先行公開:2022.11.26 一般公開日:2022.12.30
文月あや「パラサイト・ダーリン」
4,992字
小綺麗なホテルのベッドの上、首筋に当てられていた唇が遠のく。間接照明に照らされた彼の顔がやっぱり好みで……
私の胸の高鳴りをよそに、ナオタカは眉をハの字にして言った。
「ごめん、俺、『きせいちゅう』なんだよね」
彼との出会いは、最近はもはや日常茶飯事となったマッチングアプリ。社内恋愛だった元彼と方向性の違いにより解散し、「人生で一番若いのは今この瞬間!」という友人たちの熱い勧めで始めた、ハートマークのアプリケーション。始めて一週間でイイネをくれたのがナオタカだった。
『ナオ 新潟県出身、今は東京に住んでいる28歳です。職場では出会いがなく、友人に勧められて始めました。SEやってます。趣味は囲碁です。』
98%、アプリのテンプレ文章じゃないかーい。全然やる気が感じられず横にスワイプしてサヨウナラにするところだったけれど、トップ画像のネコの写真が可愛らしく目を引いた。漫然と画像をスワイプすると、飲み会の席だろうか、目を細めてフニャっと笑う黒縁眼鏡の童顔の男。意外に笑顔が可愛かったのでイイネを返した。
メッセージのやり取りは、どこか不慣れな感じはあったけれど軽快で面白く、とんとん拍子で会う予定が決まった。髪を巻いてメイクをして、オシャレなシティビルでお茶をした。改札で待ち合わせたときは、土曜日なのにスーツを着ているのが浮いていたけれど、私を見つけたときにニコッと綺麗に笑う姿が写真よりはるかに好みでテンションがあがった。
メッセージよりも実際に会ったときの方が話術が巧みで面白く、なんだかいい匂いもした。顔面も併せてすっかり彼の虜になってしまった私は、週に一回の頻度でデートを重ね、四回目のデートでいよいよバーに誘われた。これは勝負どころだって意気込んだ。なのに。
ベッドの上で困惑する私のヨレたブラウスの皺を伸ばしたナオタカは、困ったように目を伏せた。ベッドインに失敗した情けなさで泣きたいのはこっちの方だった。
「帰省中って何、本当はどっか遠くに住んでるってこと?」
「その『きせい』じゃないよ。虫の方。パラサイトする虫。寄生虫」
「は? 意味わかんない、魚にいたりするやつ? どういう例えなのそれ」
「比喩じゃなくて本気のやつだから。俺、虫なんだ」
「何言ってるの?」
悔しさで涙が勝手に流れるのが悔しくて顔をそらすと、
見てて。顎を引かれて、彼の顔面がアップになった。キスされるのかと体を強張らせた私の視界に、ナオタカの左耳からベージュ色の紐みたいなものがニョロニョロと──
人間は本当に驚いたときは声も出ないんだって知った。
「本当は、奈々ちゃんに寄生しようと思ってたんだけど、気が変わった」
紐を耳から出したまま、ナオタカは輝くような笑顔で言った。
「奈々ちゃんのこと、好きなんだ。黙って勝手に寄生して奈々ちゃんの脳を乗っ取るより、このままの奈々ちゃんと一緒にいたい。だから、俺と付き合ってよ」
抱き寄せられてナオタカの肩口に顔をうずめると、頭の奥にジンと響くような甘い官能的な匂いがした。
「いいよ……」
こうして、何もわからないまま私は寄生虫の彼女になった。
綺麗に掃除されたナオタカの1LKは、大きい本棚に新書とかプログラミングの本がズラッと並べてある。
彼のパソコンの隠しフォルダに入っていた「寄生虫の生き方」文書曰く、
・人間の耳から侵入し脳に寄生すること
・人間のもともとあったシナプスや神経伝達物質を操って意識と体を乗っ取ること
・実は人間に紛れてたくさん仲間がいること
・仲間を増やすことが種としての本願であること
・ちゃんとご飯を食べて健康的な生活を送るように
・「健全な寄生虫は健全な体に宿ります」
他にも細かい寄生のメカニズムやら、困ったときの緊急連絡先やらがたくさん書いてあった。
「俺もつい最近虫になったばっかりだから、正直わかってないこともたくさんあるけどね」
スパゲッティを食べ終えた皿を洗いながらナオタカは言う。どこからどう見ても普通の人間のように見えるけど、虫が彼を操っているなんて。
