【解説】『すずめの戸締まり』に見るジブリオマージュ、そして『君の名は。』を経た震災への意識 | VG+ (バゴプラ)

【解説】『すずめの戸締まり』に見るジブリオマージュ、そして『君の名は。』を経た震災への意識

©2022「すずめの戸締まり」製作委員会

『すずめの戸締まり』にジブリの影響?

2022年公開の映画『すずめの戸締まり』を観て、複数のジブリ作品および『風の谷のナウシカ』からのオマージュが相当数仕込まれていることに驚いた人が多いだろうと思う。

松任谷由実「ルージュの伝言」とともに鈴芽が猫を連れて旅に出て、ヤマト運輸のトラックとすれ違う『魔女の宅急便』の描写は特に分かりやすい観客へのサプライズだった。導かれる先にあるドアをくぐり、過去に舞い戻って大切な人を救うのは『ハウルの動く城』を構成する重要な要素だ。冒頭で神秘的な服装で現れる救い手が、最終的に衣装を変えた主人公自身になるのは『風の谷のナウシカ』と同様である。

また、地震を引き起こすミミズは、そのデザインからも『もののけ姫』『風の谷のナウシカ』が根底にあるとみていいだろう。ミミズは「日本列島の下を蠢く巨大な」「歪みが溜まればただ暴れて土地を揺るがす」「要石で封じないとまた出てくる」と紹介されるが、現実のメカニズムとしてのミミズは、溜まったエネルギーを放出して安定を保つ地球のダイナミズムそのものであり、『もののけ姫』のデイダラボッチや『風の谷のナウシカ』の腐海と同じく、人間の目には厄災にしか見えなくとも自然の調和のための機構として存在している。

『すずめの戸締まり』ではこのようなジブリのオマージュで物語を誘​​導しつつ、オマージュ元とは少しずつ違う場所に着地させている。そうして表れた差異には、本作で新海誠監督が描きたかった点や伝えたかったテーマが立ち上がってくる。

『すずめの戸締まり』における、一見過剰にすら思えるジブリ作品へのオマージュを紐解くと、単にリスペクトとして取り入れているだけでなく、新海誠監督がそれらの文脈を活かしつつその先を描いたことが窺い知れる。

この記事では、差し込まれたオマージュが物語を駆動させ、ときに観客を欺く装置として機能している点に注目し、ジブリ作品との比較から『すずめの戸締まり』を紹介する。

『すずめの戸締まり』のジブリオマージュ

分かりやすいオマージュから順番に追っていこう。

『魔女の宅急便』と鈴芽の成長物語

もっとも直接的なのは『魔女の宅急便』だ。新海誠監督自身が『すずめの戸締まり』の企画に影響を与えた作品として『魔女の宅急便』を挙げている。

草太の友人・芹澤朋也が「旅立ちにはこの曲でしょう。なんか猫もいるし」と「ルージュの伝言」(『魔女の宅急便』オープニング曲)を車中で流したシーンで気付いた人も多いはずだ。『魔女の宅急便』のスポンサーであるヤマト運輸のトラックもちゃんと映り込んでいる。

『すずめの戸締まり』と『魔女の宅急便』は、少女が親元を離れ、猫をお供に旅をして成長する、というストーリーラインが根底にある。また、鈴芽の育ての親である環、同世代の千果、二児の母であるルミ、ルミのスナックでアルバイトをしているミキなどの鈴芽を助けてくれる女性たちも、『魔女の宅急便』同様に、あり得るかもしれない主人公の別の人生として登場する。鈴芽と心が通じ合えていなかったとわかった瞬間に言葉を発しなくなるダイジンの描写は、黒猫ジジを彷彿とさせる。

では『すずめの戸締まり』が、鈴芽が親から離れて生きられる場所を見つける物語かというと、そうではない。『魔女の宅急便』でキキが親元を離れて独り立ちする居場所を見つけたのに対し、本作では「家出少女」の鈴芽は親元である環さんとともに九州の家に帰る。彼女はまだ高校生であり、旅を通して自分一人の力では生きていけないこと、自分の居場所がすでに存在していたことを悟るのだ。もちろんそれはポジティブな帰還である。

