伊藤なむあひ「ひとっこどうぶつ」 | VG+ (バゴプラ)

伊藤なむあひ「ひとっこどうぶつ」

カバーデザイン VGプラスデザイン部

先行公開日:2023.9.23 一般公開日:2023.11.4

伊藤なむあひ「ひとっこどうぶつ」
17,584字

1、カッパのいる寿司屋
2、サメ商店
3、ヒトとの生活
4、スランプとピクニック
5、ランドマーク
6、崩壊
7、サメっこぐらし

1、カッパのいる寿司屋

カッパはどうかって? カッパは案外この仕事を気に入っていた。朝八時に自分の名前が冠された寿司屋に行き、店の地下にある作業場にてタイムカードを押す。他に従業員はいない。カッパは筆ペンを持ち、今日も紙と向き合う。手がよく動く日もあればそうでない日もあった。それでもカッパは週五回、休憩をはさんで八時間ここで働くのだ。

大量に仕入れておいた短冊(俳句用のしっかりとした造りのものだ)を作業台の上、自分の左斜め前に設置する。一番上の短冊をむんずと掴み正面に置くと、カッパはまだなにも書かれていない空白をじっと見た。集中しなくては。カッパは緊張した面持ちのまま目を閉じた。

これまで学習してきた内容を思い出し、そのなかからふさわしいと思えるものに的を絞る。自然と筆ペンを持つ手に力が入る。ひとつ、深く息を吐き出し重い目蓋をゆっくりと上げる。カッパの水掻きに握られたペンが、白い短冊の上を踊った。

『ヒトも木から落ちる』

短冊にはそう書かれていた。最初にしてはまあまあか。カッパはまずまずの出来に安堵した。そうして、いまの感覚を忘れないうちに短冊を入れ替え次の作品に取り掛かる。

『ヒトも歩けば棒に当たる』

うん、いいんじゃないか。カッパは満足げに頷くと、そのまま次々と新しい短冊にペンを走らせていった。灰色の壁に掛けられた時計の秒針が、いつしか気にならなくなる。

ふと時計を見ると、既に午前十一時半を過ぎていた。カッパは座り慣れた椅子から立ち上がりロッカーに向かった。黒のボディバッグの中にはアルミに包まれたおにぎりがふたつ、そして保温性に優れた小さな水筒が二本入っていた。

そのうちのひとつの蓋を外し、中身をコップに注ぎ入れる。温かい空気と共に、味噌の香りが作業場に広がる。味噌汁、それも今朝カッパ自身が仕込んだものだ。具はお麩と、昨日刻み揚げておいた茄子。カッパはそういったことを面倒に思わない性質だった。

既に午前中にいくつかの納得いく作品が完成していたため、午後の仕事は明日の準備を中心に行われた。気がつけば午後四時を過ぎており、カッパは驚いてノートを見る。おろしたてだったはずが既に結構な枚数のページが埋まっており、カッパはまだ自分がこの仕事を続けられることを確信する。

残りの時間の使い道を思案しながら、カッパはなんとなく作業場を見渡してみた。色ごとに分けられ、重ねられた大量の小さな丸皿。『シャリマシン』と書かれたテープが貼られ、点く予定のない赤と緑のランプを備えた大きな機械。壁面に貼られた作業チェック表。自宅に欲しいと前々から思っていた、扉のない天袋のような収納スペースと、そこに置かれた大量の備品。衛生管理者の名前が書かれたボード。

カッパが知っているものもあれば、そうでないものもあった。カッパには旺盛な知識欲があり、それらを調べ理解することは楽しみですらあった。ただ、コピーライターといういまの自分の職業と自分のこの性質が適合しているかは自信がなかった。役に立ってはいるんだけどな。そう思い、カッパは軽く自嘲した。

カッパはここのところ、自分の仕事について悩むことが多かった。果たして、自分がしていることは社会にどのような影響を及ぼしているのか。この仕事で本質的に何かを変えることはできるのだろうか。答えはまだ出そうになかった。

そうして労働の成果のいかんに関わらずカッパは十七時きっかりにタイムカードを押し、仕事道具を元の場所に戻す。他に誰が来るわけでもないので片付ける必要はないのだが、カッパはやはり今日もきっちり片付ける。ロッカーに行きバッグを取り出し、扉の内側に付けられた小さな鏡を見る。

あまり前に突き出していないくちばしと、薄緑の肌。カッパが右手の爪の先をハリのある頬に押し当ててみたところで、目があった。鏡の向こう、つまりカッパの背後にそれはいた。カッパとは似ても似つかない、薄い段ボール色の肌に、いやに存在を主張する高さのある鼻。目の上や口の周りには何故か黒い毛がうっすらと生えており、その目は怯えるようにカッパを見ていた。ヒトだ。

最初にカッパが思ったのは「驚かせてはいけない」ということだった。彼らは非常に臆病であり警戒心も強い。こちらが彼に気付いたことはもう悟られてしまった。これ以上刺激を与えれば彼はたちまち逃げ出すだろう。彼との距離を維持するよう注意し、ゆっくりとカッパが振り返る。両手の指を広げ、敵意がないことを示す。水掻きがピンと張った。

「大丈夫だよ」

そう口にしてはみたものの、彼らに言葉は通じない。ヒト同士でも言葉による意思の疎通はできないことが研究の結果分かっているというのに、それでも反射的に話しかけてしまうものだなとカッパは妙な感慨を抱いた。案の定ヒトは怯えた表情を見せており、ジリジリと、カッパとは逆側に移動していた。まずいな。カッパは恐れていた。何を? 彼が逃げることを。そして、警察に捕まることを。

