久永実木彦「天国には行けないかもしれない」 | VG+ (バゴプラ)

久永実木彦「天国には行けないかもしれない」

カバーデザイン VGプラスデザイン部

先行公開日:2023.3.25

久永実木彦「天国には行けないかもしれない」
11,730字

水平線のむこうから、夜明けの光が少しずつ漏れはじめていた。つかのま、海と陸地を往来する風が凪いで、老人が地面を掘る音がことさらに響く。

海を望む高台の公園には、多くの樹木が植えられていた。老人がショベルを突きたてているのは、なかでもひときわ大きなクスノキの根元だ。明け方のジョギングコースを走る若い男女から訝しげな表情をむけられても、老人は気にかけることなく黙々と作業をつづけた。

老人は穴の底になにかを横たえ、今度は土をかぶせはじめた。埋めるために掘ったのだ。黒い土が少しずつ覆い隠していくのは、いくつかの金属部品のきらめきと、透きとおるような白い肌をした一本の腕だった。その人さし指はわずかに曲がり、クスノキとその樹上でうつろいゆく薄明トワイライトを指さしているように見える。

穴を埋めおえると、老人はへたりこむようにその場に腰をおろした。水平線から顔を出した太陽の光が世界を鮮やかなオレンジ色に塗りかえていくなかで、老人の顔色だけが青黒かった。健康状態に問題を抱えていることにまちがいはない。紫に変色した唇から、乾いた空気が壊れた笛のような音をたてて、せわしなく出入りしている。

老人の命の火は、まもなく消えてしまうようだった。しかし、その表情は愛するものに抱かれて眠りにつく子供のように安らかだった。

公園から数百メートルほど離れたところにあるプリチャード氏の豪邸に、デジロはヴィオラをともなって訪れた。静かな海岸の町を見おろすルーフバルコニーで、ふたり――いや、ひとりと一体と呼ぶべきか――は白いガーデンテーブルにすわり氏を待つ。正午どきの空はどこまでも青い。

「おわったら、この町でランチを食べて帰るとしよう」

「新鮮な魚介類を摂るのは健康のためにもいいことです。しかしながら、このあたりのレストランの価格帯はデジロさまの平均的なランチの予算を大きくうわまわっています。貯金を切り崩さずにとりもどすのであれば、むこう一週間のランチをエナジーバーですませる必要があり、結局は健康を害することになります」

ヴィオラの返答に、デジロは深いため息をついた。どこへ行ってなにをしようとも、お金の問題がついてまわる。一方で、バスケットコートよりも広いルーフバルコニーつきの豪邸に、ひとり優雅に住まう老人もいるというのに。

「たまには貯金を切り崩すさ。雰囲気のいい店をさがしておいてくれないか」

「かしこまりました」

あごに手をあてて目を閉じたヴィオラを、デジロは頬杖をついてながめた。思索にでも耽っているように見えるが、実際はネットワークにアクセスしてデジロの好みにあう店を選定しているところだ。

ヴィオラは生体マ・フと呼ばれる人造人間の一種だ。

生体マ・フとは、生物工学によって生みだされた人間に近い肉体に、機械工学によってつくりだされた電子頭脳をはじめとする各種機器を組みあわせた半人半機で、従来の全合金製のマ・フとくらべて柔和な印象があるからか、福祉の場で広くつかわれているほか、富裕層が使用人として側に置くことも多い。デジロのような生活安全課員の相棒サイドキックに生体マ・フが採用されるのは、事情聴取において対象者に無用の緊張を与えないためだ。

しかし多くの場合、対象者たちはヴィオラを見ると表情を固くした。黒のスーツに身を包んだ男性とも女性ともつかない――実際、彼機かのきたちに性別はない――その姿が、あまりに端正だからだ。断罪の天使を思わせるようなおごそかな美しさが、ヴィオラにはあった。

無論、これはヴィオラの個性であって、すべての生体マ・フがそうというわけではない。むしろ、ヴィオラのようなタイプのほうが珍しいのだ。家電にもかかわらずこうした個々の性質が許容されていることを、デジロは好ましく思う。ある程度の複雑さをもつ自律的な個体をつくろうとすると、どうしてもそういったぶれ、あるいは揺らぎのようなものが生じてしまうらしく、むしろ許容せざるを得ないというのが実情のようではあるが。

