もといもと「境界の街〜僕らの極秘計画〜」 | VG+ (バゴプラ)

もといもと「境界の街〜僕らの極秘計画〜」

カバーデザイン 浅野春美

先行公開日:2021.11.20 一般公開日:2021.12.25

もといもと「境界の街〜僕らの極秘計画〜」
5,994字

二十世紀後半、黒海に面したソ連の構成国の一つで、大規模な原発事故が起きた。周囲30kmに住む人々は移住を余儀なくされ、残された家畜は飢えるか、免疫反応や循環器系統に異常をきたしてやがて死んだ。リスなどの小型の野生動物も放射線の影響を受け激減したという。

しかし、植物の一部では、放射線に耐性を持つものが繁栄し、ヒースなどの植物の中にはガンマ線を浴びて異常な成長、巨大化するものが現れた。

太平洋上で行われた水爆実験のあとにも、周辺の島では60cmもあるタンポポが現れ、巨大なキノコの群生が見られたという報告がある。

しかし問題は、僕らの街で巨大化したのは植物ではなかったことだ。その生物は「ミュオ」という新たな名前を得て、僕らの街の半分を奪った。

「すごい計画があるんだ。秘密を聞きたいか」

岳彦はわざとらしくあたりを見回す。小柄で痩せた身体にボサボサ頭。今朝は一段と寝癖がひどい。逆立ちしたあと、首を下方六十五度に固定して眠らない限り、そんな癖はつかないと思う。だいたいコイツは、朝に鏡も見ないのか。

「もったいぶらずに言えよ」

「いや! 待て、実物を見せる! 爆死するぜ」

岳彦の「計画」とか「秘密」とか「爆死」には用心するべきだ。ロクでもないことが進行中だし、たいてい巻き込まれて大怪我をする。これが比喩だったらまだマシで、去年は肘を三針も縫う羽目になった。

こないだの「生体変異計画」なんか目も当てられなかった。金魚に鼻くそを食わせる実験のことで、金魚は十日目に死んだ。岳彦は庭の”実験動物の碑”の下にそれを埋め、黙祷まで捧げた。そこに埋められるのは三匹目だ。

「次の休み時間、俺の家までダッシュな」

「バカ、そんなの無理だろ」

「やらなきゃ死ぬんだって」

「どういうことだよ」

来ればわかる、と岳彦は言った。どだい断る選択肢なんか用意されていなかったらしい。

チャイムがなると同時に岳彦は立ち上がった。はやくしろ! と僕を急き立てて、昇降口へと向かう。玄関で靴を履きかえている時、星先生に見つかりそうになったが、下駄箱の裏に隠れてなんとかやりすごした。

まったく、十分休みに家に帰るなんて正気の沙汰じゃない。こんな行いが許されるのは、尿検査の尿を忘れた時くらいのものだ。小学生ならみんな知ってる。

裏門から出て、息も絶え絶えに辿り着くと、岳彦は裏庭から自分の部屋に飛び込んだ。部屋は庭に面して大きな窓があり、そこから出入りできる。このために、わざわざ鍵を開けて来ていたようだ。

「なあ! なんだよ! 早く戻ろうぜ」

「ちょっと待てって。これ、見ろよ」

部屋の真ん中にはコタツが置いてある。

「こんな時期に? これが秘密かよ」

「いいから、中を見ろよ」

猫でも拾ってきたのか? 苦々しく思いながら掛け布団をめくってみた。端のほうに何かがゴロンと転がっている。30cmほどの丸くて白い物体。岳彦は手を伸ばして、それをごろりと反転させた。

「おい!」

自分が思うより大きな声が出た。岳彦はいけすかない笑みを顔いっぱいに浮かべた。

「戻るぞ!」

持ち時間はあとわずかだった。ダッシュで教室に向かいながら会話するしかなかった。

「おい! あれ、ミュオの卵だろ!」

「そう! そう! そう! そうだよ! 見たろ!」

僕を驚かせたのが心底嬉しいらしい。岳彦は有頂天で、走りながら器用に何度も飛び跳ねた。道がもっと広かったら宙返りだってしそうな勢いだ。

「やばいって! 岳彦!」

「わかってる! 凄いよな!」

全然わかってないじゃないか! 心臓がもげそうなくらいドキドキした。全速力で走っているからだと思いたかったけど、それだけじゃないことは明白だった。僕は、何度もずり落ちそうになるメガネを押さえ、岳彦の華奢な背中を追った。