『千と千尋の神隠し』とハクとしての草太

『すずめの戸締まり』の冒頭で、鈴芽が草太を追いかけて廃墟を走るシーンでは、人のいない温泉街と食事処、掲げられた赤提灯のモチーフ、川が流れる橋の上を渡る細かな共通点から、『千と千尋の神隠し』で千尋が神々の世界に迷い込んでしまうシーンが容易に想起されるはずだ。

鈴芽が扉を見つけて水に足を浸すシーンは、両親を探して逃げ出した千尋が増水した川に浸かってしまうシーンと同じく、主人公があちらとこちらの世界の境目を踏み越えてしまったことを暗示している。なお宮崎駿監督作品では水や川、海の描写は人間の手が届かぬもの・神々の世界のモチーフとして頻繁に登場する(シシ神の泉、ポニョの浸水、千尋が溺れた川、眞人が渡った海など)。

早々にオマージュに気付けば、廃墟の温泉街がこの世とあの世を繋ぐ現場に転じ、主人公の鈴芽(千尋)が神々の世界に足を踏み入れてしまい、あちらの世界の案内役であるところの草太(ハク)と出会う、という展開が予想できる作りになっている。そればかりか、すずめは草太を『あなたとどこかで会ったことがあるような気が』と追いかけているのだ。記憶のない幼少期にハクと出会っていた千尋と同様の展開である。

ただしこれは巧妙なフラグであり、物語のラストでひっくり返される(『風の谷のナウシカ』との比較で詳しく解説する)。新海誠監督がジブリの文脈を前提としたうえで、別のものを描こうとした意図がよく表れている。

『ハウルの動く城』と扉、要石になる草太

要石にされてしまった草太が椅子の上で凍りつき、人間ではなくなっていく描写は、『ハウルの動く城』で契約により悪魔に変貌していくハウルのシーンとよく似ている。また、本作のキーアイテムである扉は、ハウルの城にある、別の場所へと繋がるドアと同様の役割を果たした。

『ハウルの動く城』で主人公のソフィーは最初、城にドアを開けてもらって中へと転がり込む。魔法のドアが別の場所に繋がることを知ってからは興味本位で開けていたが、それらはソフィー自身が探したものではなく、常に導かれるままにソフィーの前に現れた。しかし最後にはソフィーは瓦礫の下から自身で開けるべきドアを発見して、ハウルを救うために彼の幼少期に舞い戻るのである。

同様に鈴芽も、津波にさらわれた瓦礫から、生涯で一度しか通ることのできない後ろ戸を発見した。しかし、すべての時間が同時に存在する常世で鈴芽が出会ったのは、草太ではなく過去の自分だ。鈴芽は草太を助けるために扉を開けたが、救ったのは彼女自身である。ここがソフィーとは大きく異なっている。

『風の谷のナウシカ』の神話

『すずめの戸締まり』の冒頭は、存在しない景色からはじまる。津波で壊滅的な被害にあった宮城県を草花が覆っている。母親を探して必死に歩いている鈴芽は、『風の谷のナウシカ』で泣きながら金色の草原を歩く幼いナウシカの記憶によく似ている。さらに、幼い鈴芽に近づく人物の下半身の映し方から、ナウシカの「その者、青き衣をまといて金色の野に降り立つべし」という伝説を想起させる作りになっている。

これらのオマージュから、作中で鈴芽が少なくとも二度は着替え(実際には洗濯した制服を経由したので三度衣装が変わった)、自分ではない誰かの服をまとった状態で幼少期の自分の前に現れることが、最初から暗示されているのだ。