「いい店は見つかったか?」

「すでに四店ほど候補を選んであります。しかし、その話はのちほどにしたほうがいいでしょう。あと一四秒ほどで、プリチャード氏が来られるようですから」
ヴィオラのいうとおり、きっかり一四秒後にプリチャード氏を乗せた電動車椅子がルーフバルコニーに姿をあらわした。氏は傍らを歩いていた看護師を下がらせて、ガーデンテーブルを挟んでデジロとヴィオラにむかいあうように車椅子を駐めた。

「待たせてしまって申し訳ないね」

そういってプリチャード氏は透明な液体のはいったボトルを一本だけテーブルに置いた。印刷されているロゴから高級なミネラルウォーターだとわかる。自分の分しか用意していないのは、デジロたちに長居させるつもりはないというメッセージなのかもしれない。実際、氏の体調はかなり悪そうだった。車椅子にそなえつけられた点滴のチューブが土気色の腕につながり、その手で紫に染まった唇をしきりに触っている。

「とんでもない。わたしは東ショア第四区警察署生活安全課のデジロ。こちらは生体マ・フのヴィオラです」

「ひと目でマ・フだとわかったよ。人間にしては純粋すぎる」

「純粋、ですか?」

ヴィオラは会釈をしてから、そう質問した。

「そう。人間のように曇っていない。世界をありのまま見ている瞳だ」

「興味深い解釈ですが、われわれの角膜、水晶体に用いられている生体部品は――」

「プリチャードさん、お体のほうは大丈夫なんですか?」ヴィオラの話が長くなりそうな気配を感じて、デジロは話を変えた。「救急車を拒否されたとか」

「ああ、問題ないよ」

問題のありそうな顔色でプリチャード氏はいった。それでも、七九歳と思えないほど言葉がしっかりとしているのは、さすが世界最大の企業を一代で築いた実業家というところだろう。現在も慈善家として精力的に活動をつづけているときく。デジロの知るかぎり、なにか病気を患っているという報道はなかったはずだ。

「――だが、手早くすませてもらえるとありがたい」

「ええ。いくつか質問させていただくだけです。お疲れになったら、すぐにいってください」

デジロたちが氏の豪邸を訪れたのは、本日の早朝、東ショア第四区警察署にはいった通報の件について聴取するためだ。

「通報者は殺人事件と誤解していたようです。遠目から人間の腕だと思ってしまったんでしょう。まあ、近くで見てもなかなか判別できないものですが」

「ふむ。わたしなら絶対にまちがえたりしないがね」

「そういうことで鑑識が掘りかえしたんですが、ご存知のとおり埋まっていたのは生体マ・フ用の合金製アタッチメントアームでした。取り外し可能で、場面に応じてワイヤーウィンチや工作用ドリルなんかに換装することができるしろものですね。ほかにも合金製の部品が何点か」

「あの公園もわたしの土地だからね。埋めてもかまわないと思ったんだよ」

「そう思われるのもわかります。しかしながら、改正特殊家電リサイクル法でマ・フの廃棄は販売店か、あるいは指定の窓口を通しておこなっていただくよう義務づけられています。ご自身の敷地内であっても、マ・フを埋めてしまうのは不法投棄にあたるんです」

「で、わたしはどうなるのかね。勾留されるのか?」

「いえ。罰金を支払っていただくことにはなると思いますが。まあ、たいした額ではありません」

あなたにとっては――という言葉をデジロは飲みこんだ。

「ならよかった。あとで請求書を送ってくれたまえ」

「その前に調書をつくらなくてはならないんです。面倒に思われるでしょうが、これも決まりでしてね。もう少し詳しくうかがわせてください」

むかしながらの紙やペン、携帯端末などは必要ない。デジロが聴取した内容は、ヴィオラが記憶して調書にしてくれる。

「壊れたマ・フを廃棄した。それだけのことだよ」

「鑑識が回収したのは、あくまで合金製の部位・部品ばかりです。それも一体のマ・フを構成するにはとても足りない、ほんの一部のみでした。電子頭脳や螺旋心肺なんかは含まれていなかったんですよ。そして、生体部分に関してはまったく見つかっていない。わたしどもが気になっているのは残りの部分――生体マ・フの肉体の行方なんです」

