あの星が見えているか | VG+ (バゴプラ)

あの星が見えているか

第三回かぐやSFコンテスト最終候補作品

藤崎ほつま「あの星が見えているか」

 

試合の前夜に見る夢はやたらと鮮明で起床後も良く覚えている。

もっと、ずっと、はるか遠くの星を探して、より小さい、かすかな、消え入りそうに息づく光を求め、暗闇の虚無へと視線を投げ込む。宇宙空間に身ひとつで放り出されたような、ちりちりと焦げ付く不安と恐怖。そこに安堵をも認めている自分。

十月の南東の空には一等星のフォーマルハウトだけがかしましく、ミラやデネブカイトスは地平線をかすめる程度。明る過ぎる光源を避けた新月の静けさの中では、注意を払うべき「標的」が最もわずらわしく視界に留まる。液晶モニタのドット欠けのように星空を傷つけている正方形。ピッ、という電子音と共にC型の記号が横たわる。親指で上を入力。反射速度がAR層の右上に表示される。少し遅れたので各地のフードコートに集まった地元民や都市部の会場に設置された大型ディスプレイを凝視している観衆の重苦しいため息が聞こえてきそうだ。雑音をミュートするこのブース内のリクライニングシートは快適でさえある。ただピッというアラームだけが耳障りで、再びCが向きを変える。衛星軌道上に投影された一辺五百キロメートルの巨大スクリーンは地上から観測すれば約0.077センチメートル。1ミリにも満たない白片を見つめ、手元のゲーム用コントローラーじみた機器で白片に表示された細かなCの欠けた方向を入力していく。上、上、下、下、左、右、左、右、B、A、時折混ぜられるアルファベットのボタンも抜かりなく。こうなると手先の器用さも競技の範疇だ。

このブースの数メートル横には自分と同じく標的を注視している優勝候補ムティエラ・カサンダがいる。彼はセレンゲティ国立公園で密猟を取り締まる監視隊員で、象牙消費大国のイメージ払拭に奔走する中国の大手企業がスポンサードしている。普段はエベレストでシェルパを務めているナムギャル・ワンディもスポンサーはインドのIT企業だ。互いにカタコトの英語で対談もしたが、先入観による素朴な印象とは異なり、勝負に貪欲で最新技術の習得に意欲的な選手たちだった。VR空間で視力検査をするだけの、eスポーツの一種目という扱いでしかなかった「競視」が、国威発揚を意図した自国の人工衛星を駆使して、ここまで大掛かりにショーアップされたのも重慶オリンピック以降だし、すでに国家間の威信をかけた争いではなく、企業間のイメージ戦略に利用される国際試合の「広報担当者」がアスリートの本質だ。

あの衛星に取り付けられた投影レンズを研磨する単結晶ダイアモンド工具を作製している東大阪の町工場が私のスポンサーだ。「宇宙開発にも携わる確かな技術力」がキャッチコピー。大陸系大企業のお抱え選手とは待遇が天と地ほども違うだろう。何十年ぶりかに日本で、しかも福島で行われる国際イベントなのに国内での注目度が低いのは大企業が協賛に消極的だからだ。日本最高の標高と大気透過率を誇る浄土平天文台の駐車場に設営された競技施設へつめかけているのはほとんどが海外プレス関係者だ。今朝のバスでの移動中、他国の選手はバイザーにプレインストールされた遠視アプリの気球を眺めていたり、動体クレー射視などでウォーミングアップに務めていたが、日本人選手のモチベーションの低調さは否めない。今さら「裸眼で遠くを見る」ことに意味はあるのか? 国内世論は双眼鏡で事足る競技に関心を払わないし、否定的ですらあるのは昨日ホテルでのインタビューでも明らかだった。

囲碁や将棋、eスポーツ全般がAIにとって代わられ、人口の七十%が身体矯正済みのこんにち、未矯正の生身にこだわる理由はあるのでしょうか? むしろその生身信仰が差別や格差を助長してはいませんか? 私はわざとらしくバイザー越しでもわかるように眉根を寄せる。そういうことは貧困層の矯正率が五十%を超えてから考えましょう。大陸の高精度医療を受けられる日本人が今どれだけいますか? そんな言い回しでもっともらしく記者を諭しながら、心にもない台詞をのたまう自分に辟易する。確かに貧困にあえぐ子供たちにとって未矯正競技の存在は希望になり得るだろう。支援施設での壮行会に出席すれば、競視のようなマイナースポーツの選手でもちょっとしたヒーローになれる。出場おめでとうございます! サインをください! 握手をお願いします! 無邪気な声援に囲まれると居心地が悪くなり、ニッポン技研バンザイ! を三唱する頃には場違いにもほどがあると確信して居たたまれなくなる。

まだマスコミにも洩れてはいないが今回の大会が終われば私は引退する。医師の診断によれば緑内障が進行しているらしい。今では回復の見込める疾病ではあるが、手術を受ければ矯正スポーツ規定により、裸眼選手としての資格を剥奪される。その後は矯正視力選手へ転向するか、身を引くしかない。それこそ天体望遠鏡や電子顕微鏡レベルの争いを繰り広げている矯正視力界隈において、選手は高性能レンズを支える生体スタンドでしかなく、競技の優劣はエンジニアの調整で決定される。元から競技者としての矜持など持ち合わせてはいないが、そこに私の求める「標的」は見い出せないだろう。病気が発覚する前に私から離れていった者は慧眼だったと思う。あんたは見たいモノしか見ないよね、と捨て台詞を残して彼は去っていった。ふたりで探した部屋の決め手となった眺望を、ひとりでのぞみながら、霞みがかった淡路島の島影の奥に、いったい何を間違えたのかをまさぐってみたが、まるで分からない。でも確かに自分に都合の良いモノしか眼中にはなかったのだろう。