そうなってしまえばもうカッパにできることはない。せいぜいが、彼の特徴を覚えておき、いつかパークで再会したときに餌を多めに投げてやる程度のことだけだ。

どうしたものか。思案するカッパはあることを思い出した。野良のヒトは大抵、ひどくお腹を空かせているということ。それと、ボディバッグの中に入れてあるヒト用のカリカリのこと。

2、サメ商店

じゃあサメはどうだろう? サメは口を大きく開けて寝ているせいか、朝起きる頃には脳が軽い酸欠状態になっており頭痛がする。それを溶かしてくれるのが朝のコーヒーだった。サメはそれをサメコーヒーと呼んでいる。サメはなんにでもすぐ自分の名前を付けたがるのだ。

万年床に近い布団から抜け出し、水道水で軽くうがいをし、コーヒーマシンをセットする。トイレに行き、便座に座った状態でぼんやりと今日の仕事のことを考える。軽くシャワーを浴びるついでに顔を洗う頃には、マシンがサメを呼んでくれる。

トーストと目玉焼き、それにベーコン。好物の三点セットを平らげると、サメは玄関を出てすぐの階段から一階に降りる。『サメ商店!』と大きく掲げた看板が朝日に照らされている。春、夏、秋とサメはそれを見るのが好きだった。ただ、冬の看板は暗くて物足りなかった。サメは次の冬が来る前に照明を付けようかと計画していた。

店舗はサメの自宅と兼用になっており、店員はサメ一匹だ。サメ商店は商店街の一番奥にある。開店は朝の十時。サメがシャッターをくぐり店内に入る八時頃には、商品を乗せたカゴ車が平均して二台程度、店内通路に並んでいる。サメが前日に発注した商品を、朝早くにやってくるトラックが運んでくれているのだ。

サメはパレットの上に置かれた検品票をざっとチェックし、それから品出しを始める。在庫を把握して、今日の天気を考慮し売上を予測する。なにせ開店してからサメはレジ打ちもするため、明日の納品分の発注も済ませてしまう。

サメの寝起きの具合や物量によっては開店時間に準備が間に合わないこともある。そんなときでもサメは、時間きっかりにシャッターを開けて「いらっしゃいにゃせー!」と外に向かって呼びかける。サメのよく通る声は商店街に響き渡り、もうそんな時間かと商店街の面々は顔を上げる。なかには店の前で待っている客もおり、彼らはサメの大きな声にびくっと体を跳ねさせながらも笑顔で入店する。

思ったよりも早く商品が完売し、その日の営業は十六時半過ぎに終わった。営業時間は十七時までだが、サメの気分や商品の残り具合でこうして早めに営業を終えることがある。そうして、サメは閉店処理を行なっていた。サメが鼻歌混じりでレジ閉めを終えると、ガシャンと音がした。

風だろうか。そう思いサメが無視しようとしたところ、もう一度シャッターが鳴った。首を傾げてシャッターを少し上げてみると、薄緑色の足首が見えた。さては、と嬉しくなり一気にシャッターを開ける。そこにはサメの予想通り、カッパが立っていた。

「お客さま、申し訳ないのですが本日の営業は終了しております……」

サメがふざけながらそう言うと、カッパは眉を顰めて「いいからちょっと入れてくれ」と言った。へいへい、とサメが笑顔で答え、中に入ってきたカッパの背後でシャッターを閉める。店内はまだ営業の余韻で雑然としている。

「この仕事は長いんだな」

「まあ気に入ってるからにゃあ」

カッパはサメが、この場所でさまざまな商売を始めては辞めるのを繰り返してきたことを知っている。だからこそ、飽きっぽい性格のサメがひとつの仕事を、それも毎日同じことを繰り返しているように見える商店の仕事を続けていることが意外だった。

サメの店の入り口付近にはいくつかの看板が放置されている。『ブティックサメ』、『サメ探偵事務所』、『カレーハウスサメ』『なんでも屋サメ』などなど。それらは車三台程度しか停められなそうな駐車スペースに、放牧されているかのように散乱している。サメ曰く、「頼まれたらやれるから置いてるんだが?」とのことだった。

「片付けながらでもいい?」

「ああ、手伝うわ」

答えてカッパは慣れた手つきで冷蔵ケースの照明を消していく。

「で、今日はどうしたんにゃ?」

サメの喋り言葉は独特だ。語尾がうわずった感じになるのと、ネコに育てられたためネコの言葉が混ざるのだ。

カッパはナイトカバーを下ろしながら逡巡する。こんなことを相談できるのはサメくらいだと思って来たものの、話してしまえば、目の前で売場を直し賞味期限切れの商品がないかを確認する灰色の魚類を巻き込むことになってしまうだろう。

「サメはさ、なんでこの仕事を続けてるんだ」

なのでカッパはつい関係のないことを尋ねてしまう。

「んー?」

「いやさ、探偵のときとかけっこう楽しそうだったから」

言いながらカッパはつい笑いそうになるのをこらえる。鹿追帽を被り、ヒレを巻き付けるようにしていかにもなパイプを持ったサメの姿を思い出してしまったのだ。

「うーん、そうにゃねえ」

サメの口からネコ語が出るのはリラックスしているときだということをカッパは知っている。

「なんか色々やってきたけど、いまの仕事が一番、なんていうか、本質、みたいに感じるんにゃよね」

「本質?」

サメの言葉に、カッパの口調が思わず鋭くなる。まさかここのところ自分が悩んでいることの核となるような言葉が、サメの口から出ると思わなかったからだ。

「誰かが必要なものを売って、その代わりにお金を貰うのってなんかシンプルで性に合うんにゃよねえ」

そう言って鋭い牙を見せて笑うサメに、カッパは確かに嫉妬していた。けれどそれ以上に、清々しい気持ちだった。あまり他の動物と関わることのないカッパが、サメとは長い間交友が続いている理由が分かった気がした。