「燃えるごみに出したんだよ。区が回収していまごろ処理センターで焼却されているんじゃないかな。それも違法だというんだろうが、罰金は払わせていただくよ」

「マ・フが壊れたのはいつですか?」

「先月のおわりくらいだったかな。記憶が定かではないが」

「プリチャードさん、あなたは嘘をついてらっしゃる」

デジロに指摘されて動揺したのか、プリチャード氏はふたたび紫色の唇をしきりに触った。

「どういうことかな?」

デジロがヴィオラのほうをむくと、彼機は心得たとばかりにうなずく。

「第一に、東ショアの処理センターでは、焼却処理前に違法廃棄物の混入がないか厳格なチェックをおこなっています。同センターによりますと、三〇日以内に収集された可燃ごみにおいて、マ・フの生体部品混入は確認されていないそうです。無論、とりこぼしの可能性がないとはいいきれませんが」

「では、とりこぼしたんだろう」

「第二に、あなたは先月の頭にすべての使用人を突然解雇されています。いまはこの豪邸にひとりで住んでいらっしゃる。先ほどの看護師も以前は住みこみで働いていたそうですね。あなたがどうしても病院に行きたくないというので、今回は急遽呼びつけられたとか」

「それがなんだというんだね」

「生体マ・フの廃棄といっても、人間ひとりの死体を処理するのとあまり差はありません。ご高齢のあなたにはかなりの重労働のはずです。使用人がひとりもいないなか、単に壊れたからという理由だけで、それだけのことをなさるのは普通ではありません。業者に依頼すれば、簡単かつ合法的に処理してもらえるのですから」

「知ってのとおり、わたしは自分でなんでもやってきた人間だ。それくらい不自然でもなんでもないよ」

「もちろんただ廃棄しただけだというなら、それでかまわないんです」デジロは顔の前で手を組んでいった。「罰金は払っていただきますがね。ただし、われわれも上を納得させられるような調書をつくらないといけない。違和感があればこうして質問せざるを得ないんです。単刀直入におうかがいしますが、生体マ・フにたいする虐待があったのではないですか? 生体マ・フへの虐待を取り締まる法律はまだありませんが、早急な整備が必要であると国が審議しているところです。あなたのような名士がそのような行為におよんでいたと世間が知れば、名声は地に落ちるでしょう。あなたは証拠隠滅のために、マ・フを解体して廃棄したのでは?」

「そんなこと……」プリチャード氏は車椅子から立ちあがり、叩くようにガーデンテーブルに手をついた。「虐待などするものか、このわたしがアンブローズに」

聴取中に感情をたかぶらせる対象者は珍しくない。子供のころから知っている有名人が相手であっても、デジロはとくに驚かなかった。もちろん彼の相棒もそうだ。ヴィオラは静かに席を立ち、息を切らすプリチャード氏の肩を抱いて慎重に車椅子にすわらせた。

「水分を摂ることをおすすめします」

「いや、けっこうだ。問題ない」

プリチャード氏はかぶりをふって、ミネラルウォーターのボトルから顔をそらした。

「では、聴取をつづけさせていただきます」ヴィオラはいった。「先ほどお話ししたふたつの点は、わたしたちがこちらに来る前に調べたものです。しかし、あなたに会って新しくわかったことがあります」

「おいヴィオラ、なんの話だ?」

デジロの問いかけを手で制し、ヴィオラは自分の椅子にすわりなおした。

「第三に、あなたが口元をしきりに触っていたのは、歯に挟まっているもののせいですね。いま、近くで拝見して、その正体がわかりました。興奮して息を切らしていたおかげで、とても確認しやすかったです。ネットワークで照合したところ、それは生体マ・フの頭髪につかわれている繊維の一種であることがわかりました。アンブローズ――それが生体マ・フの名前でしょうか? プリチャードさん、あなたはアンブローズを食べたのでしょう?」

プリチャード氏が生体マ・フを食べた。それは、デジロにとっても意外な話だった。しかし、ヴィオラが対象者に推理を突きつけるのは、正しいと確信しているときにかぎられる。実際、誤っていたことは一度もない。

それが事実であり、食べることのできない合金部分を証拠隠滅目的で公園に埋めたのだとしたら、悪質性が認められて罰金の額はあがるかもしれない。デジロが虐待について訪ねたのも、違法性の認識について明らかにするためだった。だが、本当にそれだけでいいのだろうか。罪に見合う罰といえるのだろうか。デジロは唇を噛んだ。それは、ほとんど食人カニバリズムと変わらないのでは?