ナウシカのまとった「青き衣」はペジテの少女と王蟲の血によって完成したが、本作では鈴芽は二度の着替えを経て、最後に草太のカーディガンを羽織ることで常世で出会った自身の姿になる。カーディガンは二人の出会いのシーンからずっと、草太自身が身につけていたものだった。「世界を青く清浄なる世界に導くお方」は最初から草太の服装で登場しているのである。

ナウシカで語られる伝説で、青き衣の人は「失われた大地との絆を結び、ついに人々を清浄の地に導かん」と続く。このオマージュから、鈴芽がミミズを鎮めて人々を救うようにも捉えられるが、ここでも着地点はジブリと異なっている。決定的な違いは、鈴芽が最終的に救ったのは自分自身だということだ。蒼き衣の人は世界のためではなく、幼い日の自分のため、そして今の自分が明日を向いて生きていくために登場する。

人は手の届く範囲でしか何かを救うことはできない。それは物語が東へ動くたびに、たくさんの人に支えられる鈴芽の旅の様子とも合致する。巡り合わせのような相互助力が、人々の生活をほんの少しずつでも前へと導く。草太に救われた鈴芽は、草太を救うことだってできる。鈴芽に救われたダイジンが彼女を救うように。

『君の名は。』では、主人公たちは起こった災害を帳消しにする活躍をみせた。『すずめの戸締まり』では一転、起きたことを起きたこととして受け止め、前を向いて歩く人間の小さくも懸命な一歩が丁寧に描写された。

『もののけ姫』と「死ぬことは怖くない」

この作品でもっとも重要なテーマとも言える『死ぬことは怖くない』という言葉は、『もののけ姫』に登場する。

『もののけ姫』で人間の娘であるサンは幼い頃、山犬の牙を恐れた人々によって山に投げ入れられた、つまりは一度死んでいたはずの命だ。サンは「死など怖いものか」と言い切り、人間との戦いでは「さようなら母さん、私、乙事主さまの目になりにいきます」と自らの命を投げ出して戦うことを決意する。もう一人の主人公であるアシタカも、作中ではあまり語らないものの、死の宿命を恐れ、怒り、諦め、そして受け入れることで救われる。

『すずめの戸締まり』では、鈴芽が『死ぬことは怖くない』と語るシーンは作中で何度も繰り返され、「要石って、閉じ師じゃなくても誰にでもなれる?」とダイジンに問いかけ、自己犠牲をほのめかしている。

2011年3月11日、鈴芽の身に何が起きたかを既に知っているぼくら観客は、まだ高校生の鈴芽が口にする「死ぬことは怖くない」という言葉を、若さゆえの無鉄砲さだとは到底思えない。鈴芽は偶然にも助かった命であると同時に、間違いなくあの日、あの場所で心の一部を失った、死を一度経験した命なのだ。3月11日以降、完全に黒く塗りつぶされた日記は鈴芽の心の死の象徴である。だから「死ぬことは怖くない」のだ。彼女はあの日に死んだのだから。

では何が鈴芽を生かしたのか。日記に再び色が宿るのは「扉」をくぐった日からである。そこに描かれているのは、鈴芽自身だ。鈴芽の心は一度死に、自分で自分を救ったのだ。

『もののけ姫』では、死の運命を背負ったアシタカとサンは、小さな命が大いなる自然の一部であることを受け入れ、諦めとは違う境地に辿り着いたことでシシ神から生きる力をもらう。

一方で『すずめの戸締まり』では、運命をもっとポジティブな側面から描いている。鈴芽が幼い自分に語る「ちゃんと決まっていること」の内容は、「誰かを大好きになる」「大切に思ってくれる誰かともたくさん出会う」「光の中で大人になっていく」ということだ。死の運命を受け入れることが大人になることではなく、たとえ大自然の力の前には小さく愚かな願いであっても「大切な人と生きていたい」のだと実感することで、彼女は生きる力を得る。そうして自分を救い、明日へ向かって「行ってきます」と鍵を掛け、ようやく過去を過去のものにできたのだ。