カッパの口からは素直な言葉が出ていた。

「助けて欲しいんだ」

カッパが初めて口にする言葉に、サメは顔を上げた。

「実はヒトを拾っちゃってさ」

告白してスッキリしたが、さっき以上にぱかっと口を開けて驚くサメを見て、カッパはやはりちょっと悪いことをしたかな、と苦笑した。

3、ヒトとの生活

「野良のヒトってほんとにいるんにゃねえ!」

店舗の二階、サメの自室でカッパが経緯を話し終える頃には、サメはすっかり楽しむモードになっているようだった。

「あんま大声でその名前出さないでくれ」

カッパが窓の方を気にしながら静かにたしなめる。ヒトは逃げないようケージに入れたままにしてあるが、至近距離で観察するサメの大きな口を見て怯えているのか、ずっと隅で縮こまっている。少し気の毒になり、カッパは一応あまり近づきすぎないようサメに注意した。

「ほんで? どうするつもりなんにゃ?」

楽しそうに尋ねるサメとは対照的に、カッパは弱ったなあ、というように右手を頭の上の皿に置く。

「警察には渡さない、つもりなんだけどさ」

カッパの言葉に、サメはにっこりと笑う。大きな口の隙間から鋭い歯が覗く。カッパはもちろん気にしていないが、ケージの中のヒトはぶるりと身を震わせた。もしかしたらどうやって食べるかの相談をしていると思っているのかもしれない。

「匿ってるのがバレたらどうなるんにゃっけ?」

「三年以下の懲役か、五十万円以下の罰金」

げー、とサメが吐く真似をする。そしてどこで飼えば見つかりにくいかを考えはじめるサメを見て、カッパはやはりここに来て良かったと思った。

「まあ当面は俺の作業場に置いておくつもり」

「寿司屋の地下? あそこって誰か来たりしないん?」

「稀に取材で作業場を見せてくれるっていうのはあるけど、事前にここには入らないでくれっていうのはできる」

なるほどー、と口では言うが、カッパにはサメが何か言いたげに見えた。

「もしかして、ここで飼ってみたかった?」

ご名答、とでもいうように、サメはまたにっこりと笑顔を浮かべる。

「サメさ、ヒトの飼い方とかわかる?」

「は? めちゃ分かるが?」

「ヒトって結構繊細らしくてさ、暖かすぎても寒すぎても衰弱するし、同じものばかり食べてたら弱っていくし、放し飼いにしてサメが寝返りをうった拍子に潰したら最悪死ぬ」

「まじ? ヒト脆すぎん?」

サメの言葉ももっともだった。カッパが仕事でヒトのことを調べるほど、どうしてこんな種族が世界を支配していたのか不思議でたまらなくなる。

「じゃあやっぱ寿司屋がいいかー」

残念そうに呟くサメ。

二匹のやり取りをヒトは困惑した様子で見ていた。多くの動物はヒトを忌み嫌っている。カッパ自身は、実のところこれまでヒトに対する態度を決めかねていた。別に無理にどちらかに寄る必要はないか、というのがいま現在のカッパの結論だ。

今回ヒトを飼ってみようと思っているのだって、自分の仕事のヒントになればいいなというよこしまな気持ちが働いたことをカッパは自覚していた。

カッパはまず、入口のドアが開いてもヒトが逃げてしまわないよう柵を建てた。次に地下の入口にインターホンを設置した。そして「ヒトの様子はどうか?」「餌になりそうなやつ持ってきたんにゃが?」と頻繁に作業場に訪れていたサメが、そのまま自然な感じで寿司屋の地下に住み着くようになった。

カッパが「お店は大丈夫なのか?」と遠回しに帰宅を促してみても「臨時休業の張り紙しておいたから問題ないんにゃが?」と言うばかりだ。ただ自分がいない日はヒトのことが心配だったのは確かなため、カッパもサメの住み込みを受け入れることにした。

図鑑や資料の情報を総合すると、カッパのところにいるヒトは三十~四十歳くらいのオスのようだった。あまり栄養が摂れていなかったのか痩せており、毛並みも良いとはいえない状態だったが、ヒト用に調理した栄養価の高い食事や、サメ商店の常連のウシに頼んで分けてもらった牛乳(これは飲ませすぎるとお腹を壊した)を与えているうちに、徐々に毛や肌にツヤが戻り、体重も平均的なものに近づいていった。

ある程度カッパとサメの提供する食事を食べるようになったら、基本の食事をカリカリに切り替えた。ヒトのカリカリは普通には売っておらず、わざわざパークまで行き購入し、その場ではパークのヒトにはやらずに密かに持ち帰っていた。通常、業者やパークの関係者以外がヒト用のカリカリを必要とすることはないため怪しまれないよう気を付けながら、カッパとサメで手分けし定期的に集めるようにした。

寝床については苦労した。カッパははじめ、自分達がそうであるように床に薄布を敷いてやり簡単な寝具とした。ヒトは何ごとか鳴いたのち、寝具の周りをうろつき、やがて諦めたように横たわった。カッパもサメもちゃんと寝付くか心配で見ていたが、ヒトはそれが気になるのかたまに目を開けて二人のことを見てくるので、電気を消してやることにした。

カッパが簡易ベッドに、サメが床にそのまま横たわる。カッパが嘘の寝息をたてていると、サメのいびきが聞こえてきた。演技かと思ったがどうやら本当に寝ているらしく、カッパはそのうるささにこれじゃヒトが眠れないだろと腹を立てたが、不思議なことに少しするとヒトの寝息も聞こえてきた。カッパは脱力して笑い、ふと、こんな大人数で寝るのは生まれたての頃以来だなと思った。カッパが過去の記憶を思い起こすことは珍しかった。