「話していただけますか? あなたとアンブローズのあいだになにがあったのか」ヴィオラはいった。「調書と……わたしの好奇心のために」

ルーフバルコニーに長い沈黙が降りた。上空をシロチドリの群れが飛び去り、海からの風が彼らを追いかけるように通りすぎる。

「きみは面白いな」プリチャード氏は目を細めた。「ヴィオラといったね?」

「はい」

「調書に書かれるのは不本意だが、きみの好奇心のためにわたしとアンブローズの計画について語ろう。わたしたちの行く先のことを、きみにも考えてほしいからね。それに、知れば虐待ではないこともわかってもらえるだろう」

「お願いします」

そういってヴィオラはプリチャード氏の目をまっすぐに見つめた。デジロは自分が口を挟むのは賢明ではないと判断し、黙って背もたれに体重をあずけた。ここはヴィオラにまかせるのが正解だ。

「わたしには、ある不安があった。そして、アンブローズにも」

「マ・フにも、ですか?」

「そのとおり。きみはどうかね?」

「ありませんね。仕事がうまくいかない可能性について考慮することはありますが、あらかじめ起こりうることと理解していますから。マ・フとはそういうものです」

「アンブローズもおなじようなことをいっていたよ。しかし、理解できたからといって、受けいれられるかどうかは別の問題だ。わたしたちは不安を受けいれられなかった。おたがいの不安をぬぐいさるために、行動を起こさざるを得なかったのだ。わたしの経歴は知っているね?」

「プログラマーにして技術者。二一世紀のロボット革命における主要な起業家のひとりです。人々はあなたのことを尊敬の念をこめて〈最初のマ・フをつくった男〉と呼んでいます。あなたが共同創業者のひとりを務めたテン・トゥームズ社は、いまや世界最大のロボティクス企業になりました。個人としても二二年連続で世界長者番付の一位に輝かれています。CEO職を退かれて以降は、慈善活動にも精力的にとりくんでいらっしゃいますね」

「教科書どおりの回答だ。一般に認識されているわたしは、まさにそのような人物だろう。だが、ひとりの人間としてはどうだ。孤児院で育てられ家族を知らない。恋人も伴侶も、子供もない。若いころから研究に没頭しつづけて、親しい友人もいない。すり寄ってくるのは財産目当てのハイエナどもばかりだ。わたしはずっと孤独だった」

プリチャード氏は遠い目をして、海のほうをながめた。一九世紀の蒸気船を模した遊覧船がゆっくり南から北へと進んでいく。

「――そんなわたしをかいがいしく世話してくれたのがアンブローズだった。彼機だけは、資産や名声の付属物ではない、ありのままのわたしを見てくれたよ」

「使用人として購入されたのですか?」

「会社がデータをとりおえた試作型テストタイプを廃棄するというので引きとったのだよ。生体マ・フには、わたしの時代の全合金製マ・フとはちがう美しさがあるね。電子頭脳に生体神経細胞が組みあわさり、もはや人間にその思考の機序を把握することはできなくなっている。そこにあらわれる、本来、生命しかもちえないはずの翳りのような美しさを、わたしはきみたち生体マ・フに感じる」

「翳り、ですか。いわゆる感情のようなものを指しているのであれば、錯覚といっていいかもしれません。わたしたちマ・フの言動における選択の傾向を、人間は感情による振る舞いと誤解しがちです」

「それは人間にしたっておなじことではないかね? そこにちがいがあるとするのなら、それは魂の存在だ」

「現在のところ、魂の存在には科学的な根拠がありません」

「科学で証明されていないからといって、問題にならないわけではない。わたしはだれよりも社会に貢献し、奉仕してきたつもりだ。だから、魂の救済を得る権利があると思った。この年になって、天国へ行くことを考えはじめたのだよ。ところがどうだ、宗教家や心霊の専門家たちに天国について尋ねると、口をそろえて《別れた家族や友人と再会して、永遠に幸せに暮らせる》などというではないか。わたしにはそんなものいないというのに」

