解説:『バットガール』のお蔵入りと差別問題 ワーナーとDCに批判が集まる経緯と背景 | VG+ (バゴプラ)

解説:『バットガール』のお蔵入りと差別問題 ワーナーとDCに批判が集まる経緯と背景

いきなりの「『バットガール』お蔵入り」報道

2022年8月6日現在、アメコミファンや映画ファンの間でのもっぱらの話題と言えば、HBO Maxで配信予定だった映画『バットガール(原題:Batgirl)』の突然のお蔵入りだろう。本作は2021年のミュージカル映画『イン・ザ・ハイツ』のニーナ・ロザリオ役を務め、ドミニカ系アメリカ人のレスリー・グレイス氏が主人公であるバットガール/バーバラ・ゴードンを演じることとなっており、映画での有色人種のバーバラ・ゴードンは2017年のアニメーション映画『レゴバットマン ザ・ムービー』でのロザリオ・ドーソン氏以来となる。他にも彼女のルームメイトで親友のDC実写映画初のトランスジェンダーの登場人物アリシア・ヨーをフィリピン系でトランスジェンダーの女性俳優アイボリー・アキーノ氏が演じることが予定されていたなど、新進気鋭の若手俳優の出演が決定していた。

他にも脇を固めるのはDCエクステンデッド・ユニバース(DCEU)からJ・K・シモンズ氏がバーバラの父親であるゴードン本部長役を続投し、ヴィランには放火魔ファイアーフライ役として「ハムナプトラ」シリーズで有名なブレンダン・フレイザー氏、更に1989年公開のティム・バートン監督作『バットマン』からマイケル・キートン氏がバットマン/ブルース・ウェイン役で復帰するなど、完璧と言っても過言ではない俳優たちが揃っている。

また、脚本は『ハーレイクインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』『バンブルビー』のクリスティーナ・ホドソン氏、監督はムスリムでパキスタン系アメリカ人の少女がヒーローになるまでを描いた『ミズ・マーベル』のアディル・エル・アルビ監督とビラル・ファラー監督という本当に申し分ないスタッフたちだ。彼女らによって『バットガール』は撮影が完了し、試写会でも『IT/それが見えたら、終わり。』や『シャザム!~神々の怒り~』に匹敵する点数を得たと米The Hollywood Reporterが報じるなど好調な滑り出しだった。しかし、その矢先に突如としてお蔵入りが決定したのだ。

ワーナー・ブラザーズ側の発表では、ワーナー・ブラザーズ・ディスカバリーの現CEOのデヴィッド・ザスラフ氏によるDCの映像作品の抜本的な改革の一つとしている。『バットガール』は配信用としては予算がかさみ過ぎ、劇場用としては予算が少なく、スペクタクルに欠けるためだとしており、お蔵入りにした方が税金対策になると考察しているメディアも存在している。

しかし、海外を含めて巨大な反発を生んでいるのはそれが原因ではない。ここまで読んでいて「何故出演者の人種やジェンダーを細かく表記しているのだろうか」と思った方もいるはずだ。それこそが今回の問題の争点である「有色人種の女性ヒーローだからお蔵入りになったのではないか」という点に繋がるのだ。

デイヴィッド・ザスラフCEOの公式発表

この争点を一種の陰謀論と語る方も多くいるが、デイヴィッド・ザスラフCEO就任後のワーナー・ブラザーズ・ディスカバリー及びワーナー・ブラザーズ全体の人事や、HBO MaxやThe CWなどで放映されている映像作品の打ち切りなどに注視していると、そうは言っていられなくなる。彼は抜本的な改革として、放送局The CWで展開されてきた「アローバース」と称されるDCコミック原作の作品群からなるユニバースの中核であった『THE FLASH/フラッシュ』のシーズン9をファイナル・シーズンにすることを発表。残されていた『レジェンド・オブ・トゥモロー』がシーズン7で、『Naomi』がシーズン1で打ち切られたことで「アローバース」は実質的に畳まれることとなった。

そして、彼はマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)を成功に導いたケビン・ファイギ氏の元上司アラン・ホーン氏を顧問としてワーナーに迎え入れ、今後は10年かけてDC原作のヒーローチームをつくり、劇場公開主体へと切り替えていくので、そのために現在の配信作品やドラマシリーズは打ち切ったと発表した。ここまでがウォール街の株主に向けた公式発表だ。

