正井「宇比川」 | VG+ (バゴプラ)
  • 筆者 正井
  • 更新日2022.05.5

正井「宇比川」

カバーデザイン 浅野春美

先行公開日:2020.12.27 一般公開日:2021.1.30

正井「宇比川うびがわ
6,103字

間違えたバスにずっと乗り続けている。ああ間違えた、と思って一度降りて、正しいバスに乗ったと思ったら結局間違いだった、ということを繰り返している。バスは苦手だ。同じバス停に違う行き先のバスが来る。正しい路線のバスであっても逆向きに乗ってしまう。方向感覚のしっかりある人にとっては信じられないことかもしれないが、私にとってバスはどこへ連れて行かれるのかわからない、不穏な乗り物である。

本当は人魚寺へ行きたかった。人魚寺は通称で正式には承前寺という。承前寺には人魚の首塚がある。地元ではそれなりに有名だったが住んでいた場所からは少し離れていたのもあって、今まで行ったことがなかった。なまじ近いのでわざわざ行くのも、という気持ちもあった。帰省のついでに寄って行こうと思ったのだがやめればよかった。

バスの窓から外を眺める。さっきまで駅前だったのに、いつの間にか民家と個人商店の立ち並ぶエリアを走っている。知らない地名を冠した看板が後ろへ流れて行く。橋の上を渡ると民家が途切れて、青く霞んだ放下山が見える。次は宇比川五丁目、宇比川五丁目、とアナウンスが入る。スマホを出してぼんやりSNSを眺める。路線検索をすればいい話なのだが自分がどれだけ正しい道から外れているのかを確認するのが億劫だ。代わりに承前寺を検索する。承前寺はホームページを持っており、ここに来るまでに何度も見ているから今さら新しい情報はない。

「あの」

と上から声がする。若い女性が座席の横に立っている。春物の薄い生地のカーディガンを羽織っている。あちこち歩いたのか鼻の頭は化粧が剥げて赤くなっている。

「承前寺に行かれるんですか。でしたら、よかったら、これ」

私がはあともへえともつかない曖昧な返事をするかしないかのうちに、彼女は私に紙切れを差し出した。承前寺の割引チケットとパンフレットだった。

「バスの周遊パスポートについてきたやつなんですけど、私、もう寄る時間ないので、よかったら。すみませんスマホの画面見えちゃって私」

ありがとうございますと言って受け取る。彼女はいえすみませんありがとうございますと一息に言うと、つば広の帽子を被って宇比川五丁目で降りた。

承前寺、と縦書きの筆文字が踊るパンフレットを開く。人魚は古来より停滞作用があり肉の摂食等によって時間の停滞もしくは遅延が見られたという伝承は各地に見られます、という、何度も見た説明がゴシック体で記されている。私はため息をついてパンフレットを閉じ、スマホで路線検索をする。ここから承前寺前まで、二回乗り換えをするルートが示される。それが迂回なのか近道なのか、私には判断できない。窓の外を見ると「宇比川町は長寿のまち・にこにこ明るい云々」という看板が見えた。明るい以下はバスが通りすぎてしまったので見えなかった。

本当は、承前寺には行っても行かなくてもいい。行ければそれなりに面白いかもしれないが、どうしても行きたいというほどでもない。ここへ来たのは、実家へまっすぐ行くのが嫌だったからだ。曽祖父母のお祝いがあり、親戚皆んなが実家へ集まる。幼い頃は従姉妹に会えたりして楽しい行事だったが、今は面倒くささが勝る。私も従姉妹たちも皆成人し、代わりに父母や伯父伯母は老いた。祖父母は二人とも鬼籍に入っている。親戚であるという以外に接点のない大人が集まれば、話題は自分の知り合いか全く知らない他人の噂話になる。最初は興味深くても、名前のついた誰かの人生の断片を聞き、相槌を打つのは生ぬるい疲労の溜まる作業だった。上の従姉の連れてきた子供たちは、大人の話には早々に飽きて彼らだけで遊びまわった。古い家だったから探索できる場所はいくらでもあった。家の内外から、冒険をする子供たちの声が聞こえた。