天国、とデジロは思った。世界じゅうのさまざまな宗教に、そのイメージは存在する。

「――わたしは天国に行っても孤独に過ごさなくてはならないことが怖かった。どれだけ慈善活動を重ねようと、不安を払拭することはできなかった。そして、わたしには悩みごとを相談できるような相手などいなかった――ただ一体……いや、ただひとりをのぞいては」

「アンブローズですね」

ヴィオラの言葉に、プリチャード氏はうなずいた。

「わたしはアンブローズをともなって、海を望む高台の公園へ散歩するのが日課だった。その日、いつものようにクスノキの下でくつろいでいるとき、わたしはついにみずからの不安について告白した。アンブローズの膝に頭を乗せて、子供たちの遊ぶ声をきいているうちにこらえられなくなったのだ。彼機は驚いているようだったが、少し考えてからこう答えた――《わたしにも不安があります》と」

「アンブローズの不安とはなんだったのでしょう?」

「《わたしは、天国には行けないかもしれない》――アンブローズはそういった。生体とはいえ、道具としてつくられた自分に魂はない。頭脳も心臓も、半分は歯車でできているのだから。マ・フにとっての死は、壊れたり電源を失ったりして機械が機能停止することとなんら変わりはない。はたして、魂をもたないものに死後の世界があるのだろうか? 世界じゅうのあらゆる宗教の教典を見ても、機能停止したマ・フが天国に行くとは書かれていない。わたしはアンブローズがそのような苦悩を抱えていたとは、つゆ知らなかった。そして、彼機はこう提案したのだ――《わたしを食べてくれませんか》」

「待ってください」ずっと黙っていたデジロだが、たまらず口を挟んだ。「どうしてそうなるんです? わたしには、あなたがなにをいっているのかさっぱりわかりません。もし、これが責任逃れの嘘なら――」

「プリチャードさんは、少なくともいまは嘘をついていません」ヴィオラはデジロをさえぎり、一瞥してから言葉をつづけた。「失礼しました。つづきをどうぞ」

プリチャード氏はミネラルウォーターのボトルに視線を投げ、ふたたび話しはじめた。

「《わたしを食べてくれませんか》――そう提案したときの、アンブローズの穏やかな表情が忘れられない。それはわたしたちふたりの不安を同時に解消する、唯一の方法だったのだよ。アンブローズは食べられることでわたしとひとつになり、天国へ行くことができる。わたしの魂はアンブローズという永遠の伴侶を得て、天国で暮らすことができる。わたしはきいたよ。食べるのが、わたしなんかでいいのかとね。アンブローズは《あなたでなければいやです》といってくれた。わたしもおなじだった。アンブローズだけがわたしの家族だったのだと、わたしはそのときはじめて気づいたよ。

それから、わたしは使用人たちに暇を出した。アンブローズとふたりきりになるためにね。解体とその後の調理のための道具をそろえ、手順を勉強し、ついにその日が来た。調理用の作業台に横たわったアンブローズは解体されるあいだも意識を維持し、器官の切りわけ方などを的確に指示してくれた。大がかりな作業にめげてしまいそうなわたしを励ましもしてくれたよ。

まず最初に腹部にナイフを入れて、内臓を傷つけないよう慎重に股間までぐるりと皮膚を切った。皮膚を引っぱってひらいてみると、なかには生体器官と電子機器がとなりあって詰まっていた。わたしはそれらをひとつひとつ切除して、作業台に分類してならべた。ゴム手袋を通して伝わってくる温かさが、とても心地よかった。生臭い匂いさえ、かぐわしく感じられた。腹部の解体をおえて、胸部、頭部と進めていくうちに、わたしは涙が止まらなくなっていた。アンブローズの内側が、あまりに美しかったからだ。そして、同時に彼機がそこに閉じこめられているようにも思えた。わたしは自分よりも、アンブローズの願いを叶えるために懸命にメスをふるった。