『平成たぬき合戦ぽんぽこ』とミミズ、これからの日本

本作のラストで、倒れたミミズが平地に新しい起伏を生み、命を芽吹かせるのは『平成たぬき合戦ぽんぽこ』や『もののけ姫』のラストシーンと強く重なる。

『平成たぬき合戦ぽんぽこ』では、人間には敵わないと悟ったたぬきたちが最後の力で開発された土地に幻術を施し、昔の野山の風景を再現する。その上でたぬきは滅びる運命を悟りつつ、人間と共存の道を選び取る。この映画はタイトルに平成という元号が入っているが、舞台は昭和40年代であり、高度経済成長期後半のいざなぎ景気の時代にあたる。現在の、令和の日本とは真逆の時代とも言える。

『すずめの戸締まり』ラストで、人の心の重さがその土地を鎮めている、という重要な点が草太から明かされた。人がいなくなって営みや感情が過去の思い出になってしまった土地は自然に飲み込まれ、重みから解放されたミミズが後ろ戸から出てくるのだ。

これからの日本社会は人口が減り、地方からは人が消え、廃線した鉄道の沿線にはますます空き家が増えるだろう。人の心の重さを失った土地の後ろ戸からはミミズが出てくる。

鈴芽と草太は要石を使い、犠牲を出すことなく震災を食い止めた。草太がミミズを封じる際、人の「生きたい」という思いのために理を捻じ曲げてまでミミズを封印し、被害を先延ばししているに過ぎないことを、神に懺悔している。

これは、人間の手の届かぬ大いなる存在との対比や共存、そして文明社会の滅びと再生を多数描いてきたジブリ作品との、決定的な違いである。新海誠監督作品では、厄災を前に主人公たちが原動力にするのは「生きたい」という究極的な個人のエゴであり、大切な人と明日を迎えたいという小さな願いであり、その願いはときにことわりを捻じ曲げる。『すずめの戸締まり』では、そのエゴが自覚的であることが鋭く描かれた。

閉じ師とミミズとの戦いの勝敗はすでに決まっている。閉じ師たちに勝ち目はない。しかし遠くない未来に滅んでしまうかもしれない社会で、それでも一年、一日、一時を生き長らえたいと思う人間の傲慢を、当事者であるわれわれは笑うことができない。人間の栄華が自然を滅ぼす『平成たぬき合戦ぽんぽこ』から『すずめの戸締まり』の間に、この社会が得たもの、失ったものについて、深く考えさせられる構成になっている。

震災の描写と『君の名は。』

最後に、新海誠監督の過去の作品と『すずめの戸締まり』以後について触れておきたい。

こういう記事を書くと「すずめはジブリ作品のオマージュでできているのか」という誤解を受けそうだが、決してそういうわけではない。

例えば『すずめの戸締まり』冒頭の、宇宙のような背景と緑で彩られる「常世」の景色までもが『ナウシカ』の金色の野のオマージュであると捉えるのは早計で、あの風景は新海誠監督が「コスモナウト」などの時代から幾度も描いていた、精神や神の領域においての原風景だ。そして、「現世」とすぐ隣にありながらどこかの瞬間にふらりと現れる扉によってしか行けないその神の領域を、トンネルというモチーフ(『パンダコパンダ 雨降りサーカス』『となりのトトロ』『千と千尋の神隠し』『崖の上のポニョ』など)で描いてきたのが宮崎駿監督なのである。映画のテーマは違っても、二人の監督の描く神話の世界は、おそらく近しいところにある。

さて、2022年11月に公開された本作を、当時のぼくはやや遅れて2月ごろに映画館に観に行った。気になっていた映画なのにすぐに観に行けなかったのには明確な理由がある。ぼくは2015年に家族を病で亡くし、その傷の癒えぬまま2016年に『君の名は。』を映画館で観て、ひどくトラウマを抉られ、強い悲しみを覚えた。