ナオタカを虫にした相手は、「海馬をたどったところによると」マッチングアプリで出会った年上の女性だったらしい。「いい感じ」になったところで「前の」ナオタカの記憶が途切れ、「今の」ナオタカが気が付いたらこのパワーポイントが入ったUSBが枕元に置かれていたらしい。マッチングアプリ、恐ろしい。
「私と最初に会ったときはもう寄生されてたの?」
「されてた」
「私にイイネをしたときは?」
「それは前のナオタカ。トークでやりとりしてたのも前のナオタカ」
私とトークをしている間に寄生虫のお姉さんにも会っていたわけか。なんだかモヤっとして、相手が虫だとわかっているのに嫉妬している自分に驚く。
「寄生されると、何が変わるの?」
「知識も記憶も、前のナオタカが持ってたものは俺も全部持ってるけど、自分のコトとは思えない。昔々こんなことがありました、って本か何かを読んでるみたい。体も何だか自分のものじゃないみたいで扱いにくいし、操縦してる感じ」
ガンダムとかエヴァンゲリオンみたいに、頭の中にいる虫がハンドルを握ってナオタカを操縦するところを想像する。
「奈々ちゃんに会ったのは寄生されたばかりのとき。まだこの生活に慣れてなくて、海馬をたどってなんとかやってたんだけど、手帳を見たら☆デート☆って書いてあってさ。こいつ彼女いたっけ? と思って海馬をたどってアプリを開いたら、奈々ちゃんとのトーク履歴があって」
ナオタカは口角をあげて綺麗に笑った。
「プロフィール写真みたとき、胸がぎゅーーんってした。虫の俺でも一目ぼれするんだ! って思って。これは虫の本能として、この子に寄生しろってことかな? 俺もマッチングアプリで寄生童貞卒業かな? と思ってデートに臨んだのに、奈々ちゃんがあまりにもニコニコ楽しそうに話すから、もうちょっとこの人格のこの子と話してみたいなーって」
あのホテルで、私はもう一歩で寄生されるところだったんだ。本当なら悲鳴を上げて逃げるべきところなのに、こうしてまだナオタカと一緒にいる自分がおかしいようにも思う。ニコニコしていたのは完全に貴方に惚れていたからだ、とはまだ言えないでいる。
「寄生されたら、人格変わっちゃうの?」
「わかんない。でも、前のナオタカと今の俺は結構違うと思う。前より明るくなったね、カッコ良くなったねってよく職場で言われる」
「寄生虫デビューじゃん」
「それ、嬉しくないねえ」
ナオタカが目を細めて苦笑いをする。
「普通の虫ならさっさと奈々ちゃんに寄生してると思う。俺ってやっぱり変なのかな。虫になったのに、同意がないのに寄生するのが嫌だ」
「前のナオタカがかなり紳士だったんじゃない?」
「虫になっても童貞感が消えないとは……」
「童貞だったの?」
「そこはプライバシーのために黙っておくけど……」
前のナオタカは、なんで私にイイネしたんだろう。ナオタカと同じ顔、同じ体をしていた前のナオタカ。彼のスマホをさかのぼると、高校、大学と囲碁部だったようで碁盤の前でフニャっと笑ってピースをしている写真が何枚かあった。なんだか今のナオタカよりダサくて、それはそれで可愛らしい。
前のナオタカに会って、マッチングアプリのテンプレートを使うなんて芸がないでしょ、と文句を言いたかった。もう上書きされてしまってこの世に存在しない彼は、一体私の何を良いと思ったのだろう。もはや彼と話す機会はない。
ナオタカはしょっちゅう怪我をする。足の小指だったり、膝の関節だったり。ひどいと骨まで折れている。夜ベッドに入る前に、知らぬ間に怪我をしていないか、彼の体をチェックするのが私の仕事だ。
トランクス一丁にさせて、ベッドの上で彼の体をなぞる。足の裏をくすぐっても平然としていて、「感覚神経があんまり通ってないんだよ」と本人。手足を制御するので精一杯で、痛みを感じる神経を通わす余裕がないらしく、どこかに手足をぶつけたり、関節があらぬ方向に曲がっていたりしても気が付かない。現に、家の中でもしょっちゅうどこかに足の小指をぶつけている。
この前ぶつけた時はあまりに痛々しいので病院に連れて行こうとしたけれど、採血されると変な値がたくさん出るらしく(好酸球とかいうのが上がるらしい)、寄生虫に病院はNG。ちなみに殺虫剤とか虫下しももちろんNG。