発表の裏に広がる人種差別の噂

だが、現実はそうとは言い切れない。ザスラフ氏の改革には「彼の持つ差別意識が根強く絡んでいるのではないか」ということがSNS上で問題になっているのだ。ワーナー・メディアとディスカバリーの合併により、世界有数のメディア企業であるワーナー・ブラザーズ・ディスカバリーのCEOの座に就いた彼は、友人に「最高の人材を採用する」と語ったが、その一方で「性別や人種の多様性は重要であるが最重要事項ではない」とも語ったと報じられた。

では、彼の選ぶ「最高の人材」とはどのような人材なのだろうか。彼は会社の取締役会に新しく6人の白人男性を加え、CEO直属の部下13人の大半を白人男性、それも彼が選んだ新しい社員で構成したのだ。更に、彼は現在のハリウッドにおいて最も高い地位にいる女性とされるワーナー・メディアの子会社、ワーナー・ブラザーズCEOであり同社初の女性CEOだったアン・サーノフCEOを解雇し、ワーナー・メディアのコミュニケーションと財務の責任者をワーナー・ディスカバリーの白人男性に置き換えた。これらの人事異動から彼の考える「最高の人材」とは白人男性であることが容易に想像できる。

この徹底した白人男性への権力の偏りは多様性が損なわれるのではないかと危惧され、民主党のエリザベス・ウォーレン上院議員や米国議会ヒスパニック幹部協議会のホアキン・カストロ議長ら米国議員団が会社や映像表現において懸念事項があるとして、司法省にそれらをまとめた書類を提出するまでに至ったほどである。合併後のワーナー・ディスカバリーの従業員における有色人種の割合はわずか30%程度で、大手メディアの中で最も低い割合となっている。合併前、ザスラフ氏がCEOの座に就く前のワーナー・メディア自体は多様性の支援に力を入れており、クリスティ・ハウベガー氏がチーフ・インクルージョン・オフィサーとして中心になって50人以上のチームで取り組みを行ない、社内の有色人種率が約41%と高い数値を保っていた。

しかし、合併の最終決定時にハウベガー氏は退職。数ヶ月の間をあけてワーナー・メディア出身のアシフ・サディク氏がチーフ・グローバル・ダイバーシティ,エクイティ&インクルージョン・オフィサーとして就任したが、カストロ議長は「ディスカバリーは長年にわたり、映画の中の描写や労働環境、経営陣など、ビジネスのほぼすべての面でラテン系の人々の扱いが不十分だった」「ディスカバリーのもとではワーナー・メディアが取り組んできた取り組みも消えてしまうのではないか」などと語り、危惧している。

ザスラフCEOらに対しては全米都市同盟やラテンアメリカ市民連盟など6団体もこれらの件について会談を行なっているが、それでも彼のワーナー・ブラザーズ・ディスカバリーのCEO就任を危険視していることに変わりはない。そこに彼がディスカバリー時代の際に上級管理職の割合が大手メディアの中でも最低の20%台、ラテン系に至っては5%程度しかいないという事実も加わり、不安を加速させているのだ。

他にも見受けられる差別疑惑とクリエイター軽視

このような白人男性優位主義とも受け取られかねない方針を取るザスラフCEOが、有色人種の女性ヒーローが主人公で、メインキャストに有色人種のトランスジェンダーの俳優が出演する『バットガール』を、金銭面を理由にお蔵入りにしたにも関わらず、白人男性の主演俳優であるエズラ・ミラー氏が暴行事件や治安びん乱に誘拐騒動を起こした映画『ザ・フラッシュ(原題:The Flash)』は利益が見込めるとして大金を投じ続け、『アクアマン』の続編にセクハラで告発された白人男性のベン・アフレック氏をバットマン/ブルース・ウェイン役で出演させるのだから、前述のような「有色人種の女性ヒーローだからお蔵入りになったのではないか?」という疑惑が生まれてもおかしくはない。エズラ・ミラー氏の今後の客演は停止しているものの、映画そのものは停止していない。