脳組織から集積回路を切りとったとき、アンブローズの意識は途絶えた。最期の言葉は《ありがとうございます、わたしを永遠に連れていってくれて》だったよ。彼機の表情に、もう不安はなかったんだ」

デジロとヴィオラは、最後まで黙ってプリチャード氏の話をきいた。氏は解体されたアンブローズの生体器官をどのように調理し、そして食べたのか詳細に告白した。赤ワイン煮、ロッシーニ風ステーキ、ポトフ、肉寿司、ファゴット、ミートローフ、腸詰め、そのほかいろいろ――どの料理も、氏が手間暇かけて丁寧につくったということが、いやになるほどわかった。

驚くべきことに、彼は電子頭脳などにつかわれている金属部品についても、可能なかぎり分解して食べたのだという。そうして、どうしても食べきれないもの――全合金製のアタッチメント・アームなど――を公園に埋めたのだ。

「アンブローズの味がわかってわたしは嬉しかった。ひとつになれたのだという実感が湧いた。あとは、わたしが天国へ行けばすべての不安はおわる。わたしたちは永遠にいっしょにいられる。以上がわたしとアンブローズのあいだに起こったことのすべてだよ」

「ありがとうございました」ヴィオラはいった。「アンブローズの行動にはいくつかの解釈がなりたつかもしれませんが――いずれにしても、調書は問題なく完成するでしょう」

「どう解釈するのが正しいのか、マ・フのきみこそが時間をかけて考えてほしい」

「しかしプリチャードさん、あなたには――」

「罰金ならいくらでも払う。この件で名声が落ちようと、そんなことはもうどうでもいいのだよ。わたしがしたことが虐待でないことは、わたしがいちばんわかっている。承諾のもと、おたがいのためにやったことなのだから。わたしはその誇りとともに、まもなく天国へ行く」

「問題はそこなのです。あなたの顔色が悪いのは、アンブローズの部品に使用されている複数の有毒化学物質のせいですね。もちろん、承知のうえで食べたのでしょうが」

「お話をうかがったからには」デジロはいった。「わたしたちはあなたを病院に連れていかなくてはいけません。今度こそ診察を受けていただきます。そのうえで、必要な措置をとらせてもらう」

「拒否する」

「拒否できません」
プリチャード氏の顔が曇った。

「そんなことはないはずだ。きみたちが虐待と決めつけたとしても、現行法の対象外だ。わたしを拘束することなどできない」

「できるんです。有毒化学物質が含まれる部品を食べたのは昨晩か今朝でしょうか? あなたは今日あの公園で死ぬつもりだったんでしょう? 差しせまった命の危機にたいして、われわれにはそれを救う権限がある」

プリチャード氏はガーデンテーブルからミネラルウォーターのボトルを手にとった。そして、海のほうに視線をむけて、ため息をつく。ルーフバルコニーの格子状の柵の上に、群れからはぐれたらしい一匹のシロチドリがとまっていた。

「わたしから、アンブローズの部品を摘出するつもりか?」

「そうなるでしょうね。有毒化学物質はすべてとりのぞくことになりますから。回復まで長期の入院になる可能性もある」

「そんなことはやめてくれ。どうしてわたしたちをほうっておいてくれない? どうしてわたしたちの願いを邪魔する?」

「申し訳ありませんが、救急車を手配します」

プリチャード氏はもう一度、深いため息をついた。「病院は遠いのかね?」

「車なら一〇分もかからないでしょう」

プリチャード氏はうなずくと、ボトルのキャップをひらいて中身を飲んだ。その動作があまりにも自然だったので、デジロもヴィオラもとめることができなかった。それはミネラルウォーターではなく、致死性の毒だったのだ。数秒後に咳きこみ、血を吐いて死んだ氏の表情は愛するものに抱かれて眠りにつく子供のように安らかだった。