“ミュオ極秘孵化計画”

授業中、岳彦から回ってきた紙切れにはそう書いてあった。僕は慌ててそれを握りつぶし、筆箱の中に入れた。頭を掻きむしりたい気分だ。苛立ちを込めて岳彦のほうを睨むが、なにごともなかったような顔をして授業を受けている。馬鹿な奴! 不安のやり場がなく、視線を窓の外へ移すと、緑に覆われたあちら側がいやでも目に入る。

僕らの街は、5kmにわたる鉄のフェンスによって分断されている。フェンスの向こうは管理調整地区だ。年々広がるミュオの生息域にあわせて十年前に指定された保護地区。出入りはミュオの研究者や森林管理局の職員、自衛隊に限られる。

その奥に広がる半径30kmの放射能汚染地帯には、もちろん誰も入ることはできない。ミュオと特殊汚染除去作業員リクビダートルを除いては。

「どこで見つけたんだよ、アレ」

永遠にも思えた午後の授業が終わり、僕らは並んで帰宅する。

「聞いて驚け! 一昨日、ハザマの横んとこの薮に落ちてたんだ。持ち帰る時はヒヤヒヤしたぜっ」

ハザマというのは学区にある唯一のスーパーだ。そんなわけあるか、と思ったけど、現に卵を見てしまったのだから信じない訳にもいかない。確かに、あの薮は管理調整地区のすぐ近くだ。

「センターに通報しろよ。ミュオの卵にはストロンチウムが含まれるって授業でもやったろ。危険だって!」

「食うわけじゃないんだから平気さ。それに、ミュオの卵殻に含まれるストロンチウム90から出るのはガンマ線じゃなくベータ線だろ? それでも怖けりゃお前は昆布でも食っとけよ!」

こうなったら何を言っても無駄だ。岳彦は自信満々に天を仰いだ。

「コタツでミュオの孵化に成功したら新聞にのるだろうな! そしたら絶対管理保護センターに呼ばれるぜ! 行けるんだ!  街のもう半分にさ!  」

バラバラと大きな音をたてて、数台のヘリコプターが頭上を通り過ぎていく。最近よく見かける民間のヘリだ。海外の研究機関がミュオを観察するのに使っているらしい。数ヶ月前には、アメリカ大統領がこっそり視察に来たなんて噂もあった。帰りがけに街の銘菓「ミュオ饅頭」を買ったって言うのは流石に嘘だろうけど、訪れたことに関しては、どことなく信憑性があって薄気味悪い。

それもこれも、ミュオのせいだ。ミュオの巨大化は止まらない。数も増えていると聞く。僕らに残された街の半分だって、そのうち占領されてしまうかもしれない。

「一緒に行こうぜ、向こう側にさ!」

岳彦が肩に体当たりしてきた。僕は返事をしなかったけど、相手が岳彦なら、それはイエスと同じ意味だ。

僕らはそれから数週間、転卵を行うため、交代で学校を抜け出し、岳彦の家までダッシュを繰り返した。最初は警戒していたが、案外見つからないものだ。

予想外の副産物も手に入れた。いつの間にか足が速くなって、時間内に余裕で往復できるようになったのだ。ダッシュのあとしばらくゼエゼエしていた呼吸も、いつの間にかすぐに収まるようになっていた。僕らもまた、日々進化しているらしい。

しかし、すっかり油断していたある日、それは起こった。朝の予鈴がなっても、岳彦の席がポツンと空いている。先生たちがやけにザワザワしているのを見て第六感が反応した。心臓が摑み上げられたようにギュッとなった。

ーーついにバレた! 岳彦は連れて行かれた? 政府? 警察? 僕が仲間だと漏らしたか?

少年院のことが頭に浮かんで冷や汗がでる。けれど、本当に頭を痛くさせたのはもっと根源的な恐怖が原因だったと思う。

ーーああ! 母さんに、また岳彦と遊んでたことがバレてしまう!