だが、どういうわけかヒトは日に日に弱っていった。動きが鈍くなり、サメが口を開けて驚かせても反応しなくなった。食欲はまだあるようだが、どこかで聞いた「食べなくなったら早い」という言葉を思い出しカッパは怖くなった。ヒトの病気については未知の部分が多く、カッパがすぐにできそうなのは部屋を暖かくすること、水分と睡眠を多くとらせることくらいだった。

ヒトが長い時間眠れるようカッパはベッドを作ってやることにした。カッパがいつも昼休憩に使っている簡易ベッドを改造し、ヒトが寝る面にマットを敷いてやり、その上に厚めの布を重ねた。布と布の間にヒトが入る形だ。狭いところが落ち着くのだという話をヒントに作ったものだった。それくらいしかできないことが、カッパはもどかしかった。

夜になり、ヒトが寝床に作られたそれを見つけた。カッパとサメは離れたところから、ヒトに気取られないように様子を窺う。ヒトは新しい寝具を見ると、驚いたように大きく目を見開き、いつもより高い声(カッパにはそれが嬉しそうな声に聞こえた)で鳴くと、マットと布の間に潜り込んだ。二人は顔を見合わせて破顔した。

4、スランプとピクニック

「ヒゲ太郎!」

「薄段ボール色……ちゃん」

「ヒゲ助! モジャ公!」

「うーん、二足歩行眉毛」

「カッパさっきからそれ、しゅぞハラ(種族間ハラスメント)じゃね?」

「確かに……ごめんなさい」

「サメじゃなくヒトに!」

めずらしくサメに怒られながら、カッパが自分のボディバッグに入れているヒトに謝る。カッパとサメはお店に向かって歩きながら、ヒトの名前候補を出し合っていた。

「ていうかサメもあんま外でヒトとか言うなよ」

誰かに聞かれたら怪しまれるだろ、とカッパがせめてもの抵抗でサメに言う。

「誰もヒト連れてるなんて思わんし大丈夫にゃろ」

サメは気にした様子もなく能天気に笑っている。このピクニックのような長い散歩はサメの提案だった。ここのところ新しい作品をぜんぜん書けないというカッパに、ヒトと一緒に出掛けようと持ちかけたのだ。

最初はカッパも、ヒトを連れてくなんて危なすぎるとか、締切が迫っているとか、行かない理由を挙げていた。けれど理解していないはずのサメの話をヒトが興味深そうに聞いているのを見て、ヒトが喜ぶなら……と準備を始めたのだ。

サメはヒトのためにお弁当を作り、カッパはヒトが外の景色を楽しめるようボディバッグを四角く切り取りプラスティックを嵌め、小窓のようなものを作ってやった。そうしてサメの家を目指し、二匹と一人は広大な公園を通過していた。

「それにしてもカッパ、コピーライターのくせに名付け下手にゃなー」

「は? そこは関係ないだろ」

仕事がスランプだったこともありカッパが声を荒げる。こんな調子で、サメとカッパはかれこれ一時間近くヒトの名前の候補を言い合いながら歩いていた。

お互いのことは種族の名で呼ぶことが通常だが、ヒトについてはそういうわけにいかないため名前を付けるということになったのだ。

「だいたいさ、ヒトが反応したらそれにするって言うけど言葉が通じないんだから名前挙げたところで無駄じゃないか?」

「そんなことはないが? 最近はごはんって言ったらちゃんと反応しとるにゃろ」

「それは確かにそうだけど……」

「あっほら」

確かに、サメがいま言った『ごはん』という言葉に反応したのだろう。ヒトは期待を込めた目でサメの方を見ていた。

「あー、ずいぶん歩いたしどこかで座ってお昼にしようぜ」

「賛成~!」

カッパが公園内の敷地を見渡す。この辺りは他に歩いている動物もちらほらおり、ところどころにベンチが設置されている。さっそくサメは大きな道が交差したところにあるベンチを陣取り、ごろりと横になった。

「いえーい、スペシャルごはんー」

ヒレをばしんばしんとベンチに叩きつけるサメは本当に楽しそうで、カッパは頭の中にあった様々なことは置いておき、少なくともいまこのときは「まぁいいか」という気持ちになった。

炊いたお米に酢を入れかき混ぜ、ヒトが一口で食べられる程度の大きさの楕円型に丸める。その上に、エラや内臓、小骨を取り除いた生の魚を乗せ、醤油をつける。

サメが作ったスペシャルごはん、寿司と呼ばれるそれは、個体差はあるもののヒトの多くが好む食べ物で、パーク内でのショーのご褒美などにも使われるとのことだった。

カッパは、本当にこんな奇妙な食事を食べるのかと少し不安だったが、いざお弁当箱から出したそれを与えてみると、ヒトは目を輝かせ夢中になって食べ始めた。カッパとサメもおそるおそる食べてみる。上に乗せる生魚はいろんな種類があるらしいが、今回はヒトに一番人気だというマグロにしていた。

「えっこれうま! うますぎん?」

「マグロには悪いけど、確かにおいしいわ」

種族間でお互いを食べるのは禁じられてはいない。ただ、もちろんマグロは自分たちが多く食べられることに反対しているし、捕獲されそうになれば抵抗もする。

「魚肉だけじゃなくいろんなものが乗ってたらしいけどな。魚卵とか、畜肉とか、加熱した鶏卵とかも」

ヒト、雑食すぎん? と言いながら次の寿司に手を伸ばしたサメが、何かに気がついたかのようにパカッと口を開けた。

「今さらだけどさ、こいつが寿司屋にいたのって寿司が食べたかったからなんじゃ?」

「あ、そうかも」

とカッパも笑う。心なしか、ヒトも笑っているように見える。公園内のベンチで、二匹と一人はのどかな時間を過ごしていた。

「そういやカッパが有名になったのもここがきっかけにゃったよな」

食べ終わったサメが寝っ転がりながら、遠くにある看板を見る。そこには大きな文字で『上野人物園』と書かれていた。上野公園の敷地内にあり、いまは『パーク』と呼ばれている場所だ。