『君の名は。』では天災によって人々の命が失われ、そしてまた救われるというストーリーが展開される。震災によって失われてしまった決して帰ってはこない人々の命と、フィクションの中で救われる命との違いが、ぼくにはとてもグロテスクに感じられてしまったのだ。もちろん、『君の名は。』で心が救われたという人も多くいただろう。

どんでん返し部分に関わるために、災害に関する事前の注釈が一切なかったことも苦しむ要因になった。そういう映画だと事前に知っていたなら、当時のぼくは映画館へは観に行かなかっただろうと思う。

一方、『すずめの戸締まり』でははっきりと地震に関する注釈が入るようになり、注釈を理由に地上波公開まで待つという選択をとる人がぼくの周りでも複数名いた。『君の名は。』から『すずめの戸締まり』までの6年間で震災に対する映画表現やそれを受け入れる社会の基盤は少しずつ前に進んだように思うし、ぼく自身、『君の名は。』があったことで『すずめの戸締まり』を受け入れる準備ができた。ぼくは今でも『君の名は。』を直視することができない。だが、自分自身のあの作品に対する姿勢は『すずめの戸締まり』鑑賞以前と以後で変わったように思う。

そして何年経とうと震災で負った心の傷が癒えず、『すずめの戸締まり』を直視できない人も多くいるはずだし、そうした人を「これはフィクションだから現実とは切り分けよう」と否定する社会であってはならないとも思う。だからこそ、映画公開前に震災についての注意事項が入れられたのは意味ある進歩だった。新海誠監督だけでなく、この映画に関わった数多くの人々の中にも、この葛藤は常にあったのだろうと察する。

2024年4月の地上波初放送にあたり、2024年1月の能登半島地震の影響で家や大切な人を失い、避難所での生活を余儀なくされている人々がまだたくさんいる現状で、この映画に添えられた震災描写への注釈が鑑賞の選択への一助になることを期待している。

・本記事で紹介したジブリ作品
風の谷のナウシカ(1984)監督・宮崎駿
魔女の宅急便(1989)監督・宮崎駿
平成狸合戦ぽんぽこ(1994)監督・高畑勲
もののけ姫(1997)監督・宮崎駿
千と千尋の神隠し(2001)監督・宮崎駿
ハウルの動く城(2004)監督・宮崎駿
崖の上のポニョ(2008)監督・宮崎駿
君たちはどう生きるか(2023)監督・宮崎駿

『すずめの戸締まり』公式サイト

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本記事の筆者である佐伯真洋の小説は、伴名練編『新しい世界を生きるための14のSF』(早川書房) に「青い瞳がきこえるうちは」が、井上彼方編『SFアンソロジー 新月/朧木果樹園の軌跡』(Kaguya Books) に「かいじゅうたちのゆくところ」が収録されている。こちらも合わせてどうぞ。

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齋藤隼飛による『すずめの戸締まり』ラストの解説はこちらから。

鯨ヶ岬勇士による閉じ師と神話に関する考察はこちらの記事で。

『すずめの戸締まり』の声優キャストまとめはこちらから。

佐伯真洋

1991年生まれ、大阪府出身。仕事と育児をしつつ大学で勉強中。2016年、初めて書いたSF小説「母になる」が第4回日経星新一賞で最終候補に選ばれると、同年から3年連続で同賞の最終候補に選出された。2020年には「青い瞳がきこえるうちは」が第11回創元SF短編賞の最終候補入りを果たす。同年夏に開催された第1回かぐやSFコンテストでは「いつかあの夏へ」で読者賞を受賞。筆者名を伏せた状態で実施された読者投票で最多票を獲得した。同年12月には、Toshiya Kameiが英訳した「母になる」がWelkin Magazineに掲載され、英語誌デビュー。2022年、伴名練編『新しい世界を生きるための14のSF』(早川書房) に「青い瞳がきこえるうちは」が、井上彼方編『SFアンソロジー 新月/朧木果樹園の軌跡』(Kaguya Books) に「かいじゅうたちのゆくところ」が収録。2023年の第三回かぐやSFコンテストでは審査員を務めた。

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