深刻な顔で教室に入ってきた星先生が、僕の名前を呼んだ。

「ハルカくん、今すぐ職員室にきてください」

僕はみんなの視線を感じながら立ち上がった。

職員室にいたのは警察ではなかった。役人でも、医者でも、研究者でもなかった。不安そうな先生たちが見守る中、僕を引き取ったのは、黒い作業着姿の二人組の男だった。リクビダートルだ。こんな時、リクビダートルが来るとは知らなかった。僕はその迫力に気圧され、恐ろしさに震えるようだった。

「一緒に来なさい。血液検査をします」

一人のリクビダートルが言った。冷淡な、感情のこもらない声だった。

「あの、岳彦は」

僕は泣きそうになりながら、それだけ聞いた。リクビダートルは言った。

「向こうにいます」

計画は失敗したが、僕らは図らずもフェンスを越えることになったのだ。

監視員つきの錆びたゲートを通り抜けると、いつもの街と地続きの見知らぬ世界が広がっていた。リクビダートルは何も語らず、僕は後方座席に黙って座っていた。

窓の外は植物だらけだった。街はなんの臆面もなく新たな支配者の混沌とした文化の繁栄を受け入れていた。看板にも標識にも植物が絡みつき、文字や記号は悉く覆い隠されている。見る者がいなければ不要だと言う無言のメッセージに、僕はうっすらと恐怖を感じた。何かが動く気配は全くなかった。

しばらく走ると、緑に飲み込まれるように街は途切れ、うっそうと木々が茂る林道に入った。

最初は気づかなかった。乗っている旧式のバンのエンジン音がうるさかったからだ。

けれどしばらくすると、その音は確実に近づいて来た。地鳴りのような低い振動音だ。

音の方向を見ようと窓の外を見て、僕は「あっ」と声をあげた。

横だ! 車のすぐ脇、3mほど向こうの林の中を、ミュオが走っている。一、二、三……十羽以上いる! 群れだ!

ミュオーーーミュータント・オストリッチ、別名エゾオオダチョウ。僕らの街のマスコットキャラクターとして牧場で飼われていたダチョウたちは、原発事故の後に野生化し、放射線を浴びて巨大化した。3.5mを超える巨大な身体を持ち、それでもなお時速70km以上の速度で走ることができる強靭な大型鳥類。

ミュオたちは、かなりのスピードで走っていた。太く長い首を悠々ともたげ、屈強な腿で巨体を難なく駆動させている。

鋭い鉤爪を持つ脚が、推定五トンの力で大地を蹴りつける。下生えの草も、小枝も、木の根もものともしない。すべてを折り、踏み潰す勢いで駆け抜けていく。

黒く艶のある羽毛に覆われた胴体には、折れた枝や葉が無数にからみつき、巨大な身体をさらに大きく見せていた。初めて間近で見た圧倒的な姿に、僕は、言葉を発するどころか息をするのも忘れていた。

「これは……」

彼らが通りすぎ、体の芯に響くような振動音がしなくなってやっと、カラカラの喉から声を絞り出した。

「……まるで……恐竜だ……! 」

運転していたリクビダートルの一人が、かすかに笑った気配がした。

車は林を抜け、小高くなった丘の上にある白い壁の建物の前に停車した。管理保護センターだ。助手席のリクビダートルが先頭に立ち、無言で中に入っていく。施設の中はしんと静まりかえっていた。僕はなんとなく不思議に思った。彼らは除染区域だけではなく、こんなところにも出入りするのか。

検査を待つために通された部屋は明るく、外を見られる大きな窓があった。その前に、阿呆みたいな顔で突っ立っていたのは、ボサボサ頭の岳彦だった。僕を見て、決まり悪そうに笑った。

「やっぱバレちまったな!」

緊張していた気持ちが一気に緩んだ。言いたいことが山ほどあったけど、口から真っ先に滑りでてきたのは、お約束のセリフだった。

「バカかよ! だから言っただろ!」

同時に、両目から涙が吹き出しそうになった。なんとか堪えたものの、鼻水が後から後から出てきて、隠せたとは言えなかった。やけくそだ。僕は、ポケットからティッシュを引っ張り出し、おおっぴらに鼻をかんだ。