違和感を覚え始めたのは恩師が亡くなってからだ。動体競視の選手だった先生が、当時金メダルを嘱望されながら、あっさりと辞めてしまった経緯も、病気だった。遠視とは違い動体視にとって視野狭窄は致命的だ。私と同様に二つの選択肢があったにも関わらず、先生は最期まで手術を受けなかった。朝晩の目薬と定期通院のみで日常生活を送れる程度の視野を維持していた彼は、周囲からは奇異に映ったことだろう。もっとも、紫外線から眼球を保護するために日常的に遮光バイザーを装着している競視選手は、それ以上に他人からは浮いて見える。視神経や毛細血管への血液循環コンディションを整えるために適度な全身運動は欠かせないし、常日頃から節制を意識して食生活にも気を使わねばならない。糖尿病などもってのほかだ。試合会場が高地であり、気圧の変化に適応するため標高の高い場所に居を構える者もいる。これら全ての体質管理は、矯正身体であればプラントを埋め込むだけで誰にでも容易に実現可能だが、生身であれば前時代的な設計プランが不可欠だ。このわずらわしさは未矯正アスリートの皆が抱える最初の障害であり、愚痴を吐きながらもこなせる修道僧のような人間だけが選手でいられる。それを、辞めたあとも続けていたのが先生だった。

インターハイで好成績を収めたとはいえ、高校を卒業したばかりの私が光学部品メーカーの広報部へ就職できたのも、先生のコネがあったからだ。大陸系宇宙開発事業の下請けが主な業務で、競技のバックアップ体制が設けられている唯一の日本企業だ。生まれて初めて故郷を離れ慣れない環境に身を置きながら、時折、夜道の星を見上げて、先生の声を思い出す。あの小さい星、光の速さでもたどり着くのに何年もかかるほど遠い星を見てごらん。あの光は、もう何年も前に発せられた光なんだよ。すでにない、過去の姿だ。僕たちは、より遠くの星を見るほどに、より古い過去を見ることができる、ちょっとしたタイムトラベルをしていることになるね。高校の夏合宿の時だ。先生の実家に宿泊して、ルーティンの遠視訓練の最中。そもそも片田舎の公立高校に競視部のような小洒落た部活ができたのも、著名な選手が赴任してきたからだったらしい。夜空に重ねられたAR層のカーソルをマウスで動かし、見える星を片っ端からクリックしていく。マーキングされた星には名前が表示され、どんなにささやかでもすでに認知された恒星や星雲だとわかる。五分間に出来るだけ沢山マークをして、リミット後に答え合わせをすると、自分の見落としていた星が赤く点滅する。先生が指を差し、おおぐま座のしっぽ辺りに光るミザールのすぐ横に目を凝らす。見えません。キミならいつか見えるようになるさ。

千葉のさびれた漁村で魚影に群がる海鵜を数えていた私に、それが競技になり得るのだと、それは世界に通用するのだと、教えてくれた先生。これをいつも着けておくと良いよ、と遮光用のバイザーをくれた。眼球は人体の臓器の中で唯一皮膚に包まれていない器官なんだ。いわば剥き出しの神経さ。なのに外には有害な光線があふれている。だから選手ともなれば身体を護るのに気を配らねばならないよ。バイザーの不可視モードは、可聴域を超えた超音波の反射響による周辺把握と脳への伝達、つまりは視覚を介さずに日常生活を送るための補助具だが、もちろん練習や試合では可視モードに切り替えて温存していた眼球の出番となる。その時の解放感は格別で、まるで世界が内側からめくれて裏返っていくような痺れる快感に満たされる。ただただ、ひたすらに、見るのが楽しくて、見ればそれを自分の両手のひらに握り込んだ気分になって、世界中のあらゆるモノを見てやろう、視界に収まる全てが私のモノだ、とさえ思えた。

キミは眼が良いね、と先生が初めて声をかけてくれた時のことが嬉しくて、私は、今ここにいる。自分の見たいモノだけを見て。企業のイメージ戦略とか、生身への執着なんて、後から付いてきたに過ぎない。先生の指さす方向へ、視線を向ける。ピッ、というアラーム音を受け流し、もっと、ずっと、はるか遠くの星を探して、暗闇へと瞳を研ぎ澄ます。

 

 

 

 

 

第三回かぐやSFコンテスト特設ページ

藤崎ほつま

1972年生まれ。2014年から『キミのココロについてボクが知っている二、三の事柄』等の小説をセルフパブリッシングで発表。プロアマ混合の文芸のオープントーナメント〈ブンゲイファイトクラブ〉では、2021年の第3回および2022年の第4回で2年連続の本戦出場を果たす。Kaguya Booksの『大阪SFアンソロジー:OSAKA2045』にて短編「かつて公園と呼ばれたサウダーヂ」で商業デビュー。妻は漫画家の〈るなツー〉。

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