「あー、懐かしいなあ」

それはカッパがこの世界で唯一のコピーライターとしての地位を確立した作品だった。

当時、まだヒトは体制的に保護されておらず、あちこちに野良がいた。それ故にヒトに恨みをもつ動物たちに暴力を振るわれたり、小腹が空いた動物たちによってスナック感覚でつまみ食いされたりしていた。いまのように、動物たちの社会のなかでのヒトの立場が固まっていなかった時代だ。

そこに現れたのが、カッパの書いた『上野人物園』の看板だった。もう何年も前の話だ。自身の衝動を持て余していたカッパは、定職に就かず、あちこちをうろついては落書きを繰り返していた。グラフィティだなんて洗練されたものではなく、カッパはただ己の内側で暴れるそれをスプレーに乗せては壁や道に書きつけていた。そんなときに、なんとなく立ち寄った場所で『上野動物園』と書かれていた看板を見つけた。

カッパは、『動物』の『動』部分を削り、『人』と書き直した。カッパにとっては勢いに任せた行動でありそこに社会的、政治的な意図はなかった。だが、それを見た動物たちは、立ち止まり、まじまじとそこに書かれた文字を読み、ひとつの光景を連想した。それは、かつての上野動物園の大小様々な檻のなかに多くのヒトが収容されている、というものだった。

看板は、動物たちのなかにあった『ヒトに復讐してやりたい』という気持ちと『世界を支配するものとして、絶滅しそうな種を保護しなくてはならない』というアンビバレントなふたつの感情を繋ぐ画期的なアイデアに思われた。そうしてカッパの言葉から、このパークが作られることとなったのだ。

「さてと、ご飯も食べたしそろそろ行こうかねえ」

サメが立ち上がり、続いてヒトが食べ終わったのを確認しカッパも立ち上がる。すると突然、ヒトがワァワァと鳴きはじめた。カッパは慌ててヒトを見る。さっきまでの様子とは違い、目を見開き、なにかを訴えるように一心に鳴き続けている。

「おい、どうした」

当然ヒトもカッパの言葉を理解できない。通りすがりの動物たちがカッパとサメの方をチラチラと見ていた。

「ヤバ、ヒトの声に気づかれてるっぽくね?」

「まずいな、移動しよう」

カッパとサメは慌てて立ち上がり、公園の出口を目指して足早でベンチを離れる。ヒトはボディバッグのなかで、パークに向かって鳴き続けていた。

もうすぐ公園の敷地から出られるというところで、カッパとサメは出口付近で警察犬が二匹の方を見ながら無線でなにかを話しているのを見た。

「別の出口にしよ」

いつになく真剣な口調でサメが呟き、カッパが無言で進路を変える。だが、その先にも警察犬が集まってきている。

「通報されてるな」

別の方向を見るも、そこにも様々な犬種の犬たちがいた。秋田犬、柴犬、ヨークシャーテリア、マルチーズ、トイプードル、ミニチュアダックスフント、ゴールデンレトリバー。警官は、すべてというわけではないがそのほとんどが犬であった。警察は元々はヒトが作った組織だったが、警察犬として活躍していた犬たちが組織を引き継ぎ動物の世界の治安の維持に努めていた。そしてその優秀な犬たちに、カッパとサメは囲まれていた。

結果として、カッパもサメも勾留されることも罰金を払うこともなく、厳重注意だけで解放された。取り調べは二匹別室で行われた。カッパは黙秘を貫いた。だが、サメはこう答えた。旧知の仲であるカッパはここのところ仕事に於いてスランプに悩んでいた。それを打開するため、たまたま拾ったヒトを観察し、仕事のヒントに使えるのではないかと連れて歩いていた、と。

全てが嘘でなく、むしろ表面的には正しく経緯を伝えていた。むろん、動物の世界においてのカッパのコピーライターとしての権威もサメの説明の説得力を補強した。警察犬たちは釈放の際「これからも先生の作品楽しみにしています」などと取ってつけたように声を掛けたが、カッパは俯くばかりで最後まで一言も発さなかった。

「いや、どうなることかと思ったが、なんとかなるもんにゃねえ」

警察署を後にしたサメがいつもの能天気さでそう言うと、カッパがようやくくちばしを開いた。

「なんとかなってないよ」

元々どこかけんのあるような喋りかたをするカッパではあったが、いつもの比ではなかった。サメもさすがに黙り込み、カッパもそれ以上なにも言わなかった。二匹は無言のまま警察署から離れていった。

「またにゃ」

ふたりの家への分岐点となる交差点で、サメが言った。元々の目的であった、サメの店へ行くということについてはどちらも触れなかった。カッパが無言で手を上げ水掻きを広げて見せ背を向けると、サメはカッパに気づかれないよう小さく息をはいた。

5、ランドマーク

季節は秋になろうとしていた。緑葉は紅く染まっていき、動物によっては冬眠の準備を始める者もちらほらと出てきた。そしてパークの敷地内、かつて大噴水があった土地には巨大な建造物ができつつあった。何が建つのかは知らされておらず、日に日に高さだけが増していった。