ボールを投げたり、片足立ちしたりといった凝った動作をするのも苦手だ。どうしても体がギクシャクしていて、うまく動かせないらしい。
「お箸とかはうまく使えるのにね」
「さすがに体が覚えてるんじゃないかな。十数年やってるわけだし」
「じゃあこれは?」
ベッドボードの上に無造作に置かれた白黒の碁石。ベッドの側で埃をかぶっていた四つ足の碁盤も引きずってきて、ひんやりと手の中に転がる白い石をナオタカに渡す。盤面をじっと見つめた彼は、石をすっと人差し指と中指で持ちあげ、パチリとその表面に置いた。
「すごい、様になってるじゃない」
「これも、指が覚えてる」
「きっと碁、好きだったんだね」
そうかもね。呟いたナオタカは少し目を細めて笑って、私の方に向き直り突然頬にキスをした。
「なに、もう碁石はいいの?」
「いい。今の俺は奈々ちゃんがいい」
急に雰囲気を出してくるじゃん。お返しに、むき出しなっている彼のふくらはぎを人差し指でなぞる。
「こういう風に触ってるのもよくわからないんだよね?」
「正直、よくわかってないね」
「つまんないの」
骨折して曲がってしまったという右足の小指をつまむ。さぞ涼しい顔をしているのだろうと彼を見上げると、意外にもナオタカは陶然とした表情で私を見つめていた。
「わからないけど、奈々ちゃんが俺の体に気を配ってくれるんだと思うと、すごくゾクゾクする」
正直、はやく入れたいよね。耳元で囁かれ赤面する。
「入れるって何」
「虫を耳に入れるの」
ナオタカが右耳からベージュの紐を出す。またあの甘い匂いが漂ってきて、逃げるべきところなのは分かっているのに、なぜだか彼から目が離せない。
「これを相手の耳に入れて、卵を植え付ける。卵が孵ると、幼虫が脳内まで進んでいって寄生する」
「最悪」
変なの。どう考えても超キモチワルイのに、自分の口からは恋してる乙女の甘い声が出る。
「入れると、楽しいの?」
「わからない。この体の俺はまだ入れたことないから。でも、想像するとすごくワクワクドキドキする。これも性欲なのかな」
「そうやって繁殖するのが寄生虫の本能なら、ある意味性欲、なのかも……」
耳の周りにキスをされて、背筋が泡立つ。甘い匂いがして、きっと、このゾワゾワは快感だけではないはずだ。
「寄生されるのは嫌。だけど普通にセックスはしたい」
「セックス、頑張ればできるよ。精子もあるし。うまくいくかはわからないけど、必要だったらホルモン買ってくる」
「頑張ってやるものじゃないでしょ、セックスって」
「でもそれが奈々ちゃんの求めてる愛のカタチなんじゃないの」
「そういうことでも、ないと思うけど……」
「それとも、精子はあるから子供作る?」
「産まれた赤ちゃんの耳からヒモが出たら怖いよ」
「それは生物学的にないって」
後ろから抱きしめられてクラクラする。ナオタカの精子で妊娠するとしたら、遺伝子は前のナオタカのもの? 今のナオタカのもの?
「奈々ちゃんも寄生虫になったら、俺と有性生殖できるよ。きっと死ぬほど気持ちいい」
「どうやるのそれ」
「それはまだ内緒」
耳からヒモを出した状態の私とナオタカが、キスをしてまぐわう中で、ヒモ同士も絡み合う様子を想像する。
「考えておいて」
ナオタカが照明を消す。
考える。寝ている間に耳に虫を入れられて、ナオタカの分身が尺取虫のように耳の中を進んで私の頭の骨を突き破る様子を思い浮かべる。脳みその中に到達した虫は、私の体中にドーパミンとか、オキシトシンとか? よくわからないけれどいろんな物質をたくさん送って、私の体を支配する。そうなったら、「私」は残るのだろうか。もしかして、何も気づかないうちに平然とご飯を食べて、会社に行って、ナオタカと同じベッドで眠るんだろうか。そのうち子供ができて、ナオタカと一緒に碁石を持つ——
枕カバーから甘い匂いが立ち昇る。なんだか頭が回らない。でも、ナオタカが好きだから、しばらくこのままでいようと思う。
私の愛しの、寄生虫ダーリン。
文月あや「パラサイト・ダーリン」はKaguya Planetで開催されたSF小説×SF短歌企画に参加している作品です。「パラサイト・ダーリン」をもとに寄生虫視点から描いたSF短歌、穂崎円「バースデー」はこちらから読むことができます。