一通り話終わると今度は私たちの番だ。結婚と就職が話題になりやすいが私はどちらにも興味がない。仕事はそれなりだったが結婚の方は今のところさっぱりやる気が出なかった。年上の親戚たちは私たちの小さい頃の所業を一つ一つ口にのぼせて、あの時は可愛かったとか大変だったとか言いながら、私たちの過去をぬいぐるみのように愛でる。暖かい部屋の中で大勢が話していると、熱がこもって顔が火照った。だんだんと顔を下に向けていたことに気づいて、ふと顔を上げると、気まずそうな顔をした従姉妹と目が合う。たぶん私も同じ顔をしているのだろう、従姉妹は苦笑いをする。

行ってみようか。私はバスを降りた。栄地児はえじこと読み、スマホに記されている乗り換え場所と一致する。バス停に貼られている路線図と、スマホの検索結果とを見比べる。栄地児には三種類のバスが止まる。今度こそ間違えてはいけない、と思う。

待合のベンチに座って承前寺のパンフレットを開く。ベンチは日向にあり傾きかけた午後の日差しがパンフレットの写真を殊更にのっぺりと見せている。寺の縁起と文化財、参詣の案内、「人魚供養塔について」。人魚は古来より停滞作用があり、肉の摂食等によって時間の停滞もしくは遅延が見られたという伝承は全国各地に見られます。また人魚の手や骨、ミイラ等は各地にありますが、人魚の供養塔は全国的にも珍しいものです。パンフレットを閉じて時間を確かめる。今からバスで移動して、お参りをしたらすぐバスに乗り、駅に戻る。夕方までに駅に着けば、お祝い膳には間に合うはずだ。

住宅の上を飛ぶ白鷺を眺めながら正しいバスを待つ。日が差し込むから薄手のカーディガンでも暖かい。この辺りには海はないが、放下山から流れる宇比川が平地をぐるっと囲むような形で蛇行しており、伝説では、その川を遡って半人半魚、つまり人魚がやって来たのを打ち殺して村人皆んなで食べた。人魚伝説は今は健康長寿の村おこしに利用されている。私の住んでいた辺りも含め、宇比川流域一帯は全国平均を上回る平均寿命であるというのは小学校の地域学習で学んだことだが今も変わらないのだろうか。

伝説はこう続く。魚の部分も人の部分もまんべんなく食べたものの人魚の首だけは誰も手をつけず、当時の領主が寺に相談して丁重に葬り供養塔を建てた。それが承前寺にある人魚の首塚である。実際には寺が先か供養塔が先かは分からない。首だけになった人魚が夜な夜な領主の枕元を飛び回り悩ませていたのを、旅のお坊さまがお経をあげ仏の道を説くと涙を流し仏の慈悲を乞うたという話もあるが、これは後世の創作だろうと言われている。

パズルゲームで時間を潰しているとバスのエンジン音がした。顔を上げるとちょうど道を曲がったバスがこちらへ来るのが見える。バスの正面に表示されている行き先を確かめ、停留所に止まったバスに乗り込む。

私が座ってすぐにバスが出発する。スマホを出して次の停留所をもう一度確認する。見代原で降り、宇比駅前行に乗って承前寺前で降りる。お参りをして首塚を見に行く。お寺でもお参りということでいいのだろうか。私の脳裏にはお賽銭を投げて鈴を鳴らすイメージが流れているがこれは神社だ。パンフレットを開いて確かめてみたがよくわからない。行けばなんとかなるだろう。パンフレットを閉じてひっくり返す。表紙よりも一回り小さな承前寺、の筆文字と、その下に所在地と電話番号があるだけのそっけないものだ。そういえば首塚の写真がない。パンフレットを開いて確かめるが首塚の由来が書いてあるだけで写真はない。本堂の写真は表紙と中に二箇所あるし、承前寺の宝物、という見出し付きで仏像の写真も掲載されている。