あれ以来カッパから連絡はなかった。サメは休みのたびパークに行ってヒゲ太郎(サメが一番気に入っている名前)を探したが、それらしいヒトを見つけることはできなかった。けれど、サメは考える。もしヒゲ太郎のヒゲがきれいに剃られていたら自分は見分けることができるだろうか、と。

そんなことを思っていると電話が鳴った。

「もしもしサメ? いま大丈夫か?」

一瞬よぎった、カッパからの電話かもしれないという期待は、受話器の向こうから聞こえてきた豪快な喋り声によってかき消された。

「スマさん? 大丈夫にゃが、どしたん?」

スマさん、と呼ばれたのはカッパとサメの唯一の共通の仲間であるスマトラゾウだった。

「いまパークにいるんだけどさ、カッパがいるぞ」

サメはなんのことか分からず、はてな? とそのまま口にした。

「なんか演説してて、テレビで中継もしてるっぽいから見てみ」

「え、ちょっと待って、いま点ける! なんチャン?」

画面が映るまでのタイムラグがもどかしく、サメが「うー!」と唸りヒレを床にパシパシと叩きつける。夕方のニュースが放映されており、そこにはちょうどカッパが映し出されていた。

興奮したように喋りマイクを向けるアナウンサーに、カッパはいつもの冷静な口調で答えている。

「私はこれまで、自分の仕事がどこに向かっているのかということをずっと考えていました。上野人物園……いまのパークにおいて活動を評価していただいて以降、私は様々なキャッチコピーを生み出してきました。それは、この時代における我々動物の位置付けを、過去の文明、文化を上書きしながら歴史に刻む行為だったのだと考えています」

『では今回の建造物については……』

「いまお話しした仕事の、集大成です。本日完成するこの建物は我々動物たちの新しいランドマークになることでしょう」

カッパの言葉にアナウンサーをはじめとする会場の動物たちがワッと沸く。

「変わったやつだとは思ってたけど、すごいやつだったんだなー」

「スマさんありがと、行ってみる!」

返事を待たずに受話器を置き、サメは店を飛び出した。バスを待つ時間も惜しく、サメは商店街の顔見知りに自転車を借りると尾びれを器用に使いペダルを漕いだ。

サメがパークに到着すると既に多くの動物たちが集まっており、お祭り会場のような賑わいを見せていた。「ほあー」とサメが口を開けて驚いているなか、カッパの声が聞こえてくる。

集まった動物たちは皆一様に塔の上方を眺めている。サメがそれらの視線を辿ると、展望台だろうか、空に向かうにつれ細くなるタワーの先端部分が花咲くように膨らんでいる。どうやらカッパはそこにいるらしかった。

「世間ではタワーと呼ばれているようですが、本日、この塔の正式名称を発表いたします」

カッパが言い終わる前に、地上の動物たちから大きな歓声があがる。カッパが右手を大きく挙げると、それを合図にタワーの根元付近を覆っていた白い布が取り払われ、刻まれていた文字が明らかになった。

『ALL ANIMALS TOWER』

少しのざわめきの後、タワーの下に集まった動物たちから発せられた雄叫びが爆発した。

「オールアニマルズタワー、これがこの塔の名前です」

共有していたはずの言語をも忘れたかのように、鳴き声、うなり声が湧き上がり、地鳴りのような足踏みが鳴らされる。動物たちの熱狂。サメはその光景に驚き、けれど理解できないまま口を開けあたりを見回していた。

「すべての動物たちの塔、か」

尾びれをポンと叩かれて、サメは後ろに立っていたスマさんに気が付く。

「なんでこんなに盛り上がっとるん?」

「やっぱり自分達動物が主役の塔、ってことだからかねえ。それにしてもこの盛り上がり方は異常だと思うが」

困惑するサメにスマさんが説明を試みるが、サメはあまり納得できない様子で目の前の状況に首を傾げる。

「この塔は、かつてヒトがこの地に作ろうとし、頓挫した計画を私が引き継いだものです」

カッパの言葉に、地上の動物たちの間にさざ波のような動揺が広がるのをサメは見ていた。そして、ひさしぶりに聞いた『ヒト』という言葉に、ヒゲ太郎との日々を思い出した。

「この塔は、我々動物たちの新たなランドマークになると皆さんにお伝えしました。オールアニマル。全ての動物。その『動物』に」

一瞬の沈黙を挟み、カッパが言葉を続けた。

「ヒトを含めるべきだ、というのが私の考えです」

地上のざわめきが大きくなる。

「本来であれば、彼らの言葉を借用し、改変した私が言う言葉ではありません。ですが私は、いえ、我々動物は変わらないといけないのではないでしょうか。少し前に、私はとあるヒトと生活をしました」

「げ、マジで?」

スマさんが驚いた顔で長い鼻を丸め、サメは素知らぬ顔で不器用な口笛を吹いた。動物たちの間では少し前までの盛り上がりが嘘のように、こいつは何を言い出すんだという空気がみるみる広がっていく。

「そのヒトは、悪意なく私に接し、こちらも彼を可能な限り尊重しました。数ヶ月にわたる共同生活のなかで、確かに私たちは信頼関係を築けていたと思います。少なくとも、今後私はヒトに対して、動物たちと接するのと同じように接するでしょう。できることならこのパークも解放したい。私は変わりました。いえ、変わろうとしています。時間をかけてでも、我々は変わることができるのです。この塔が、我々をすべての同じ動物としてやり直す、そのシンボルになればいいと私は強く願っています」

ひと息でカッパがそう言った。

6、崩壊

カッパは、これまでヒトが作ってきた言葉の一部を改変することにより動物の世界で唯一のコピーライターとしての地位を確立した。そして『上野人物園』をはじめ、『たべっ子にんげん』や『ヒトの上にも三年』といった代表作と呼べる作品を作り上げ、カッパはその地位を不動のものとした。