岳彦は僕の醜態なんてお構いなしに、きっぱりと言った。

「計画は成功だな! 」

「は!? 完全に失敗だろ!」

岳彦は、違うんだな、と満足げに首を振る。

「え……!? それって……」

「そうだよ! 今朝だ! そこら中走り回ったせいで、ママにバレて通報されちまった」

僕は開いた口が塞がらなかった。

岳彦は胸を張り、甲高い声で宣言した。

「けど、そのおかげでここまで来れた訳だ! ミッション・コンプリート! 大成功だ!」

あまりに得意げな顔をするので、思わず僕は吹き出した。

岳彦は不服そうな顔をしたけれど、僕は笑わずにいられなかった。

だって、コタツからミュオが生まれるなんて、あり得ないだろ!? こんなバカバカしい努力が報われるなんて、夢にしたって都合が良すぎるくらいだ。

僕は笑いすぎて出てきた涙を服の袖で拭った。

「そういえば、来る途中、車の中からミュオの群れを見たんだ。一瞬だったけど、めちゃくちゃかっこよかったぜ! お前も見たか?」

「いや、見てない」

ふと、岳彦の顔が曇った。

「え、なんだよ」

尋ねると、岳彦は思案げに沈黙した。僕はなんだか不安になる。こんな岳彦を見るのは初めてだった。

やがて岳彦は、意を決したように言った。

「なあ……、ミュオって、何だと思う?」

僕らは窓の外を見た。そこには中庭が広がり、穏やかな陽光が溢れている。一羽のミュオが、こちらに向かいゆったりと歩いて来た。近づくほど明らかになる驚異的な細部。肉感的な胴体、無数の針みたいな毛に覆われた小さく平たい頭、動くたびに波打つ漆黒の羽毛。ミュオは美しかった。神話の世界の生き物のように。

しかし、長いまつげに縁取られた眼球がぎょろりとこちらを覗いた瞬間、突如として恐ろしさが込み上げる。ミュオがいるのは窓の向こう、現実の世界。僕らの街なのだ。

見ると、岳彦の顔にも僕と同じ恐怖が浮かんでいた。

「俺、気づいたんだ。ミュオの卵が一つ残らず回収されているのには訳がある」

岳彦が静かに言った。

「それはストロンチウムが……」

僕の言葉は、すぐに遮られた。

「俺は雛を見た」

聞いたことのない声色だ。耳を塞げ、と本能が言ったが、間に合わない。

「ミュオの雛には」

またしても、聞いちゃいけない秘密だ。

「歯があった」

耳から頭の奥にかけて痺れるようなショックが走った。それは驚きというより理解のシグナルだった。だって、僕はすでに知っていたんだ。ミュオを見た時から分かっていた。

歯が生えている鳥、それは彼らの祖先ーーー。

「つまり、ミュオは……」

意図せず声が震え、言葉を飲み込んだ。

ミュオの強靱な腿が踏み越えようとしているのは、鉄のフェンスだけじゃない。生命が辿る進化の矢の方向、種というくくりーーー。新しい地質年代が音もなく僕らの街を飲み込んでゆく。

ドアが開き、リクビダートルが入ってくる。

岳彦が突然、僕に抱きつくように身を寄せ、耳打ちしてきた。

「リクビダートルにも噂がある」

やめてくれ。これ以上、何があるって言うんだ。

「奴ら、ディノコッカスを移植してるって」

ディノコッカス、それは、ミュオの体内にいる放射性耐性細菌だ。放射線で傷ついたDNAを修復するタンパク質を作ってくれると教科書に載っていた。ミュオの変異の一因とも言われている。

作業中に浴びる放射線によって、多くが数年以内に命を落とすと言われるリクビダートルたち。彼らもまた、何かを超えてゆくのだろうか。

絶え間ない極秘計画が、僕らを遠く知らない場所に運んでいく。

 

 

 

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もといもと

webディレクター兼ボドゲクリエイター。「不確定要素」を追加しながら箱の中の「ねこ」を観測しあう、新感覚のカードバトル「シュレーディンガーのねこ」の制作者。2020年に第一回かぐやSFコンテストをきっかけにSF小説を書き始め、「嘘つきロボット先生」が同コンテストにて選外佳作に選出された。翌年の第二回かぐやSFコンテストでは、子供時代の思い出を描いた「黄金蝉の恐怖」が最終候補作品に選出され、生き生きとした描写によって多くの読者の心を掴んだ。海外SF、昆虫、化石、お酒、エビフライ、面白い話が好物。特技はルービックキューブと利きビール。

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