経過していたが、約74万ビットコインが流出し、大きな注目を集めたマウントゴックス事件の二年前だ。世間的には仮想通貨に対する認知自体が低い時期に、人々が積極的に活用する仮想通貨の未来の姿として藤井太洋が描いたのが、NYMO(ニィモ)だった。

『アンダーグラウンド・マーケット』で描かれた仮想通貨は実現したのか

「N円」と同じシステムを持つ「MUFGコイン」

NYMOは、MONEYを逆さにした造語だ。省略して「N円」と呼ばれる。N円は日本円と1:1の固定価格制。これは、物語から投機的な色を除外するための設定だ。

現実では、このN円と同じく日本円との固定価格制で発行されようとしているのが、三菱東京UFJの「MUFGコイン」だ。既に社員間での利用という形で実証実験が行われていたが、4月には実店舗での実証実験も開始された。相場を安定化させるため、独自の取引所開設も進められているという。米ドルとの固定価格制で運用しているTether(テザー)に近いものになるだろうか。いずれにせよ、銀行という発行主体が存在し、固定価格制であるMUFGコインは、ビットコインのような「非中央集権」を掲げる仮想通貨とは大きく異なるものになりそうだ。また、Yahoo、LINE、楽天といったIT企業も次々と仮想通貨事業への参入を表明しており、どのようなシステムの仮想通貨を採用するのか、注目が集まっている。

仮想通貨が流通した背景

『アンダーグラウンド・マーケット』の世界では、日本円を使用する「表の経済」と、N円を活用した税金のかからない地下経済が存在する。地下経済では、実店舗での仕入れや給与の支払いもN円で行われる。N円には消費税や法人税がかからないため、三割から半額で仕入れを行うことができる。こう書いてしまうと、仮想通貨が脱税の手段として使われており、「悪用」の典型例のように思えるかもしれない。だが、『アンダーグラウンド・マーケット』が優れた作品である所以は、仮想通貨がそのような使われ方をされるに至った社会的背景に触れていることだ。

「公正さについての物語」

「現代思想」の2017年2月号において、「フィクションで描いた仮想通貨」と題して、藤井太洋自身が同作の設定を振り返っている。

『アンダーグラウンド・マーケット』は、公正さについての物語だ。
若い登場人物たちは大学卒業時に正社員になることができず、移民たちの経済圏に首まで浸かりながらウェブがらみの仕事をこなしていく。業務の多くは脱税のために〈N円〉を使いたい個人商店の手伝いだ。

『現代思想』2017年2月号, P46

物語の中では、東京オリンピック招致をきっかけにしたTPP加盟、労働人口の高齢化と流動化、増税に新たな排外主義の影といった問題が噴出している。国の方針により生活を圧迫された社会的弱者たちは、仮想通貨を用いた地下経済を作り出すことで、生き延びる道を見出したのだ(この点についての詳細な考察は、「仮想通貨を扱った小説『アンダーグラウンド・マーケット』が描いた2018年の東京。若者と移民が問う「正しさ」」を参照していただきたい)。

予言されていた国家発行の仮想通貨

藤井太洋はこう続ける。

そんな仕掛けを導入して回る主人公たちは、フリーライダーだ。脱税が許されるわけもない。それを知りながら、脱税用のツールを導入している彼らが、私たちが慣れ親しんでいる商習慣や、国策仮想通貨の〈ヒノマル〉に「不正」を感じる場面が、物語に清涼感を与えてくれるだろう、と考えていた。

『現代思想』2017年2月号, P47

N円が作り出した経済圏の脅威として登場するのが、国策通貨「ヒノマル」だ。国家が管理する仮想通貨を発行して脱税やマネーロンダリングを防ぐ―。一見「正義」にも思えるこの発想だが、政府が作り出した条件によって若者や移民が追いやられた状況と生活を前にすれば、その逃げ道すらも奪い取ろうとする「不正」な計画に姿を変える。
現実においても、時を同じくしてベネズエラが国家による初の仮想通貨「ペトロ」を発行。石油や天然ガスなどの資源を、価値の裏付けとした。『アンダーグラウンド・マーケット』同様、日本政府が独自通貨の発行を検討しているという報道もあり、トルコでも「トルココイン」の発行について提案があったという。ビットコインのような非中央集権型ではなく、民間銀行による中央集権型でもない、国家による中央集権型の仮想通貨は、果たして人々に「公正」をもたらす存在となりうるだろうか。

『アンダーグラウンド・マーケット』は「予言の書」となるか

以上のように、仮想通貨の投機的な性格を排除した設定にもかかわらず、同作で語られたその内容は概ね実現しているようにも思える。多くの革新的なアイデアや技術は、怪しげな存在として登場し、異端として扱われる。その後ブームが到来し、それが落ち着いた結果、社会へと定着する。その過程にあった仮想通貨を、『アンダーグラウンド・マーケット』は先見の明を持って扱った。
この作品が、管理社会と全体主義を予言したジョージ・オーウェルの『1984』(1949)のような名作SF小説に匹敵する「予言の書」となるかどうかは、日本政府とこの社会を構成する私たちの手にかかっている。

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