だが、カッパは自らのそんな仕事に疑問を持つこともあった。自分の仕事は、ただただ動物たちの溜飲を下げ、いたずらにヒトへの差別を助長しているのではないだろうか。新しいコピーを作るためにヒトの歴史や文化を調べるたびにそんな思いが大きくなっていった。

「ふざけるな」

地上の誰かがぼそりと呟いた。カッパには聞こえない声量だ。ただ、サメにはしっかりと聞こえていた。困惑ではなく、明確な敵意。

「ヒトなんかと我々を一緒にするな」

「あいつらと同じ種族に括るな」

声はどんどんと大きくなっていく。

「嘘つき」

「偽善者」

「裏切り者!」

地上からの声が、粘性のある水に生まれた泡のように、ごぼり、ごぼりと湧き上がる。

「まずいな」

スマさんが呟く。

塔に、カツン、と何かが当たる音がした。地上から投げられた木の実らしく、そのまま落下しぶつかった動物が「わ」と短く声をあげた。また別の動物が塔に向かって何かを投げた。先ほどの木の実より大きい石で、ガツン、と大きな音を立てて塔にぶつかり落ちていった。下にいた動物たちは悲鳴をあげながら慌てて避けた。

カッパはどうしているのか。サメが目を凝らして塔の上部を見ると、カッパは下の騒ぎなど気にしていないかのように、なにか、自分の背よりも高い大きなパーツを持ちよろめいていた。風が強くなってきていた。

「これは、この塔の最後の部品です」

カッパの声がマイクを通り再びパークに響く。だが、それを聞く動物たちの反応は少し前までのものとは真逆といっていいものだった。

「黙れ!」

一際大きな声。ライオンの周りの動物たちが後退り、動物だかりのなかに小さなサークルができていた。

「いま、私が立っている場所は、地上から九百九十九メートルの高さです。そして、これを設置することで、千メートルとなります。その瞬間を、多くの、ヒトを含む多くの動物たちに見てほしい」

ライオンの怒声を無視してカッパが説明を進めていく。動物たちのなかには単純にその高さに感嘆の声をあげる者もいた。だが、それ以上の数の興奮収まらぬ動物たちが、いまにも塔に登る勢いで激昂していた。

「引きずり下ろせ!」

再びライオンの咆哮が響いた。それは具体的な命令というわけではなかったのだろうが、ライオンの放つ圧倒的なオーラにより号令となって他の動物たちを動かした。

サルたちは手を伸ばし鉄塔を登り始める。

タコが八本の脚を絡めて金属に絡みつく。

リスたちが小隊のように連なり根元部分を駆け上がる。

巨体のクマが塔にしがみつくと鉄塔全体が小さく揺れた。

サメは?

「おいサメ、やめとけ!」

サメはスマさんの制止の声など聞こえていないかのように塔の足もと、中央部分に向かって走っていた。どういうわけかその足取りは軽く、怒りで他の動物たちの目に入っていないタワーのエレベーターに入り込む。そしてスマさんの方に振り向くと、閉まる扉の隙間から笑顔でヒレを振った。

塔の頂上ではカッパが強まる風と振動に苦戦しながらも頂上部分を設置しようとしていた。細長い角錐形のパーツを立て足元の窪みに嵌め込もうとしたその瞬間、頂上に到達した一羽のトリの羽がカッパの顔を覆った。

「うわ!」

と声をあげ、カッパが顔を守るように反射的に手を離してしまう。その拍子に、塔のパーツはガァンという重い金属音と倒れ転がる。カッパが慌てて駆け寄ろうとしたとき、強風に煽られ薄緑色の身体がよろめいた。地上からは歓声とも悲鳴ともとれない声があがる。

カッパは塔の縁の手すりに掴まり、固まっていた。どうやってこの急勾配の塔を登ったのか、一匹のヒョウがカッパを見ていた。目が合うだけで、動物的な勘からくる恐怖によりカッパの身体は動かなくなった。ヒョウの眼差しから目を離せず、獲物を前にした唸り声を、カッパは青ざめた顔で聞いていた。

ポーン、という場にそぐわない軽い音が鳴り、展望台のエレベーターのドアが開いた。

「いやー、エレベーター使ってもめっちゃ時間かかるんにゃねえ」

中からはなんだかいやに嬉しそうな顔をしたサメが一匹出てきて、ほあーと口を開けっぱなしにしたままカッパの方に近寄ってきた。

「それにしてもカッパ、そんな楽しいこと考えてたんにゃな」

サメが笑顔でカッパに言う。カッパはヒョウから目を離さないまま「ああ」とだけ答えた。標的が増えてしまったヒョウはどちらに警戒していいのか迷っているようで、それでもサメへの警戒を捨てられずにいた。

その様子をトリがホバリングしながら小型のカメラで撮影し、リアルタイムで放映していた。さっきまでの喧騒が嘘のように、地上の、そしてテレビの前の多くの動物たちが固唾をのんで見守っていた。

「そんで? それを立てれば完成なんにゃろ?」

「おうよ」

カッパがいつもより悪い顔色のままヒョウを睨み返す。その目にはもう相手への恐怖はなかった。

「代わりに取り付けをお願いできるか?」

「任せろにゃー」

サメが動いた瞬間、ヒョウが飛び掛かろうと柵を乗り越えた。カッパがその間に割り込み、頭の皿でヒョウの牙を受け止める。サメが塔の先端部分を拾いあげようとし、「おっも!」と叫んだ。旋回していたトリたちが一斉にサメに襲いかかる。