スマホを出して承前寺のページを確かめると、これにもない。見せられないものなのか、見ても大したものではないのか。がっかり名所というやつか。

宇比川五丁目、という声が聞こえて顔を上げる。バスは止まっている。女が一人降りるとすぐにぷしゅう、と空気の抜ける音をさせて自動ドアが閉まり、バスが出発する。

私はバスの前方の案内板を見つめる。ここはどこで、次はどこだ。宇比川五丁目、と聞こえた気がしたけれど聞き間違いかもしれない。疲れて来ると周りの音が聞こえなくなる。もしここが宇比川五丁目なら、私はただ単に逆向きのバスに乗ったことになる。いや、それが正しい道順なのか。次は、とアナウンスされる地名には覚えがない。あまり来ない土地のあまり知らない地名だから、さっき聞いていても覚えていない。止まった時に運転手さんに聞いた方がいいだろうか。けれども自分が間違っているのをわざわざ確かめるのは気が進まない。後ろを振り返ると、地元の人らしき乗客が二、三人座っている。後部の窓から宇比川の町が見える。見覚えがあるような、ないような。

しばらく乗っていると栄地児に着いた。私は栄地児でもう一度路線検索をし、何度も確認した正しいバスに乗り込んだ。混んではいなかった。むしろ空いていたが私は立っていることにした。それから、

「あの」

と目の前の座席に座っている人に話しかける。

「承前寺に行かれるんですか。でしたら、よかったら、これ」

とパンフレットと割引チケットを差し出す。相手が返事をするかしないかのうちに、

「バスの周遊パスポートについてきたやつなんですけど、私、もう寄る時間ないので、よかったら。すみませんスマホの画面見えちゃって私」

と一息に言う。周遊パスポート云々は嘘だったが、そういうこともあったような気がしてきた。相手が受け取ってくれたのでほっとした。私はいえすみませんありがとうございますと早口に言い、カバンの中に帽子があったのを思い出し引っ張り出して被る。ずいぶん日を浴びてしまった。明日は日焼けしているかもしれないと思いながら宇比川五丁目で降りる。まだ遅い午後、と言える時間帯で、十分に明るかったが空気の色は夕方の気配をさせてどことなく黄色っぽい。路線検索をして、承前寺へと向かう正しいバスを確かめる。正しいバスに乗り込みながら、これもたぶん、間違えたバスなのではないかと思っている。

 

人魚に魅入られましたね、とお住持さんは言った。

「まれにあるのですよ」

「はあ……」

日の落ちきる直前に到着した私を、お住持さんは本堂ではなく事務所のようなところへ連れて行って、温かいお茶を出してくれた。春とはいえ夕方は冷える。春物のカーディガン一枚だと寒いくらいだ。湯呑みを両手で包み、指先を温める。

「魅入られた、ということは」

と私は尋ねる。

「私は何か、人魚に気に入られるような何かがあったのでしょうか」

そう言いながら私は実家のことを考えている。今頃は曽祖父母のお祝い膳が振舞われていることだろう。あの時ちらっとでも行きたくないと思ったのがいけなかったのだろうか。お住持さんは少し首を傾げて、いえ、と首を振る。

「ただの現象です。魅入られるという表現がよろしくないですね。時々ここへ来られる方の中には、そういう経験をされる方がいるというだけなのですが」

「そういう経験」

「時間の停滞と遅延」

お住持さんはパンフレットを広げ、人魚供養塔の説明部分を指差す。

「遅延は、時間の経過がゆっくりになることですね。ただ遅くなれば不老長寿、もっと遅くなれば不老不死。八百比丘尼なんかがそうです。時間が流れていないわけではないが限りなく遅いから老いず、死なないように見える。八百年も経てばさすがに変化は見えてきますが。それから、停滞は、同じ時間を行ったり来たりする」

お住持さんは今度は私の背後の壁を指差す。振り向くと、時計がかかっている。時計の秒針は、進んだと思ったら落ちて元の場所に戻っている。チッ、チッとかすかに震えながら秒針はずっと同じ場所にある。