この「完成していても上からの鶴の一声、それも白人男性優位主義と言われているCEOの鶴の一声でお蔵入りになる」という不安はスタッフの間にも広がっている。同じくショロ・マリデニャ主演でヒスパニック系ティーンエイジャーのハイメ・レイエスが主人公の『ブルービートル(原題:Blue Beetle)』のアンヘル・マヌエル・ソト監督がこの映画を守るように呼び掛けるツイートを「いいね」するなど、皆、明日は我が身という状況に追い込まれている。

それもしかたない。何故ならば当事者である『バットガール』のアディル・エル・アルビ監督とビラル・ファラー監督たちさえも、本作のお蔵入りを知らされずにいたのだ。2人はアディル・エル・アルビ監督の結婚式のためにモロッコへ赴き、帰国したら編集作業に取り掛かろうとしていた矢先にお蔵入りの知らせを聞いた。そのため、多くのスタッフたちが唐突な首切りとお蔵入り、撮影中止に怯えることとなっている。このクリエイター軽視と差別が渦巻く状況に加え、米NYポストがスタッフが知るよりも早くお蔵入りを報じたこともあって、現在のDCEUをまとめているウォルター・ハマダ氏が退任をするかもしれないというところまで問題は大きくなっている。

これによってSNS上ではエズラ・ミラーの逮捕された際の写真とバットガールの姿で笑顔で子どもとポーズをしているレスリー・グレイスの写真を並べ、「どちらの俳優が自分の映画を打ち切られたのか、想像できないだろう」と問いかけるものが拡散される、「#SaveBatgirl」や「#ReleaseBatgirl」といったハッシュタグと共にザスラフ氏への非難声明であふれかえるという事態になっているのだ。

『バットガール(Batgirl)』は駄作?ポリコレの反動?対岸の火事?

しかし、NYポストの記事をソースに「バットガールは完成度が目も当てられないほど低かったからお蔵入りになった」という言説も各所に見受けられる。だが、これを鵜呑みにするのは待ってもらいたい。NYポストは親トランプで有名なアメリカの保守派タブロイド紙であり、はっきりと言えばザスラフCEOと同じ白人男性優位主義に近い思想を持つタブロイド紙なのだ。

他にもThe CWで放送されていたマイノリティのヒーローが主人公の作品の打ち切りに関しては視聴率が悪かったという方もいる。たしかにThe CWは経営難に苛まれているが、そもそも同局は視聴率をあまり気にしない方針で、経営難の以前から海外やNetflixなどとの配給権の契約で主な利益を上げている。今の経営難はNetflixからHBO Maxへの契約の切り替えによる収入減の消失などが原因であり、それより以前に打ち切られたレズビアンの女性が主人公の『バットウーマン(原題:Batwoman)』などのマイノリティのヒーローが主人公の作品の打ち切りは視聴率が原因ではなく、その理由をそのように断言することはできない。

そして、これらの背景からわかる通り、日本にとっても対岸の火事ではない。今後、アジア系の俳優や、それこそ日本から渡米した俳優もワーナー作品で使われなくなる可能性すら出てきてしまっているのだ。これを「過度なポリコレの揺り戻し」「面白くなるなら人種は関係ないから別に良い」と語る方は少し立ち止まって考えてほしい。今後、前述の通り有色人種が使われにくくなり、人種の凝り固まった現場になった場合、映画は面白くなるだろうか。もしかしたら差別表現がまかり通るようになってしまうかもしれない。それとも、いつ作品が潰されるかわからないで怯える中で作られる映画が面白くなると言えるだろうか。そうすれば、物語も白人男性で固められた上層部に忖度する内容になることは想像に難くない。

以前もあったDC実写作品の差別問題とクリエイター軽視

これを杞憂だと思う方もいるかもしれないが、これに関しても杞憂とは言い切れない。何故ならば、DCの映像作品の製作現場ではこのような差別に関する事件がたびたび起きては、大きな問題になっているからだ。

2017年の映画『ジャスティス・リーグ』に出演し、黒人のヒーローであるサイボーグを演じたレイ・フィッシャー氏はDCフィルムの幹部が差別的な発言を繰り返していたことを告発している。その中ではプロデューサーのジェフ・ジョーンズ氏らが「怒れる黒人を映画の中心にはできない」といった人種に関する差別発言やジョークを話していたと語り、さらには嫌がらせとして『ノートルダムの鐘』に登場するカジモドのように演じることを要求したり、サイボーグに男性器がついていることを強調するための再撮影を行なわせたという。