「しゃー!」

身体を覆い、啄んでくるトリたちをかつてネコに教わったやり方で威嚇し、サメが尾びれを打ち鳴らす。トリたちがサメから離れる。どーよ、とサメがカッパに言おうとした瞬間、目の前にトリの親玉みたいな、サメの三倍は大きい鳥類がくちばしを開けてサメに接近していた。サメが思わずぎゃっと叫ぶ。

「どいてろ!」

カッパがヒョウと揉み合いながら叫んだ。言葉にならない声をあげながら、カッパは力任せにヒョウごと巨大なトリのくちばしのなかに突っ込んでいく。どこからか力強い歓声があがるのを、カッパは聞いた気がした。誰がなにを思い、どんな気持ちで応援しているのか。それはカッパを含めその場にいた誰にも分からなかった。

「よいしょー!」という声と共に、低い音が響いた。カッパはいまにも閉まりそうな巨大なトリのくちばしのなかからそれを見ていた。暗闇の先、小さな光の中には塔の先端部が確かに立っていた。

本来なら金具でしっかりと固定する必要があるが、パーツ自体の重さが相当あるので立てるだけでも問題はなかった。カッパの構想した地上から九百九十九プラス一メートルの鉄塔が完成したのだ。

トリの口の中にいることも忘れ、カッパも、そしてヒョウも、それを見ていた。カメラは確かにその光景を映していた。塔の先端部によじ登り、両ヒレを天に向かって掲げるサメの姿を。

「てってれー!」

何故か両手にスペシャルご飯を持ったサメが叫ぶ。同時に、空が光った。すぐにやってきたのは空を引き裂くような轟音であり、大地を揺るがす振動だった。すべての動物たちの悲鳴は重なり、けれど音はそれらを飲み込み地面と塔を激しく揺らした。

動物たちの最新の技術をもって溶接したはずの塔は、振動のためなのか、なにか見えない大きな手により解体されていくように根本から崩れていった。

地上の動物たちが悲鳴をあげながら逃げ惑う。

塔に登っていた動物たちはなにが起こったのか分からず宙に放り出される。

空を舞っていた動物たちが鳴き声をあげ散り散りに飛び去っていく。

そして、『パークに収容されている動物たち』は何も言わず、けれど心奪われたような目でそれらを見ていた。

7、サメっこぐらし

それから?

そう、それから。

サメは相変わらずお店にいた。今日もサメは寝起きのサメコーヒーを飲み、『サメ商店!』と書かれた看板を嬉しそうに眺めながら階段を降りた。看板は点けっ放しの照明により、夜の商店街にぴかぴかと光っていた。そうしてサメは、今日も開店前の店内で品出しをする。

やがて開店時間になると、サメは勢いよく店のシャッターを開ける。集まっていた客たちは、サメにつられて笑顔で入店する。動物たちは目当ての商品を見つけレジに行き、持参した食べ物やきれいな石、暖かそうな布などをサメに手渡す。サメはそれらをひとつひとつ手に取り、さまざまな角度から見定め、受け取り、店頭に並んでいた商品と交換する。そのたびにサメはにっこりと笑う。ギザギザの歯を見せて。

夕方のピークタイムが過ぎると、サメは客のいなくなった店内で商品の前出し、底上げをはじめる。両ヒレを器用に使って、手前のものが売れて奥まった商品たちを、しっかりと客から見える位置に移動させる。向きを調整して商品の顔を正面にやり、重ねて積んでいた商品を整える。サメはこの地味な作業が案外気に入っていた。

ぺたっ、ぺたっ、と足の水かきがアスファルトに張り付く音が近づいてくると、サメは顔をあげ音の方を見る。誰が来たのかは分かるので、サメの尾ビレは嬉しそうにピシたんと店内の床を鳴らす。薄緑色の動物と、薄段ボール色の動物とが揃って来店する。キュー、と喉を鳴らしサメが二匹の来店を歓迎する。

二匹は楽しそうに商品を選び、リュックに入れていた丈夫そうな金属の塊と共にレジ台の上に置く。サメは目を丸くして、さも重たそうにそれを持ち上げ鑑定士のように品定めする。やがて大きな口をぱっかりと開け、不安そうに目を向けていた薄段ボール色の動物に器用にウィンクをする。薄緑色の動物は「やれやれ」といった顔でレジ台に上げた商品を受け取ると、水かきを広げてサメに手を振り名残惜しそうにしているもう一匹の動物と店を出ていった。

閉店時間になり、店内の掃除をし、かつてレジが置かれていた場所をぽんと右ヒレで叩くと照明を消してサメは店を出た。二階には行かず、動物たちの気配が減ってきた商店街を駅に向かって歩く。駅の逆側にある、スマさんのお店に遊びに行くのだ。

サメがもう使われなくなった電信柱をヒレでタッチしながら歩いていくと、オレンジ色の実がなっている大きな木が目に入った。夕日により鮮やかな色に染まっているそれをひとつ取り、ヒレに掛けたハンドバッグに入れる。そしてさっき会ったばかりの二匹の顔が思い浮かび、あたりを見回すと、サメはもうふたつだけ実をもいだ。

 

 

 

 

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伊藤なむあひ

北海道生まれの兼業作家。ユーモアや明るさを感じさせる文体で、滅びや不穏さを含んだ独自のワールドを作り出すのが魅力の一つ。2021年に、『幻想と怪奇7』(新紀元社)に短編小説「天使についての試論」が掲載される。翌年には「天使についての試論」を表題作とした奇想/SF作品集『天使についての試論』(人格OverDrive)が刊行される。2022年には『小説すばる 2022年11月号』の連載フラッシュフィクション企画「千字一話」に、ラッコSF「合法的トトノイ方ノススメ」を寄稿。ウェブメディア〈anon press〉に寄稿したヤマザキパンSF「偏在する鳥たちは遍在する」で話題となった。
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