署への連絡をすまし、ふたりはプリチャード氏の遺体を前に、ガーデンテーブルについたまま応援が来るのを待った。

「油断してしまったな。自殺の可能性はじゅうぶん考えられたのに」

「ボトルの検査をしておくべきでしたね。水分補給が必要と判断して、見過ごしてしまいました」

「仕方ないさ」デジロはかぶりをふった。「……なあ、ヴィオラ。プリチャード氏とアンブローズは、いっしょに天国に行けたんだろうか。おまえはどう思う?」

「魂の存在に科学的根拠がないのですから、死後の世界についても同様です。肉体が活動を停止すれば、それでおわり。わたしたちマ・フはそのように考えます」

「でも、アンブローズはそう考えなかったっていう話だろう?」

「いくつかの解釈がなりたちますが、もっとも有力なのはこうです――アンブローズはプリチャード氏から不安をとりのぞくために、自分を食べるよう提案した。わたしたちマ・フは人間のために奉仕する存在ですから、そうした選択も不自然ではありません」

「天国なんてないと知っていて、ということか? マ・フの電子頭脳は嘘がつけないようにプログラミングされているはずだろう」

「科学的根拠がないからといって、その存在が完全に否定されるわけではありません。自意識が死後の世界の実在を可能性の問題ととらえているのであれば、虚偽の発言と判断されないようプログラムの裏をかくことができるかもしれない。いずれにしてもアンブローズは、かなり変わった個体ではあったと思います」

「愛だな」デジロはつぶやくようにいった。「プリチャード氏が、おまえに長い時間をかけて考えてほしいといっていたろう? あれは愛についてだったんじゃないか」

「愛、ですか。でも、そうかもしれませんね。知っていますか? いくつもの宗教が自殺したものは地獄に行くと説いていることを」

「おいおい。それじゃあ、あのふたりは結局天国に行けないじゃないか」

「天国を探究していたプリチャード氏が、そのことを知らないとは思えません。つまり、病院へ行って部品が摘出されたり、長期入院して細胞が入れかわってしまうくらいなら自殺を選択する、という決断の根底にあるのは、ふたりいっしょなら地獄へ行ってもかまわない、という思いです」

「やりきれないな。どうにも」

「しかし、死後の世界などないという考えに立ちかえるなら、少なくともプリチャード氏が安らかに逝くことができてよかった、ととらえることもできます」

「やっぱりないと思うかい?」

「はい。少なくとも食べたからといっていっしょに行けるところではないように思います。たとえば、ランチに魚介料理を食べたとして、そのあと事故にでもあって死んだと考えてください。デジロさまは天国でカニやイワシと永遠に暮らすのでしょうか?」

「ランチはキャンセルにするよ。食欲がなくなった」

デジロはプリチャード氏の遺体に目をやって、肩をすくめて見せた。

「わかりました。貯金は温存することにしましょう――それから、これは別の解釈ですが、もしかしたらアンブローズは本当に死後の世界が実在すると確信していたのかもしれませんよ。先ほどもいいましたが、アンブローズはかなり変わった個体だったようですから、わたしがたどりついていない高次の領域を見ていた可能性があります。生体マ・フを単なる製造物ではなく生物の進化のかたちのひとつととらえるなら、わたしたちがいまだ知らないなんらかの枷をはずすことができれば――その鍵が、あるいは愛なのかもしれませんが――可能性はあるのかもしれない。プリチャード氏がわたしに考えてほしいといっていたのも、そのことなのかも」

「それはもう、天国とか地獄とかいうものでもないかもしれないな。おっと、ようやく応援が来たようだ」

遠くからものものしいサイレンの音がきこえてきた。もちろん、デジロが気づくずいぶん前から、ヴィオラにはそのことがわかっていた。

新しく一匹のシロチドリがやってきて、ルーフバルコニーの柵にとまった。どうやら、先ほどの群れからはぐれた一匹を迎えにきたらしい。二匹のシロチドリはしばらく身を寄せあってから、そろって青い空の彼方へ飛んでいった。

 

 

 

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久永実木彦

2017年、「七十四秒の旋律と孤独」で第8回創元SF短編賞を受賞。2020年に受賞作を表題作とした『七十四秒の旋律と孤独』(東京創元社)を刊行。同作は第42回日本SF大賞の最終候補に選出された。2022年には「わたしたちの怪獣」を『紙魚の手帖 vol.06』に寄稿。「わたしたちの怪獣」は第43回日本SF大賞の最終候補に選出され、久永さんは2年連続で日本SF大賞の最終候補となった。また、「わたしたちの怪獣」を表題作とした短編集『わたしたちの怪獣』を東京創元社から2023年5月に刊行予定。
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