他にも撮影現場で横行する虐待に近いハラスメントについても告発しており、娘を喪って現場を去ったザック・スナイダー監督の後を継いだジョス・ウェドン監督はワンダーウーマンを演じたガル・ガドット氏に対して「キャリアをめちゃくちゃにしてやる」と脅迫したと彼女に告発されている。

これは映画の現場だけではなく、ドラマの現場にもあり、アローバース版『THE FLASH/フラッシュ』で主要人物であるアイリス・ウェストを演じたキャンディス・パットン氏は有色人種であることを理由に誹謗中傷を受けたが、スタジオは対策を講じてくれなかったと発言している。アイリス・ウェストは原作コミックにおいて白人女性から黒人女性に設定が変わっているので、有色人種であるパットン氏が演じてもコミックからの設定変更も何もないと言えるが、それでも差別的な誹謗中傷は無くならず、彼女はスタジオ側が有色人種の女性というマイノリティを中心にすることで自分たちが先進的であるとアピールすることで満足し、マイノリティを守ることを疎かにしていると非難した。

これらのドラマ内の騒動の中でも最も有名なのがアローバースでバットウーマンを演じたルビー・ローズの一件だろう。レズビアンであることを明かしている彼女は前述の『バットウーマン』の劣悪な労働環境を告発。その中でも撮影中に大怪我を負ったにもかかわらず、すぐに撮影に復帰することを求められ、それができなければスタッフたちは職を失うと脅迫されたと言うのだ。彼女はそれにより主人公でありながらシーズン1で降板し、同作は主人公を黒人女性に変えるもシーズン3で打ち切りとなっている。

ここまで読んでもらえばわかると思うが、被害者は皆『バットガール』で被害を受けた人々と同じ有色人種やLGBTQ+、女性など立場の弱い人々なのである。これまでのDC実写作品にすら現場に残る根深い差別感情、そしてそれらの人々を守らないどころか切り捨てるようなクリエイター軽視、それが今回だけはまったくないと言えるだろうか。

レスリー・グレイスのコメントとアメリカ社会

今回の“お蔵入り”騒動に関して『バットガール』主演のレスリー・グレイス氏は偉大な人々と仕事ができて一生ものの関係を築けて良かったとコメント。ファンに向けてバーバラ・ゴードンの言葉を引用し「私だけのヒーロー」になることが出来てよかった、バットガールは一生ものだとコメントを出したが、それでもDCとワーナー・ブラザーズ・ディスカバリーへの不信感はぬぐえない。

今回の騒動を受けて、アメリカでのトランプ政権以降に明らかになった白人男性優位主義の台頭がより目に見える形で現れたと言えるのではないだろうか。実際、ザスラフCEOを、会社の代表取締役を大統領と同じくプレジデントと呼ぶことと引っ掛けてか、それとも思想が似ているからか、彼を「ワーナー・ブラザーズ・ディスカバリーのトランプ大統領」と揶揄するコメントもSNS上で飛び交っている。

これらのSNSの反応によって『ジャスティス・リーグ』がスナイダーカットを公開したように『バットガール』も公開されるのか。それはまだ見通しがつかない。それどころか、現在制作されている作品や制作予定の作品が今後予定通り公開されるのかもわからないのだ。まるで先月シーズン3が公開された『ザ・ボーイズ』のような社会のグロテスクさ。しかし、フィクションのグロテスクな社会を現実の社会が越えていくとは思いもしなかった。

Source
ARRAY / Deadline / HUFFPOST / IndieWire / IGN / NBC News / NME / NEW YORK POST / Rolling Stone1 / Rolling Stone2 / Rolling Stone3 / The Hollywood Reporter1 / The Hollywood Reporter2 / The Hollywood Reporter3 / The Hollywood Reporter4 / The Hollywood Reporter5 / The Hollywood Reporter6 / MSN

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鯨ヶ岬 勇士

1998生まれのZ世代。好きだった映画鑑賞やドラマ鑑賞が高じ、その国の政治問題や差別問題に興味を持つようになり、それらのニュースを追うようになる。趣味は細々と小説を書くこと。
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