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アメコミが描く日常と現代アメリカ
ペット大国アメリカ
今やSFを語る上で欠かせない存在となったアメコミ。歴史を積み重ねていく中で、アメリカでの文化や生活が変化していく過程を描き出してきた。スーパーアニマルによるヒーローユニット、「ペット・アベンジャーズ」が2009年に登場したことは、アメリカがペット大国となったことを示していた。APPA (American Pet Products Association)の調査によると、アメリカでなんらかの動物を飼っている世帯の数は8,460万世帯あり、調査を開始した1988年と比べて56%も増加している。飼育数では、猫が9,420万匹、犬が8,970万匹と猫が犬の数を上回る。そこで今回は、アメコミにペットとして登場する猫に焦点を当てたい。データではアメリカ人に愛されているように見える猫だが、アメコミではどのように描かれ、どのように扱われているのだろうか。
助けられる猫
スーパーマン編
猫派の方は、アメコミヒーロー映画で登場した猫の姿をどれだけ思い出せるだろうか。古い作品では、リチャード・ドナー監督版の『スーパーマン』(1978)に猫が登場している。パトロール中のスーパーマンが、“フリスキー”という名の猫が木から降りられなくなっている姿を見つけ、助け出すシーンだ。飼い主の少女は大声でこの出来事を親に伝えるが、ありえないシチュエーションである為、まともに取り合ってもらえない。この“猫救出シーン”は、スーパーマンが庶民の味方であること、そしてスーパーマンがまだ有名な存在ではないことを表すシーンとして挿入されている。
デッドプール編
そして、このシーンのパロディとも言えるのが、『デッドプール』(2016)公開時に主演のライアン・レイノルズが公開したこの動画。
デッドプールが相変わらずの嫌味を垂れながらも、木から降りられなくなった猫を助ける。スーパーマンのように空を飛んで猫を助けるのではなく、普通に木を登って救出する。デッドプールらしさ溢れるカットだ。
しかし、これは単なるプロモーションビデオではない。この動画に出演しているカリスタ・キングさんは大のデッドプールファン。キングさんは16歳にして脳腫瘍を患っており、一方のデッドプールも癌と闘うキャラクターとして知られている。この動画は、難病と闘う彼女をサポートするために作られたのだ。デッドプールによる猫の救出シーンを通して、スーパーマンとは異なる“ヒーロー”の在り方を見せてくれているのである。
殺される猫
バットマンのコミックシリーズに登場
アメコミに詳しい方なら“猫”と聞いて、1993年に発刊された『Batman: Legends of the Dark Knight Vol.1』のオリジナルシリーズの表紙を思い浮かべるかもしれない。アメコミ史上最も印象的な猫の姿を表紙で描いた作品だ。いつも通りの狂気に満ちた笑顔でこちらを見るジョーカーの手には、同じように真っ赤な唇で笑顔を湛える猫。この猫は作中で、ジョーカーがメルヴィン・レイぺンに作らせた化学兵器の犠牲になってしまう。実はこの猫、レイぺンのペットであり、飼い主が知らない間に化学兵器の実験体としてジョーカーに殺されてしまうのだ。
Batman: Legends of the Dark Knight #50 (Sep ’93) cover by Brian Bolland. #comics #Joker pic.twitter.com/73MrmofuEm
— Comic Book Critic (@comicscritic) 2013年11月26日
ジョーカーの残虐性を際立たせる
この作品では、レイペンはジョーカーのことを「いとこ」と呼んでいる。そんなことは気にも留めずに飼い猫を殺すジョーカーを物語の序盤に見せることで、バットマンが対峙することになる敵の残忍さを際立たせるエピソードとなっている。スーパーマンやデッドプールが猫の救出を通して、それぞれのヒーロー像を見せてくれたのだとすれば、ジョーカーは猫への残忍な仕打ちを通して、最狂ヴィランとしての姿を見せつけたと言えるだろう。
〇〇る猫!?
X-MEN2の重要シーンでとった意外な行動
ここまで、アメコミ作品に登場する猫たちの対照的な姿を紹介してきたが、実はもう一つ、違った種類の登場方法が存在する。もう一度アメコミ映画に視線を向けてみよう。
皆さんは、『X–MEN2』(2003)で登場した印象的な猫を覚えているだろうか。人間によるミュータント襲撃から逃れたウルヴァリン一行が立ち寄ったのは、冷気の使い手であるボビーの実家。ここでも警戒心のとけないウルヴァリンは、突如現れたボビー家の猫に武器の爪を向けてしまう。それでも猫は臆せずに向けられた爪を舐め、思わずウルヴァリンも表情を緩ませる。
ボビーが両親に自身がミュータントであることを告白するシーンでは、ボビーの冷却能力を目の当たりにした両親が困惑した反応を見せる。そんな中、飼い猫はボビーの能力によって凍った紅茶を美味しそうに舐めるのだ。それを尻目に、母親はボビーに対して「普通にはなれないの?」と理解のない言葉をかける。この問いかけは、LGBTQに理解のない親がセクシャルマイノリティの子どもにかける典型的な言葉だ。バイセクシャルであることを公表しているブライアン・シンガー監督のメッセージが強く込められたとされているシーンである。
「どう生きるか」へのヒントをくれる「舐める猫」
ミュータントを襲う人間達と、「愛しているわ」と言いながらもミュータントを理解できない人間達。人間への警戒心がとけないウルヴァリンと、勇気を出して人間に歩み寄ったボビー。気ままに生きるが故に、ウルヴァリンの爪を舐め、ボビーが凍らせた紅茶を舐める猫。猫の存在が、人間とミュータントという二項対立の緊張感に、適度な緩和をもたらしている。
IFの世界を見せ、同時に現実で起きている問題とクロスオーバーさせることで、「君ならどうする?」という問いかけを潜ませるのが、SFが持つ機能の一つだ。シンガー監督が登場させた猫は、ヴィランとしての人間でもヒーローとしてのミュータントでもない、第三の在り方を私たちに示してくれたのかもしれない。
「助けられる猫」と「殺される猫」、そして気ままに「舐める猫」。弱い存在として描かれた猫達は、登場するメインキャラクター達の定義づけに利用された。だが、猫がそれ自体として登場した時には、ペットなのに「飼われない」その気ままな属性が、見る者に自分を定義するためのヒントを与えてくれるのだ。