「あれは電池が切れかかっているだけですが。あのような具合で、同じ時間帯を行ったり来たりします」

「そうですか……」

私の身に起こったのは停滞の方だったらしい。日に焼けた鼻の頭がちりちりと熱を持っている。停滞していた分、浴びた紫外線も多いのだろうか。

「人魚の首が埋まっていますのでね。事故と言いますか災害と言いますか。まあ災難でした。本日はこちらでおやすみください」

「いいんですか」

「宿坊がありますので。格安でお泊めしますよ」

お住持さんは料金表を持ってきた。たしかに格安だった。朝食なしの素泊まりならもっと安い。さらに停滞者用には割引があるという。近くにはおすすめの定食屋兼居酒屋さんもあり、そこの割引チケットもついている。また割引券だなあと思いながらもらっておく。

「私たちもどうにかしたいのですけどね。供養塔ですから掘り返すわけにもいかなくて」

とお住持さんが剃った頭を手のひらで撫でながら窓の外を見つめる。もう日は落ちて外は真っ暗だった。暗い向こうに人魚の首塚がある。

翌朝遅くに起きて人魚の首塚を見に行った。塚というほどもない、石を三つごろごろ積んだもので、そばの立て札に、地震が起きても一度も崩れたことがないのだというようなことが、パンフレットに掲載されていた首塚の来歴とともに書かれている。あるいは崩れないのではなく常に崩れ続けながら停滞しているのだ、とも。首塚を写真に撮ろうとしたがぶれて写った。何度か試してみたがすべてぶれていたので諦める。

承前寺を出てからバスに乗る。今度はスムーズに駅に着く。電車に乗って実家へと向かう。

実家に着いたのは昼過ぎだったが親戚はあらかた帰ってしまっていた。玄関は通らず家の裏手へ直接回ると、縁側で母と伯母と、従姉妹の一人が残ってお祝いのお菓子の残りを食べていた。あんた、どこ行ってたの、みんな帰っちゃったよ、と母が言う。人魚寺に行こうとしたが迷ってしまったのだと馬鹿正直に言うとあんた相変わらず方向音痴なのねえと伯母が感心したように言う。頬袋をふくらませた従姉妹がひらひら手を振るのに振り返す。

「さっさと荷物置いて挨拶しておいで。ひいおじいちゃんもひいおばあちゃんも、待ってたんだよ」

私は頷いて荷物を縁側に置き、帽子を脱いでその上に乗せる。靴を脱いで上がり、上がったついでにお菓子を一つつまみ食いすると母にお尻を叩かれる。手を洗い口をゆすいで曽祖父母の部屋に行く。部屋の前の廊下に膝をついて、ひいおじいちゃんひいおばあちゃん私が参りましたよ、と声をかけて襖を開ける。

部屋の中から香の匂いがどっと溢れだす。線香ともアロマとも違う、煙っぽくも爽やかな匂いを胸に吸い込むと幼い頃に帰ったような気がする。曽祖父母が並んで座布団の上に座り、私の方をまっすぐ見ている。こんにちは、と頭を下げると彼らも頭を下げ、頭を上げる。顔には穏やかそうな表情が浮かんでいる。

「よく来たね」

「遠いところを、はるばる」

そしてぴしゃりと口を閉じ、微笑んだ。私も微笑みを返す。私が生まれる前からずっと、彼らはそれ以外の言葉を言わなくなった。部屋から滅多に出て来ず、訪ねると常に芯のない柔らかな表情を浮かべている。そのしみひとつない、しわもない顔。私の母よりも、ひょっとしたら従姉妹たちよりも若い顔だった。母も祖父母も、その父母と祖父母も皆「ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃん」と呼んでいた、私たちの曽祖父母だった。

 

 

 

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正井

2014年に個人誌としてSF短編集『沈黙のために』を発表。2017年には『さまよえるベガ・君は』を、2019年には『沈黙のために』の新装版を発行した。「大食い女」を寄稿した『フード性悪説アンソロジー 燦々たる食卓』(2018) をはじめ、数多くの同人誌で小説および短歌・俳句を発表してきた。2019年に第一回ブンゲイファイトクラブ本戦出場。2020年には第一回かぐやSFコンテストで「よーほるの」が最終候補11作品に選出。Kaguya Planetに寄稿した、架空の土地を舞台にした人魚譚「宇比川」とケアとジェンダーをテーマにした「優しい女」はどちらも高い評価を受けた。唯一無二の作風でファンから強い支持を得ている。

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